「明けない夜」 (十一)

2017-08-23 08:21:10 | 「明けない夜」11~⑧

           「明けない夜」

             (十一)


「行けるわけないでしょ」

彼女は、弁明によって担当者の白い目に「目入れ」をして開眼させようと

試みたが、成就しなかったので研修ツアーへの参加をあきらめた。そこで

、わたしが無農薬栽培をしている農場を見学に行くので一緒に行かないか

と誘うとあっさり応じた。さっそく担当者を呼んで二人がリタイアするこ

とを告げると、

「これ婚活ツアーじゃないんですけどね」

と嫌みを言った。担当者は二人が「できてる」と信じて疑わなかった。わ

たし達は旅館をチェックアウトして、彼女が車を駐めている駅まで一旦戻

ってから、彼女の車で山間にある農場へ向かった。道中はカーナビが案内

を放棄するほどの山道ですんなりとは辿り着けなかったが、昼過ぎには何

とか到着できた。オーナーの娘さんが迎えてくれて農場内の案内をしてく

れた。その日はすでに農作業を終えていたので、わたし達も寝ていなかっ

たので、娘さんが手配してくれたすぐ近くの温泉宿に宿泊することにした

。応対した係の女性は一部屋しか用意していなかったので、彼女が「二部

屋お願いします」と言うと、しばらく黙って二人の顔を窺った。「できて

いない」男女が温泉宿の相部屋で一夜を過ごすのはさすがに気まずかった

。わたし達は湯に浸かるよりもまず寝ることを優先してそれぞれの部屋に

別れた。

 農家の朝は早い。二人が朝食をすまして農場に着いた時には彼らはすで

に仕事を始めていた。オーナーの娘さんが手袋を外しながら「おはようご

ざいます」と言って現れた。早春の農繁期が始まる前で、今は春野菜を播

種をするための土づくりに忙しいと言いながら、彼らが生活しているログ

ハウスへ招いた。中に入ると傍らの木机で彼女の夫と思しき男性が書類を

拡げて事務作業をしていたが、わたしたちに気付いて手を止めると立ち上

がって、「お早うございます」と関西訛りで名前を名乗った。その側らに

は彼らの幼女がイスの上に立ちあがって何か呟きながら、我々にはまった

く関心を示さずに、ペンを握って夢中で書類に殴り書きしていた。彼が愛

娘に「ゆいちゃん、ご挨拶は?」と促すと、手を止めずに「おはようござ

います」と言って作業を続けた。わたしたちは机の横のソファ―を勧めら

れて一頻り会話をしているとドアが開いて白髪の男性が現れたので、ふた

りは立ち上がって彼を迎えた。オーナーの娘さんは、

「竹口さんです、いまキャベツの栽培をしてもらってます」

彼は名乗ってから自己紹介をした。

「広島からキャベツの無農薬栽培を勉強するために御厄介になってます竹

口です、どうぞよろしく」

そう言って、われわれの方へ掌を差し出した。わたしはてっきり握手を求

められたと思ってその掌を握ると、彼は咄嗟にわたしの手を振り解いた。

一瞬気まずい空気が流れたが、彼が「どうぞ、座って下さい」と言いなが

ら改めて掌でソファーの方を示したので、わたしは自分の勘違いに気付い

て詫びると、みんなが大笑いした。今度は「ゆいちゃん」も作業の手を止

めてみんなと一緒に笑った。


                            (つづく)


「明けない夜」 (十一)―②

2017-08-23 08:20:09 | 「明けない夜」11~⑧

          「明けない夜」

            (十一)―②


 わたし達は竹口さんが運転する軽トラの荷台に乗って圃場へ向かった。

山の端を離れたばかりの朝日は微かな温もりを届けてくれたが、荷台に流

れ込む冷たい春風に追い遣られて吹き飛ばされた。彼女は髪をかき上げな

がら「風が気持ちいい」と言った。まもなくして車は止まったが、辺りは

芽吹いたばかりの樹木に覆われた山の中で何処にも圃場らしき平地は見当

たらなかった。ただ、一か所だけすべての樹木が伐り取られた山の斜面が

見えた。わたしは、

「圃場は何処にあるんですか?」

と聞くと、竹口さんは、

「あそこ」

と言って、その禿山の斜面を指差した。そしてその斜面に続く山道を歩き

始めた。わたしは足の不自由な彼女に「大丈夫?」と聞くと、竹口さんは

気付いて、軽トラへ引き返して鉈を取って、木の枝で杖を作って彼女に渡

した。彼女は礼を言って受け取って、竹口さんの後に続いた。しばらく行

くと、下から見上げていれば気付かなかった斜面は階段状になっていて、

立ち上がりには横たえた丸太を重ねてそれを杭が支えていた。そしてその

一段一段にはキャベツの苗が列をなして植えられていた。わたし達はしば

らくその奇妙な光景を眺めていた。そして、

「何でこんなとこに植えるんですか?」

と聞くと、

「無農薬で作るためだよ」

と言った。わたし達は2日前の研修でキャベツがどれほど農薬を使うのか

を見て来たばかりだったが、それにしても合点がいかなかった。

「でも不便でしょ?」

「確かに便利じゃないけど、慣れればそれほど気にならない」

「でも収穫の時は大変でしょ?」

「いや、収穫ほど楽なことはない」

「えっ、どうしてですか。持って降りるのは大変でしょ?」

「だから持って降りない。転がすんだよ」

わたしはますます合点がいかなくなった。

                          (つづく)


