「我が国のふくろうたちは黄昏時に経済を見誤る」

2012-11-29 15:09:46 | 「パラダイムシフト」



  「我が国のふくろうたちは『たそかれ』に経済を見誤る」


 デフレ経済からの脱却だとか、インフレターゲットだとか、金融

緩和だとか、様々な景気拡大のための政策が議論されているが、法

に則って近代国家を営む民主国家であれば、凡その国は合理主義経

済の下で経済成長を目指していることは言を俟たない。何れの国の

政府も何よりもまず経済発展によって国家の繁栄を図ろうとしてい

るのだ。つまり、どこの国も経済成長しようとしているのだ。そし

て、そのための経済理論が築かれ様々な情報が与えられているにも

拘らず、反して、債務に苦しむ多くの国が存在し、また、かつては

世界が羨むほどの経済発展を成し遂げながらも今なおその夢から覚

め得ず、実際は世界が哀れむほどの負債を抱えて停滞する国さえあ

る。では、金をばら撒けば経済が良くなると言うなら、何もギリシ

ャにしろスペインにしろこれほど債務に苦しまなくてすむはずでは

ないか。多分、それらの国は「斯く行えば斯く成る」という経済命

題とは異なる「斯く行えぬ」理由によって経済合理主義を破綻させ

てしまったからで、それは経済合理主義とは別の主義、文化がもた

らす不公平な待遇差別であったり、変化する経済への対応を怠り現

実の収支に基づかない既得権を改められない社会構造から生まれる。

そこで、金をばら撒けば経済が回復すると言うなら、ギリシャにし

ろスペインにしろ何も緊縮財政などを行わずに富裕国から金を借り

て来てばら撒き、景気が良くなれば返せば済むだけのことではない

か。ところが、我が国のレフレーションを求める専門家たちは、ギ

リシャについては金をばら撒いて景気を良くしろとは決して思わな

い。もちろん各国によって事情が異なるが、ギリシャには財政改革

を求めても、我が国にはその必要はないといえるのだろうか?ただ

金融政策を改めるだけで経済が回復するのだろうか。巨額債務を抱

えた国とは思えないほど既得権益に与る茹でガエルで溢れ返ってい

るではないか。そんな国がデフレから脱却するだけで一千兆円を超

える債務を返済することができるのだろうか?恐らく我が国は、何

もかも失って再び何もないところから始めればまた奇跡の復活を果

たすに違いないと信じるが、如何せん過去に縛られた制度を改革す

ることさえもできずにこのまま立ち枯れてしまうに違いない。私は、

大胆な改革を行うと言うなら、握り締めた富を手放す覚悟がなけれ

ば新しいものを掴むことなど出来ないと思う。成長期に決めた制度

が収縮期の負担になっているのだ。つまり、財政緩和の前に既得権

益に与るアンシャン・レジームを一掃するほどの大胆な構造改革を

行なわなくては如何なる景気対策もがん細胞を肥やす結果に終わっ

てしまうだろう。近代社会へ転換させる明治維新は武家制度を温存

させたままでは為し得なかった。改革とは過去の約束を反古にする

ことなのだ。健全な財政は健全な社会構造に宿るとすれば、財政が

偏っているのは社会制度が歪つな証拠ではないか。かつての先進各

国は何れもグローバル経済の下で新興国に生産を奪われて経済の収

縮に悩まされている。そのしわ寄せは弱者に向けられて、若者は定

職にも就けづ親の年金や福祉に縋りネットで憂さを晴らしている。

かつては100取れたものが今では70しか取れないとなれば、個

々への分配が3割減るのは小学生でも分る理屈だが、利益が3割減

っても報酬を3割削ることができないのであれば、他所より借りて

くる他ない。こうして経済の変化に対応できなくなった社会は過去

の遺産を食い潰し、それどころか未来に負債を付け回す。そんな過

去と未来を食い潰す国家に文化も夢も育たない。では、果たして金

融緩和や公共投資によって3割減った収穫を回復させることなどで

きるのだろうか?しかし、いくら皿を大きくしてもパイは大きくは

ならないだろう。景気は社会から生まれるものであって決して国家

が作り出せるものではない。いくら政治家が景気という馬の手綱を

引っ張って水飲み場へ連れて行こうとしても、馬が不信に思ったら

頑なに四肢を曲げない。この国の経済学者や専門家たちは、馬を水

