「バロックのパソ街!」 (十六)

2013-01-21 02:40:26 | 「バロックのパソ街!」(十六)―(二十)
 


                   (十六)




 おれの反儒教革命は、教師だけに止まらず保護者達からも、社会に

出て敬語や礼儀が身に付かないようでは困るとの理由から、冷たい

眼で見られるようになったが、それでも、徐々に生徒たちは温かい

眼を返してくれるようになった。夏休みの間に福沢諭吉を読み漁り、

教師の北森さんに教えられて古文の引用が多くて読み難い丸山眞男

も読んだ、お陰で古文の成績は良くなったが。彼は、著書「日本政

治思想史研究」の中で、明治時代の比較的「保守的」な倫理学者・

西村茂樹の以下の文章を引用として次のように紹介している。

「儒道は尊属の者に利して卑属の者に不利なり、尊属には権利あり

て義務なきが如く、卑属には義務ありて権利なきが如し、国の秩序

を整ふるは、此の如くならざるべからずと雖ども、少しく過重過軽

の弊あるがごとし」西村茂樹『日本道徳論』岩波文庫版、29頁

 つまり、明治の「保守的」な倫理学者でさえ、今の言葉で言えば、

儒教は依怙贔屓(えこひいき)が過ぎると認めているのだ。

 更に、福沢諭吉は「学問のすヽめ」の中で、

「名分と職分とは文字こそ相似たれ、その趣意は全く別物なり。」

と云い、名分と職分の混同を諌めている。本来、肩書きというのは

職分であって決して身分ではない。ところが、我が国民は封建社会

の奴隷根性が棄て切れないまま文明開化を迎えて、職分の何たるか

を知らずに「肩書き」を身分と勘違いしてしまい、自らの異見を述

ずに上意に渋々諾々と従うことが大義だと思っているのだ。

 以下はおれの考えだが、そういった上下貴賎の名分を甦らせたの

は思想道徳ではなく、序列の低い者だけが強いられる敬語や礼儀が

残されたままであるからだ。我々の恭しい敬語や礼儀は相手の職分

に対して払われるのではない、身分に対してなのだ。しかし、グロー

バル化した世界はやがて言語をもグローバル化されるに違いないだ

ろう。その時、恐らく日本語は複雑怪奇な敬語やまどろっこしい漢字、

回りくどい言い方など情報伝達手段としての能力が疑われ陶汰され

るに違いない。幾通りも在る主語の中から相手の立場を慮って使い

分ける日本語が英語のYOUに駆逐され、やがて日本語は伝統文化

を懐かしむ一部の国粋主義者の慰みに過ぎなくなって絶滅すること

だろう。IТ化によって更に公用語として英語が使われるのは間違い

ないだろう。だって、キーボード入力すればそれだけで文章が作れる

んだ、つまりややこしい漢字変換など不要なのだ。加えて、日本語

を使っている限り上下貴賎の身分を意識せずに自由に語り合うこと

など出来ないからだ。そんなまどろっこしい言葉がグローバル化した

世界の公用語として採用されるわけがない。

 朝立ちのない目覚めを迎えて、久々に登校時間に間に合うように

学校へ行った。校門には、あの国家主義者の、つまりは社会主義者

の山口が待ち構えて生徒の身形や言動を検査していた。おれはシカ

ゴから教えてもらったアメリカンスタイルで「ハーイッ!」と言っ

て通り抜けようとした。

「待てっ!古木」

「はあ?」

「何じゃ今の挨拶は」

「アメリカ式」

「なんやと、お前は未だにまともに挨拶もできんのか」

「『ハーイ』って言うたやんか」

「お前は教師をなめとんのか!」

「反対やて、山口さんが生徒をなめているからそう思うんや」

「どういうことや?」

「あんたがちゃんと挨拶するんやったらおれもするって」

「ほんまか」

「する!」

「日本語でやぞ!」

おれは真っ直ぐ立って、

「お早うございます」

そう言って頭を下げた。すると教師の山口さんが、

「お早うございます」

と言って頭を下げた。少し気持ち悪かったけど対等な関係での等価

交換が成立した。大袈裟に言えば、それは憲法で保障された「法の

下の平等」が実践された瞬間であった。その様子を登校してくる多

くの生徒が立ち止まって見ていた。気まずそうに山口さんが、

「早よう行け、授業が始まるぞ」

「はい」

これを読まれた年長者の方々は忌々しく思われたかもしれない。実

は我々は序列を越えて対等の立場で話せる言葉を持っていないのだ。

いきおい若者の言葉が乱暴に聞こえたりするが、標準語そのものが

立場の違いによって言葉を遣い分けるように仕組まれている。我々

は言葉遣いによって序列化されている。しかし、言葉は情報が優先

されるべきならどんな言葉であれ権威や都合によってその質を変え

られてはならないはずだ。グローバル企業が挙って敬語のない合理

的な英語を社内の公用語として採用するのには、日本語では身分の

「肩書き」を越えて忌憚のない異見を交わせないからではないだろう

か。

 グローバル社会では、挨拶だけでなく頭を下げるなどの礼儀もま

た「卑屈である」という理由で削除されるに違いない。我々は子供

の頃から意見を述べただけでも「口ごたえするな」と言われて弁明

など許されなかった。何らかの瑕疵(かし)があってその経緯を説明

しようとすれば未だに「言い訳がましい」と言われる。黙って過失

