「技術と芸術」(9)

2020-03-30 22:08:37 | 従って、本来の「ブログ」

         「技術と芸術」


           (9)


 我々の道具でしかなかった「技術」はすでに知能まで付与されて、

そしてさらに進化して、いまや主体である我々の方が彼らの道具に成

り下がろうとしている。

 

 

 


「あほリズム」(657)

2020-03-22 20:21:59 | アフォリズム(箴言)ではありません

         「あほリズム」

 

          (657)

 

 いずれ死んでしまう運命にとってこの世は「仮象の世界」で

しかなく、来世である「真の世界」での永遠不滅の幸福な人生

を信じて疑わなかった人々は、現代の我々よりこの世への執着

はなく、身に降りかかる不幸さえもさほど気にしなかったが、

ところが、科学の発達によって来世救済が如何わしく思えて来

ると、かつては信仰によって自らを律していた人々が、競って

「この世」限りの幸福を追い求めるようになり、こうして人間

は、かつては宗教による救済に依存し、そして今日では科学技

術がもたらす豊かさに依存するように、我々は決して身一つだ

けで自立して生きていくことができない。


「あほリズム」(654)

2020-03-21 04:57:48 | アフォリズム(箴言)ではありません

          「あほリズム」      

 

             (654)

 

 「神が死んだ」と説いたニーチェはこう言います、

 「われわれは、真の世界を破棄した。いかなる世界が残されたか。

 もしかすると、仮象の世界でも?・・・・断じて否。われわれは、

真の世界とともに、仮象の世界をも廃棄してしまったのだ。」

     *       *         *

 「真の世界」とは永遠不滅の「神の世界」、つまり「あの世」の

ことで、「あの世」の存在を信じない者は移り変わる「仮象の世界」

、つまり「この世」こそが「真の世界」だと思えるだろうか?とこ

ろで、われわれはいずれ必ず死んでしまう。だとすれば、果たして

自分が居なくなる世界を「真の世界」だと言えるのだろうか?「あ

の世」を棄てたことで「この世」も意味を失ってしまったのではな

いか。こうして世界はニヒリズムに陥る。そして、ニヒリズムを埋

めるように科学技術が発達した。われわれは小石で遊ぶ猿のように

科学技術を玩(もてあそ)ぶ。しかし、科学はせいぜい世界の一部で

しかなく決して世界全体を掌握できない。つまり、われわれは何ひ

とつ解らないまま死んでいく。