「打つ手がない」

2013-01-29 03:58:47 | 「パラダイムシフト」



         「打つ手がない」


 例えば「国家」という概念は、領土とそこで生きる人民とそ

の主権の止揚から派生したとすれば、領土を巡る対立や政治体

制の違いによる国家間の対立は、全く正反対の主張で対立して

いるように見えて、実は、同じ「国家」の論理を主張し合って

いるに過ぎない。そして、国民はその「国家」の論理から逃れ

ることはできない。国民は主張の矛盾が明白になっても、こと

領土問題に関しては「国家」の論理に逆らうことが出来ない。

何故なら、そもそも領土とは誰のものでもない土地を「国家」

が占領しているだけで、「ここは我が国の領土である」という

主張に正当な根拠などないからだ。つまり、相手の言い分は怪

しいが我々の言い分だって怪しいのだ。たとえば、ユダヤ人が

旧約聖書を開いてイスラエルは神から約束された地だと言って

その地で暮らしてきたパレスチナ人を追い出すことが認められ

るなら、北海道はアイヌ民族のものだし、アメリカ大陸はネイテ

ィブ・アメリカンのものである。領土を巡る対立は縄張りや利権

を争う暴力団同士の抗争と何ら違わない。それぞれが自らの「

国家」の論理を主張する限り、この対立を解決させるには論理

では結着が図れず、いずれ「力こそ正義だ」とばかりに悲惨な

争いが始まる。ユダヤ人がイスラエルの地からパレスチナ人を

追放し、大和民族がアイヌ民族を「成敗」し、そしてアングロ

サクソンがネイティブ・アメリカンからその領土を奪ったのは

何れも武力によってだったではないか。

 先頃、鳩山元首相が中国を訪れて、尖閣諸島を巡る領土問題

について政治家を引退した気楽さからか、しかもわざわざ相手

国で「国家」の論理を超越した発言をして、自国の大臣からは

「国賊」とまで罵られたが、私は、決して鳩山氏の肩を持つ心

算はないが、ただ、そもそも一国の首相であった政治家が易々

と「国家」の論理を飛び越えたことに驚かされたが、しかし、

彼にしてみれば、こんな対立を何時までも繰り返していれば双

方に大きな損失をもたらすばかりでなく、何れ打つ手かなくな

り武力紛争へ行き着くと思ったからかもしれない。それは、ど

ちらにとっても「ルーズ、ルーズ」の最悪の事態ではないか。

それ以外に方法があるとすれば、それぞれの人民が「国家」と

いう枠組みを如何にして超越するかということになるのではな

いだろうか。絡んだ紐を双方で引っ張り合えば増々解くことが

難しくなる。つまり、両国が「国家」の論理ばかり主張してい

ては敵愾心ばかりが積み上げられてそのうちどちらかがちゃぶ

台をひっくり返す羽目になる。かつて、彼は友好的な「東アジ

ア共同体」構想を提案していたが、ただ、残念ながら我が国の

国民にしても関係国の国民にしても、儒教思想の序列道徳に洗

脳された内向きのタコツボ社会から抜け出せずに、国家の枠組

みを越えた世界観などそれらの国民は持ち合わせてはいない。

しかし、国家主義に頑なに縛られている限り、EUのようなア

ジア共同体(au)は空想にさえも浮かんで来ないだろう。「国

家」を超越した世界観などと言うと、私も「国賊」と罵られ兼

ねないが、しかし、グローバル化した世界経済はすでに国家の

枠組みをあっさり超越してしまったではないか。「国家」を構

成する国民や権力者たちが国家の論理に縛られて、さながら組

織暴力団の構成員が「組」のために命懸けで争うように「国家」

の威信を掛けた縄張り争いが円満に結着が図られるとは到底思

えない。私は、「国賊」の誹りを恐れずに言えば、「国家」と

いう洗脳を解いて領土問題の平和的な解決を考えれば、鳩山氏

が「尖閣諸島は係争地」と事実を述べたことがそれほど非道い

ことだとは思わない。そして、戦争で多くの国民の命が失われ

てから講和を結ぶくらいなら、武力衝突を避けてまず友好関係

を模索することがそれほど「ルーピー」なことだとも思わない。

                                (おわり)


「バロックのパソ街!」 (一)

2013-01-21 03:21:18 | 「バロックのパソ街!」(一)―(五)



                   (一)


