「無題」 (十六)―①

2013-10-24 04:06:47 | 小説「無題」 (十六) ― (二十)



         「無題」


         (十六)―①



 福島県は本州では岩手県に次ぐ大きな県で、海岸から山間の県境

までの道のりは優に二百キロを越える。おおよそ四時間余りワンボ

ックスカーに閉じ込められて、高速バスの乗客のように無言のまま

過ごすわけにはいかなかった。バロックと呼ばれる運転席の男が後

部座席の男女を紹介してくれて、わたしも自分の名前を名乗った。

「竹内さんは会津にお住まいなんですか?」

バロックは、未だ大地震の爪痕が其処彼処に残る沿道の景色よりも、

車が進む道路の路面ばかりを気にしてハンドルを握りながらそう言

った。もちろん道路は整備されていたが、頻発する余震によって何時

亀裂が発生しているか分らなかったからだ。実際、走っていても突然

隆起したり路肩が崩れていたりして徐行を強いられた。

「いいえ、生まれは会津ですが、いまも親は居ますが、もう東京の方が

長いですね」

「じゃあ、東京から来られたんですか?」

「そうです」

「東京のどちらですか」

わたしが地名を言うと三人とも関心を示した。わたしは、ついでに

働いているスーパーの名前まで言うと後部席のサッチャンと呼ばれ

る女性が声を上げた。そして、

「あのスーパーに入っていた総菜屋さんってまだやってますか?」

「もしかしてヤシマのことですか?」

「そうそう、確かそんな名前」

「でも何で知ってるんですか?」

「わたしたち、その近所に居たんです」

すると彼女の隣に座っていたガカと呼ばれる男性が、

「あのスーパーのコロッケは毎日のように食べてましたよ、半額に

なったやつを」

「もしかして、君らは駅前の広場で唄っていたグループ?」

「あ、知ってました?」

わたしは、駅前広場で歌を唄って毎晩多くの通行人を立ち止まらせ、

遂にはテレビにも出るまでに人気になったグループのことはもちろ

ん知っていたが、そのグループが彼らだとはまったく気が付かなか

った。そう言われて彼女を見ると、その後テレビの歌番組などで何

度か目にしたことのある女性だった。わたしは、

「何で・・・」

と言いかけて言葉を飲み込んだ。すると彼女は、

「何でこんなとこに、って言いたいんでしょ」

と、後を引き取った。彼女によれば、今も歌を諦めずに続けている

が、何か被災者の人々の力になれることはないかと思っている時に

支援コンサートが催されることを知り、かつて一緒にグループを組

んいでた彼らに声を掛けた。彼らはすでにギターを置いて他の仕事

に勤しんでいたが、彼女の熱い想いに根負けして一度だけなら再結

成することを呑んだ。

「じゃあ、もう音楽はやらないんですか?」

と、わたしが訊くと、彼は、

「せやかて、もう音楽なんか『オワコン』やから」

わたしは、

「えっ!おわこん?」

「ええ、終わったコンテンツ」

彼が言うには、音楽は歌手が唄いながら踊り始めた頃から新しい

ものは産まれなくなり、今ではミュージシャンはパフォーマーへ堕落

した、らしい。


                                (つづく)

 

「無題」 (十六)―②

2013-10-24 04:05:27 | 小説「無題」 (十六) ― (二十)

