「パソコンを持って街を棄てろ!」(二十六)

2012-07-11 17:19:45 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(二十六

               (二十六)

 

 高層ビルを水墨で描く試みは全くうまくいかなかった。直線ばか

りのモチーフを模写しても、殺伐とした、まるで建物の完成予想図

のような味気ないものになった。それは直線の捉えどころのない素

っ気無さからきていた。直線は人の感情や温もりを拒絶する。逃げ

場を失った感情は直線の上を行ったり来たりして、やがて線の端か

ら飛び出して、光になって永遠に向かい消滅した。つまり、人の思

いは直線に留めることが出来ないのだ。子供の頃、一番初めに定規

を作った人は、どういう方法で作ったのか知りたかった。だって、

その定規が直線を満たしているかどうか、定規がないから確かめら

れないじゃん、と思った。たとえば、重力のない宇宙空間で、人間

は直線だとか平面だとかの概念を知り得るのだろうか?否、そもそ

もそんなところに人間は存在できないのだが。つまり直線とは、重

力だとか光だとか、人間の知り得ない深い謎を秘めているのだ。落

下運動の最中にある我々は、幸いにも大地に止まっているが、死ね

ば地下に落ちることは物理学的に正しいのかもしれない。

 あれこれ試行錯誤しながら、高層ビルの直線的な描写を止めて、

強弱をつけたダラシナイ線を引けば、それなりに温もりが生まれて

、高層ビル群を描いているにも関わらず、遠目にはまるで雪舟の「

秋冬山水図」に迫り、負けるとも勝らない傑作だと思った。私は思

わず、「これだっ!」と叫んで、雨上がの往来にその絵を持って飛

び出た。そしてすぐにバロックの部屋へ向かった。その日は朝から

雨模様だったので、バロックが部屋に居ることは判っていた。早速

バックから私の描いた「秋冬高層ビル図」を出して彼に見せた。す

ると彼は、布団の中から上半身を起こして一瞥した。

「上手くなったやん!」と言ってくれた。

「ありがとう」

「しかし、路上で売るには何か足りんな?」

「何?」

「シンボルが」

「シンボル?」

「うん、例えば東京タワーとか、そんなんが」

「・・・」

「馴染みのないもんには食いつけへんで」

「でも、東京タワーは此処にはないからな」

「そんなんどうでもええねん、兎に角、パッと見たら『アッ!』と

判らんとあかんて」

こうして私の絵には、明らかにそこから東京タワーが見えないやろ、

と思える絵でも必ず東京タワーが小さく描きこまれる様になった。

                       (つづく)


「パソコンを持って街を棄てろ!」(二十七)

2012-07-11 17:18:59 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(二十六

            (二十七)

 

 バロックとサッチャンのデュエットによるパフォーマンスは、日

に日に駅前広場の人の流れを堰き止め始めて、遂には駅前の交番の

おまわりさんが注意しに来るほど人気を博した。すでに彼らはイン

ディーズ・レーベルの会社から数枚のオリジナルCDをリリースし

てそれを路上で売っていたが、ついにメジャー・デビューの話が飛

び込んできた。ただし、それはサッチャンのソロボーカルのデビュ

ーだった。バロックはサッチャンに自分のことは気に留めないで「

チャンスを逃すな」とけしかけたが、サッチャンはなかなか受けよ

うとはしなかった。ただ、バロックは自分の演る音楽が今はやりの

ポジティブソングとかけ離れていることを分かっていた。

 間もなくして、サッチャンはバロックに説得させられてレコード

会社と正式に契約を交わしたが、そこにはバロックの名前はなかっ

た。バロックは、サッチャンとのユニットを解散して再びソロ・シ

ンガーへ戻ることになった。

 サッチャンの路上ライブ最後の日は、駅前広場を埋め尽くした彼

女のファンで通行もままならならない程で、交番のおまわりさんが

通路を開けるように注意してももはやどうにもならなかった。やが

て、パトカーまでもが現れていつ終わるとも知れない路上ライブは

蹴散らされた。最後に、バロックは彼女と握手を交わして、
 
「ありがとう!」と言った。
 
 やがて、路上ライブを終えた駅前広場には幾つもの街灯が陽の影

になった大地に人工の明るさを降らした。しかし、その上には漆黒

の闇に浮く満月が街灯に負けじと光沢を増して現れていた。歌い終

えたサッチャンことチカコは「路上」を通り過ぎて、かぐや姫のよ

うに「スター」を目指して天上に昇ろうとしていた。音楽事務所の
 
使いが迎えにやって来て、彼女はバロックの翁に別れの時が来た事
 
を告げ、これまで育ててくれた感射を述べると涙を流した。バロッ
 
クは、「ありがとう!」と言って彼女と握手を交わした。そもそも
 
、音楽事務所は路上ライブをこのまま続けて、その延長で二人をデ
 
ビューさせるつもりでいたが、明らかに彼等が売り出そうとする彼
 
女の楽曲と、バロックが培ってきた音楽性に譲ることのできない大
 
きな隔たりがあった。それはバロックが一番よく知っていて、羽ば
 
たく彼女の足を引っ張ってはいけないと自重した。 

                         (つづく) 