 
 夜が明けぬうちから気の早い春告鳥の、忘れていた歌を確かめな

がらのような覚束ない間の抜けたさえずりが、冬枯れの木立にこだ

ましていたが、山々は未だ残雪を止めた水墨画の世界だった。それ

でも、眼を逸らさずじっと眺めていると、モノトーンだった景色も

薄っすらと紅を帯びているように思えて、気になって木々に近づい

て確かめると、雪を被った小枝からは、硬い樹皮を破って朱色の新

芽が争うように吹いていた。残雪を頂く凍みる山の頂からは春を心

待ちする人の想いに冷風を浴びせたが、春は人々の気づかない大

地から染みるように訪れていた。

「バロック、今年も冬が短かったで」

おれは「バロック」と呼ばれている。東京で偶々知り合った、今は

親友となった男に名付けられたが、その男との連絡のやり取りか

ら此処でも知られることになってしまった。もっとも、名前を教え

てなかったので無理もなかったが、今ではこのあだ名はけっこう気

に入っている。それは、自分の名前は変えたいくらい嫌だったから。

「ゆーさん、確か去年もそんなこと言うてたで」

「そうやったか。とにかく雪が少ない、アカンわ」

ゆーさんはおれと同じ大阪の出身で、山村暮らしの先輩でもあった。

彼は大手の電機メーカーの社員やったが、彼の娘さんの身体の心配

から仕事を辞めてこんな山村までやって来た。そこで水流発電機の

開発を思いつき製作に没頭した。やがて発電機は一家の電力を概ね

賄えるまでに改良された。おれは路上で歌を唄って凌いでいた時、

彼と出会ってその発電機のすごさにびっくりして、おれの方から頼

み込んで最初の従業員にしてもらった。もしも、電気が自分達で創

ることが出来たら地方は自立した生活を手にすることが出来るんや

ないか、そう思ったからや。

「お父さん、バロック、コーヒーが冷めるよ」

ゆーさんの娘ミコが、キッチンから外に居る二人を呼んだ。彼女は

化学物質過敏症という厄介な症状に悩まされていて、ここに越して

から随分と良くなっていたが、食べ物や環境が合わないとすぐに卒

倒して意識を失った。彼女は近代生活が出来なかった。

 ゆーさんとおれは、残雪の頂を逆光にして漸う昇り始めた朝日を

背に受けて、ミコの居るキッチンへ戻った。

 彼女はやっと18になったばかりだった。

彼らが暮らす家屋は昔からの、玄関を入れば広い土間の在る大き

な農家だ。奥の背戸を開ければすぐに竹林が迫る裏山があって、竹

は大きくなり過ぎて上に伸びることが出来ず、今では家屋を襲うかの

ように下へと微妙な均衡の触手を垂らしていた。雪が降り積もれば

忽ちその重みに耐えられなくなって、人の世と同じで、頭を下げて

やり過ごすか、それとも折れるしか無かった。雪が音を奪った深夜

にけたたましい叫喚を轟かせた。ただ今年はそれも随分少なかった。

「ゆーさん、もうそろそろ竹の子が生えてへん?」

「ぼちぼち生えてくるかもしれん、今年は温いから。なあミコ」

「天気が好かったら明日から山に入ろうと思ってる」

竹の子や山菜取りはミコの仕事だ。街では外へ出ようとしない彼女

だが山へは雪の残る冬以外は毎朝入ることにしていた。それは彼女

の健康の為でもあったが、何より彼女は山歩きが好きだった。秋に

は昼になっても戻らなかった事があって、ゆーさんとおれは心配に

なって捜しに入った。すると、背負い籠(かご)いっぱいの栗の実

を背負って何も無かったように下りてきた。

「あれ?ふたりで何処へ行くの」

彼女は二人の心配をよそに、大きな栗の木を見つけたと言って笑っ

た。

 ここで暮らすことは彼女の健康を気遣って、そして水が豊かであ

ることからゆーさんが決めた。それからキッチンの家具や食卓も山

の木を伐り出して自分で作った。合板の塗装された家具は彼女が過

敏に反応するからや。彼女は特に農薬に反応する為市販の野菜も食

べられなかった。以前は、近郊の田畑を借りて自分達で無農薬栽培

もしていたが、近隣の田畑から飛散する農薬に汚染され、結局それ

らも受け付けなかった。更に、農家からは彼らの田畑から害虫が発

生すると苦情を言われて、仕方なくこの限界集落まで逃げ落ちてきた。

「田舎の方が汚染されてるとは思わなかった」

「わしらは平成の落人(おちゅうど)なんや」

その落人伝説の残る邑落(ゆうらく)にはその子孫と思しき人々が