          「無題」


          (十六)―②


 車が沿岸から遠ざかるほどに道路沿いの風景から震災の痛ましい

爪痕は徐々に薄れ、やがて、普段の暮らしを取り戻し始めた街の様

子を目にするようになると、次第に車の中にも緊張が解けて寛いだ

雰囲気が生まれ始めた。わたしは、彼らとも打ち解けてくると遠慮

を忘れてどうしても気になっていたことを訊ねた。

「でも、どうしてそんな山の中で暮らしてるの?」

バロックは、モミアゲから伸びた無精ひげが下顎全体を覆いつくし、

口ひげの下から白い歯を見せながら、

「どうして?」

と問い返したっきり黙ってしまった。わたしは、

「いやいや、これは失礼なことを言いました」

と取り繕いながら、

「それでも、君たちはまだ若いんだから賑やかな都会で暮らしたい

とは思わないの?」

「ああ、もちろんそう思ってましたよ、実際、東京にも住んでまし

たし、でも結局何も思いどおりにいかなかった」

すると、後部席に座っていたガカと呼ばれる男が口を挟んだ。

「俺たち、時代に取り残されたロスジェネ世代だから」

バロックはそれを無視して、

「それに、これから東京で何かおもしろいことが生まれるなんてと

ても思えないし」

東京で暮らすわたしが「世の中がツマラナイ」と思っていたことを

多分彼らも感じ取っていたに違いない。わたしは、

「だからと言って山の中だっておもしろいことはないでしょ」

「おもしろいかどうかは別にして、自分のやりたいようにはやれま

すから」

「何をやってるんですか?」

「農業です」

バロックは、きっぱりと答えた。わたしは、

「実は、わたしもこれまでスーパーで、ずーっと青果を扱ってきた

んですよ」

「あっ、そうなんですか。でも自分たちが作ったものは市場へは出

さないから」

「無農薬とか?」

「ええ」

わたしは、自分がいまオーガニック野菜の販売にも取り組んでいて

無農薬栽培に関心があることを打ち明けて、もしよかったら農場を

見学させてもらえないか、と言うと、バロックは、

「ええ、いいですよ」

とあっさり快諾してくれた。  

 車がわたしの実家に近付いた頃にはライトを灯すほど暮れていた

のでその日は実家まで送ってもらい、明日、自分の車で彼らの農場

を訪れることにした。ガカが農場までの地図を分り易く描いてくれ、

バロックが念のためにケイタイ番号を教えてくれた。そして、サッ

チャンが窓を開けて両手を振って見送ってくれながら、すぐに車は山

奥へ向って走り去った。わたしは、実家で母と最期の夜を過ごすと、

早朝から出掛けた。

 もしもわたしが、財宝の在り処を印した地図を手に入れ、地図に

示された道を辿るだけで大金持ちになれるとしても、残念ながらわ

たしは地図に示された道を辿ることがどういうわけか不得手で、も

ちろん間違いにはまったく気付かずに、曲がるべき辻の一つ手前

を曲がって思わぬ場所に出たり、ひどい時には自分が居る場所さ

え地図の上に確かめられなくなって、ついには焦りからとんでもない

窮地に自ら迷い込んで二進も三進も行かなくなって引き返す破目に

なったことがこれまでに二度や三度のことではなく、いつも間違った

道を辿ってからでないと正しい道が見出せず、たぶん、苦労惨澹の

末に宝の在り処に辿り着いた時には、後を追ってきた知恵者に先回

りされて何もかも奪われ、大金持ちの夢は幻に終わるに違いない、

ほどの方向音痴だった。そこで、カーナビが出た時は真っ先に買い

求めて、これであとは宝の地図を手入れるだけだと安堵していたら、

あろうことかカーナビに従いながら道幅が徐々に狭まっていく私道に

導かれ、それでもカーナビよりも自分を信じるわけにはいかず、車幅

よりも狭い道幅を何とか抜けようとして何度も車体を凹ませた。

