「パソコンを持って街を棄てろ!」(一)

2012-07-11 19:55:03 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(一)―

        「パソコンを持って街を棄てろ!」

 

               (一)

                     
 シーシュフォスが課された刑罰の様な仕事を終えて、駅東口のネ

ットカフェに入った時は、まだ10時前だった。無駄な出費を抑え

る為に、公園のベンチで新聞を読んで時間を潰していたが、疲れが

背骨あたりから全身に及び、その倦怠から一刻も早く逃れたかった

ので、思っていたより早くいつものねぐらへ入った。馴染みの店員

が手早く個室をくれて、私はそこへ入るなり何も為ずに横になった

 全身の緊張していた細胞が緩んでいく音が耳の奥で「ごおおっ」

と聴こえた。疲れていたが、でも眠れなかった。それはわが身に迫

る将来への不安からだった。一体、何故こんなことになったのだろ

う。私が東京へ来るきっかけは、実家から投稿した漫画が最終選考

まで残り、出版社から専用の原稿用紙をもらい、それまでの貧しい

暮らしに差し込んだ、一条の光に夢を託したことから始まった。勤

めていた会社を辞めて上京し、生活は日々アルバイトに暮れる酷い

ものだったが、漫画家として成功する夢がその辛さも耐えさせた。

仕事をやりながら漫画を描くのは絶望的に困難なことで、アルバイ

トで残した僅かの金で一ヶ月の生活を費やし、仕事をせずに集中し

てマンガに取り掛り作品を仕上げると云う生活を繰り返した。ただ

、いつも最終選考まではいくが、入選の栄光に浴すことは無かった

。つまり一円にもならなかった。ある日、天からの啓示のように突

然アイデアが閃き、その可能性に自分の中で勝手に期待が高まり、

寝る時間も忘れ、仕事のことも忘れ、渾身の想いで作品の下書き(

ネーム)を作り、出版社へ持ち込んだ。担当者に「いい、これで行

こう」と言われて喜んではみたが、さて、すぐに仕事を捜さないと

暮らしていけない。そんなマンガ以外のことに時間を費やしている

と、担当者から信じられない言葉を聞かされた。

「君が描いてこないから、アレ、他の人にやって貰うことにした」

その男は他誌で連載を終えたばかりの新人マンガ家だった。ご丁寧

にその男が描いた下書きまで見せてくれた。そして私が考えた決め

台詞まで一緒だった。私のアイデアは、担当者によってパクられた

のだ。帰りの地下鉄の駅で、かつて経験したことの無い怒りで身体

の震え止まら無かった。しばらく自分の身に起こった事が納得でき

ず、仕事に行く気にもならず部屋の中でボーッとしていた。やがて

大家がアパート代の催促に何度も訪ねて来た。私は、部屋を出て行

くしか無かった。

 

                       (つづく)


「パソコンを持って街を棄てろ!」(二)

2012-07-11 19:54:09 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(一)―

        「パソコンを持って街を棄てろ!」

              (二)

