「個人と国家」

2009-04-22 02:31:05 | 赤裸の心
「個人と国家」

 そもそも儒教道徳とは封建社会の主従関係から生まれた身分道

徳で、戒め(いましめ)を強いられるのは専(もっぱ)ら従者の

方である。礼儀とは身分の低い者に謙(へりくだ)ることを求める

規範なのだ。媚(こ)び諂(へつら)う従者は主人『絶対』の力

の前に自らを虚しくする。北朝鮮の国民が権力者の横暴に虐げら

れても抗(あらが)わずに耐えるのは、久しく身に沁(し)みつ

いた儒教道徳に縛られているからではないだろうか。国民は「身

分を弁(わきま)えて」、権力者の横暴を糺(ただ)すことに怯

(ひる)み、叛(そむ)くことを謹(つつし)み、裸の将軍様を

「万歳!」と讃えるしかないのだ。それは何も北朝鮮だけのこと

では無く、中国は言わずもがな、ついこの前の日本でも「万歳!」

と叫んで権力者に追従したではないか。私が言いたいのは、この

国もあの国とそんなに違っていないというのだ。異を唱えれば排

除される。いずれ権力者が道徳を説く時は警戒しなければならな

い。国民から奪った自由は権力の下に集められて、権力者の自由

に為るのだから。

 一方、キリスト教道徳は世俗を離れた神との契りである。中世

には斡旋教会が神の名を騙(かた)って縦(ほしいまま)にした

経緯もあったが、信者が行いを律するのは世俗を支配する権力者

に阿(おもね)ってでは無い。神〈絶対〉との契りなのだ。真理

や正義、或いは秩序は権力者の下に在るのでは無い、神の下に在

るのだ。この〈絶対〉を望む視線の違いこそが、西洋とアジアに

於ける、個人と国家の関係の違いではないだろうか。国家や権力

者が次々と衰亡を繰り返す世界で、個人にとって国家とは単なる

手段に過ぎないのだ。かつて東京裁判に於いて、キリスト教連合

国が裁いたのは、我々の足元しか見ようとしない視線の短い道徳

である。

 神への信仰は世俗を離れて個人主義を生み、絶対を見つめる

視線が懐疑主義を育み、近代科学を発展させた。中でもユダヤ人

科学者の貢献が無ければ今日の西欧諸国の発展は成し遂げられな

かった。否、それは科学だけに止まらず、経済はもちろん芸術や

文学、哲学に至るまでも彼等の偉業はキラ星の如く輝いている。

私はクリスチャンでも何でもないが、中東問題を語る時に、有史

以前の証文を持ち出して「此処は俺達の土地だ」と言ってパレス

チナ人を追い出し、武力を持って支配するイスラエルの横暴は非

難されるべきだが、しかし彼等の人類社会への貢献を無視して、

支援する欧米諸国を批判しても問題が解決されるとは思えない。

つまり、気持ちの何処かでイスラエルを支持する西側諸国の想い

が解るのだ。はっきり言って、ユダヤ人が居なければ近代文明の

繁栄は無かった。話しは逸れてしまったが、優れた創造力は絶対

と向き合う個人の懐疑から生まれるのだ。

 反して、アジアの卑近な身分道徳の視線からは懐疑主義など生

まれない。主君への懐疑とは道徳に背くことになる。真理は主君

を越えて存在しない。そして内に向けられた視線は閉鎖的な閥社

会を生み、閥社会はヒエラルキー(階層組織)を築き、個人主義

者は排され余所者扱いされる。道徳を説く者が貧困に喘ぐホーム

レスを見ても『惻隠の情』を催さないのはホームレスが余所者で

あるからだ。

 夏目漱石と云う小説家は押し寄せる西洋文明の中で、個人と国

家について悩んだ人である。欧米の進出を恐れた政府は個人を犠

牲にしても国家の近代化を急がねばなら無かった。しかし、文学

に於ける近代化とは個人主義思想に他ならなかった。彼はイギリ

ス留学を伝えられている様な懊悩のうちに終えた訳ではない。イ

ギリスで彼は自ら拠って立つ「自己本位」の考えを得て、『私は

軽快な心をもって陰欝(いんうつ)な倫敦を眺めたのです。』

(夏目漱石「私の個人主義」)

