「無題」 (六)

2012-09-08 13:04:13 | 小説「無題」 (六) ― (十)



                   「無題」


                    (六)

 車道の山側に道祖神が祀られそこから一本の岐道が山の奥へと向

かっていた。私の足は迷わず車道を外れた。

 そして、山路を登りながら、こう考えた。

 山々の谷間を流れて田畑を潤す恵みの雨も、或いはビルの谷間に

落ちて人々を憂れさせる怨みの雨も、いずれは河川を流れ下って共

に大海へと還っていくように、誰もがいずれは死へと還る。生きる

ことが如何に不平等であっても死の下では誰もが平等である。死は

等しく訪れる。たとえ他人よりも荒れ果てた道を歩んだとしても、或い

は思わぬ近道に出くわして安楽に歩き終えても、結局人生のゴール

は同じ死ではないか。死に至ることが生きることの結果であるとすれ

ば、果たして安楽に生きて何も為さず死ぬことなど望むだろうか。全

ての生き物は生まれながらにしてすでに生きる目的を叶えているのだ。

つまり、生きることが生きるものの目的なのだ。だとすれば、何を好き

好んで先人の後を追わなくてはならないのか。まず自分の意志で自分

の道を歩むことがより生きたことになるではないか。

 ビッグバーンを始原として宇宙は無限へと膨張し続け、すべての

存在は宇宙の膨張とともに変化することから逃れられない。大分省

略するが、やがて地球が形作られそこに生命体が現れた。私とは、

変化によって生まれやがて変化によって消えていくひとつの現象で

ある。誕生も死も宇宙の変化によってもたらされた現象の変化である。

それは私という現象に所与された前提なのだ。


                                     (つづく)


「無題」 (六)―②

2012-09-04 03:48:48 | 小説「無題」 (六) ― (十)



                「無題」


                 (六)―②


 生まれ出でた子がこの世界で生きるために自己を形成しようとす

るように、自らの死期を悟りこの世界から去ろうとする者は、成長

とは反対に自己へと回帰する。やがて関心を失くした社会は徐々に

遠ざかっていき、これまで拡散していた意識は収束して主体として

の自分だけが残る。間もなく自分は存在しなくなる。その絶対性は

揺るがない。その絶対的な孤独の死点から逆に自分自身を見詰め直

そうと思った。それは、子どもたちが世界に可能性を探る視線とは

逆である。死点からの視線を私は死線と呼ぶ。死線によって見た自

分は果たして自分自身を生きてきただろうか?成功だとか失敗だと

か社会的な結果はどうだっていい。そんなものに拘るのは社会に魂

を売り渡した阿諛者が思い煩うことだ。売上が前月比0.何%増えた

かなど消え去る者にとって何の意味があるだろう。それは、あたか

もマラソンランナーが競争すら忘れて自分自身と向き合いひたすら

ゴールだけを目指すように、もはや自分が何位だとか周りのことな

どどうだってよくなってしまうのだ。そもそも社会などいうのは私

の死とともに消え去るのだ。否、社会だけでなく一切が消滅するの

だ。残された人生をどう生きるかは私自身に託された問題である。


                                 (つづく)


「無題」 (六)―③

2012-09-03 20:02:18 | 小説「無題」 (六) ― (十)



                     「無題」


                      (六)―③


 会社を辞めることに決めた。身体を壊してからは、パート主婦で

も出来るやり甲斐のない仕事しかできなかった。自分としてはこう

するべきだという考えはあったが後継ぎ息子とは悉く意見が合わな

かった。そもそも、会社がお客さんからの信用を失ってダメになっ

たのは、世襲社長の指示によって外国産ウナギを国内産と偽装した

ことがバレて摘発され、それを納品した会社の実の弟と共に逮捕さ

れたことがきっかけだった。次男は主に兄のスーパーに納品する下

請け会社の社長だったが、その会社で働いていた元従業員に密告さ

れてあろうことか兄弟揃って逮捕された。それは、消費者の信用だ

けに支えられた小売業にとって致命的な不信感を与えた。バカ息子

は、マス・メディアの前では反省の素振りを見せたが、釈放される

とそんなことは何処の店でもやっていることだと放言して憚らなか

った。しかし、彼の父親が成功したのは何処の店もやっていないこ

とを始めたからだった。顧客相手の商売では経営者一族への不信感

は店の売上にすぐに影響して、創業者が営々と築き上げた信用は一

夜にして崩壊した。ただ、創業者が何も知らずに逝ったことだけが

せめてもの救いだった。そもそも接客商売でオーナーが堂々と客の

前に顔をさらすこともできないで、たとえ他人を立てて後ろで操っ

ても、客の信頼を取り戻すことはできなかった。それに、彼は気が

多くて、新しいビジネスに手を出しては思い通りに行かなくなると

すぐ投げ出してものにならなかった。ああ、もうどうだっていいや、

辞めることに決めたんだ。たとえ私が辞めなくても彼が間もなく会

社を終わらせてくれるに違いないだろう。ただ、心残りは、私を拾

ってくれた創業者に何一つ恩返しができなかったことだけだった。

もちろん、将来への不安はあったが辞めると決めたら緊張が解けて

気が軽くなった。しかし、自分のこともそうだが、やっぱり、娘の美

咲のことが気にかかった。


                                 (つづく)


