「バロックのパソ街!」 (一)

2013-01-21 03:21:18 | 「バロックのパソ街!」(一)―(五)



                   (一)


 
 夜が明けぬうちから気の早い春告鳥の、忘れていた歌を確かめな

がらのような覚束ない間の抜けたさえずりが、冬枯れの木立にこだ

ましていたが、山々は未だ残雪を止めた水墨画の世界だった。それ

でも、眼を逸らさずじっと眺めていると、モノトーンだった景色も

薄っすらと紅を帯びているように思えて、気になって木々に近づい

て確かめると、雪を被った小枝からは、硬い樹皮を破って朱色の新

芽が争うように吹いていた。残雪を頂く凍みる山の頂からは春を心

待ちする人の想いに冷風を浴びせたが、春は人々の気づかない大

地から染みるように訪れていた。

「バロック、今年も冬が短かったで」

おれは「バロック」と呼ばれている。東京で偶々知り合った、今は

親友となった男に名付けられたが、その男との連絡のやり取りか

ら此処でも知られることになってしまった。もっとも、名前を教え

てなかったので無理もなかったが、今ではこのあだ名はけっこう気

に入っている。それは、自分の名前は変えたいくらい嫌だったから。

「ゆーさん、確か去年もそんなこと言うてたで」

「そうやったか。とにかく雪が少ない、アカンわ」

ゆーさんはおれと同じ大阪の出身で、山村暮らしの先輩でもあった。

彼は大手の電機メーカーの社員やったが、彼の娘さんの身体の心配

から仕事を辞めてこんな山村までやって来た。そこで水流発電機の

開発を思いつき製作に没頭した。やがて発電機は一家の電力を概ね

賄えるまでに改良された。おれは路上で歌を唄って凌いでいた時、

彼と出会ってその発電機のすごさにびっくりして、おれの方から頼

み込んで最初の従業員にしてもらった。もしも、電気が自分達で創

ることが出来たら地方は自立した生活を手にすることが出来るんや

ないか、そう思ったからや。

「お父さん、バロック、コーヒーが冷めるよ」

ゆーさんの娘ミコが、キッチンから外に居る二人を呼んだ。彼女は

化学物質過敏症という厄介な症状に悩まされていて、ここに越して

から随分と良くなっていたが、食べ物や環境が合わないとすぐに卒

倒して意識を失った。彼女は近代生活が出来なかった。

 ゆーさんとおれは、残雪の頂を逆光にして漸う昇り始めた朝日を

背に受けて、ミコの居るキッチンへ戻った。

 彼女はやっと18になったばかりだった。

彼らが暮らす家屋は昔からの、玄関を入れば広い土間の在る大き

な農家だ。奥の背戸を開ければすぐに竹林が迫る裏山があって、竹

は大きくなり過ぎて上に伸びることが出来ず、今では家屋を襲うかの

ように下へと微妙な均衡の触手を垂らしていた。雪が降り積もれば

忽ちその重みに耐えられなくなって、人の世と同じで、頭を下げて

やり過ごすか、それとも折れるしか無かった。雪が音を奪った深夜

にけたたましい叫喚を轟かせた。ただ今年はそれも随分少なかった。

「ゆーさん、もうそろそろ竹の子が生えてへん?」

「ぼちぼち生えてくるかもしれん、今年は温いから。なあミコ」

「天気が好かったら明日から山に入ろうと思ってる」

竹の子や山菜取りはミコの仕事だ。街では外へ出ようとしない彼女

だが山へは雪の残る冬以外は毎朝入ることにしていた。それは彼女

の健康の為でもあったが、何より彼女は山歩きが好きだった。秋に

は昼になっても戻らなかった事があって、ゆーさんとおれは心配に

なって捜しに入った。すると、背負い籠(かご)いっぱいの栗の実

を背負って何も無かったように下りてきた。

「あれ?ふたりで何処へ行くの」

彼女は二人の心配をよそに、大きな栗の木を見つけたと言って笑っ

た。

 ここで暮らすことは彼女の健康を気遣って、そして水が豊かであ

ることからゆーさんが決めた。それからキッチンの家具や食卓も山

の木を伐り出して自分で作った。合板の塗装された家具は彼女が過

敏に反応するからや。彼女は特に農薬に反応する為市販の野菜も食

べられなかった。以前は、近郊の田畑を借りて自分達で無農薬栽培

もしていたが、近隣の田畑から飛散する農薬に汚染され、結局それ

らも受け付けなかった。更に、農家からは彼らの田畑から害虫が発

生すると苦情を言われて、仕方なくこの限界集落まで逃げ落ちてきた。