                     
 眠りが遅れて襲ってきた為朝寝坊した。目が覚めた時は、すでに

仕事が始まる時間だった。日雇い派遣はこっちの都合で休むと次の

仕事も溢れるようになる。寝坊したことわりを連絡して散々謝って

許してもらい、シャワーを済ませて日用品の入ったバックを背負っ

てネットカフェをでた。それでも今日一日は自由を得た「奴隷解放

の日」だった。いつの間にか、この国には奴隷制度が復活していた

のだ。

 早春の朝日がまぶしかった。棲家の無い者にとって季節天候は決

定的である。冬の深夜を何処で過ごすかは命に関わる。この冬は温

暖化が言われていたので油断をしてしまった。凍える街の隅っこで

眠ろうとしたが、寒さで眠る事も出来ず散々歩き回った末、肉体的

にも精神的にも限界を超えた。限界を超えると脳が警告を発した後

に「運命に任せろ!」と告げて自ら判断のスイッチを切断してしま

った。そして私の命を支えていた多くの分子たちが私を棄てそれぞ

れ元の物質へ還元し始めた。もはや私は風であり雪であり闇であり

世界そのものだった。世間や社会が消滅して私自身も消滅しようと

していたが、まだ生き延びようとする生命の本能だけが、残された

神経を研ぎ澄ませていた。気がつけば見知らぬ廃墟ビルのレストラ

ンのソファに眠っていた。ホームレスにとって地球の温暖化は有難

い限りだ。このまま熱帯気候になってくれないかとさえ思う。そう

なると外で寝ても苦にならないし寒さに備える必要もない。ホーム

レスが苦にならないときっと皆んな無理して働こうとしなくなって

、その時から先進国のCO2排出量が減り始めるのかもしれない。

熱帯地方の若者に日本人が、

「何故、働かない?」と尋ねたら、熱帯に住む若者が、

「何故、働く?」と聞き返してきて、日本人が、

「楽な暮らしができるだろう」と云うと、熱帯に住む青年が、

「働かなくたって楽に暮らしてる」って言ったという笑い話があっ

たが、日本も熱帯化すればそうなるかもしれない。

 冬の間は廃墟ビルのレストランのソファで運良く寝泊まりするこ

とが出来た。私を棄てた分子たちも人肌を恋しがって又戻って来て

くれた。さらにその厨房の棚には廃業前の缶詰やパスタなどがその

まま放置されていた。さすがにコンロは点かなかったが、さっそく

缶に閉じ込められたトマトやアスパラガスを解放して私の胃の中に

閉じ込めた。それでも何時誰か来ないかが気になって落ち着けない

レストランだった。東京に在るものは全てに所有者がいることを改

めて知った。空き地の雑草一つもその土地の所有者のモノなんだ。

ここで行われているのは所有権の奪い合いなんだ、まだ空気の所有

者までは現れていないが。

 私はすこし歩いて近くの国家が所有する河川敷へ行った。

 

                        (つづく)


「パソコンを持って街を棄てろ」(三)

2012-07-11 19:53:19 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(一)―

              (三)

                

 風が川面を叩いて春を告げ水面は目覚めて軽く波立つ、そんな長

閑な朝の始まりが立つ瀬を失った自分の面にも少しは生きる歓びを

目覚めさせ、鳥のさえずりさえ笑っているかのように聴こえて、私

も心が少しは沸き立って水面へ到る斜面の土手の草むらにバックを

置いて仰臥した。街の喧騒も少し外れるとまだこんなところがある

のだ。

「何が?」

「永遠が!」

遠くに掛かる陸橋に列を切らずに続く車の流れに、今の自分が置か

れた境遇が、まるで先頭集団から離されていく後続のマラソン選手

の焦りに似た不安を感じさせたが、どうすることも出来ないあきら

めが逆に気を楽にさせて、寝転んで両手を伸ばすと欠伸が出た。そ

れからバックの中から一冊の本を取り出した。それは、資源ゴミの

集積場に無造作に捨てられていた八冊の中の一冊で、そのタイトル

を見た時、それまで私の脳血管を閉塞していた血栓が消滅したかの

如く積年の苦悩が一瞬にして解決した。それは「実存は本質に先行

する」、フランスの哲学者サルトルの本だった。そのあとの本文は

私にとってどうでもよかった、というよりこの一文は強烈だった。

実際図書館で「嘔吐」も読んではみたが全く理解出来なかった。翻

訳の難しさもあるのだろうが、なんでアロエだかマロニエだかの木

の根っこを見て「吐き気」を催したのか皆目判らなかった。「存在

と無」は最初のページを繰らずに置いた。「実存は本質に先行する

」、これだけで充分だった。つまり、私はずーっと「実存には本質

が先行している」と思っていたのだ。そもそも実存主義の本を読ん

でいても使われる哲学用語が全然頭に入ってこないし、さらに文化

と翻訳の壁があり、日常の言葉で語れない思想が日常に広まる訳が

無い。突き詰めると「ものごと」は狭義に拘らざるを得ないのは判

るが、突き詰められた真理が深海の海底では光輝いていても引き上

げて見るとただのガラス瓶だったでは見向きもされないだろう。

 つまり存在には「意味がある」と思っていた。しかし「意味があ

る」とすれば意味を与える存在がなければならない。「生きる意味

」だとか「何の為に」とかの問いは、常に自分の外に答えを求める

ことになる。私はサルトルの「実存は本質に先行する」という言葉

から、本質、つまり生きることの意味を問うことの無意味さを悟っ

た。

                       (つづく)


「パソコンを持って街を棄てろ」(四)

2012-07-11 19:52:37 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(一)―

               (四)