「明けない夜」 (十一)―③

2017-08-23 08:18:18 | 「明けない夜」11~⑧

           「明けない夜」

           (十一)―③


 そもそも竹口さんは地元の広島でお好み焼き店を営んでいたが、ご存じ

のように広島風お好み焼きは大量のキャベツを入れるが、そのほとんどが

県外産で、地元のキャベツの生産量が消費量に比べて著しく少ないことに

疑問を抱いて、それではと、店を家族に任せて畑を借りて自分でキャベツ

を作り始めた。そもそも広島県は山間地が全体の70%以上占め、農作に

適した平地の少ないところなので、キャベツ栽培など広大な圃場で大量に

栽培しなければ収益が見込めない品目は生産者が敬遠した。そして、まず

始めに驚いたことは、虫による食害や病害からキャベツを守るために大量

の農薬を撒かなければならいことだった。それはわたし達も先日の見学の

ときに実感したが、それを調理して提供する事業者にとっては決して見過

ごすことができないことだった。実際、彼も指導通りに栽培してみて、防

除作業を省くと忽ち食害にやられてキャベツが葉脈だけを残してメッシュ

状になってしまった。それ以来竹口さんはキャベツを無農薬で作りたいと

思い始めたらしい。ちょうどその頃テレビでは「奇跡のリンゴ」という番

組が放送されて大きな話題になっていた頃で、

「それじゃあ私は『奇跡のキャベツ』を作ろうと思った」

と話した。とは言っても、非農家の素人が始めから「奇跡のキャベツ」を

作れるわけがないので、慣行農法による栽培から始めるしかなかった。そ

して最初の年は、借りた圃場がもともと水田だったこともあって、ところ

がキャベツなどのアブラナ科の野菜は水捌けが良くないと育たないので、

思い通りの収穫が得られなかった。それでも自分の店で使うだけなら充分

賄うことができた。翌年は、俄かに「地方再生」だの「地産地消」が叫ば

れて農政が見直され、行政も広島産キャベツの生産を奨励し始めた。竹口

さんは「渡りに船」とばかりに本格的にキャベツ栽培を始めるために中古

のトラクターを買ったり育苗ハウスを建てたりして作付面積を倍に増やし

た。そもそもキャベツは、気候にもよるが、一年で3回作付けできるので

何とか採算が合うと皮算用した。自然が相手の一次産業はどれほど綿密に

計画を立てても思い通りにならないことの方が多い。いきおい計画通りに

収穫できる施設栽培や水耕栽培へと生産者は傾く。

「しかし、カルチャーがないんだよね、カルチャーが。だから面白くない

ほら、農業ってアグリ・カルチャーって言うだろ。あれはアグリ・ファク

トリーだよ、だって耕さないんだから」

わたし達は、竹口さんの話をずーっと聴いて、ほとんど実際の作業をする

ことはなかった。

                            (つづく)


