「パソコンを持って街を棄てろ!」(三十一)

2012-07-11 17:15:21 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(三十一
            (三十一)
 
 
 私は早速バロックにデンワしてサッチャンがデビューしたことを
 
伝えると、彼は「ああ、知ってる」と素気なかった。バロックがど
 
んな思いで聴いたのかは分からないが、サッチャンのデビュー曲「エ
 
コロジー・ラブ」は予想以上の売れ行きで、というのは端からそんな
 
に売れる訳がないと期待そのものが緩かったからで、そもそも「エコ
 
ロジー・ラブ」は彼女の為に創られた曲ではなく、今は売れているシ
 
ンガーが「ダサい」と言って投げ出した曲を、彼女にアレンジを換え
 
て宛てがったところ、環境ブームの時流にも乗って、ただ、確かに「
 
ダサ」かったが、それは馴染みのない言葉や使い古されたフレーズに
 
、お尻を持ち上げられる感じがしたが、彼女の透き通る高い声は、聴
 
いた人がそのことさえも忘れてしまうほど新鮮な歌声だった。つまり
 
彼女の御蔭で「売れた」とまでは言えなかったが、見込みを超えたこ
 
とは確かだった。そうなると先見に聡い音楽関係者は、今度はスタッ
 
フを代えて彼女の高音が生える曲をヒットメーカーに依頼して本腰を
 
入れ出した。そしてデビュー曲からひと月も経たずに二曲目の「サス
 
テイナブル・ラブ」をリリースした。なんでも「サステイナブル」と
 
は「持続可能な」という意味らしいが、またしても環境ブームに便乗
 
した曲だったが、どうも彼女の「エコロジー」路線は確定したようだ
 
。環境問題をテーマにしたテレビ番組のエンディング曲に彼女の「サ
 
ステイナブル・ラブ」が使われていた。バロックは、「デビュー曲よ
 
りはこっちの方がいい」と言った。地元出身のサッチャンの二曲目は
 
商店街の街灯のスピーカーからシャワーの様に降り注がれた。私は、
 
これまでとは状況が違うが、馴染みのあるサッチャンの歌声を聴くこ
 
とができた喜びにすこし感動した。
 
                          (つづく)

「パソコンを持って街を棄てろ!」 (三十二)

2012-07-11 17:14:29 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(三十一
             (三十二)
 
 
 
 サッチャンの「サステイナブル・ラブ」はヒットチャートをゆっ
 
くり上がって、それは階段を登る風ではなく、垂らされた縄をたぐ
 
り寄せて登る感じで着実に上を目指していたが、ただ、いつ縄が切
 
られて地獄の底へ落ちて行くかは、上で眺めている神のみぞ知ると
 
いう危ういものだった。ただ、環境情報番組という地味だが、それ
 
でも人々の関心の高まりに支えられた視聴率と共に、毎週エンディ
 
ングに流される「サステイナブル・ラブ」はジワジワと人の耳に残
 
るようになっていた。
 
「ラジオに出るらしいよ」
 
バロックが教えてくれた。
 
「何の?」
 
もちろん音楽番組だったが、夕方の番組で録音だった。バロックと
 
私は路上でのパフォーマンスを中断してその番組を聴いた。
 
 パーソナリティーは彼女が路上で歌っていたことなどを驚きなが
 
ら紹介して、彼女の名前について尋ねた。
 
「どうして『サッチャン』っていうの?」
 
「路上の時にそう呼ばれてたんです」
 
「本名なの?サチコとか?」
 
「いいえ、違います。源氏名です」
 
「あははっ、源氏名かっ!」
 
「それでも、良かったです。たとえば、知らない人でもチャン付け
 
で呼んでくれますから」
 
「そらまあ、『サッチャンさん』とは言わないよね」
 
「呼び捨てだけど呼び捨てじゃないでしょ」
 
「なるほど、近づきやすいよね。ところで、どうして自分のことを
 
『サッチャン』て言うのかな♪~、アレ歌っちゃったよ!」
 
「へへへっ」
 
「おおっ、面白い笑い方するね、サッチャン」
 
「うん。あのー、名前って誰の為にあると思います?」
 
「誰のため?自分の為じゃないの?」
 
「違います、人に呼んで貰う為にあるんですよ」
 
「あっ、そういう意味ね」
 
「人が『サッチャン』って呼ぶのだったらそのままで良いって思
 
ったんですよ」
 
彼女は嘘をついた。「サッチャン」に至った顛末はそうじゃなか
 
った。彼女は自分のことを「チカコ」と言うのが口癖で、それを
 
バロックが揶揄って「サッチャン」と名付けたんだ。
 
「もう、『チカコ』って言うてへんのかな」
 
バロックが寂しそうにそう言ったが、私はサッチャンに集中した。
 
「大体、今の子供の名前の付け方っておかしいと思いません?」
 
「あっ!きらきらネームだろ、僕等もハガキの名前には泣かされる
 
んだよ」
 
「人が読めない名前って意味が無いと思いません」
 
「んーっと、そろそろ曲を紹介してもらおうか」
 
パーソナリティーは何かを感じて話しを逸らした。そして彼女が
 
「サステイナブル・ラブ」と言って彼女の歌が流れた。私は、
 
「やばいんじゃないの、あれ?」
 
「やばいかもしれん」
 
バロックもそう言った。
 
                     (つづく)