数人いたが何れも高齢者だった。しかし何れも偏見を持たずに二人

を暖かく迎えてくれた。下隣の沖ばあさんは、連れ添いに先立たれ

一人暮らしが長かったので、彼らの定住を大層喜んで色々と世話を

焼いてくれた。特に娘のミコを見ると垂れた頬が更にゆるんだ。こ

うして彼らの山村生活は暇を持て余した爺婆から、山での暮らしの

知識を、野草の見分け方から味噌の作り方、草履の編み方まで一切、

自給暮らしで解からないことがあればすぐに教えてもらった。そし

て、今ではミコと同じ症状で悩んでいる人々の求めに応じて、無農

薬野菜の「虫食い農園」まで造るまでになった。

「お父さん、どうするつもり?種まき」

ミコがコーヒーを飲みながら言った。

「うん。今年も早ようせんなアカンやろ」

親子の会話におれが口を挟んだ。

「去年は失敗しましたからね」

「アホっ!一勝一敗じゃ」

去年、ゆーさんは天候不順を予想して早くから多くの野菜を植えた。

長梅雨の日照不足から何処も収穫が落ち、初夏の野菜が高騰し思い

通りに収入が増えた。そこで味を占めて、梅雨明けには更に多くの

野菜を植えたが、今度は天候が持ち直して初秋には出来すぎて暴落

し春の儲けを吐き出してしまった。野菜は「虫食い会員」に無料で

配られた。

「おそらく問題は中国の干ばつやろな」

ゆーさんは中国の天候まで気に掛けていた。

 おれがゆーさんと出会った時、彼はメガネのフレームを真ん中か

ら折って片方だけをガムテープで顔に貼り付けていたが、彼は元々

極度の近視で、片方の眼を悪くして手術を受けた時に近視も矯正

してもらった為そっちは遠視になったが、もう一方は極度の近視の

ままで、そっちの方だけメガネが必要だった。そして彼の頭と言え

ば白や黒や茶色の撥ね毛やちじれ毛が鬱蒼と茂り、まるで人跡未踏

の原生林の様で、更に顔中からは毛や毛とは思えないものまで生や

して、おれはその異様な風貌に思わず眉間に皺を寄せた。その後、も

う一方の近視の矯正手術も受けて、彼の顔からガムテープで止められ

た片方だけのメガネは消えたが、ただ原生林と毛や毛とは思えないも

のは人指未触のままだった。彼は、発電機の開発に集中するとそれ

以外の事に関心が及ばなかった。

 ただ、その水流発電機が思わぬことで頓挫してしてしまった。

 昨夏のある日、沈めていた発電機の接続部から潤滑油が漏れて川

に流れてしまった。下流に住む住民が役場に通報して、役場から連

絡を受けてすぐに引き上げたが、ただそれだけでは済まなかった。

全ての発電機の回収を命じられ、工場に査察に入られて発電機の改

善を指示され技術審査に受かるまで業務停止を命じられた。更に、

川を汚染した罰金が科せられるかもしれないと脅した。役人の一人

は帰り際に、

「今は特に厳しいんですよ。ただ、何とかそうならないようにします。

これにめげずに頑張ってください」

そう言って我々を励ましてくれた。おそらく夏の集中豪雨によって

川が増水し流された石が発電機に当たって破損させたことに由ると

思われた。発電機は拉(ひしゃ)げて亀裂が入り、そこから浸水し

たんやろう。

「何とかなりますか?ゆーさん」

「石の流れをブロックせなアカンかもしれん」

ただそうなれば大きく川の様子を変えることになる。ゆーさんはそ

もそも川の姿を変えない為に沈水式の発電機に拘っていた。

「もっと頑丈にすればええんちゃうの?」

「二重構造にすれば大丈夫と思うけど・・・」

「けど?」

「やっぱり油を変えなアカンな」

「何に?」

「流れ出してもええ油」

「そんなんあるの?」

「無かったら作るしかないわ」

彼はいま発電機の開発を中断して、市販されている石油から作られ

たグリースや潤滑油ではない、魚脂などを用いた川に流れても分解

される潤滑油の開発に勤しんでいる。

 その後、役場から連絡があり汚染が小規模だったことから、今回

は罰金を科さない旨の連絡があった。電話してきた人は、

「これにめげずに頑張って下さい」

と言って電話を切った。

                                  (つづく)



「バロックのパソ街!」 (二)

2013-01-21 03:20:13 | 「バロックのパソ街!」(一)―(五)
 


                      (二)