「明けない夜」(十一)―④

2017-08-23 08:15:59 | 「明けない夜」11~⑧

          「明けない夜」

          (十一)―④


「えーよ、作業なんて。一日来ただけで何が分かるか」

竹口さんはそう言って話を続けた。

「キャベツを作って大儲けをしたなんてことは一度もなかったが、それど

ころか大損をしたことなら何度もある」

そもそも竹口さんが無農薬栽培を実際に始めようとしたきっかけもそこに

あった。例年のことではあるが、春まきキャベツの収穫は六月下旬頃から

始まるが、まさにその頃は梅雨の真っ最中で、ことに水田を畑に転用した

排水の悪い圃場では湿害によって病気が蔓延して直前で収穫を諦めたこと

もあった。

「水浸しの畦間をジャブジャブ歩きながらキャベツを収穫するなんて思っ

てもいなかった」

そして、七月に入ればキャベツの最大の生産地つま恋産が出回ると価格が

いっきに暴落する。広島県は消費に見合ったキャベツの生産を農家に勧め

るけれど、実際、その甲斐あって広島産のキャベツの生産量は増えたが、

すると、これまで広島の需要を当てにしてきた他県の生産地は何としても

出荷量を減らしたくない。竹口さんは話しながら次第に熱を帯びてきた。

「そこで、どうすると思う?」

「どうするんですか?」

「広島の生産者を潰そうとするんだ」

「えっ。どうやって?」

「今年のキャベツの値段はだいたいキロ60円くらいだったよ、確か」

「へーっ、安いもんですね」

「ああ、まったく儲けにならない。10キロの段ボールで600円。そこ

から箱代や運賃、手数料を取られたらなんぼも残らん」

「そうですよね」

「ところがつま恋が出荷し始めた途端に200円まで下がったんじゃ!」

「赤字じゃないですか」

「それも全国的には600円のままなのに、広島市場だけが200円って

どう考えてもおかしいやろ!」

「えっ!広島だけなんですか?」

「そう広島だけ、狙い撃ちされた」

「だけどつま恋だって損をするわけでしょ」

「本来なら運賃もかかるしそんな値で出荷できるはずがない」

「ええ」

「ところが彼らには損をしない仕組みがあるんじゃ」

「どんな?」

「ま、どこの自治体もそうだけれど安値保証という補助金制度があって、

基準価格を下回ったら補ってくれるんじゃ。だからわざとダンピングして

も損はしない」

「えっ、広島はないんですか?」

「ない!作れ作れ言うくせに」

「へーえっ」

「たぶん、広島ではこれからキャベツを作ろうとする者は減るよ、きっと」

「農家を救うための補助金が別の農家を潰してるんですね」

「そう、補助金が自由経済を歪めてる」

「なんか中国がやってることみたいですね」

                           (つづく)  


「明けない夜」(十一)―⑤

2017-08-23 08:14:55 | 「明けない夜」11~⑧

       

           「明けない夜」

           (十一)―⑤


 竹口さんは、小規模農家が大規模農家に対抗するには無農薬栽培しかな

いと思っていた。そして、大規模生産者がどんな方法で栽培しているのか

知りたくなって、求人情報でつま恋の収穫作業のアルバイトを見付けて去

年の暮まで働いた。広大な高原に際限なく拡がるキャベツ畑を見て、中国

山地の三反百姓がどう足掻いても敵う訳がない。その時、無農薬栽培しか

ないと確信した。そして、

「おれ、温泉が好きなんだよね、それも寂れた温泉が」

そこで、広島へ帰る序でに足を延ばしてあっちこっちの温泉を巡っている

うちに、わたし達がきのう泊った温泉宿に辿り着いた。

「食事がとにかく美味かった、特に野菜が。それで宿の人に聞いたら無農

薬で作っている農場から毎朝仕入れていると言うんで、教えてもらってこ

こへ来たんじゃ」

竹口さんは、大規模農家への対抗意識から無農薬栽培を考えていたが、野

菜そのものの味についてはそんなに変わらないと思っていたが、とは言っ

ても、そもそもお好み焼き店を営んでいたので食材に無関心なわけではな

かったが、改めて無農薬栽培をやろうと決断した。そしてオーナーに無給

でいいから働かして欲しいと頼み込んだ。わたしは、

「それにしても、どうしてこんな山の斜面を選んだんですか?」

「だってここは山しかないじゃろ」

「まあそうですけど」

「広島だって山ばっかりなんだから。それは前から考えていたんだ。他人

が進んで貸してくれる休耕地はどうしようもない所ばかりなんだから。そ

れにずーっと農薬と化学肥料が撒かれてきたから無農薬ですなんて言えな

い」

「でも、虫が出たらどうするんですか、薬撒けないでしょ?」

「色々考えたが、最終的には寄せ付けないようにするしかない」

「どうやって?」

「一面に防虫ネットを張る」

「へーっ、それって面倒臭いでしょ」

「そう思ったけれど、山の斜面に沿って垂らせば意外と簡単なんじゃ。ほ

ら、あそこにパイプが付けてあるじゃろ」

「ええ」

階段状の畑には各段と傾斜に沿って手摺のようなパイプの柵が付けられ

ていた。わたしは、

「あれは水をやるためですか?」

「違うよ、水は山のてっぺんから一気に放水するんじゃ。あれは防虫ネッ

トを固定するための柵じゃ。もともとはビニールハウスで使う直管なんじ

ゃが、あれにパッカ―でネットを固定するんじゃ」

「パッカ―?」

「ああ、ビニールをハウスに固定するやつ。ほら、ここにもあった」

そう言って竹口さんは青いプラスチックの筒をわたしに見せた。

「へええーっ、これは便利ですね」

「それと、土の中のヨトウ虫なんかは茎を出せるようにした円盤状のプラス

チック・・・、あっ、ちょうど車に積んでた。ちょっと待って」

そう言って、車まで取りに行った。そして、戻ってきて、

「これっ」

と言って、LPレコードをふた回り大きくしたような黒いプラスチックを

わたしに手渡した。それは真ん中に穴が空けてあってそれから半径に当た

る直線で外周までスパッと切られていて、茎を通す穴を拡げても隙間がで

きないように作られていた。

「それはオーナーの知り合いの業者に頼んで作ってもらったんじゃ。もし

かしたら特許を取れるかもしれんて言われたけど。虫だけやないからね、

雑草も防ぐし外葉につく病気からも守ってくれる」

「へーっ、マルチシートをしなくてもいいんですね」


                            (つづく)