「あほリズム」(209)

2012-03-31 22:54:49 | アフォリズム(箴言)ではありません




             「あほリズム」



               (209)


 

   社会は、俯瞰する者を排他する。


               

               (210)



   自分自身を見失った者は自分自身以外のものに救いを求める。


             





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「某民主主義人民共和国」②

2012-03-30 13:12:16 | 「パラダイムシフト」



       「某民主主義人民共和国」②


 彼国は中国と緊密な関係にあります。恐らく、人脈も中国共産党の

派閥と繋がっていて、従って中国政府内部での対立の構図はそのまま

彼国の内部対立に投影されているでしょう。つまり、中国共産党中央

政治局の権力闘争は彼国に於いても同様の対立となって現れるのです。

ところで、今まさにその中国ではトップの交代劇に先駆けて様々なイ

ス取りゲームが表沙汰になっています。更に眼下の社会では様々な利

権を巡る問題が噴出し、それだけでなく経済も不透明感を深めていま

す。これまでは裏沙汰だったことがインターネットの発達によってす

ぐに伝えられ隠蔽することが出来なくなりました。中国共産党政治局

の混乱は、彼国に於いても他人事ではない筈です。その中国が韓国で

開かれた核サミットで、彼国のミサイル発射予告に憂慮しているとい

う声明を発表しました。恐らく、音無しくしていて欲しいのでしょう

が、これまでにない踏み込んだ発言だと驚きました。これは私の邪推

ですが、経済発展によって世界との繋がりを一層強める中国は、国内

の反乱勢力の動向に目を光らせることが手一杯の彼国から距離を取り

始めたのではないでしょうか。つまり、お互いに「それどころではな

い」のです。彼国の今回のミサイル発射予告は、アメリカの食糧援助

を反古にして、国内経済よりも軍事優先であることを明確にしました。

つまり、何がいいたいのかと言えば、中国のバブル経済が崩壊する前

には必ず彼国の政権が崩壊すると思うのです。そして、それはそんな

に先の話ではないような気がします。これは私の裏付けのない邪推以

外の何ものでもありませんが。





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 「某民主主義人民共和国」

2012-03-30 06:36:56 | 「パラダイムシフト」



        「某民主主義人民共和国」



 急に頭を過ぎって、そして、どうしても思い過ごすことができなくなっ

たので記します。それは、某民主主義人民共和国のことですが、これ

までの一連の経緯を辿ると、謂われているように一人の独裁者が決断

を下した決定とは到底思えないのです。後程資料を確かめますが知っ

てることだけで説明すると、米朝会談の合意のすぐ後に長距離ロケッ

トの発射実験の発表をするのはどう考えても解せない、辻褄が合わな

いのです。キム三世が全権を掌握しているのであれば、つまり、一人

の人間が決断を下すのであれば、恐らくそんな正反対の行動はしない

はずです。つまり、キム三世は未だ全権を掌握できていないに違いな

い。制服組と背広組の対立なのか、または強硬派と慎重派なのか、

将又、保守派対改革派なのか分らないが、明らかにこの二つのことは

対立している。某国はもしかしたら側近たちによる激しい権力争いの

渦中にあって、キム三世はどっちに従えばいいのか迷っているのかも

しれない。独裁者が「従う」?、それは明白にキム三世の権力低下を意

味するではないか。漏れ伝わるところによると、側近への厳しい粛清さ

え行われたという。事によると、最近は強硬手段も辞さない軍部による

軍事クーデターさえ勃発することもあるのではないか。気になったので。





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 「ボーダー」⑪

2012-03-30 02:34:39 | 境界性パーソナル障害(BPD)



                 「ボーダー」⑪



 我々は未だこれまでの社会を継続しようとしている。バブル崩壊後

二十年以上経ってもかつての夢をもう一度と願っている。ところが、

一方でこの社会が抱える問題に対してどれ程の検証を行ってきただろ

うか。それは、あたかもボーダーが自らのトラウマを振り返ることが

出来ずに、ただそれから逃れたい一心で未来にばかりに夢を託すよう

に、自分自身を振り返ろうとせずに、つまり、我々が抱える社会の問

題を避けて旧態のまま新しい世界を待ち望んでいる。しかし、新しい

世界は人々の意識が変わらないことには決して生まれて来ないだろう。

そして、意識を変えるには自分自身を知ることの他にいったい何がで

きるだろうか。我々は何故あの無謀な戦争にのめり込んでいったのだ

ろうか?また、バブル崩壊の警鐘が鳴らされながら何故崩壊を回避で

きなかったのだろうか?何時も「回避」や「撤退」といった自省から

生まれる決断がなされない。我々の「メンタル」には何か重大な瑕疵

が残されたままなのではないだろうか?「こんな戦争は勝てない」と

思いつつも決して口にできない社会、「そのうちバブル崩壊する」と

分っていても有効な策が打てない政府、「安全だ、安全だ」と言いな

がら事故が起きても「安全だ」と説明する原発関係者。そこには一体

何があるのだろうか。

 かつて、福沢諭吉は「学問のすゝめ」の中で「一身独立して一国独

立す」と説き、社会国家に、或いは「長いもの」に依存することを厳

しく諌めた。他者への依存は自分自身を空しくする者の常套である。

立身の志を抱く者は「独立自尊」の気概から判断を他者に預けたりは

しない。その独立自尊を阻んでいるのが序列を重んじる儒教思想であ

ると言い「腐儒の腐説」とまで貶した。果たして、我々は大政奉還以

来、近代化を推し進め欧米列強に肩を並べるほどの経済大国にのし上

がったが、さて、一身の独立を尊び、一国として独立することは叶っ

たであろうか。そうでなければ、独立自尊を阻み序列秩序に「黙って

従う」ことを重んじる儒教思想こそが、我々の素直な精神を歪めて「

思ったことを言えない」ようにしている、この国の誰もが囚われいる

トラウマではないだろうか。


                  原稿を仕上げますので(おわり)ます。



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