             
 ポチャ。

水面を跳ねる魚の音で目が覚めた。気付かない間に眠ってた。やは

りネットカフェのリクライニングシートでは睡眠は満たされない。

手足を伸ばして寝ることがそれほど大事だとはこんな暮らしになる

まで分からなかった。いつも頭の中は「どこで寝るか」が占めてい

る。「何の為に生きている?」と聞かれると間違いなく「寝る為に

生きている」と答えるだろう。街を彷徨っていても人を気にせずに

眠れる「夢の楽園」ばかり捜している。棲家をなくす事は睡眠をな

くすことだった。アウシュビッツでは不定期な水滴の音で眠らせな

い拷問があったらしいが、自分の身にいつ何事が起こるか分からな

い状況では、水滴が落ちてこない静寂こそが最も神経を消耗させ、

疲労困憊の末についには死を覚悟しながら眠ってしまうのだろう。

次の憲法改正には是非「如何なる睡眠も、これを犯しては成らない

」と云う「睡眠の自由」を保障して欲しい。夜中にホームレスのテ

ントに押し入って眠っている人間を殴り殺すのはいかに残酷なこと

か知るべきだ。

 ポチャ。

 魚はいいよな、泳いでいるだけでいつも目の前に食べるものがや

って来るもんな。人の世界ではただ歩いてるだけで目の前に納豆定

食やカレーライスが現われるなんてことないもんな。次に生まれて

くる時は絶対に魚になろう。でも、自分も大きな魚の餌になるんだ

ろうけど。お腹が空いたので何か食べなくちゃ。万引き、物乞い、

情けを乞う事、これを私は強く自分に禁じていた。それはきっと楽

な方法だろうが、手を染めると抜けられなくなるのが嫌だった。も

ちろん一生こんなことはしてないぞ、と思っていた。いちど三日間

食えない時があった。その前まで仕事が続いて週末には五万円程の

お金があったが久々の大金に目が眩み、大盛り牛丼たまご付き、サ

ウナに入って小奇麗になって、カプセルホテルで手足を伸ばし、缶

ビール飲んでエッチビデオに興奮し、人並みの暮らしを味わうと、

こんな暮らしにケリ着けて、たったひと間の部屋でいい、楽な暮ら

しがしたくなり、一攫千金夢に見て、開店前のパチンコ屋、並んだ

甲斐が報われて、早速もらった玉手箱、ここで止めるか思案橋、う

まくいったら仕事をせずに、ひと月遊んで暮らせると、よくよく欲

に勝てなくて、取れぬ魚群の海算用、夢を見たのは一瞬で、濡れ手

に泡の玉手箱、空けてびっくり空手箱、呼び戻そうと追い銭を、有

り金叩いて投げたけど、「海」の藻屑と為りにけり。有り金を擦っ

てしまった。落ち込んだ、本当に落ち込んだ。それ以来、私はすこ

しずつ金を残そうと思った。一日二食にして、昼はスーパーで2本

100円の袋入りのフランスパンと100円の砂糖を買い、砂糖を

水で溶かしてパンにつけて食べている。

 

                       (つづく)


「パソコンを持って街を棄てろ!」(五)

2012-07-11 19:51:33 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(一)―

             (五)

              

