「私が今年一番印象を受けた画像です」

2011-12-31 10:21:11 | インポート
〈再点灯された塩屋埼灯台。海岸線は家が流され土台だけが残っていた
                =11月30日夕、福島県いわき市、森井英二郎撮影〉


「私が今年一番印象を受けた画像です。

 こんなことを言っては不謹慎ですが、美しいと思った」


                                         2011年12月01日04時54分

東日本大震災で被災した福島県いわき市の塩屋埼灯台に30日
夕、8カ月半ぶりに明かりがともされた。映画「喜びも悲しみも幾歳
月」原作の舞台になり、美空ひばりの「みだれ髪」でも歌われ
た。応急的にLED灯器を設置。光達距離は約8キロになっていた
が、この日、本来の約40キロに戻った。福島海上保安部の荻野
誠司次長は「地域の歴史とともに歩んできた灯台。再点灯が復
旧、復興の後押しになれば」。(江川慎太郎)


 「師走といえば」

2011-12-27 23:20:39 | インポート

             「師走といえば」


 師走といえばベートーベンの「第九シンフォニー」が定番ですが、

私にとってベートーヴェンの定番といえば、何といっても「ヴァイオ

リンコンチェルト 二長調Op61」です。

 ところで、本年も残すところ僅かとなり、

振り返れば災厄に見舞われた一年ではありましたが、

それでも、私のブロブに訪れて歯牙も留まらぬ愚痴に

辛抱強く付き合って下すった皆様方の、

新年はその辛抱強さこそが報われる年であることを

切に祈っております。 どうぞ、よいお年をお迎えください。


                             ケケロ脱走兵 


ベートーヴェン 「ヴァイオリンコンチェルト 二長調Op61」(第一楽章)