 ガカが描いてくれた地図があまりにも分り易かったので安心した

のがいけなかった。車を走らせて二時間余り経っていたが、予定で

はとっくに彼らの農場に着いているはずだったが、頼りのカーナビ

はまったく役に立たず何処か分らない山の中を彷徨っていた。早速

バロックのケイタイにデンワしようとしたがそれも圏外で繋がらな

かった。山肌を削って造られた道は車一台が漸う通れる狭い道で一

方は崖になっていたので方向転換する場所がなく、引き返すために

更に山の奥へ進むほかなかった。もし、このまま行き止まりにでも

なれば車を乗り捨てて歩いて帰ろろうと思っていると、こういう時

の悪い予感は的中する、行き止まりだった。万事休す、と思って車

を降りて道の先を見れば、辛うじて切り返すことのできる平らなス

ペースがあるではないか。わたしは車に乗って前の草叢に強引に突

っ込ませて、ハンドルを切りながらバックして何とか方向転換する

ことができた。不安と緊張でへとへとになりながら何とかふりだし

に戻ることができると思ってアクセルを踏むと、今度は、車体がガ

タンと左前方に大きく傾いて動かなくなった。再び車を降りて確か

めると左前輪が地面の裂け目に落ちて浮いていた。たぶん地震で出

来た地割れだろう。何度かアクセルを吹かしてみたが車体が地面に

着くほど落ちていたので空回りするばかりだった。もう、わたしに

は辛いだとか悲しいだとかといった感情は使い果たして残っていな

かった。山々は遅い春を迎えてあちらこちらに山桜やモクレンの花

が咲き、山鳥たちが飛び立ちながら歓喜の声を響かせていた。たぶ

んこの世界で生き残った人間は私ひとりに違いない。わたしは、車

内に散らかった荷物をカバンに詰め込んで鍵を掛けて、車で来た道

を歩いて戻ろうと思っていると、前から一台のワゴン車が近付いて

来た。きっとこんな時は、誰もが救けを求めて大きな声を出して叫

ぶもんだが、わたしはこんな幸運な偶然にさえも何か忌まわしいこ

との前触れとしか思えなかった。ワゴン車はわたしの前で止まると、

ヘルメットを被った作業服姿の二人の男が降りて近づいてきた。わ

たしは、

「どうかしましたか?」

と言うと、年配の方の男が、

「それはこっちのセリフでしょ」

と言い、もう一人の若い男が、

「こんなところで何をしてるんですか?」

と言った。わたしは、

「まあ、そのお、ドライブみたいなもんですよ」

すると、年配者が、

「この辺りは地震で地割れが発生してますから、あまり近づかない

方がいいですよ」

わたしは、

「じゃあ、この次からそうします」

と答えると、若い男がわたしの車を指差して、

「何だ、あの車は!傾いているじゃないか」

 彼らは電力会社の子会社の作業員で、近くの住民から地割れがあ

るとの通報を受けて調べに来たと言う。すぐ傍には送電線を支える

鉄塔が立っていると言うので、年配者の作業員が指差す方を振り返

って見上げると、なるほど、巨大な鉄塔が聳え立っていた。つまり、

この道はその鉄塔に近づくために造られたのだ。彼らはこれから下

草を刈って地割れを調べるのにわたしの車がジャマだと言って二人

で持ち上げて浮いた車輪を地面の上に動かしてくれた。わたしは、

人の親切に触れた途端に失っていた感情が甦ってきて、感謝の言葉

を安売りし何度も頭を下げてその場を走り去った。来た道を辿って

ふりだしに戻ると、バロックからケイタイにデンワがかかってきた。

「竹内さん、いまどの辺り?」

わたしは、

「ゴメン、寝過ごしてしまって、今から家を出るとこ」


                                    (つづく)


「無題」 (十六)―③

2013-10-24 04:04:08 | 小説「無題」 (十六) ― (二十)



