「汚職社会がもたらす環境汚染」

2013-02-26 07:05:20 | 「パラダイムシフト」



      「汚職社会がもたらす環境汚染」



 中国の深刻な環境汚染のニュースが止まらない。粒子状物質PM

2.5による大気汚染だけではなく土壌汚染や水質汚染までも相当深

刻な状況だという。人間だけでなく生きものすべての生存を担って

いる大地と水と空気が汚されている。共同通信(2013年2月25日17時

56分)が伝えるところによると、「【北京共同】中国政府が実施し

た全国の土壌汚染状況調査について、北京の弁護士が結果の開示を

求め情報公開を請求したところ、当局が「国家秘密」として拒否し

ていたことが25日分かった。同日付の中国紙、法制日報が伝えた」

先に、中国当局が大気汚染の情報公表したら俄かに国民の不安が高

まったことから懲りてもう教えないと言うことらしい。いくらそん

なことをしても視界がほとんど遮られたあの状況を見れば誰もが不

安に思うのは当然で隠すことは出来ない。さらに夕刊フジの記事か

ら、『24日付の中国紙「新京報」によると、2011年に実施し

た全国200都市の地下水調査の結果、工場の廃水などによる汚染

で水質が「比較的悪い」「極めて悪い」とされた都市が55%に上

った。飲用水の65%を地下水に頼る中国北部は「生存の危機」に

ひんしていると報じている。』そして、『工業廃水や都市の生活排

水が垂れ流しになっていることに加え、農村部での化学肥料や農薬

の使い過ぎが原因という。飲用水の汚染が原因で、がん患者が多発

する「癌症村(がん村)」は200以上あるとした。』『遼寧省海

城市のある村では、汚染された地下水により住民160人が死亡。

北京の地下水からは発がん物質が常に検出されているという。同国

の環境保護省も公表した通知で「一部地域で(癌症村)など深刻な健

康・社会問題が出現していると認めた。』とある。それにしても、

中国では優れた日本製品のボイコットが頻繁に起こるというのに、何

で日本では農薬や化学物質で汚染された中国食品のボイコットが起

きないのか不思議でしかたがない。

 環境汚染が深刻な状況であるにもかかわらず、当局が規制もせず

に放置している背景には、監督するべき当局の責任者たちが企業側

からの賄賂によって不正に目をつぶっているからだとも伝え聞くに

到っては環境汚染の深刻さ以上に、権力を笠に着て私欲を満たそう

とする役人たちの浅ましい根性が嘆かわしい。それではいったい

誰が糾すのか。福沢諭吉は「学問のすゝめ」の中で、「独立の気力

なき者は、人に依頼して悪事をなすことあり」と述べているが、儒

教思想が色濃く残る序列社会の下では、誰一人として権力者の過ち

を糾すことができず、誰もが権力に媚び諂い正義から目を逸らす。

つまり、中国の環境問題の汚染の源は、自立精神を失った国民と堕

落した権力者たちによる腐敗した社会構造にある。わが国は、彼国

の姿を見て「他石を以って玉を攻(おさ)むべし」としなければならない

が、タコツボ社会の序列秩序に縛られた原子力村とかの依存体質を

見ていると、国民に平気で嘘を吐くことも恥じず自立精神の欠片も窺

えない。つまり、我国も彼国とそんなにかけ離れているわけではない。

                                  (おわり)