http://classical-music.sakura.ne.jp/ID3v2-4/Beethoven-ViolinConcerto-1st.mp3




 「言の葉」

2011-12-26 22:33:43 | 従って、本来の「ブログ」

              「言の葉」


 「人は、人生が公平ではないことを悟れるくらいに、成長しなく

てはならない。そしてただ、自分の置かれた状況のなかで、最善を

つくすべきだ。」

 上の言葉は古代ローマの聖人アウグスティヌスの言葉を、最近で

は物理学者のスティーブ・ホーキング博士が講演か何かで引用して、

再び人口に膾炙され始めているが、なるほど難病に苛まれた博士が

上のような言葉を吐くことは至極尤もだと考えられるが、それでは、

たとえば独裁者が同じ言葉を国民に向かって語ったとしたら同じよ

うな理解を得られるだろうか?権力者が「社会というのは不平等な

ものなのだ。だから、自分の身分を弁えて生きろ」と言ったら、い

ったいどれ程の国民が納得するだろうか。つまり、言葉というのは

誰が語ったのかが問われ、言葉自体に何らかの絶対性があるわけで

はない。上の言葉は「絶対的な」ハンディーキャップを抱えた博士

であるが故の、彼個人にとっては悟らなければならない重い言葉で

あったかもしれないが、だからと言って、それを社会一般に当て嵌

めると公平社会の理念は破綻し、その国名に「民主主義」をも掲げ

ている朝鮮民主主義人民共和国の様になってしまう。言葉とは「誰

が、何時、何処で、誰に、」更に言えば「どの様に」語られたかに

よってその意味が変わってしまうし、それどころか彼国の指導者の

ように偽りさえも騙れるのだ。つまり、如何なる言葉であっても絶

対性を持ちえない。上の言葉は封建的な古代ローマ帝国時代を生き

た人の告白であり、また、回復が絶望的な難病を抱えた人の告白で

あるという事情を弁えもせずに、感銘を受けたからといって拙速に

今の社会に蘇らせようとするのは言葉の相対性を理解しない者の浅

薄な考えとしか思えない。個人が悟った「言の葉」をそのまま社会

に当て嵌めてはならない。つまり、言葉なんて信じちゃいけない。


 「草の葉」

2011-12-22 17:47:00 | 従って、本来の「ブログ」

                「草の葉」


 かつて、関西での会社勤めを辞めて上京した折、山手線の高田馬

場駅だったと思うが停車した高架駅から何気なく窓の外を見ている

と、夜の帷の中に赤いネオンサインに彩られた看板広告に「何じゃ

これは?」と目を奪われた。そこには「草の葉」だったか「ホイッ

トマン」だったか今では忘れてしまったが、そんな文言がそれも質

屋の看板に書かれていたからだ。私は「ホイットマン」も「草の葉

」も知らないわけではなかったが、ただ、それまで一度も読んだこ

とはなかった。それでも、何故質屋の看板広告にアメリカの詩人ホ

イットマンの「草の葉」をネオンサインにまでして宣伝しなければ

ならないのか、また、それが質屋の営業にどれほどの効果があると

いうのか電車が動き出しても気になって仕方なかった。恐らく、店

主がホイットマンへの共感が嵩じて人々にも知らせたいと思っての

ことだなんだろうが、東京は変な街だなと思ったことを記憶してい

る。ただ、幾ら記憶に残っても、私はその質屋を利用することはな

かったが、ところが、本屋に立ち寄る度に岩波文庫のホイットマン

の「草の葉」が目に障りネオンサインの看板が思い出されて、遂に

それを買ってしまった。

 私は、詩歌というものを字面ばかり追う癖から抜けられずに、叙

情に疎く心情に伝わることが稀だったが、それは恐らく、学校の授

業で生徒が興味を抱けるような詩歌が選ばれなかったからで、例え

ば、万葉集などにしても古文の解読に大半が費やされ、やっと意味

が解ったら月並みな恋の歌だったりで労多くして益少なしで沁みて

くることはなかった。それでも関西に居る時に、それは小林秀雄を

読んだからだと思うがボードレールの全集を買い求め、やっぱり彼

の詩も翻訳の壁があって意味不明で、ただ「火箭」の中の「世界は

終わろうとしている」以下の数行の言葉に衝撃を受けて、自分のそ

れまでの人生など棄ててもいいと思った。つまり、それまでの私の

人生とは数行のボードレールに若かずだった。勤務していたホテル

のフロントカウンターの中で、決められた仕事を何十年も従わなけ

ればならないことに自分の生きる意義を見出せなかったし、そのま

ま朽ちたくなかった。否、朽ちるなら自分の意志で朽ちようと覚悟を

決めた。

 もしも私が、アメリカを代表する詩人は誰かと問われれば、間違

いなくホイットマンだと答えることに躊躇ったりはしないだろう。

彼の理性を超越した叡知を受け入れる寛容な精神こそは将にアメリ

カンマインドの原点ではないだろうか。美徳はもちろん悪徳さえも、

希望はもちろん絶望さえも、生はもちろん死さえも、それらは何れ

も繋がっているのだ。生きていることは如何なる辛いことに見舞わ

れてもそれを補って余りある歓びではないか。将来への不安を抱え

ながら、上京したばかりの激動の首都東京をただ眺めてばかり居た

自分をどれだけ励ましてくれたことか。不安や絶望、失敗や離別と

いった辛ささえも生きていればこそ生まれてくるのではないか。生

きることとは死さえも受け入れることではないか。生きることに挫

けたっていい、しかし、挫けることを怖れて生きるなんて詰まらな

い。そのオプチミズムは死滅をも受け入れ輪廻する自然生成への溢

れんばかりの歓喜に満ちていた。

 
     「わたし 不動なるもの」

わたし 不動なるもの、「自然」のなかに悠然と立ち、

万物の支配者あるいは万物の女王、

理性にそむく物たちのさなかに自若たり、

その物たちのごとく色に染まり、その物たちのごとく

受身で、柔軟で、寡黙、

私の職業、貧弱、悪名、弱点、罪悪、そんなものは

思っていたよりささいなことだと悟り、

わたし メキシコの海を目ざし、あるいはマナハッタか

テネシーの川に、あるいは遥かな北部か奥地にあり、

水上生活者として、あるいは森の住人として、

あるいはこれら諸州か沿岸諸州の、

それとも湖水地方かカナダのどこかで農場暮らし、

わたし たといどこで生活を営もうと、

おお さまざまな偶然事にも泰然として崩れず、

夜にも、嵐にも、飢えにも、嘲りにも、事故にも、挫折にも、

樹木や動物のように、正面から立ち向かわんと願う。


     ウォルト・ホイットマン著「草の葉」より
         
          


 「小水力発電」

2011-12-10 17:06:52 | 従って、本来の「ブログ」

 


          「小水力発電」


 手前味噌ですが、小説「パソコンを持って街を棄てろ!」の中で、

私は「水流発電機」による地産電力が都市への一極集中を逆行

させ、この国のエネルギーシフトの一翼を担うだろうと思って取り

上げましたが、12月7日のFNNのニュース番組で地産地消型の

「小水力発電」が取り上げられていた。

http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00213027.html 

 さらに、随分前の記事ですが、

「東日本大震災や東京電力福島第1原発事故を受け、政府は22日

までに、被災地に設ける復興特別区域(復興特区)で、農業用水路

などで水車を回す小水力発電設備を設置する際の申請手続きを簡素

化する方針を決めた。自然エネルギーをまちづくりの柱に被災地の

復興を後押しする。

 小水力発電を復興特区で自治体が設置する場合に(1)国交相の

認可や同意(2)都道府県知事の意見聴取(3)経産相への報告―

などを不要にし、5カ月程度かかっていた申請から決定までの期間

を1カ月程度に短縮する。

 政府は、臨時国会に提出する復興特区法案に、河川法と電気事業

法の特例として簡素化を盛り込む。2011/10/22 16:44 【共同通信】」

とあるように、これまでは門前払いと言っていいほど認められなか

った申請も被災地に限ってではあるが簡素化されようとしている。

電力をそれぞれが自給自足できるようになれば水流に恵まれた山間

の過疎の村にも人が集まるきっかけにもなるのではないだろうか。

そろそろみんな、既得利権が固定化して何も生まない閉塞した街を

棄て、何もない替わりに何だって出来る自然に還ろうではないか。

 

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