         「無題」


         (十六)―③


 彼らの農場、もちろん、それは事前に訊いていたことだが、山の

こちら側にある農場は、こちら側に繋がる道が途中で橋が崩れて通

れなかったため、いちど山の裏側に迂回してから、それは訊いてい

たよりもずっと遠かったが、あちら側から山道を抜けてこちら側に

出なければならなかった。わたしは、まるで迷路を塗りつぶすよう

にして進みながら漸う「虫食い農園」へ辿り着いた時には、すでに

陽は斜めに傾き始めていた。そして、バロックの顔を見た時にはも

う農場の見学などすっかり忘れてしまっていた。さっそく彼は、わ

たしを一軒のログハウスに連れて行き、その農場のオーナー一家と

面会させた。そのオーナーの様相は異様だった。バロックでさえも、

たとえば都内の公園のベンチに一人座っているだけで、誰もがホー

ムレスだと思うほど身形は怪しかったが、そのオーナーは更に輪を

かけた、ほとんど仙人のような風貌だった。その仙人の家族は、奥

さんと赤子を抱いた娘さんの三人だと思ったら、バロックが夫妻と

娘さんの間に割って入って、

「これが俺の家族です」

と言ってそれぞれの名前を言って紹介してくれた。バロックとオー

ナー夫婦の娘さんとの間に生まれた女の子は震災の三日後に出産を

迎えて大変だったらしい。ただ、彼のお嫁さんは、都内の公園のベ

ンチに座るホームレスを労わるボランティア団体の職員のように質

素な装いだったが身形はきちんとしていた。

「それじゃ農場の方へ行きましょうか?」

バロックに促されてわたしは仙人の棲むログハウスを後にした。山

間に在る農園は農地と呼べるほどの平地はなかったが、それでも傾

斜を無駄にせずに到る所が耕され、鍬を入れた土が転げ落ちない限

りは種が蒔かれて芽を出していた。広い農地に一つの作物だけを植

えると、病気の伝染や害虫による被害が発生すれば一斉に広まり、

どうしても農薬に頼らざるを得ないが、点在する耕地には異なった

作物がまるでモザイク模様のように植えられているので被害も限ら

れる、もっともそうする他ないのだが、とバロックは笑いながら言

った。そして、山間の高地にある畑では害虫の繁殖も少ないのでま

ったく農薬は使っていないと言った。バロックは、傍らのトマトを

もいでわたしに薦めた。わたしは、近ごろ持て囃されているただ

甘いばかりの野菜とはちがった酸味の効いたクセのある味に、

自分が求めていたものと出会った思いがした。


                                   (つづく)


「無題」 (十六)―④

2013-10-24 04:02:47 | 小説「無題」 (十六) ― (二十)