「パソコンを持って街を棄てろ!」(三十三)

2012-07-11 17:13:30 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(三十一
            (三十三)
 
 
 
 サッチャンがラジオ番組で語った一言は、彼女の知名度の低さの
 
せいか何の問題も起きずに忘れ去られた、かのように見えたが、後
 
で知った事だが、やはりラジオ局には抗議の電話やメールが殺到し
 
ていた。ラジオ局は表沙汰にはしたくなかったのだが、ネット上で
 
もその話題のスレッドが立ち、そこには雲霞のように賛否の書き込
 
みがされて、その臭いを嗅ぎ付けた三面記者が、それを紙面を埋め
 
る為の小さな記事にした。その記事が発端となって、ラジオ局は隠
 
し通すことが出来なく為り、謝罪会見をする破目にまでなってしま
 
った。
 
「出演者の『サッチャン』の発言が、ラジオを聴いて頂いた聴視者
 
の皆様に不快な思いをさせまして、誠に申し訳ありませんでした」
 
テレビのワイドショーで取り上げられたこの会見は、畏まった場で
 
、ラジオ局の部長が発した「サッチャン」という言葉が妙に新鮮に
 
聞こえて、質問をする記者もやたらと「サッチャン」を連呼しだし
 
て、神妙に始まった会見は何時しか笑い声が漏れるほど和んで終わ
 
った。それでも、彼女の歌を番組のエンディングに流していたテレ
 
ビ局は、ラジオ局と同じ系列だったが、その週から別の歌手の曲に
 
差し替えた。彼女が縋り付いていた縄は今まさに切り落とされよう
 
としていた。彼女は自分の歌を聴いて貰う大きなチャンスを失った
 
のだ。
 
 ところが、ネットでは「サッチャン」での検索は増え続けて、そ
 
れがきっかけで彼女の歌のすばらしさが改めて認められて、K帯着
 
歌のダウンロードが驚くほど増え、さらにCDの売り上げも、天に
 
在す神様が彼女が縋った縄をたぐり上げているかのように、急激に
 
伸びていた。そして、ついには著名な言語学の教授がその問題につ
 
いてテレビの中で、「彼女の発言は誠に正しい。名前とは人に知っ
 
てもらうためにある。ところが昨今の名前に使われる字とその読み
 
は、甚だしく乖離して、まるで身内だけが判れば良いかのように、
 
他人に認識してもらうことを拒否しているようにも見える。それは
 
『うちの家では林檎のことをイチゴと呼んでます』と言ってる様な
 
もので、家の中だけなら問題に為らないが、著しく社会性を逸脱し
 
た命名である。このことは、人々の社会性が希薄になった事と関係
 
するのかもしれないが、彼女の指摘は我々専門家こそが警告するべ
 
きだ ったと反省しなければならない」
 
と語った。すると今度は、すでに我が子に「読み仮名クイズ」のよ
 
うな名前を付けた親達が激しく抗議した。こうして「サッチャン」
 
のひと言は、社会を巻き込んだ議論に発展してしまったが、御蔭で
 
というか彼女の「サステイナブル・ラブ」は急激に売り上げを伸
 
ばしていた。 
 
                        (つづく)

「パソコンを持って街を棄てろ!」(三十四)

2012-07-11 17:11:33 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(三十一
              (三十四)
 