「パソコンを持って街を棄てろ!」(二十八)

2012-07-11 17:18:05 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(二十六
             (二十八)
 
 
 バロックは、サッチャンが抜けて彼女目当てのファンが来なくな
 
ったので、再び独りで弾き語りの路上ライブに戻った。以前のよう
 
に深夜を酩酊する中年オヤジを相手に泥酔いライブを復活させたが
 
、もちろんオーディエンスの数は極端に減った。私は、サッチャン
 
に便乗して彼女がパフォーマンスしている姿や似顔絵を描いて糊口
 
を凌いでいたが、何とかして絵で稼げるようになりたいと思ってい
 
たがなかなか恵まれた機会に出会わなかった。それでも、仕事が終
 
わったあとは、絵のテーマを見つけるためにスケッチとデジカメを
 
持って都内を歩き廻った。しかし、習性とは恐ろしいもので、かつ
 
てホームレスだった頃、後ろめたさを隠すために人込みに紛れ込も
 
うとしたが、こうして絵になる風景を捜していても、自然と足がビ
 
ルの立ち並ぶ繁華街に向くのには辟易した。目ぼしい景色にもちろ
 
ん出くわすこともなく、ホームレスの頃のようにひたすらビルの谷
 
間をさまよう破目になった。目的を持たずにさまよう東京は限りな
 
く広い。ホームレスの頃、家並みが続く道をすこしでも休める公園
 
でもあればと思い、当ても無く歩いたが、行けども行けども家並み
 
は途切れることが無くて、危うく都心の住宅街で遭難するかと思っ
 
たほどだった。かつてデカルトは「方法序説」の中で「森で迷った
 
ら真直ぐに進め!何故なら永遠に続く森は無いから。」みたいな事
 
を言ったが、私は「東京で迷ったら引き返せ!」と言う、何故なら
 
東京の家並みは永遠に続くからだ。幹線道路に面した高層ビルの、
 
防災の為に仕方なく造られた素気ない広場のベンチで休みながら、
 
地震の多い日本で、何故こんなビルを建てるのかと雲に霞んだ最上
 
階を眺めた。ただ他人事として、東海大地震で倒壊する高層ビルを
 
見てみたい気もする。高層ビルを好んで建てようとする都市は、ア
 
メリカに始まって日本、中国や東南アジア、ドバイなどの中東産油
 
国と、何れも新興国の成金の示威の象徴ではないのだろうか?ヨー
 
ロッパではあまり聞かないよね。その時、この高層ビル群を水墨で
 
描けないだろうかと閃いた。もしかすると趣きの新しい絵になるの
 
じゃないか?私は早速その高層ビルを見上げながらスケッチしよう
 
としたが、首が痛くなってカメラで撮るだけにした。
 
                         (つづく)

「パソコンを持って街を棄てろ!」(二十九)

2012-07-11 17:17:16 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(二十六

             (二十九) 

 
 
