「あほリズム」(874)~(876)

2021-11-29 05:03:32 | アフォリズム(箴言)ではありません

    「あほリズム」

 

     (874)

 

 社会が保守化(右傾化)している。そして社会が右傾化する時は比

例して経済も右傾下(右肩下がり)する。何故なら、経済の活性化と

は景気、つまり熱であり、熱はカオス(無秩序)を生じさせ、カオス

から自由(リベラル)の気風が湧き上がる。思い出してみよう、かつ

て高度経済成長期には保革が拮抗してしていたではないか。または、

今日の管理化された中国からは考えられないが、鄧小平が唱えた「

先富論」によって驚異の経済成長を成し遂げた最中には湧き上がる

ような自由の気風が漲っていた。ところが固定化した伝統文化に依

存する保守派は秩序を破壊する自由主義者を排除する。つまり、経

済成長と自由は不可分で社会の右傾化は熱を奪い経済を右傾させ

る。

 

      (875)

 

 三島由紀夫は遺文「果たし得てゐない約束―私の中の二十五年」

の中で、「日本はなくなつて、その代はりに、無機的な、からつぽ

な、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的

大国が極東の一角に残るのであらう。それでもいいと思つてゐる人

たちと、私は口をきく気にもなれなくなつてゐるのである。」と残

したが、私はもちろん「それでもいいと思っている人たち」の一人

で、否それどころか、からっぽでニュートラルな経済大国こそが私

の理想の国である。たとえば、一日に5回の礼拝を強いるイスラム

社会は経済効率よりも信仰の伝統文化を優先する。つまり、固定化

した伝統文化に想いを寄せる保守派の人々は経済に関心を示さない。

経済の活性化は社会秩序を混乱させるからだ。

 

     (876)

 

 岸田新政権が唱える成長と分配の好循環、つまり「新しい資本主

義」とはこれまで「社会主義経済」と呼ばれていた。


「意識の連続」

2021-11-24 09:42:56 | 従って、本来の「ブログ」

 

 

       「意識の連続」

 小説家夏目漱石は、明治四十年、東京美術学校文学会の開会式に

依頼されて講演を行ないましたが、朝日新聞の社員であった彼は「

同紙に自説を発表すべしと云う条件で引き受けた」ことから「文芸

の哲学的基礎」と題された講演録が残されていて、その講演の中で

彼はちょっと興味深いことを言っています。

青空文庫http://www.aozora.gr.jp/)

 その講演は現象学的な存在論から語り出して、おそらくそれは維

新より堰を切って流れ込んできた西洋哲学の影響だと思うが、彼自

身も講演の中でドイツの哲学者ショウペンハウア―の「生欲の盲動

的意志」という概念を引用していますが、そこで夏目漱石は、世界

や私という存在は私の「意識」が捉えた現象に過ぎないのであって

、「私と称しているのは客観的に世の中に実在しているものではな

くして、ただ意識の連続して行くものに便宜上私と云う名を与えた

のであります。」(同書) つまり、「吾々の生命は意識の連続であ

ります。」そして、われわれはこの「意識の連続」を切断しようと

は思わない、つまり死ぬことを望まない。それは、

「進化論者に云わせるとこの願望も長い間に馴致(じゅんち)発展し

来ったのだと幾分かその発展の順序を示す事ができるかも知れない。

と云うものはそんな傾向をもっておらないようなもの、その傾向に

応じて世の中に処して来なかったものは皆死んでしまったので、今

残っているやつは命の欲しい欲張りばかりになったのだと論ずる事

もできるからであります。御互のように命については極めて執着の

多い、綺麗(きれい)でない、思い切りのわるい連中が、こうしてぴ

んぴんしているような訳かも知れません。これでも多少の説明には

なります。」

 かつて始原の人間は生まれて来たことの意味を知っていて、その

ためなら死ぬことなど少しも厭わなかったが、ただ想いを果たすに

はあまりにも寿命が短いことから、そこで長生きすることに執着す

るあまり本来の生きる意味をすっかり忘れ去り、その末裔である我

々は、ただ長く生きるためだけに生きている。


「人権侵害とオリンピック」

2021-11-21 13:10:31 | 従って、本来の「ブログ」

      「人権侵害とオリンピック」

 