「田舎の方が汚染されてるとは思わなかった」

「わしらは平成の落人(おちゅうど)なんや」

その落人伝説の残る邑落(ゆうらく)にはその子孫と思しき人々が

数人いたが何れも高齢者だった。しかし何れも偏見を持たずに二人

を暖かく迎えてくれた。下隣の沖ばあさんは、連れ添いに先立たれ

一人暮らしが長かったので、彼らの定住を大層喜んで色々と世話を

焼いてくれた。特に娘のミコを見ると垂れた頬が更にゆるんだ。こ

うして彼らの山村生活は暇を持て余した爺婆から、山での暮らしの

知識を、野草の見分け方から味噌の作り方、草履の編み方まで一切、

自給暮らしで解からないことがあればすぐに教えてもらった。そし

て、今ではミコと同じ症状で悩んでいる人々の求めに応じて、無農

薬野菜の「虫食い農園」まで造るまでになった。

「お父さん、どうするつもり?種まき」

ミコがコーヒーを飲みながら言った。

「うん。今年も早ようせんなアカンやろ」

親子の会話におれが口を挟んだ。

「去年は失敗しましたからね」

「アホっ!一勝一敗じゃ」

去年、ゆーさんは天候不順を予想して早くから多くの野菜を植えた。

長梅雨の日照不足から何処も収穫が落ち、初夏の野菜が高騰し思い

通りに収入が増えた。そこで味を占めて、梅雨明けには更に多くの

野菜を植えたが、今度は天候が持ち直して初秋には出来すぎて暴落

し春の儲けを吐き出してしまった。野菜は「虫食い会員」に無料で

配られた。

「おそらく問題は中国の干ばつやろな」

ゆーさんは中国の天候まで気に掛けていた。

 おれがゆーさんと出会った時、彼はメガネのフレームを真ん中か

ら折って片方だけをガムテープで顔に貼り付けていたが、彼は元々

極度の近視で、片方の眼を悪くして手術を受けた時に近視も矯正

してもらった為そっちは遠視になったが、もう一方は極度の近視の

ままで、そっちの方だけメガネが必要だった。そして彼の頭と言え

ば白や黒や茶色の撥ね毛やちじれ毛が鬱蒼と茂り、まるで人跡未踏

の原生林の様で、更に顔中からは毛や毛とは思えないものまで生や

して、おれはその異様な風貌に思わず眉間に皺を寄せた。その後、も

う一方の近視の矯正手術も受けて、彼の顔からガムテープで止められ

た片方だけのメガネは消えたが、ただ原生林と毛や毛とは思えないも

のは人指未触のままだった。彼は、発電機の開発に集中するとそれ

以外の事に関心が及ばなかった。

 ただ、その水流発電機が思わぬことで頓挫してしてしまった。

 昨夏のある日、沈めていた発電機の接続部から潤滑油が漏れて川

に流れてしまった。下流に住む住民が役場に通報して、役場から連

絡を受けてすぐに引き上げたが、ただそれだけでは済まなかった。

全ての発電機の回収を命じられ、工場に査察に入られて発電機の改

善を指示され技術審査に受かるまで業務停止を命じられた。更に、

川を汚染した罰金が科せられるかもしれないと脅した。役人の一人

は帰り際に、

「今は特に厳しいんですよ。ただ、何とかそうならないようにします。

これにめげずに頑張ってください」

そう言って我々を励ましてくれた。おそらく夏の集中豪雨によって

川が増水し流された石が発電機に当たって破損させたことに由ると

思われた。発電機は拉(ひしゃ)げて亀裂が入り、そこから浸水し

たんやろう。

「何とかなりますか?ゆーさん」

「石の流れをブロックせなアカンかもしれん」

ただそうなれば大きく川の様子を変えることになる。ゆーさんはそ

もそも川の姿を変えない為に沈水式の発電機に拘っていた。

「もっと頑丈にすればええんちゃうの?」

「二重構造にすれば大丈夫と思うけど・・・」

「けど?」

「やっぱり油を変えなアカンな」

「何に?」

「流れ出してもええ油」

「そんなんあるの?」

「無かったら作るしかないわ」

彼はいま発電機の開発を中断して、市販されている石油から作られ

たグリースや潤滑油ではない、魚脂などを用いた川に流れても分解

される潤滑油の開発に勤しんでいる。

 その後、役場から連絡があり汚染が小規模だったことから、今回

は罰金を科さない旨の連絡があった。電話してきた人は、

「これにめげずに頑張って下さい」

と言って電話を切った。

                                  (つづく)