http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/772_33100.html

帰国後、文壇で活躍するが、彼の「自己本位」は個人主義全盛の

イギリスで得たものだ。『自己が主で、他は賓(ひん)であると

いう信念』を貫いた。その頃、日本を始めアジアは欧米列強の覇

権に脅かされて抗戦意識が高まり、日露戦争へと向かっていった

。そして彼の「自己本位」も、恐らくは体調のことがあったのだ

ろうが、軍国主義の流れの中で「則天去私」と変わっってしまっ

た。私は彼の「則天去私」の中に深い諦観を感じる。

 欧米に於いても実存主義以来、神を見捨てた人々がペシミズム

に苦しみ、様々な模索の中から再びコミュニティーに回帰しよう

としている。しかし、それは教会では無くEU(欧州連合)とい

う新しい社会の試みである。ところが、アジアはと言えば、それ

ぞれが内向きの国家ヒエラルキーに固執して隣国との過去の確執

に執拗に執着して執り成す術すらない。もしも、アジアがAU(

アジア連合)でまとめておトクに繋がるならば、それぞれの個人

が過去の国家という枠を越えた新しい道徳を共有しなければなら

ない。我々は、百年前に夏目漱石が『鶴嘴(つるはし)をがちり

と鉱脈に掘り当てた』、彼の「自己本位」をもう一度考えてみる

べきではないだろうか。それぞれが「自己が主」に戻って国家を

見直すべきではないだろうか。人間を定義するのに国家は要らな

いが、国家を定義するのに人間が居なければ語れない。我々は国

家という幻想に共有の手段以上の想いを寄せてはいないだろうか



 神から約束された地にもかかわらず、イスラエルは度重なる侵

略や占領に晒されてユダヤ人は世界を彷徨った。しかし、彼らは

国を失っても信仰によって民族のアイデンティティーを保った。

ユダヤ人の定義とはユダヤ教徒であることで足りるのだ。

 もしも、我が国が動乱を繰り返す帝国に縦(ほしいまま)にさ

れ、この国を追われ異境の地で何世代も種を交えることになれば

、我々はそう長くない間にその土地に染まり、大和民族のアイデ

ンティティーなど消滅する事は想像に難く無い。我々は万世一系

の天皇の下、この豊葦原中国(とよあしはらのなかつくに)の地

で、辛うじて民族のアイデンティティーを保っているのだ。いや、

侵略による占領に因らずとも、少子化の果てに失われた労働力を

賄う為に、隣国の幾億の失業者が安い賃金も厭わずに押し寄せて

来て、国民の凡そを占めるようにでもなれば、いずれこの国の定

めを改めて、かつて我々が追い遣ったアイヌ民族のように今度は

我々が辺境に追い遣られ、大和民族という言葉を懐かしむ日が来

るのかもしれない。 隣国の成長の源泉は一に人の数の多さだ。

しかし、それは同時に最も厄介な障害でもある。かつて日本が2

0年かけて成し遂げた近代化を、数を頼りに5年足らずで成し遂

げるだろう。ただ、問題はその後から始まる。つまり、情報を閉

ざしたまま、世界が高い品質を求める中で、何時までも古い時代

認識で安価なバッタ物を作っていては凌げないことを我々がよー

く知っている。技術革新は自由な発想がなければ産まれないのだ

。その時、彼の国は、かつての旧ソ連のように人権と体制の相克

が露出して、お得意の権力闘争が起こるに違いない。そして彼ら

は旧ソ連体制が通った道を辿るに違いない。

 EU(ヨーロッパ連合)の通貨統一の試みは、国家という壁を

低くして、国家への帰属意識を薄れさせ、自己のアイデンティテ

ィーを『自己本位』に求める。国家とは個人が共有する手段に過

ぎないのだ。いずれ、フランス人だとかドイツ人だとかは意味を

無くし、彼らが『ヨーロッパ人』と語る時に、我々は果たして『

日本人』と自信を持って応えているのだろうか。それとも、すで

に国を追われて、猶、何世紀にも亘って日本人のアイデンティテ

ィーを失わずに、日本列島の片隅で世界を唸らせる技術力で国家

の再建を果たすことを夢見ているのだろうか。

 ただ、我々は『日本人』を定義する何ものも無いのだ。

                           (おわり)