          「無題」

          (十六)―④


 ここでいちいち彼らの農場内の様子を詳らかにするつもりはない

が、否、やっぱりしなきゃまずいか、でも、そんな説明ってきっと

忘れてしまうから、と言うのも、わたしは小説でも何でも書き出し

の場面描写や背景描写を長々と読まされるのが苦手で、何時になっ

たら事件が始まるのかと我慢しながら付き合っているうちに、何も

起こらずそのまま終わってしまいがっかりしたことが何度もあった。

それからは妙な警戒心が頭を過ぎって、本を手に取るとまず2、3

0頁を飛ばして読み始め、まだ性懲りもなく「まえふり」を続けて

いるようなら、さっさと閉じてしまうようになった。たぶん、それ

はわが国の近代文学が西欧の印象主義文學やロシア長編文學を模倣

することから始まったことと無関係でないと思う。彼らは文化風習

が異なる多民族が混ざっているので生活の一場面を描写するにして

もくどくどとその説明をしなければならない。更に、科学主義から

生まれた「純粋理性」はついには複雑な人間心理を捉えようとして

その変化を描写しようとする。その結果、ドアノブを回すだけこと

に1頁を費やさねばならない。ところが、わが国の古典文学を手に

取れば、源氏物語にしても平家物語にしてもそんなまどろっこしい

「まえふり」はすっ飛ばしてのっけから本題に入る。源氏物語など

は 「いづれの御時にか、女御・更衣あたま候ひ給ひける中に、いと

やむごとなききはあらぬが、すぐれて時めき給ふありけり」 と、説

明など一切なしにいきなり男女の「ときめき」が始まる。せっかち

な日本人にぴったりなのだ。わたしにしても動画サイトを観ても3

分以上の動画をスキップせずに観た例がない。というわけで、わた

しのような「スキッパー」のために、彼らの農場の説明はその必要

がある時に限り取り上げることにして、ここでは簡単に済ませたい

と思いますが、山裾にあるログハウスを出て農場を転がるようにし

て下って行くとやがて大きな川に遮られ、その川岸に作業場があっ

た。ところが、作業する作業員は誰も居なかった。わたしは気にな

って、

「畑にもここにも人が居ないけど?」

とバロックに訊くと、

「朝のうちにもう作業は終わってるから」

「なるほど」

農家の朝は早いのだ。そこでは漬物などへの加工やネット通販の梱

包作業が行われていた。そして、その川下には大きな工場があった。

わたしは、その、農場とは凡そ繋がりのない工場を目にして、

「何で?」

と言うと、バロックは、

「あそこではデンキ作ってます」

と、まるで野菜でも作っているようにあっさりと答えた。そして、

「ぼくら、大震災で原発事故が起こる前から再生可能エネルギーを

利用しているんですよ」

バロックが言うには、オーナーは地球温暖化問題が表面化した時か

ら小規模水力発電の開発に取り組み、今では自然環境に負担を掛け

ない発電機が注目され問い合わせが殺到しているらしい。そして、

それらのまったく関係がないように見える一連の出来事は、環境問

題を真摯に受け止めてどうあるべきかを模索してきた者にとっては、

決して関連がないとは思えないと言った。つまり、地球温暖化によ

る環境破壊が問題になれば原発推進のための口実に利用し、ところ

が、原発事故による環境破壊が起っても原発推進を言うのであれば、

そもそも環境問題などどうでもよかったことになる。

「それって欺瞞でしょ」

わたしは黙ってうなずいた。原発推進を訴える人々の意見では、C

O2排出は良くないが放射能汚染は仕方ないということになってし

まう。つまり、地球温暖化による環境問題は原発推進のための方便

にすぎなかったのだ。そして、環境よりも経済優先だと言うなら、

われわれは中国の環境問題を嗤うことは出来ない。

 ログハウスへの登り道を引き返しながら、バロックが、

「ちょうど御飯の用意ができた頃でしょ、どうです一緒に食べてい

きませんか?」

「ありがとうございます、実は朝から何も食べてないんですよ」

「朝から?あれ、寝過ごされたんじゃなかったんですか?」

わたしは思わぬ一言から自分の欺瞞が綻びかけたので慌てて、

「いやー、それにしても遅い昼ご飯ですね」

と話をスキップさせると、バロックは、

「いや、晩ご飯ですよ」

農家は夜も早いのだ。彼らは日没とともに眠り、日の出とともに起

きる。


                         (つづく)


「無題」 (十六)―⑤

2013-10-24 04:01:36 | 小説「無題」 (十六) ― (二十)



         「無題」


         (十六)―⑤


 遅い春の訪れに待ちわびていた山々の樹木がいっせいに芽吹き始

め、大地を覆っていた草花も競って花を咲かせ、その上空には鳥た

ちの一際甲高いさえずりがこだましていた。春は、未曽有の大震災

に見舞われた人々をよそに巡って来て、彼らが悲しみを乗り越えて

再び立ち上がることを促しているかのようだった。忘れ去ることな

ど出来ないが、立ち止まってばかり居られない。

 ログハウスへ戻る道すがら、バロックは「失礼ですが」と前置き

した上で、わたしにタバコを喫うかと訊いた。わたしは結婚してか

ら喫っていないと答えると、「実は、」と、奥さんの病気のことを

言い訳のように説明した。彼の奥さんは化学物質過敏症という聞き

慣れない病気の症状に苦しんでいた。その病名の通り身体が化学物

質に過敏に反応して頭痛など様々な症状が現れるらしい。それでも、

この自然環境の中で暮らし始めてから随分健康を取り戻したという。

そして、それを伝え聞いた同じ症状に苦しむ患者家族がここに越し

て来て、年寄りばかりの界集落だったこの村が今では十家族余りが

新たに移住しているので、たぶん世間とは様子が違うと思うが理解

してほしいと言った。

 ログハウスに戻ると前庭にある大きなログテーブルに鮮やかな旬

菜などの馳走がぎっしりと置かれていた。オーナーはすでにそのテ

ーブルのイスに陣取って缶ビールを呷っていたが、彼はバロックか

ら「ゆーさん」と呼ばれていた、その他にも農作業を終えた中年の

男女が二人づつ居た。席を勧められて腰を下ろすと早速オーナーの

「ゆーさん」が、

「どうです、東京はもう落ち着きましたか?」

「ええ、今はもっぱら夏の電力不足の心配ばかりです」

ゆーさんはわたしより五つ上だった。

「ああ、デンキね」

「これからどうなりますかね?」

ゆーさんの奥さんがビールを飲むかと訊いた。わたしは車なので遠

慮した。ゆーさんは、

「でも、いいよなあ東京の人は、デンキの心配で。こっちじゃ命の

心配してるのに」

すると、奥さんが「お父さん」と言ってたしなめた。わたしはそれを

聞いて、福島の原発問題が東京では電力問題にすり替わってい

ることに恥ずかしくなった。原発事故による放射能汚染から身を守

るために多くの人々が棲み慣れた我が家を棄てて見知らぬ土地で

苦しんでいるというのに、それらの人々の生存を脅かしてまでも東

京の暮らしや経済活動、つまり金儲けの方が大事だというのはいっ

たいどういう了見なのか?果たして、それは全うな人間の思うことだ

ろうか?もしかしたら、われわれ都会人は強欲に支配された獣と化

し人間としての良心を失ってしまったのではないか?どうして人の痛

みが分らない社会になってしまったんだろうか。わたしは悔悟の念に

堪えられなくなって、

「あっ、奥さん、すみませんが一本だけもらえますか?」

と、奥さんが引っ込めた缶ビールを呼び戻した。


                                 (つづく)