「バロックのパソ街!」 (二)

2013-01-21 03:20:13 | 「バロックのパソ街!」(一)―(五)
 


                      (二)



 季節の移り変わりほど自然の流れを感じることはない。我々の技

術がいかに進歩しても、春の始まりをカウントダウンすることは出

来ないんや。カウントテンになっても止まったり、更に後戻りさえ

する。それでも気が付かない間にゼロになって春は間違うことなく

訪れる。自然を科学と変換した人間は、すべての結果は原因から導

き出されると考えるが、その原因もまたある結果にすぎない。我々

は自然の流れの一部分を取り出して自分達の都合の好いように語っ

ているだけや。我々の豊かさとは自然の流れに逆うことなんや。も

はや我々は自然の流れのように生きることなど出来ないんや。おれ

がこんな山奥に流れて来たのも(おかしい?)自然の流れなんかや

なかった。

 おれの親父は大阪で不動産屋を営んでいた。バブル最盛の頃は判

を押すだけで金が入ってきて、親父はよくその印鑑を「打ち出の小

槌」と言っていた。仕事が忙しくてほとんど家に居なかったが、強

くて頼りになる親父はおれが最も尊敬する人だった。彼の言葉に励

まされて勉強し中学の成績は親父も他人に自慢するほどだった。親

父とは歳の離れた若い母は穏やかな人柄で、成績のことをうるさく

言わなかったが兄より、そうそう、おれには5コ上の兄が居たんや、

彼より頭が良いと言ってくれた。希望する高校に入学した頃、親父

にオンナがいることが解かって、それから母がジッと考え事をして

いる姿をよく目にした。やがて親父が戻ってくる度に二人の言い争

いをする声がおれの部屋まで聞こえてきた。親父は思い通りになら

ないとすぐに力任せになった。苦々しく思っていたが、それで一旦

は事が収まった。ただ増々親父の足は家路から遠ざかった。しばら

くして母親から、親父の会社が大きな債務を抱えて倒産したことを

聞かされた。もちろん住み慣れた自宅も差し押さえられて、数日後

に明け渡さなければならなくなった。やがてマスコミはバブル景気

崩壊のニュースを頻繁に伝えるようになった。母と二人で安い賃貸

マンションに引っ越したが家財は生活できる最低限のものだけが残

された。母は家財と一緒に躊躇(ためら)うことなく親父も手放した、

そして躊躇いながら夜の仕事に就いた。

 一夜にして転落を強いられた生活は、まるで空を飛んでいる鳥が

突然魔法を掛けられて魚に姿を変えられて、慌てた魚が胸びれをは

ばたかせながら落ちていくようだった。運よく水面に叩きつけられ

たと思ったら、水の中で自分に戻った。新しい暮らしは息がつけな

かった。学校から帰ると母は出勤した後で、鳩小屋のような部屋に

エサが置いてあった。おれが目覚める頃、母はたぶん魔法を掛けら

れる夢でも見ているのだろう、うなされて寝ていた。学校の成績は

魔法を掛けられた訳ではなかったが為す術も無く落ちていった。そ

れでも不思議と焦ったりはしなかった。本気を出せば何時でも追い

着けると思っていた。しかし、だんだん授業について行けなくなっ

て、気が付けば落ちこぼれていた。悔しさを慰めるように、記憶力

だけで能力を計る授業を蔑(さげす)みサボるようになった。国語

の授業が特に嫌やった。行かず後家の偽善女教師は、中勘助の「銀

の匙」に出てくる「とりよみ」を席順にやらせた。「とりよみ」と

は音読して読み間違いをすればそこで終り、次の者が変わって読み

繋いでいくんや。その頃おれは家庭の事もあって吃音(きつおん)