「無題」 (六)―④

2012-09-03 03:08:37 | 小説「無題」 (六) ― (十)



            「無題」


             (六)―④


 「とかくに人の世は住みにくい」などと書けば愚陀仏のパクリにな

ってしまうが、夏目漱石は留学先のロンドンで「自己が主で、他は

賓であるという」自己本位の信念を得た。私の死点からの「死線」

もまた残り少ない蝋身を、預けた社会から自分に戻すことにあった。

それは、幼子が自己を形成した後に社会的自我を求めるのとは真反

対に社会的自我を脱ぎ捨てて個人的自我へ還ることだ、などと考え

ながら足を進めていると、突然、私の前を鮮やかな玉虫色に彩られ

た一羽の雉が路傍の草叢から飛び出してひと鳴きして地道を横切り、

驚いているうちに反対側の草叢へ逃げ込んだ。残念なことに雲雀は

鳴いていなかった。自然の中で生きるものたちは、それぞれがその

姿を違え環境を違え、共に同じ世界の中で生きていても重ならずに

生きているのだ。しかし、我々の文明は彼等からもその世界を奪い、

いよいよその限界に到らんとしている。だが、如何に我々が望んで

も世界中を東京のようにすることはできない。地球内生命は地球と

いう限界を越えて生きることはできないからだ。何れ自然循環性に

依らない我々の文明はその限界から再び自然へと回帰せざるを得な

くなるだろう。自然には様々な生きものがいるように物質には様々

な循環の周期が秘んでいる。近代物質文明の欠陥は経済合理主義の

下でこの循環性を無視したことに尽きる。例えば、放射性廃棄物が

放射能を失うまでの周期というものを、たかだか百年足らずで土に

還る人間が見届けられるはずがない。生命体にとって放射性物質と

いうのはゴミ以外の何ものでもない。近代文明は消費の先のベルト

コンベアーから流れ落ちるゴミが処理できずに堆く積み上げられ、

遂には再生が間に合わなくなり地球環境を悪化させた。我が文明の

世界工場は資源の枯渇によって操業が滞るのではない、何と!ゴミ

が生産の邪魔をするのだ。地球の再生はこの限界からの視線によっ

て自然循環性に則って見直されなければなくなるだろう。その時、

ゴミを再生させる合理性を持ち合わせない経済性は放棄せざるを得

なくなり、替わって本来の合理性、自然合理性、つまり自然循環性

が求められる。ところが、拡散したゴミを回収して再生することは

生産・放棄よりも遥かにコストが掛かることであり、しかも利益を

生まない。やがて、廃棄物放棄の限界が資源利用を制限し、自由資

本主義は終焉を迎えるに違いない。そして、近代文明は開放された

世界から閉じられた世界へと回帰する。これまで世界の限界とは我

々の能力の限界のことだったが、これからは世界そのものが限界な

のだ。私の死点からの死線とは、この地球内生命としての限界から

の視線に他ならない。つまり、世界の終わりから自分を、或いはこ

の文明社会を省みなければならない時がきっと来ると思う。

                                   (つづく)         


「無題」 (六)―⑤

2012-09-02 17:56:54 | 小説「無題」 (六) ― (十)



                 「無題」


                  (六)―⑤



 山道を登りきると道の傍らには芽が出始めたばかりの畝が並ぶ畑

も目立ち始め、道は徐々に緩やかになり急に視界が開けてあちらこ

ちららの高台に民家が点在していた。その中のいくつかは明るい色

彩でペイントされていて、恐らく客をもてなすための建物だろう。

私は、思わぬところで人家に遭遇して足を止め、ズボンのポケット

からハンカチを取り出して流れるままにしていた顔中の汗を拭った。

そして、持っていたペットボトルの水を口にしていると、登って来

た道を一台の軽トラックがクラクションを短く鳴らして通り過ようと

した。驚いて後ろを振り返ると通り過ぎたトラックの遥か向こうに、

さっきタクシーを降りてから目にした大海原を更に上から俯瞰する

絶景の展望に、水を飲むのも忘れて息を呑んだ。なるほど、人がこ

こに集まる理由がよく分った。

 この辺りは不動産バブル全盛の頃に、国が音頭をとったリゾート

ブームに踊らされ、芸能人までもがテレビを通して囃し立てて、真

っ直ぐ立ってられないほどの斜面の土地でさえも求められ値が付い

たが、すぐにバブル崩壊ですべてが泡と消え、土地の値段はその斜

面を転げ落ちるよう暴落し、それで幕が下りたと思ったら、間もな

く相次いで群発地震が起こり土地だけでなく価格も揺れまくった。

その後、海底に棲む気まぐれな大鯰は棲家を替えたようだが、気ま

ぐれなだけに何時また元の棲家へ舞い戻ってくるかの心配は消えて

いない。かつて、元気象庁予報官であった方が「富士山大爆発」の

本の中で何年何月まで挙げて富士山の噴火を予言したが何も起こら

なかった。ところが、何と三日後に三宅島が噴火して、私はこの人

スゴイ!と思ったことがあったが、どうも世間ではそんな風には見

ていないようだ。

 しばらく行くと山肌に沿って走る舗装された車道にぶつかって私

を導いてくれた道はなくなった。

                                 (つづく)