 遅いブランチ(?)を済ませて街を歩いた。平日とは云っても下

町の駅前通りには大勢の人が行き交っていた。自転車に子供を乗

せて買い物から帰る主婦や、これから買い物に行く人などを避け

ながらあてもなく歩いているとまた元の駅前へ出た。そして駅前

の広場ではひとりのストリートミュージシャンが空のギターケー

スを前に置いて、何時終るともわからないギターのチューニング

をしながら行き交う人々を窺いながら、自分のパフォーマンスに

好意的な人が来るのを待っているのだろうか。足を止める人がい

れば何時でも演奏を始めようとしているが誰も興味を示さないの

で始まらない、また始まらないので誰もが無関心に通り過ぎる。

いつの間にか人々は彼の前を避けて通る様になりそこだけ異質の

静けさが漂い始めていた。もしかすると彼は曲を始めるつもりを

失くしたのではないかと思えるほどひたすらギターの調整をして

いた。ただ、もし地震でも起これば誰よりも彼がいちばん早くこ

の場を逃げ出すに違いなかった。私は彼の歌に興味があった訳で

はないが、時間潰しにと思ってオープニングを今か今かと待って

いた。が、しかし何時まで経っても始まらないからその場を離れ

なくなっていた。このままだと彼は地震が来るまできっと何もせ

ずに終わるに違いないと諦めた時、彼は私の方にすがるような視

線を向けた。私は一瞬驚いたが立場の気楽さから彼を余裕で見つ

め返した。すると彼は困惑を悟られまいと弱々しく俯いたがその

心情が伝わってきたので、私はその男の前に行って座ってやった

。今度は彼が驚いて顔を上げたが、意を決したのかピックを取っ

て勢いよく弾き始めた。

 「STAND BY ME」だった。私は可笑しくなったが、彼

は歌うことに必死だった。しがれた声でゆっくりとコードを確か

めながら彼は歌い終わった。ひとつの障害を乗り越えた後は手綱

を放された馬の様に続けさまに歌った。二三曲知らないものがあ

ったが、七十年代のフォークソングだと思われる耳にした事のあ

る曲はスローなアレンジでけっこう上手かった。気が付くと私の

後ろには十人ばかりの中年のオヤジが遠巻きにしながら聞くとも

なく足を止めて立っていて、今度はその一画が人集りになってい

た。おそらく彼らの青春の歌に違いないのだろう。終わりの合図

か、彼が大きく右手を振り下ろして弦を擦って、音の流れを遮る

と辺りは一瞬静まり返った後、幾人かのオヤジからパラパラと拍

手が起きた。私もつられて手を叩いた。彼はその拍手に驚いて頭

を上げたが、顔には遠目にもわかるほど汗をかき昂揚が伝わるほ

ど紅潮していた。三十才前のそんなに若くはないが優しげな顔を

した男だった。声はしわ枯れていたがまだ表情には若者らしい戸

惑いがあった。彼は、

「なっ、何かリクエストあれば、出来るモノならやりますっ!」

彼は恐る恐る言葉を発したが、それはさっきの歌声と同じとは思

えないほど弱々しかった。すると何処からともなく声がかかった

「キャロル・キング!」

そう言うと男はすこし進み出て半身のまま彼のギターケースに小銭

を投げ入れた。すると彼は、

「それじゃあ、IT'S TOO LATE やります」

と言って、また彼の世界へ戻った。私の知らない曲名だったが、

曲が始まると聞き覚えのある曲だった。彼は自信があったのか顔は

決して上げずにギターのコードを見ながら頭を左右にしてより大き

な声量で歌い上げた。オーディエンスはさらに増えていたが中年オ

ヤジをはじめ誰もがその物悲しい調べに聴き入っていた。何度かサ

ビのリフレインを繰り返す時には小声で一緒に歌う人までいた。最

後には、上手く歌い終えた自信からか周りを見渡す余裕を見せて、

さらにさっきよりも多くの拍手を浴びた。そればかりかリクエスト

したと思しき人は更にギターケースに千円札を放って彼を讃える言

葉をかけた。つられる様にして幾人かがそこにコインを入れた。彼

のストリート・ライブは熱狂のうちにアンコールのボブ・ディラン

が始まった。私は役割りを無事果たしたプロデューサーよろしく、

すこし離れた植え込みの石垣に腰を下ろして彼の興行の様子を眩し

げに、そして思わぬ成功に自負を感じながら眺めていた。私が離れ

てからも彼のオールディーズは益々調子付いて駅前のビルに響き渡

って行き交う人は誰もが視線を彼に向けた。そしてついに名残惜し

いフィナーレを迎えた。彼は起立して頭を下げ礼を言うとオーディ

エンスも大きな拍手で答えた。彼がギターを肩から外して足元のペ

ットボトを飲み干したら、中年オヤジのオーディエンスも三々五々

に散って行った。私は思わぬ出来事に感心していると、彼が私の方

へやって来て頭を下げながら熱唱で使い果たした擦れ声で、

「どうも、ありがとう」と言った。私は、

「あなた、昔の歌良く知ってるね」と言うと、

「って言うか、バロックしか知らんねん」

関西弁だった。

「バロック?」

「古い唄のこと」

「ああっ、なるほど」

彼曰く、今まで一度もバンドのユニットに入ったことが無かったの

で、いつも一人で弾ける曲を探していると古い曲しか思い浮かばな

かった。それで古い曲ばかり練習していると本当に嵌まってしまっ

て、今では七十年代の弾き語りこそが自分に合う曲だ、と言った。

「今日、はじめての路上やったから、ちょっとビビってたけど、兄

ちゃんのお陰で上手いこといったわ。ほんま、ありがとう」

「へえーっ、はじめてだったの、その割に上手かったね」

彼は私の言葉を聞かなかったように、

「今日は声がヤバイからもうやめるけど、明日またココで演るから

ヒマやったら来てーや」と言った。彼は大阪の会社を辞めて音楽で

勝負する為にギターひとつで三日前に東京に出て来たらしい。それ

で、何処か安く寝れる処を知らないかと言うので自分が使ってるネ

ットカフェを教えてやった。彼はその安さに喜んで「そうするわ」

と言った。私と彼は同じネットカフェでまた顔を合わすことになっ

た。

 

                      (つづく)