がひどかった。最初の授業で自分の番に廻って来た時、緊張から吃

(ども)って何度も同じ発音を繰り返した。それでもう終りだった

が何とか名誉挽回しようともう一度同じところで吃ると、蜘蛛の巣

女教師が、

「顔を真っ赤にして何をキッキキッキ言ってるの」

と言って、クラスのみんなが大声で笑った。その後「よみとり」の

ある授業はすべて欠席した。ちっ、ちっ、畜生!そのうち「声に出

さなくたって読みたい日本語」を書いてやるわい。ただ歌だけは何

故か吃らなかった。その頃流行っていた尾崎豊に憬れて母が居ない

夜中に一人でギターを弾きながら歌った。それは吃音を克服する為

の練習でもあった。酒気を漂わせて母が帰って来るのは朝刊が届く

のよりも遅かった。二学期の終りに担任から、このままだと進級で

きないと告げられた。酔っ払った母に伝えると母はさめざめと泣いた。

 人望とはその人が困窮した時に顕(あらわ)になる。世間一般が

頭を下げて敬うのはその個人自身に対してでは無く、その人が持っ

ている権力や財力、つまり社会性に対してなんや。今の政治家や財

界人或いは知識人がその社会性を失っても、自らの個性で慕われる

人物が果たして存在するだろうか?利害を離れて人格そのものが人

々に敬われる人がどれ程居るんやろか。白昼にランプを掲げて捜し

歩いてももうそんな人物は居ないかもしれない。それはその人物の

問題なんか、それとも社会性を、力を失った個人など評価しない社

会がおかしいのか。ただ、間違いなく個人を尊重しない社会化、つ

まり蓄群化が進んでいると思う。

 親父の会社が破綻して被害を被った関係者から親父の人望が漏れ

伝わってきた。バブル期絶頂の頃、不動産会社の社長と謂えば誰も

が勢いに乗じてその辣腕を揮(ふる)った。更に、老舗大銀行のト

ップまでが「向こう傷は問わ無い」などと檄を飛ばした為、向こう

傷を憚(はばか)って辛酸を甘んじて嘗めていたチンピラまでが、

出番だとスーツに身を窶(やつ)して弱い者相手の阿漕(あこぎ)