飲み場にさえ連れて行けば馬は勝手に水を飲むものと思っている。

更に人間となれば、たとえ餓死しようとも自らの信念に悖る経済活

動ならば拒むことさえあるなど一顧だにもせずに、景気は金さえば

ら撒けば勝手に良くなるものと思い込んでいる。例えば、脱原発を

訴える人々は文明を後戻りさせても自然環境だけは守るべきだと思

っている。自然環境の中でしか生存できない人間にとって、自然が

文明に先行するのは自明の理なのだ。恐らく、近代文明に洗脳され

た専門家たちは肝心なことを見落としている。彼らは社会の「景」

が見えても人間の「気」が読めない。経済が生きものとしての人間

の営みであるなら、時々刻々変化する人々の関心や不安を捉え切れ

ていない。チケットが完売すれば幕が開く前から興行は成功したも

のと勘違いしてしまっている。つまり、我が国のふくろうたちは、

生命が萌え出るその端緒をもって結果となし、生成の表象だけを見

て、たそかれ(黄昏)に人の営みを見誤る。


                                   (おわり)

「穴の開いた古いバケツに」

2012-11-23 03:26:38 | 「パラダイムシフト」



              「穴の開いた古いバケツに」





『安倍氏、野田首相の批判に反論=金融政策、学者の「お墨付き」』
        【12衆院選】時事通信 11月20日(火)22時29分配信     

 自民党の安倍晋三総裁は20日、都内の会合で、自身が提唱した日
銀による建設国債引き受けを「禁じ手だ」などと野田佳彦首相が批
判したことに対し、「エール大学の浜田宏一教授から『非常識なの
は野田さんの方だ』とのファクスが来た」と述べた。さらに、自ら
の金融政策について「金融の泰斗(権威)にお墨付きを頂いた」と
強調したが、これ以上の反論はなかった。浜田氏は日銀の金融政策
を批判している経済学者として知られる。 
 安倍氏は「われわれは政権を失う以前の自民党とは次元の違うデ
フレ脱却政策を実行していく」と強調。「首相も題目を述べてきた
が、デフレ脱却、円高是正ができなかった。私たちはご託を並べる
のではなく、しっかりと結果を出していく」と述べた。

         *     *     *


 デフレ経済から脱却するするためには、金融緩和して経済を活性

化するべきだというが、それでは、そもそも我々はこの20年間に

何を行って10,000,0000・・・、あぁー分らなくなった、

1千兆円を超える債務を残すことになったのだろうか?1千兆円の

債務には一切触れずデフレから脱却さえすれば債務は何れ消えてな

くなると説くリフレ派の金融政策によって厖大な債務が積み上げら

れてきたのではなかったか。私の知っている限りそれは、いま安倍

総裁が公約として訴えているような、政官業が癒着して無駄な公共

投資を湯水のように垂れ流す財政緩和によってもたらされた。政治

家や、或いは賎しくも専門家を名乗るなら、これまで何故1千兆円も

気が遠くなる債務が野放しに積み上げられてきたのか、何が誤りだ

ったのかをまず検証するべきではないだろうか。前を見るなら後ろを

忘れてはいけない。これまでどれほど金融緩和が叫ばれ財政緩和

が実行されて、その度にあたかも中毒患者のように一時的な刺激に

陶酔し、しかし、酔いから醒めれば厖大な債務の現実に苦しめられ

てきたことか。社会構造に問題があるのであれば、幾ら金融緩和を

行っても紙幣は既得権益を持つ者によって独占され、決まって債務

者は稼ぎを博打ですってしまい家計を省みないように、ふたたび投

機へと向かわせ、実体経済を支える消費者の下には届かない。規

制に守られた既得権益を生む社会構造を改めない限り、まず、バ

ケツの穴を塞がない限り、債務が2千兆円に膨らんでもこの国は

デフレ経済からから抜け出せないに違いない。もちろん、その前に

信用不安に陥って、ハイパーインフレになるだろうけど。

 選挙の争点がデフレ経済からの脱却ばかり重視され、1千兆円

を超える債務を生んだ社会構造の改革、公務員改革や政治改革、

規制緩和などの行政改革はまったく忘れられて、またしても穴の

開いた古いバケツに水を流し込もうとしている。


                                  (おわり) 