 季節の移り変わりほど自然の流れを感じることはない。我々の技

術がいかに進歩しても、春の始まりをカウントダウンすることは出

来ないんや。カウントテンになっても止まったり、更に後戻りさえ

する。それでも気が付かない間にゼロになって春は間違うことなく

訪れる。自然を科学と変換した人間は、すべての結果は原因から導

き出されると考えるが、その原因もまたある結果にすぎない。我々

は自然の流れの一部分を取り出して自分達の都合の好いように語っ

ているだけや。我々の豊かさとは自然の流れに逆うことなんや。も

はや我々は自然の流れのように生きることなど出来ないんや。おれ

がこんな山奥に流れて来たのも(おかしい?)自然の流れなんかや

なかった。

 おれの親父は大阪で不動産屋を営んでいた。バブル最盛の頃は判

を押すだけで金が入ってきて、親父はよくその印鑑を「打ち出の小

槌」と言っていた。仕事が忙しくてほとんど家に居なかったが、強

くて頼りになる親父はおれが最も尊敬する人だった。彼の言葉に励

まされて勉強し中学の成績は親父も他人に自慢するほどだった。親

父とは歳の離れた若い母は穏やかな人柄で、成績のことをうるさく

言わなかったが兄より、そうそう、おれには5コ上の兄が居たんや、

彼より頭が良いと言ってくれた。希望する高校に入学した頃、親父

にオンナがいることが解かって、それから母がジッと考え事をして

いる姿をよく目にした。やがて親父が戻ってくる度に二人の言い争

いをする声がおれの部屋まで聞こえてきた。親父は思い通りになら

ないとすぐに力任せになった。苦々しく思っていたが、それで一旦

は事が収まった。ただ増々親父の足は家路から遠ざかった。しばら

くして母親から、親父の会社が大きな債務を抱えて倒産したことを

聞かされた。もちろん住み慣れた自宅も差し押さえられて、数日後

に明け渡さなければならなくなった。やがてマスコミはバブル景気

崩壊のニュースを頻繁に伝えるようになった。母と二人で安い賃貸

マンションに引っ越したが家財は生活できる最低限のものだけが残

された。母は家財と一緒に躊躇(ためら)うことなく親父も手放した、

そして躊躇いながら夜の仕事に就いた。

 一夜にして転落を強いられた生活は、まるで空を飛んでいる鳥が

突然魔法を掛けられて魚に姿を変えられて、慌てた魚が胸びれをは

ばたかせながら落ちていくようだった。運よく水面に叩きつけられ

たと思ったら、水の中で自分に戻った。新しい暮らしは息がつけな

かった。学校から帰ると母は出勤した後で、鳩小屋のような部屋に

エサが置いてあった。おれが目覚める頃、母はたぶん魔法を掛けら

れる夢でも見ているのだろう、うなされて寝ていた。学校の成績は

魔法を掛けられた訳ではなかったが為す術も無く落ちていった。そ

れでも不思議と焦ったりはしなかった。本気を出せば何時でも追い

着けると思っていた。しかし、だんだん授業について行けなくなっ

て、気が付けば落ちこぼれていた。悔しさを慰めるように、記憶力

だけで能力を計る授業を蔑(さげす)みサボるようになった。国語

の授業が特に嫌やった。行かず後家の偽善女教師は、中勘助の「銀

の匙」に出てくる「とりよみ」を席順にやらせた。「とりよみ」と

は音読して読み間違いをすればそこで終り、次の者が変わって読み

繋いでいくんや。その頃おれは家庭の事もあって吃音(きつおん)