な地上げに血眼(ちまなこ)になった。金の力だけに靡(なび)い

ていた人々は、金を失くした親父に対して恨みを露(あらわ)にし

た。世間は親父を棒で突っつく事があっても、その棒に?まらせて

助け上げようなどとは努々(ゆめゆめ)思わなかった。親父はワシ

ら家族にも連絡せずに消息を絶った。

 母は、東京の大学に通う兄が卒業して就職するまで何が何でも仕

送りしなければならないので、おれの留年をきっかけに学費の安い

公立高校へ転校してほしいと、泣かずに言った。やがて兄が卒業す

れば仕事に就くだろうから、そうすればお前の進学を賄うことが出来

るとその計画を語ったが、その後卒業した兄は就職出来ずにフリータ

ーで凌いでいる。我々家族は、表示の壊れた高速エレベーターに乗

っているような、何時地上に着くとも知れない降下を繰り返して、もし

かしたら永遠に地上には辿り着けないのではないかという不安と諦

(あきら)めに苛(さいな)まれていた。

 どんな夢も希望も、「君にはその才能がない」と言われれば反発

もしたくなるが、「そんなお金ないから」と言われると仕方が無い

と諦められる。夢や希望を叶えられなかった責任は、自分の能力の

「所為(せい)」では無く、周りの所為に責任転換できるからや。

公立高校の編入試験を受けてめでたく進級できたが、親父に誓った

夢は前の学校に忘れてきた。2コあった夢は、夢Аはもともと親父

が勝手に期待したもので、浮き沈みの激しい仕事からおれに国家資

格を取るように勧めた。しかしバブル経済崩壊後の金融危機はそん

な進路も崩壊させた。ただバブル期にその予兆はあった。生活の中

で、誰もが金はあってもその使い道が無かった。それでも誰もが大

金持ちの夢を見た。当然、金は投機に流れ還流された金で再び金を

売り買いしていた。あの頃の大阪は異様な空気が漂ってた。金に纏

(まつ)わる信じられない事件が頻発し、金儲けに取り憑かれた亡者

や、新興宗教に取り憑かれた信者が如何わしい勧誘に回っていた。

しかし大阪は何でこんなに新興宗教が多いんや。他人の話しにも気

軽に付き合ってくれるから誘い易いのかもしれん。大阪では金持ちに

は怪しい儲け話の誘いが、貧乏人には怪しい幸福への誘いが持ち掛

けられる。バブル期に人々が追い求めていたのは結局は現実からの

逃避やったんや。豊かな暮らしを求めて只管(ひたすら)頂上を目差し

て這い登って来たら、頂上は靄(もや)がかかって何も見えない。ああ

っ、せめて一瞬でも晴れ々々とした気分で頂上からの景色を眺めたか

った。そうでなければ降りるに降りれぬ。そんな報われない悔しさが

投機バブルに殺到した。あれから二十年経ったが我々は現実を取り

戻したんやろか?閉塞感は今に始まったことやない、二十年前から

ずーっと続いているんや。そして大阪で起こった事は日本中で起こり、

日本中で起こった事はアメリカでも起こった。恐らく今後二十年、アメリ

カ社会は目的を見つけられぬまま低迷するやろ、今の大阪のように。

 夢Вの方は、シンガーになることやった。夜中に部屋でギターを

弾くと苦情が来たので、学校の音楽室が使える軽音楽部に入った。

尾崎豊のコピーは部員のみんなから絶賛された。その頃、大阪の若

者がなりたい職業は、夢Аは大阪府の公務員、給料以外に様々な手

当てが付いた。夢Вは吉本の漫才師、一発当たれば高額のギャラが

入る(?)が、しかし、漫才がうけなかったら二「人」三文。

 あっ!そうかっ、夢というのは現実逃避のことやったんや!                                    
                                                           
                                (つづく)

「バロックのパソ街!」 (三)

2013-01-21 03:19:21 | 「バロックのパソ街!」(一)―(五)



                  (三)