 来年の2月に開催される北京冬季オリンピックを巡って、米国バイ

デン大統領は中国共産党による少数民族に対する人権問題を理由に外

交使節団を派遣しない「外交的ボイコット」を検討していると明らか

にし、また前駐日大使のウィリアム・ハガティ上院議員も日経新聞と

のインタビューで日本政府にも同調を促した。

 これらの経緯から思い出されるのがヒットラー率いるナチス・ドイ

ツ党政権の下で開催されたベルリンオリンピックである。以下は『ウ

ィキペディア(Wikipedia)』の「1936年ベルリンオリンピック」

からの引用ですが、オリンピック閉会後にも台湾侵攻を画策している

と思われる中国共産党とかつてのナチス党が重なるのはおそらく私ひ

とりではないと思うが。

        *      *      *

「1936年ベルリンオリンピック」【ウィキペディアより】

ベルリンでの開催決定後にドイツの政権を握ったナチス党が、ドイツ

国民の支持の下にユダヤ人迫害政策を進めて行ったことや、反政府活

動家に対する人権抑圧を行っていることを受けて、ユダヤ人が多いイ

ギリスやアメリカ、そして開催地の地位を争ったスペインなどが、開

催権の返上やボイコットを行う動きを見せていた。

これに対してドイツ政府は、この大会を開催したいがために、大会期

間の前後に限りユダヤ人に対する迫害政策を緩めることを約束した他

、ヒトラー自身も、有色人種差別発言、特に黒人に対する差別発言を

抑えるなど、国の政策を一時的に変更してまで大会を成功に導こうと

した。実際に、オリンピック開催の準備が進められる中、それまでド

イツ中に見られていた反ユダヤ人の標語を掲げた看板は姿を消し、ユ

ダヤ系の選手の参加も容認された。併せて反政府活動家が収監されて

いた収容所の規則は一時的に緩められた他、一部の反政府活動家は国

外へ出国できる(事実上の亡命の容認)こととなった。

 このようなドイツ政府の「変節」を受けて、開催ぎりぎりのタイミ

ングで開催権の返上案は撤回され、また、国内からのボイコットの要

望が根強かったイギリスやアメリカも参加することを決意した。(中略)

 そして、この大会の3年後、1939年9月にドイツによるポーラン

ド侵攻を機に第二次世界大戦が勃発した。(以下略)

         *       *        *

われわれは決して独裁政権に誤ったメッセージを与えてはならない。

 


「市気匠気(いちきしょうき)」

2021-11-21 11:16:01 | 従って、本来の「ブログ」

     「市気匠気(いちきしょうき)」

 

私自身の覚書として夏目漱石『文芸の哲学的基礎』より、

「文芸は感覚的な或物を通じて、ある理想をあらわすものであります。

だからしてその第一主義を云えばある理想が感覚的にあらわれて来な

ければ、存在の意義が薄くなる訳であります。この理想を感覚的にす

る方便として始めて技巧の価値が出てくるものと存じます。この理想

のない技巧家を称して、いわゆる市気匠気(いちきしょうき)のある芸

術家と云うのだろうと考えます。市気匠気のある絵画がなぜ下品かと

云うと、その画面に何らの理想があらわれておらんからである。ある

いはあらわれていても浅薄で、狭小で、卑俗で、も人生に触れてお

らんからであります。私は近頃流行する言語を拝借して、人生に触れ

ておらんと申しました。」(以下略)

        ――明治四十年四月東京美術学校において述――

「青空文庫」https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/755_14963.html

 

※「市気匠気」・・・【市気】人々の歓心を得ようとおもねる気持ち
          【匠気】芸術家・職人などが技術・技巧に趣向
              をこらす気持ち