「塞翁が馬」

2012-11-15 04:51:28 | 従って、本来の「ブログ」
 


                 「塞翁が馬」


 野田総理が16日に解散すると云った。ただ、私は彼の思い詰め

た表情に一瞬ヤバイんじゃないのと思った。ちょっと論理的ではな

いかもしれないが、自分の命を賭した決断のように思えた。最早、

政治的な如何なる手段を用いてもこの国を変えることはできない、

そう悟ったのではないか。仮に、まだ変革の余地が残されていると

信じれば、多分もっと得点してから解散するだろう。彼は、恐らく

何かを諦めた。それが、国民からの支持の低下によるのか、ねじれ

国会に嫌気が指したのか、かつて福田総理はそれで辞めたが、それ

とも政治主導の限界を感じたのか、そうだ、きっと何かの限界を感

じたに違いない。もちろん、日中関係を悪化させた責任も重く感じ

ているのだろうが、少し前だが、彼は、消費増税に政治生命を賭

けると言った時の政治生命とは何だったのかと安倍党首に糾されて、

「議員辞職するつもりだった」と述べたが、「総理を辞する」とは

言わなかったことを奇異に思った。もしも、総理の地位を賭してま

でも決意した政策が国民の支持を得られなかったのであれば、総理

を辞すると言うべきだが、もう政治の世界から身を引きたいとまで

思っていたかもしれない。何れにせよ、もうどうせハードランディ

ングさせるほかないのであれば、政党の枠を超えて、そもそも、そ

の原因を作った自民党にこそその操縦桿を握らせようと思ったのか

もしれない。彼の突然の解散宣言は、何か救いのない諦めからの決

意のように聞こえた。恐らく、これから我々は長きに亘ってなしく

ずしの時代を迎え不毛な彷徨を繰り返すことになるのだろう。もう

忘れてしまったかもしれないが、我々は自民党ではダメだと思って

民主党に期待したはずではなかったのか。それでは、自民党は変わ

りましたか?家貧しくて孝子顕ると言うが、相変わらずの親の七光

りを頼った「光子」ばかりの北朝鮮顔負けの世襲政治ではないか。

何だかこの国の暗い過去にも似たような筋立てがあったような気が

します。

 さて、今日、11月15日は今や時の人と言っていいほど持て囃

されている坂本竜馬の誕生日です。そして、忘れてはならないのが、

彼が暗殺された日でもあります。さらに、今日は私の、タッタッタ

ッ、タン塩日です、じゃなかった、誕生日です。誕生日にはタン塩

を食べましょう。おっ、忘れてた、今日は親父の命日だった。

 先ほど、何となく「文学界」のホームページを見たら、新人賞に

送った私の小説が落ちていることを知りました。見なきゃよかった。

 でも、人間万事塞翁が馬ですから。

                                (つづく) 



「あほリズム」 (263)

2012-11-09 13:39:06 | アフォリズム(箴言)ではありません




                 「あほリズム」



                  (263)


 私は、田中真紀子文科大臣のムチャを支持する。何故なら、

構造を転換するということは、これまでの制度を破壊することだ

から。だって、民主党も自民党も何れの政党も構造改革は口先

だけで、イザとなると腰が引けて哲学を語るばかりで何一つ変

えられないじゃないか。改革とは、既得権益をもたらす既成制度

破壊すことの他に一体何があると言うのか。



                  (264)



 改革とは、それまで営々と築き上げてきた制度を、

良い悪いは別にして、一瞬のうちに破壊することである。

 つまり、小異を捨てて大義を択ることである。それまで

正しいと教えられていたことが一夜にして黒く塗り消され

た敗戦の時のように、一瞬のうちに退治しなければ既得

権益を手放したくない守旧派がゾンビのように蘇えってく

るからだ。



                   (265)

 
 たとえば、皇国史観に洗脳された皇民に、その洗脳を解いて

国民こそが主権である民主主義を教えるには他にどんなやり方

があっただろうか。同じように、国家利権に群がる政官財の癒着

を断つには、その本性を現した瞬間でしか成敗できないのだ。田

中文科大臣がその可否を求められるなら、その裁量を行使するこ

とに何の問題があるのだろうか?そもそも、不認可にすれば「絶対

裁判に負ける」(これは、東京地検特捜部OBだった若狭勝氏の意

見であるが、)そんな裁量権っておかしいではないか。許可するしか

ないんだったら大臣の許可なんて要らないじゃん!




「あほリズム」 (256)

2012-11-08 01:32:04 | アフォリズム(箴言)ではありません



               「あほリズム」


                 (256)


 生きてることが欲望を生む。欲望のアウフヘーベンを「希望」

と呼ぶなら、実存は希望に先行する。



                 (257)



 故に、希望がなければ生きられない、と言うのは嘘だ。

 生きていれば希望は生まれる、他所見さえしなければ。



                 (258)


ザイン(実存) はゾルレン(当為) に先行するのだ。



                 (259)


 ならば、「かくあれ」と言うまえにまず行動 (実存) しなければならない。




                 (260)


 そりゃあすぐに上手くいかないさ。でも、不可能性を知ることは

可能性に近付く第一歩じゃないか。



                 
                  (261)


 
 哲学は何故役に立たないか?行動しないからだ。



                  (262)


 君が絶望に取り憑かれるれるのは動かないからだ。