 大阪には百済(くだら)と呼ばれる地名が残っているくらい古来

より朝鮮半島との繋がりがあり、近鉄大阪線の鶴橋駅近くには朝鮮

市場があって、ここは日本かと訝(いぶか)っていると、かつては

近くの工場のビルに「大日本印刷」と一際(ひときわ)大きく書か

れた看板が、「ここは日本だ!」とばかりにデカデカと掲げられて

いたが、なっ何と!そこも今ではパチンコ屋になってしまったらし

い。もともと近鉄鶴橋駅は、海のない大和地方の商人が鉄道を使っ

て鮮魚の買出しに来たことから魚の卸売市場ができ、その外れに朝

鮮市場も占めていた。かつては香辛料なのか馴染みの無い鼻を衝く

臭いに辟易したが、異文化として認知されると不思議なもんでそう

いうものかと慣れてしまった。更に、自動車の発達によって鉄道を

利用しなくてもよくなったことから廃れていった卸売市場とは対照

的に今ではコリアタウンとして広く全国に知られるまでになった。

 おれの通う学校はそこから少し行った所にあって在日の生徒も多

く居たが、だからと言って別に何の問題もなかった。部活の部長も

在日の男だった。彼は本名を名乗っていたので疑いようもなかった。

おれより一学年上やったが歳は2コ上やった。父親は手広くパチン

コ屋を経営していた。それはおれが軽音楽部に入ると言うと、同じ

クラスの者が聞いてもいないのにどういう心算(つもり)なのか教

えてくれた。

 ただ、彼がなぜ留年したのかだけは教えてくれなかった。それで

も凡その見当はついた。おれが彼と初めて会ったのは新学期が始ま

って一週間近く経ってからやった。つまり、彼はあまり学校が好き

ではなかった。放課後、音楽室でみんなから離れてギターを弾いて

いると、

「尾崎豊か」

後ろから譜面を覗き込んでそう言った。怪訝(けげん)に思って振

り返ると、

「部長のアンや、よろしく」

彼は随分大人びて見えた。男子の成長期特有の豚のような臭いがし

なかった。おれはすぐに女を知ってると直感した。高校生にとって

最大の問題はそれやった。進学を諦めた時に真っ先に頭に浮かんだ

ことは、女のことやった。進学の夢はすぐに「今年中に女とやるこ

と!」に変更された。それは競走馬の騎手が先走りする駄馬と折り

合いがつかずに手綱を持っていかれて御(ぎょ)すことが出来ない

様に、おれもわが身の事とはいえ、この例えから馬並みなどと勘違

いしないでほしいが、人馬一体とはいかなかった。先走る愛馬をな

だめながら、自分になのか馬になのかよく分からないが、硬く誓っ

た。

「あっ、ふっ古木です、よろしく」

あっ!おれのこの「古木」という名前は通名やから、よろしく。

「ごめん、邪魔した?」

「そっそんなこと、ありません」

「あのさ、ここでは自由にしてええから」

「はっはい」

「ただ、一つだけ決まりがある」

「はい」

「ここで敬語は使うな」

「えっ!」

「みんな仲間や、俺はアンちゃんて呼ばれてるが、呼び捨てでもか

まわん。ルールはそれだけや」

「自由に」というのは彼の口癖やった。それにしても礼儀にうるさ

い民族の血を受け継いだ彼が、敬語を使うなと言ったのが信じられ

なかった。彼の言ったことがすぐに理解できずに、例えばタメグチ

から後になって思いも拠らない反感を買う羽目にならないかとか、

そんなことを考えていたら、

「アンちゃん!ちょっとこっち来て」

向こうから副部長の南さんが躊躇うことなく彼を呼んだ。彼女は女

性ユニットのリードボーカルでドラムの生徒と何か言い合っていた。

その度にドラムとシンバルの音が部屋中に響いた。彼女は「アンさ

ん」と同じ学年だったが、彼と違って学校が好きだった。つまりこ

の部活は彼女でもっていた。彼が居なくなると、おれはヘッドホー

ンをして「アンちゃん」と心の中で、距離を置こうとする自分の思

いとどうしても馴染まない彼の呼び方に戸惑いながら、何度も繰り

返して、再びギターを抱いた。

 「アンちゃん」と言いながら、その呼び方に「お兄ちゃん」とい

う意味も隠れていて、そっちを意識すれば年上の彼をそう呼ぶのに

抵抗がなかった。例えば、「アンさん」と敬語で呼べば、大阪で暮

らしたことのある人なら解かると思うけど、「何ゆうてはりまんね

ん」と、どうしても続けなければならない。「アンさん」には突き

放したニュアンスが隠れている。そんなことを考えていると敬語を

用いる徒(ただ)ならぬ意味、背後にあるヒエラルキー(身分秩序)

が垣間見えた。弱い犬が本能的に強い犬の前で仰向けになって腹従

するように、敬語には強い階級意識がある。敬語に縛られた議論か

ら立場を超えた自由な意見など出来る訳がない。我々の会話は敬語

の序列意識に囚われて、意見を交わすのではなく、ただ身分秩序へ

の忠誠を誓っているに過ぎない。敬語であれ礼儀であれ、それらは

身分秩序を守る為の重要なアイテムなんや。「自由に」が口癖の彼

は、権力や年功による序列秩序に否定的なのかもしれん。

 アンちゃんは、中心街にほど近いマンションに一人で暮らしてい

た。もちろん親から援助されたものだった。彼が「自由に」生きれ

るのもそのお陰に違いなかった。ただ、アンちゃんは何故かおれの

ことを気に入ってくれて、自分の部屋に招いてお気に入りのボブ・

ディランや‘70代ロックを聴かせてくれた。その音楽はどう生き

ればいいのか悩んでいたおれの人生が初めて体験した物凄い衝撃や

った。

                                  (つづく)   

「バロックのパソ街!」 (四)

2013-01-21 03:18:21 | 「バロックのパソ街!」(一)―(五)
 


                   (四)




 夏休みに入って早々、おれはアンちゃんに連れられて大阪城公園

でデビューすることになった。始めは恐る々々だったが、徐々に抑

圧してきた様々な感情が音楽という出口を見つけて一機に噴き出し、

熱い思いは無為を憩う人々にも伝わって、日に々々聴衆も増えてい

った。

「ギター上手(うま)なったな」

アンちゃんも上達を認めてくれた。そして何よりも歌うことから自

信が生まれて日常会話も殆んど吃らなくなった。やがて常連のファ

ンが出来て、硬く誓った夢もあっさりと成し遂げた。

 ライブの後、アンちゃんの部屋にファンの娘らを呼んで和みながら、

その時初めて酒を飲まされてすぐに朦朧(もうろう)となって意識を

失い、気が付けばおれの愛馬に見知らぬ女が跨(またが)って腰

を揺すっていた。

「あっ、あんた、誰?」

「あんたのファン」

そう言ってくちづけをしてきた。すでにおれは愛馬の手綱(たづな)

