「明けない夜」 (八)

2017-08-23 21:31:05 | 「明けない夜」8~②

         「明けない夜」

            (八)

         「社会を捉えなおす」―⑫


 これまで述べてきたように「世界限界論」は近代文明の限界である

。それはエネルギー資源の限界、世界人口の限界、地球環境の限界な

どによって自由主義経済が限界に到ってやがて世界経済が行き詰る。

それらの問題は国家単位の対策では解決することができない。さらに

言えば、COP(Conference of the Parties)のような締約国だけに

よる規制では間に合わなくなる。世界的規模でのエネルギー資源の配

給制や、人口制限、地球環境の保全などをそれぞれの国家の自由に委

ねるわけにはいかない。やがて国際的なガバナンスが求められ世界政

府による強制的な規制の下で、その全権を奪われた国家は自由主義経

済が成り立たなくなり世界政府に取って代わられる。こうして「世界

限界論」が求めるのは何よりも自由の制限であり、かつて旧ロシアの

革命家レーニンは「自由は大事である。だから平等に分け合わなけれ

ばならない」と言ったが、自由が平等に分け与えられた社会とは、ま

さに社会主義そのものである。つまり「世界限界論」の下で人々が平

和を望み、つまり誰のものでもない領土や資源を奪い合う戦争をせず

に、なお近代文明を手放すことができないとすれば、世界政府が目指

す体制は必然的に社会主義世界で、それはイデオロギーに基づく転換

ではなく、世界限界という事実存在による転換であって思想対立の余

地はない。

                          (つづく)


「明けない夜」 (八)―②

2017-08-23 21:29:31 | 「明けない夜」8~②

          「明けない夜」

           (八)―②


         「社会を捉えなおす」―⑬

 さて、これまで「成長の限界」について長々と述べてきましたが、

それでは逆に「限界なき成長」などというものが果たして可能なので

しょうか? 実際、われわれは様々な行動をする時にすでにその限界

を予想しています。たとえば京都への旅は京都までという限界の中で

の行動の自由であって、だからといって不自由だとは決して思いませ

ん。否むしろ、逆に「宛てのない旅」ほど不安が勝って自由など感じ

られないかもしれません。つまり、自由は決して限界によって制約さ

れるだけではありません。それどころか制限のない自由とは不自由で

さえあります。「成長の限界」をわれわれ生命体の成長に置き換えま

すと、限界なき成長とはひたすら分裂増殖を繰り返すばかりで成体を

形成しない生命体です。もちろんそんな生命体は生存できませんので

存在しません。すべての生命体は生成の段階ですでに成体形、つまり

どこへ行くかは決定されています。途中からネコになったりサルにな

ったりヤッパ人間に戻ったりはできません。そもそも「在る」こととは

「限る」ことで、すべての存在は限界に封じ込められています。つまり

「限界なき成長」などというのはあり得ないことで、それどころか「成長

の限界」こそが成長をもたらすのです。

                        (つづく)