「めしべ」⑥

2013-02-25 07:48:52 | 赤裸の心
 


              「めしべ」⑥




 ここでくどくどと絵画史を述べるつもりはないが、ピカソの生き

た時代は写真機の発達によって画家という「職業」が成り立たなく

なる転換期をすでに終えていた。対象をただ精巧に写実するだけで

は便利な写真に仕事を奪わ始めていた。そもそも絵画は宗教絵画

から始まり、布教のため神の世界(アナザーワールド)を如何にリア

ルに信者に実感させることができるかが求められ、ダ・ビンチ、ラフ

ァエロ以来その歴史はスーパーリアル追求の歴史だったと言える。

正確な描写がなければ画家の個性は認められなかった。ところが、

科学文明の発達は、信仰の世界を衰退させるとともに対象を正確

に写す写真機までも発明されて絵画に写実性を求められなくなった。

それは画家を、世界を写し取る仕事から解放したとも言える。すでに、

詩の世界では象徴主義によって伝統的な技法の解体され心情描写

の新しい試みが生まれていたが、やがて、印象派の画家たちも挙っ

て独自の手法を模索し始めた。そんな時に輪郭を線で描写しただけ

の日本の浮世絵の技法が彼らの目に新鮮に映った。神聖な宗教画

から始まり教会ヒエラルキーの下で聖書を題材にした作品ばかり描

かされた伝統的な西洋絵画の技法は、権威に頼らない江戸庶民文

化の「戯画」の自由な描写に衝撃を受けた。彼らにとって浮世絵の

世界はまさに「アナザーワールド」だった。画家はもっと自由に自分

の描きたいものを描いていいのではないか。オブジェにさえもこだわ

らなくてもいいのではないか。キャンパスは世界を切り取った一部で

はなく、キャンパスそのものが世界なのだ。さて、このキャンバスに

あなたの世界を描きなさいと言われて、果たして誰が写実にこだわっ

た絵を描くだろうか?何故なら、「マイワールド」を創造するということ

はリアルなこの世界から逸脱することだから。


                                  (つづく)


「めしべ」⑤

2013-02-24 11:08:49 | 赤裸の心



         「めしべ」⑤


 そもそも絵画とは虚構の世界であって現実ではない。絵の中の餅

は決して食べることはできない。何もそれは絵画の世界だけのこと

ではなく、日常使われている言葉で表現される世界もまた現実その

ものではない。店で買い物をしてレジで「お金を払います」と言っ

ただけでは実際に払ったことにはならない。言葉もまた現実を言い

表すための仮想された表象である。そもそも、われわれは何故かく

も想像を弄ぶのか。たぶん、それは存在することの本能的な恐怖か

ら派生する。われわれは存在への恐怖からさまざまな不安に苛まれ

て、孤独から遁れるために社会を求め、不安を共有することによっ

て自己の不安を客体化させ自己を取り戻そうとする。むき出しの未

知の世界をさまざまな仮想で覆って認識し存在の不安から遁れよう

とする。では、なぜ生命体は恐怖とともに在るのか。それは、生命体

が物質の原理から逸脱した稀有の存在だからではないか。われわれ

は自らの意志で動くことのできる奇跡的な存在である。もちろん、わ

れわれは重力や熱といったさまざまな存在の外の力に支配されてい

るが、そもそもすべての物体はその支配の下にあって、内なる力(生

命力)など持ち合わせていない。われわれとは物質の原理に逆らって

存在するが故に、自分の自由意志で動けなくなること、つまり物質に

還ることを恐れる。物質原理の支配から逃れて自由を得た戸惑いが

われわれを不安にする。何故なら、自由とは存在の原理を失くすこと

だから。


                                   (つづく)

「めしべ」④

2013-02-21 04:54:44 | 赤裸の心



          「めしべ」④


 その奇妙な感覚は身の回りに見えるものについてのことだけでな

く、一瞬のうちに存在そのものの意味が失われて、たとえば、ハサ

ミはその本来の目的を失ってその複雑な形状をした「もの自体」と

して存在し、そして、無数の意味を失ったハサミが存在する世界と

はわれわれが求める世界とは異なって「ただ在る」だけの世界だっ

た。すべての存在は意味や時間といった継続性から解き放たれ、

意味を失った「ただ在るだけ」の世界が新鮮に思えた。その時、わ

たしはこう言えたと思う、「世界の中に意味などない。存在が意味

を求めているだけだ」と。多分、もし、わたしが高層ビルの屋上の

縁に佇んでいれば、我が身を「もの」として重力に任せることに何

の躊躇いもなかった。おそらく、自殺する者はその動機はさまざま

であってもこの世界に留まる意味を失い、最後の決断は感情によ

ってではなく「もの」として行われるに違いない。わたしは、自分

を取り巻くさまざまな社会的な観念が虚構に思えてきて、地位や名

誉や能力や、おおよそ社会がわたしに与える如何なる意味さえも、

さらに、観念の下に集う組織や国家や民族といった感情から生まれ

る幻想に対して、つまり社会そのものが無意味であるなら当然そ

れらも、何ひとつとしてわたしには意味があることとは思えなかっ

た。わたしは、意味を見出せなかった自分の存在を、さらに生き延

びるため以外の意味しかない社会に自分を捨ててまで預けようとは

思わなかった。つまり、わたしは本質存在であるよりも事実存在とし

て生きようと思った。

                                                (つづく)