すら操れず馬なりに任せるしか術がなかった。何度も言うようだが、

この例えからおれが馬並みだと決して勘違いしないでもらいたい。

そして今度は酔いとは違う別の快感から再び意識が虚ろになって

果てた。

「せやかて寝てんのに立ってんねんもん」

萎えた愛馬を撫でながら見知らぬ女はそう言った。

 後になって、それはアンちゃんが仕組んだ事と判った。以前、一

緒にНビデオを見ている時、おれは、自分の鳩小屋では見れない

大型画面に映し出される官能の場面を、アンちゃんの呼び掛けに

耳も貸さず鼻血を垂らさんばかりに喰らい着いて見ていたらしい。

ただ、鼻血は出さなかったけど。

「どうやった?あの女、やさしいしてくれたか?」

「えっ!なんで知ってんの?」

「アホっ!俺のベッドやぞ」

「酔うて何も覚えてへん」

「なんて言いよった?あいつ」

「おれのファンや言うてた」

「確か、俺にもそう言うたわ」

彼女はアンちゃんの使いさしやった。それでも彼女とは馬が合う

と言うのか、例えがちょっと違う?つまり、反りが合うというのか、

これもおかしい?要するに何度かおれの愛馬の調教をして頂い

た。彼女はおれの右腕にはなれなかったが、右手の代わりには

なった。

 その夏に、おれは酒も知りタバコも知り、今では許されないが怪

しいタバコも知り、そして調教も万端に整って、やがて大人達が競

い合う本馬場へ放たれようとしていた。

 まもなく夏休みが終わろうとする頃、彼の部屋で二人で寛ぎながら、

「アンちゃん、卒業したらどうすんの?」

彼は長男で、パチンコ屋の跡を継ぐ為に親から強く進学を勧められ

ていたが、ただ、この夏休みも受験勉強などしたことがなかった。

「どうしようか」

「跡継がなあかんねんやろ」

「アホっ!パチンコ屋だけは絶対しとうない言うてるやろ」

「何で?」

「何でかな?とにかく厭や」

「ほんだら何するの?」

彼は少し間を空けてから、

「卒業したらアメリカへ行こと思ってる」

それは何も驚くことでもなかった。彼は普段からその夢を語ってた。

そして親は必ず反対するからと親の援助を当てにせず、路上ライブ

で稼いだ金を少しずつ貯めていた。だから彼が歌う曲は洋曲ばかり

だった。

「アメリカで金に困ったら歌で稼がんとあかんやろ」

彼の「自由に」の口癖はアメリカへの憧れからやった。

 管理された受験競争から早々と脱落してしまった不安を、夏休み

にアンちゃんと「自由に」過した日々が忘れさせてくれた。それは

この道しかないと教え込まれた者が、その道を見失って途方に暮れ

て道遠し時、笑いながら現れた救い主に別の道もあることを教えら

れた思いやった。もちろん「自由に」生きれるほど呑気な社会では

ないが、だからといって受験、就職、出世と何れも競争と呼ばれる

仕組まれたレースを競うことが不安のない生き方だとも言えない。

教え込まれた生き方がそれに耐えて従う辛苦に報いるだけの生きる

歓びを齎(もたら)してくれるんやろうか。不安は消えてなかった、

しかし不安に張り合うだけの自信が生まれた。その自信とは、他人

に委ねた評価から得る自信ではなく、自分の生きる力から生まれて

くる自信やった。つまり、集団から取り残されて全てが自分の判断に

委ねられた大きな不安こそが自信の源だった。

                                  (つづく)

「バロックのパソ街!」 (五)

2013-01-21 03:17:26 | 「バロックのパソ街!」(一)―(五)


                     (五)