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「外患」

2009-04-05 10:30:09 | 赤裸の心
 以下の文章は、2009年2月6日の(八十七)章に投稿した

私の記述ですが、小説の本文からかけ離れている為に現在の

記述に差し替えて、削除しました。ところが、事態が切迫して来

ると世間が愈々騒がしいので、2ヶ月前の記載ですが、そのまま

投稿することにしました。表題以外は全くキーを押してません。         

                      ケケロ脱走兵

               

          「外患」  

手持ちぶささからK帯からニュースを見ていると、北朝鮮がミ

サイルの発射準備をしているという記事があった。私はバロック

の言った事が気に為った。彼は紛争が必ず起こると言って山の中

へ疎開したのだ。もし、北朝鮮がミサイルを発射するとすれば、

間違いなく日本を標的にするだろう。何故なら軍隊の有る韓国へ

発射すれば本当の戦争に為ってしまう。北朝鮮も体制崩壊の恐れ

さえ有る戦争までする気は無い筈だ。日本を狙うということはそ

の背後に居るアメリカを挑発する為だ。ミサイルは日本上空を越

え「軍隊の無い」日本を脅す為に太平洋上に落とすだろう。ただ、

彼等は極めてコントロールが悪い。ブラッシュボールの心算が、

狙いが外れてビーンボールに為るかもしれない。それとも、暴投

してアメリカまで行くかもしれない。2年半前には発射して直ぐ

に呆気なく失墜している。 北朝鮮を取り巻く状況は以前に増し

て厳しくなっている。更に中国や世界の経済不況はどの国よりも

北朝鮮に大きな打撃を与えているはずだ。国内の政情不安を抑え

る為に彼等が切れるカードは軍事力しかないのだ。つまり、北朝

鮮が好戦的なのは国内を統制する為なのだ。もしかすると、韓国

の脱北者が北朝鮮へ飛ばすプロパガンダが思いの外大きな影響を

与えたかもしれない。北朝鮮は明らかに苛立っている。グルジア

紛争にしろ、パレスチナのハマスにしろ、切羽詰った弱者が追い

込まれた末に、強者に先制攻撃を仕掛け、呆気なく圧倒的に反撃

されている。まるでかつて経済封鎖を受けて真珠湾を先制攻撃し

た日本のようだ。北朝鮮が何らかの軍事行動を行うとすれば日本

に対してだ。それは日本の軍事力が、経済危機で中国との関係悪

化を避けたいアメリカ軍に頼っているからだ。彼等は、日本を威

嚇してもアメリカは日本の為に直ちに反撃しないと踏んでいる。

今やアメリカのプレゼンスは経済危機によって弱くなり、世界中

で反米国家の動きが能動的になって来た。イランでは人工衛星の

打ち上げに成功させ、イスラエルを取り巻く中東情勢もアメリカ

軍の撤退で激動するだろう。アメリカは国内経済の破綻も重なり

、中東、アフガン、北朝鮮と、紛争の多極化によってプレゼンス

が分散される。北朝鮮は今こそがアメリカを揺さぶる千載一遇の

機会と思っている。アメリカは内憂を抱えて外患にまで拘われな

いのだ。更に中国も北朝鮮の挑発を止めようとしない事にも問題

があるが、中国もアメリカの覇権が弱まることを望んでいるだろう

。ただ、北朝鮮が挑発を繰り返すのは国内の体制批判をかわす

為だ。彼等は現体制維持の為に動いているのだ。それでも、身体

が思い通りにならなくなった軍事オタクの将軍様が、国民から掠め

取って作った軍隊を、自暴自棄になって死ぬ前に一度は試してみ

たいと思わないとも限らない。そうなると、日本は北朝鮮の挑発に

、国民の支持を失った麻生自民党が、こちらも渡りに船とばかりに

支持挽回を狙って自衛権を行使する可能性だってある。閉塞感を

打破する戦闘は国民の鬱積した感情を解き放って、麻生自民党は

支持を回復するかもしれない。もはや自民党政権は北朝鮮の権力

者と同じく、国民の不満を外に向けるしか政権を維持する方法は無

いだろう。そして、その時猶も国民は、社会保険の不正や官僚支配

や派遣制度の問題など、内政の問題を忘れずに居れるだろうか?

つまり為政者はそうやって戦争を利用する。ただ、もう我々は一億玉

砕や一億総懺悔などといった煽動に騙され無いようにしなくてはなら

ない。

                        (おわり)

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