 水墨画を描くといってもそう簡単ではなかった。油絵は間違いを
 
直せたが、墨絵は間違いを直せなかった。さらに、筆先以外は紙と
 
接することが出来ないので、筆先の繊細な流れを指先の感覚で加減
 
して、その指先を手首で運び、その手首の動きを肘で助けて、その
 
肘を肩で支えなければならない。マンガはほとんどが指先だけの
 
作業だったが、筆は肩の動きまでも筆先に影響することに驚かさ
 
れた。そしてその全体の動きを統べる神経は、片時もその筆先か
 
ら目を逸らすことが出来ない。迷いは筆に伝わって意志のない線
 
となって残るのだ。始めは一本の横線も同じ太さで真っ直ぐに引
 
けなかったので、新聞紙に線を引く練習を何日も繰り返した。筆
 
の先端の微妙な力の入れようで自在に太さを変えることが出来る
 
が、その自在さを会得することが出来なかった。息を止めて意識
 
を筆先に集中し、ほとんど精神修行に近い緊張感で没頭しなけれ
 
ばならない。それはまさに、日本の伝統文化の根幹を為す精神性
 
に通じていた。一言で言えば、「精神の潔癖性」だ。意識の集中
 
は他者を排し、穢れを嫌う。墨絵は間違いを犯せないのだ。
 
 「間違いは直せない」文化は、まさに日本文化の精神と符合す
 
る。それは一度限りの人生に通じ、「真剣」勝負の武士道に通じ
 
る。日本人はこの「間違いは直せない」文化の中で生きてきた。
 
人は「間違いは直せない」から隠そうとし、「間違いは直せない
 
」から言葉を慎み、さらに、「間違いは直せない」から改めるこ
 
とをためらう。よそ者を拒み、多情を好まず、純潔を尊ぶ。役人
 
が頑なに前例を踏襲するのも、そういった文化的な背景があるの
 
だろう。われわれは前例の地団駄ばかり踏んでいるからいつまで
 
経ってもサルから進化できないのだ。
 
 ところが、西洋絵画は「間違いは直せる」のだ。これは人を新
 
しい試みへ誘い、様々な思い付きが実践される。何故なら「間違
 
いは直せる」のだから。それどころか前例を踏襲することは新し
 
いことを生まない退屈なことだった。印象派の画家たちは独自性
 
に拘わり、独自性とは前例を破壊することだった。それは「間違
 
いは直せる」から許されるのだ。「間違いは直せる」文化はやり
 
直しができる社会である。過去の失敗に拘泥せず、「間違いは直
 
せる」から謝罪し、「間違いは直せる」から告白する。さらに「
 
間違いは直せる」から間違いを正す。それは実証主義を生み科学
 
の発展を育んだ。真理とはそれ以上直すことが出来ない「間違い」
 
のことだ。
 
「あっ、しまった!また間違った」
 
水墨画は詰らぬことを考えていては間違いを繰り返すのだ。
 
「よしっ、集中!集中!」
 
                       (つづく)

「パソコンを持って街を棄てろ!」(三十)

2012-07-11 17:16:23 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(二十六
            (三十)
 
 
 
 午後から駅前広場のバロックの横で、水墨で描いた高層ビルの絵
 
を売ったが、全く売れなかった。水墨で描かれた東京の高層ビル街
 
の景色に、一瞥した人は必ず立ち止まるほどの関心を示してくれた
 
が、買う、買わないの判定の玉は、きまって私の前で弾かれてハズ
 
レの方へいった。中には興味を持って話し掛けて来る人も居たが、
 
大抵は、日本人独特の敬遠の仕方で、とは言っても外国人がどうす
 
るのか知らないが、決まって興味よりも訝しさが勝って、ついには
 
無関心を装って通り過ぎた。バロックは「サクラに為ってやろうか」
 
と言ってくれたが、音楽とは違って、何時までも一人の客が前に佇
 
んで居るのもおかしいので、「そのうち頼むかもしれん」と言って
 
意地を張った。
 
 高層ビルは描き馴れると訳なく描けたが、水墨で陰影をつける
 
のに苦労した。窓を際立たせたかったのでマスキング(隠す)を
 
するのに時間が掛かった。最後に象徴的に描いた東京タワーだけ
 
薄く赤い色を付けた。完成した絵はクリアホルダーに入れて一枚
 
千円で陳列した。駅のすぐ近くには専門学校があり、通りの商店
 
街は校舎を行き交う学生達で溢れ、その学生を当て込んだ飲食店
 
が、店の中が見えなくなるまで玄関前に派手なポップを張り付け
 
て、通りに漂うジャンクフードの脂っこい匂いと共に、学生の旺
 
盛な食欲を刺激した。ある店では席が空くのを並んで待っていた
 
が、私は並んでまでして食べたいと思ったことがなかった。大概
 
、並んでいる中に空腹が増し退屈から期待が高まり、いざ席に着
 
いた時には、何を出されても美味く思えるのだ。美食を求めて整
 
然と列んでいる人達を見ていると、餓えを満たす為に配給に列ぶ
 
最貧国の姿と重なり合う。もう世界の人口は何億人になったのか
 
知らないが、人間が幾ら平和や秩序を守る為に様々なルールを決
 
めても、この地球で暮らす人の定数を何人までと決め無い限り、
 
世界の混乱はなくならないのではないか。人間の増加は地球環境
 
を悪化させ、そのことが世界の秩序を崩壊させる。地球環境の問
 
題を語る人が、人口問題を口にしないことがおかしい。環境問題
 
の諸悪の根源は人口増加だ。世界の平和が人口を増加させ、人口
 
の増加が環境を破壊して、豊かな環境を求めて戦争が起こり、殺
 
戮によって人口が減り、「ああ何だ、戦争すればよかったんだ」
 
って、笑い話みたいな事に為らないといいが。もし人間も地球環
 
境の生態系の中に在るとすれば、人間が戦争を起こすことで人口
 
抑制になり、そのことが地球環境を破壊から守る大きなファクタ
 
ーだとすればどうすればいいのだろう。満席の店内に、尚入って
 
来る人を拒まずに、溢れかえった店内で最早落ち着いて料理を楽
 
しむことなど無理だ。いずれ国家は国民の定数を決め出生を管理
 
して、それぞれの経済力に応じて出産の許可を与える時代が来る
 
かもしれない。そうでもしない限り社会の秩序は、一番肝心な所
 
が無秩序に開いたままじゃないか。仮にそうなっても、私には許
 
可が認められないだろうが。
 
 気がつくと街灯に付けられたスピーカーから聴き慣れた声が流
 
れてきた。普段は流れてる音楽などまったく気にせずに通り過ぎ
 
ていたが、それは馴染みのあるサッチャンの歌声だった。
 
 そうか、いよいよサッチャンがデビューしたんだ。
 
                         (つづく)