 二学期になると三年生は進路準備の為、クラブ活動から身を引く。

次は二年生が中心になって回って行くことになる。新しい部長は恒例

で辞めていく部長が指名することになっていた。アンちゃんはおれを

指名しようとしたが、おれは頑(かたく)なに拒んだ。

「もうそういうのん止めへん」

「どういうことや?」

「辞めていく者が口を挟むの」

「アホっ!俺は何も口を挟もうなんか思とらんわい」

「そら知ってる。ただ、そういう古いきまりを尽(ことごと)く

潰していってくれへん、アンちゃんが」

「ほぉう、なるほど」

「部員が新しい部長を『自由に』選べるように」

「そらそうやな」

 始業式が終わって三年生を送る会が催された。三年生が前に出て

順に別れの言葉を述べ、最後に南さんとアンちゃんが引き受けた。

そしていよいよ次の部長の名前を呼ぶ段になってアンちゃんは、

「本来ならここで次の部長を指名するねんけど、居なくなる者が残

った者につまらんチョッカイするのもおかしな話しなんで、君たちの

リーダーは君らが自由に決めるべきや、自由に」

言い終ると一瞬音楽室は静まり返ったが、おれが拍手をすると徐々

に拍手の波が広がった。椅子に腰を下ろしていた顧問の先生は慌て

て立ち上がって、

「みんな!ほんとにそれでいいの?」

すると全員が大きな拍手を返した。その後、顧問の先生が仕切って、

後日投票による部長選びが決まった。最後にみんなで一緒に校歌を

歌って終わった。

 新しい部長にはピアノの女生徒が選ばれ、彼女はおれを副部長に

指名した。おれは快(こころよ)く引き受けた。

 アンちゃんと雖(いえど)も、例えアメリカへ行くにしても、ア

メリカ村で金髪ギャルをナンパするような訳にはいかなかった。

「ヤバイっ!ちょっと英語勉強するわ」

そう言って英会話の教室に通い始めた。おれはあの眩しかった夏

の余韻から抜け出せないまま深まる秋をやり過ごした。しかし、

夏の陽を浴びて青々と繁っていた木々の葉が、少しずつセピア色

の枯葉に変わって一枚一枚落ちていく様に、夏の日の情景も一枚

一枚記憶から失われて、気が付けば残す月がなかった。

 三年生が抜けた後の部活は、収まりの良くない脱水機のように

ギクシャクして思うように回らなかったが、年末が近づくと音楽

をするものは何かと忙しくなって、収まりの悪いまま勢いよく回

り始めた。しばらくアンちゃんとは会えなかったが、おれは遊び

すぎて再び留年の危機を迎えてしまった、彼は親との話し合いの

結果、アメリカの学校へ留学することで承諾を得た。クリスマス

には彼の部屋に集うことが決まっていた。

「おいッ、彼女連れて来いよ!ベッド貸すから」

 下校の途中、用も無くよく遠回りしてコリアタウンに足を運ん

だ。それは明かりの灯らない鳩小屋へ一人戻りたくなかったから。

街はイルミネーションが灯り年末を控えて賑やかだったが、金融

危機の影響から華やかさが鳴りを潜め、いつもの年末とは違って

いた。

 雨は夜更け過ぎになっても雨のままやった。お呼びの掛かったパ

ーティー会場を梯子して2,3曲歌って、それからアンちゃんの部

屋に辿り着いたのは夜更け過ぎやった。十名余りの男女がアンちゃ

んの歌を聴いていた。アンちゃんはその歌を途中で止めて、

「遅っそいの―、来(く)んのん。おいッ!お前、彼女は?」

「無理!無理!」

「何じゃ!情けない奴っちゃな」

「許してチョンマゲ!」

「よしッ!ほんだら今から外でナンパして来いッ!」

部屋の隅にはシャンパンの空瓶が何本も転がっていた。

「アンさん!何言うてはりまんねん、外は雨で猫も歩いてへんわ。

トナカイもソリが重たい言うて難儀しとったで、滑らんわ―言うて」

「あれなっ!一回止まったら次なかなか動かへんねんって、もう

ええわ、アホっ!」「判った!ほんだら、もうこの中から好きな

女選べ、俺からのクリスマスプレゼントや」

大概はアンちゃんの「使いさし」やった。アンちゃんの独演会は

さらにノッテきた。

「よしッ、みんな目をつぶれ!ええか、今晩こいつと寝てもええ

奴、ゆっくり手を挙げろ!」

「誰や!手あげてる男!」

「おいッ!皆かいっ」

「ほんだら今度、俺と寝たい奴、手を挙げろ!」

「ワッ!誰も居れへんの、何で?」

「俺、大きな勘違いしてたわ。みんなお前来(く)んの待ってたんやわ」

「あの―、ものは相談やけど、誰でもええから一人貸してくれへん?」

そこでおれが、

「アカン!お前はおもて行ってトナカイでもナンパしとれ!」

「そらアカンは、あんた、サンタさんが怒るもん」

「そないサンタクロースいうのはウルサイんか?」

「そらぁ、あんた!相手がサンタクロースだけに説得するのに、

散々苦労する」

おれとアンちゃんは一緒に頭を下げて、

「失礼しました!」

皆は大きな拍手で迎えてくれた。そして、

「メリークリスマス!」

みんなが、

「メリークリスマス!」

 パーティは盛り上がって明け方まで続いた。

                                 (つづく)