がひどかった。最初の授業で自分の番に廻って来た時、緊張から吃

(ども)って何度も同じ発音を繰り返した。それでもう終りだった

が何とか名誉挽回しようともう一度同じところで吃ると、蜘蛛の巣

女教師が、

「顔を真っ赤にして何をキッキキッキ言ってるの」

と言って、クラスのみんなが大声で笑った。その後「よみとり」の

ある授業はすべて欠席した。ちっ、ちっ、畜生!そのうち「声に出

さなくたって読みたい日本語」を書いてやるわい。ただ歌だけは何

故か吃らなかった。その頃流行っていた尾崎豊に憬れて母が居ない

夜中に一人でギターを弾きながら歌った。それは吃音を克服する為

の練習でもあった。酒気を漂わせて母が帰って来るのは朝刊が届く

のよりも遅かった。二学期の終りに担任から、このままだと進級で

きないと告げられた。酔っ払った母に伝えると母はさめざめと泣いた。

 人望とはその人が困窮した時に顕(あらわ)になる。世間一般が

頭を下げて敬うのはその個人自身に対してでは無く、その人が持っ

ている権力や財力、つまり社会性に対してなんや。今の政治家や財

界人或いは知識人がその社会性を失っても、自らの個性で慕われる

人物が果たして存在するだろうか?利害を離れて人格そのものが人

々に敬われる人がどれ程居るんやろか。白昼にランプを掲げて捜し

歩いてももうそんな人物は居ないかもしれない。それはその人物の

問題なんか、それとも社会性を、力を失った個人など評価しない社

会がおかしいのか。ただ、間違いなく個人を尊重しない社会化、つ

まり蓄群化が進んでいると思う。

 親父の会社が破綻して被害を被った関係者から親父の人望が漏れ

伝わってきた。バブル期絶頂の頃、不動産会社の社長と謂えば誰も

が勢いに乗じてその辣腕を揮(ふる)った。更に、老舗大銀行のト

ップまでが「向こう傷は問わ無い」などと檄を飛ばした為、向こう

傷を憚(はばか)って辛酸を甘んじて嘗めていたチンピラまでが、

出番だとスーツに身を窶(やつ)して弱い者相手の阿漕(あこぎ)

な地上げに血眼(ちまなこ)になった。金の力だけに靡(なび)い

ていた人々は、金を失くした親父に対して恨みを露(あらわ)にし

た。世間は親父を棒で突っつく事があっても、その棒に?まらせて

助け上げようなどとは努々(ゆめゆめ)思わなかった。親父はワシ

ら家族にも連絡せずに消息を絶った。

 母は、東京の大学に通う兄が卒業して就職するまで何が何でも仕

送りしなければならないので、おれの留年をきっかけに学費の安い

公立高校へ転校してほしいと、泣かずに言った。やがて兄が卒業す

れば仕事に就くだろうから、そうすればお前の進学を賄うことが出来

るとその計画を語ったが、その後卒業した兄は就職出来ずにフリータ

ーで凌いでいる。我々家族は、表示の壊れた高速エレベーターに乗

っているような、何時地上に着くとも知れない降下を繰り返して、もし

かしたら永遠に地上には辿り着けないのではないかという不安と諦

(あきら)めに苛(さいな)まれていた。

 どんな夢も希望も、「君にはその才能がない」と言われれば反発

もしたくなるが、「そんなお金ないから」と言われると仕方が無い

と諦められる。夢や希望を叶えられなかった責任は、自分の能力の

「所為(せい)」では無く、周りの所為に責任転換できるからや。

公立高校の編入試験を受けてめでたく進級できたが、親父に誓った

夢は前の学校に忘れてきた。2コあった夢は、夢Аはもともと親父

が勝手に期待したもので、浮き沈みの激しい仕事からおれに国家資

格を取るように勧めた。しかしバブル経済崩壊後の金融危機はそん

な進路も崩壊させた。ただバブル期にその予兆はあった。生活の中

で、誰もが金はあってもその使い道が無かった。それでも誰もが大

金持ちの夢を見た。当然、金は投機に流れ還流された金で再び金を

売り買いしていた。あの頃の大阪は異様な空気が漂ってた。金に纏

(まつ)わる信じられない事件が頻発し、金儲けに取り憑かれた亡者

や、新興宗教に取り憑かれた信者が如何わしい勧誘に回っていた。

しかし大阪は何でこんなに新興宗教が多いんや。他人の話しにも気

軽に付き合ってくれるから誘い易いのかもしれん。大阪では金持ちに

は怪しい儲け話の誘いが、貧乏人には怪しい幸福への誘いが持ち掛

けられる。バブル期に人々が追い求めていたのは結局は現実からの

逃避やったんや。豊かな暮らしを求めて只管(ひたすら)頂上を目差し

て這い登って来たら、頂上は靄(もや)がかかって何も見えない。ああ

っ、せめて一瞬でも晴れ々々とした気分で頂上からの景色を眺めたか

った。そうでなければ降りるに降りれぬ。そんな報われない悔しさが

投機バブルに殺到した。あれから二十年経ったが我々は現実を取り

戻したんやろか?閉塞感は今に始まったことやない、二十年前から

ずーっと続いているんや。そして大阪で起こった事は日本中で起こり、

日本中で起こった事はアメリカでも起こった。恐らく今後二十年、アメリ

カ社会は目的を見つけられぬまま低迷するやろ、今の大阪のように。

 夢Вの方は、シンガーになることやった。夜中に部屋でギターを

弾くと苦情が来たので、学校の音楽室が使える軽音楽部に入った。

尾崎豊のコピーは部員のみんなから絶賛された。その頃、大阪の若

者がなりたい職業は、夢Аは大阪府の公務員、給料以外に様々な手

当てが付いた。夢Вは吉本の漫才師、一発当たれば高額のギャラが

入る(?)が、しかし、漫才がうけなかったら二「人」三文。

 あっ!そうかっ、夢というのは現実逃避のことやったんや!                                    
                                                           
                                (つづく)