 
 土曜の夜は、バロックがストーンズの「Let’s Spend
 
The Night Together」を歌って、いつ終わる
 
とも知れない路上ライブが始まった。終わる頃にはギャラリーが
 
差し入れた酒で酩酊しながらも唾を飛ばして歌った。興にのって
 
辺りが白けてきても、その場でギターを抱えたまま酔眠すること
 
が何度もあった。まさに泥酔いライブだった。私は牛乳配達の仕
 
事が日曜は休みだったので、売れない絵画店は閉めて、声を潰し
 
た彼に代ってボーカルをとった。やがて気が付くと二人は、タイ
 
ムアップの笛と同時にピッチに倒れこむサッカー選手のように、
 
大の字になったまま寝ていた。空が白み、スズメたちの交わす朝
 
の挨拶で目が醒めて、手術を受けた病人が麻酔から醒めて意識を
 
取り戻すまでの様な白けた感覚のまま仰向けに為っていると、バ
 
ロックが、
 
「俺、旅に出るわ」
 
「たったったっ旅!?」
 
私はワザと大袈裟にそう言って自分を取り戻そうとした。
 
「何で?」
 
「何時までも此処で出来んみたいや」
 
彼が言うにはJASRACがやって来て「人の歌で稼ぐなら著作
 
権料を払え」と言われたらしい。どうもカラオケ店から抗議を受
 
けた様で、確かに彼のライブは目立ち過ぎたかもしれないが、そ
 
の世知辛さに私は呆然とした。
 
「払えばいいじゃん」
 
「否、どうもそれだけじゃ済まんみたいや」
 
「カラオケ店?」
 
「それもある」
 
「他にも?」
 
「面白ない者が居るんやろ、この頃はマッポもうるさいし」
 
確かに深夜になるとお巡りがしつこく注意をしに来た。
 
「何処へ行くの?」
 
「分からん」
 
「・・・」
 
「アパートそのままにしとくから住んでくれへんか?」
 
「ああ、いいけど」
 
「まっ、此処もそろそろ飽きて来たし、丁度ええ潮時やわ」
 
バロックはその次の晩から駅前広場に出るのを止めた。彼はギター
 
とバックパックだけを持って、東京へ来た時と同じ様に東京を出て
 
行った。
 
バロックが居なくなった駅前広場には、スピーカーからサッチャン
 
の「サステイナブル・ラブ」がエンドレスに流されていた。
 
                         (つづく)  

「パソコンを持って街を棄てろ!」(三十五)

2012-07-11 17:10:23 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(三十一
           (三十五)
 
 
 この頃同じ夢を良く見る、裸のまま宇宙空間を漂っている夢だ。
 
もちろん生きていられないが、夢だからそんな事は構わない。ただ
 
、凄く気持ちがいい。無重力宇宙では当然空気が無いので、手足を
 
動かしても抵抗が無く徒労に終わる、寝返りすら思うようにできな
 
いない。否、上も下も無いので寝返りする必要もないが、地上を失
 
った身体はまったく役に立たない。我々は地球でしか生きれないの
 
だ。身体の機能が役立たなくなれば意志もその意味を失う。やがて
 
精神は死と共に消滅するだろう。肉体は精神に先行するのだ。いや
 
待てよ、意味を失った肉体に宿る私の精神こそが、もしかして純粋
 
な精神と言えるのではないか?もはや我が精神は意志を諦め、意志
 
は身体の支配を放棄する。こうして自由を失った、否、自由を得た
 
、あれどっちだ?精神は身体性を離れて自我そのものに還る。「他
 
に何も要らない」私は私で在ることに幸福を感じる。これを私は絶
 
対幸福と呼ぶ。
 
 はて、それでは身体性を高めるということは、精神性を失ってい
 
く事なのか?きっと我々は重力に邪魔をされて精神を見失うのだ。
 
もし我々が精神を語るならば、重力の在るところで語ってはならな
 
い。何故なら重力は精神に作用が及ばないが、その精神が宿る身体
 
は重力に委ねられているからだ。大地にへばり付けられた身体で精
 
神を語っても我々はきっと間違うだろう。我々の精神はあまりにも
 
身体に影響されている。つまり、宗教や民族や国家や風土や歴史や
 
血縁や年齢や性別などに惑わされてはならない、そんなものは我々
 
の身体が恐怖に負けて創り出した過去の柵(しがらみ)だ。精神と
 
は存在を拒むのだ、それは光に似ている。光の後を辿っても痕跡な
 
ど見い出せないように、いくら過去を辿っても精神を手に入れるこ
 
となど出来ないだろう。つまり、坂本竜馬の精神を知ったからと言
 
っても、我々は坂本竜馬のようには生きられないのだ。精神とは今
 
この時に私に起こることで、記憶に閉じ込めた途端に色褪せるのだ
 
 
 やがて漆黒の闇を漂う私の視界に青き地球が現れて、その美しさに
 
魅せられていると地球への郷愁に耐えられなくなって、私は大声を上
 
げて叫びながら、陸に釣り上げられた魚のように手足をバタつかせて
 
地球への帰還を果たそうとした。するとそれが効を奏したのか、好転
 
する地球が見る見る近づいて来て、ついには地球の重力圏に絡まった
 
。私は安堵して思わず屁が出た。すると歪な肛門から右側へ漏れた屁
 
の為に、私の身体は左側へ何度も寝返りを繰り返して、ベッドから転
 
がり落ちて目が醒めた。
 
「ふあぁーっ、 仕事かったるぃ―」                 
 
                     (つづく)