を認めて頭を下げるのが責任を負う者の清い「姿勢」なのだ。しか

し、責任を当事者に負わせるだけで果たして問題が解決するのだろ

うか。「何故そうなったのか?」という原因を探ることよりも非難

の的にして頭を下げさせて謝罪させることの方が大事だろうか。果

たして、社会的な非難に曝された者がそれでも挫けずに真実をあり

のまま洩らす勇気を持ち続けられるだろうか。説明責任という言葉

を近頃頻繁に耳にするが、説明責任を果たされて経緯が明かされて

納得した例がない。何れも平身低頭して「私が悪う御座いました」

と言って終わってしまう。敢えて言うなら、社会は責任者を非難し

て形ばかりの謝罪を求めるのではなく、もちろん被害をあたえた方

にはそうしなければならないが、責任を負う者の「言い訳がましい」

説明責任こそ求めるべきではないだろうか。

 以前、ビジネスホテルのオーナーがホテルを建てる際に建築審査

後に身障者用の部屋を違法改造していたことがバレて、その説明会

見で正直な心の中をあからさまにして世間の顰蹙を買ってしまった

が、こと説明責任に関して言えば、あれほど正直な説明責任を果た

した人物はいなかった。しかし、彼は非難に曝されると一転して何

を聴かれてもひたすら頭を下げるばかりで芝居掛かった涙の謝罪ま

で演じた。それでは何故彼は態度を一変させたのだろか?社会の非

難を真摯に受け止めて反省したからだろうか。それとも本当のこと

を話したことに後悔したからだろうか。

 果たして我々は、「謝ったら終いや」と黙ってひたすら頭を下げ

て非難をやり過ごす者と、腹立たしいことが明かされるだろうが経

緯を正直に語る者と、どちらが今後の社会に活かせると思っている

のだろうか。これは責任者だけの問題ではなくそれをどう受け止め

るのか、我々もまた問われている。ただ非難すれば問題が解決する

わけではない。個人的な感想を言えば、前出のホテルオーナーが言

った「時速60キロ制限の道を67~68キロで走ってもまあいい

かと思って」いる経営者は、決して彼一人だけではない。
                             
 人が他人からどう呼ばれているかで凡そのその人の立場が把握で

きる。学校の中で、生徒は教師を呼び捨てに出来ないが、教師は生

徒を呼び捨てにしても何の疚しさも感じない。互いに年齢、性別や

立場による「序列を弁えて」いてことさら問題にもならない。もち

ろん序列を越えて親しみから呼び捨てで呼び合うこともあるが、そ

れは個別の問題なので措いて、社会の中で言葉によって他人と係わ

り合う限り、我々の言葉は平等性を担保し難い。年配者のほとんど

はそんなことはないと言うかもしれないが、それは序列の上に居る

から気付かないだけで、例に二十歳前後の若者とどんな話題でもい

い、例えば「日本は再軍備すべきかどうか」を聞いてみればいい。

幾ら話しても恐らく会話はかみ合わないだろう。意見の対立を言っ

ているのではない、それなら未だしも言葉が通じ合っているが、言

葉そのものが通じないのだ。社会性を帯びた若者は、というのはど

うしようもない野郎は措いて、恐らくあなたの話しにも快く頷いて

くれるかもしれないが、しかし多分、自らの考えは決して話そうと

はしないだろう。結果、あなたが一方的に語るばかりで彼等の乏し

い反応に、あなたは「何を考えているのか解からない」と吐き捨て

るかもしれない。ところが、若者たちは自らの言葉を矯められ目上

の者に対する敬語を強いられて、その上で年長者に自らの意見を述

べることに戸惑っているのだ。こうして我々の差別言語は世代間を

越えた議論が生まれないまま、序列によって権力を手にした老人た

ちによって、もはや新しいものなど何も生み出せない彼等によって、

旧い石板に書かれた秩序や道徳や価値が再び見直されようとしてい

る。

 若者たちよ!敬語を棄よう!

 頭を下げてばかりいたら前が見えんようになる、

 間違ってもええやん、自分の言葉でしゃべろう!
 
それから、「学問のすヽめ」を読もう! 

                                (つづく)

「バロックのパソ街!」 (十七)

2013-01-21 02:39:23 | 「バロックのパソ街!」(十六)―(二十)
 


                 (十七)



 教師の山口さんが、あの日から病気の為に学校を休んでしまった。

何でも癌が見つかったらしい。

「ああ―ぁ」

判っていたら詰まらない警戒心は解いたのに。校門で交わした朝の

挨拶が脳裏に浮かんだ。思えば、あんなに物分りのいい山口さんは

初めてだった。病気を克服されてまた朝の挨拶をしましょう。

 考えてみれば、思想などと言ってもその殆んどが本人の置かれた

状況から派生するのだ。おれにしても親父の会社がコケなければ、

決まった道を進んでいたことだろう。そうすれば今のおれの考えを

きっと敗者の思想と嘲笑っていたに違いない。要するに、思想とは

幾ら綺麗ごとを言っても、手に入れた権力を奪われない為の、或は

耐えきれない暮らしから逃れる為の、所詮方便に過ぎないのではな

いか。高尚な思想(ゾルレン)と雖(いえど)も存在(ザイン)が立ち行

かなくなれば忽ち役立たずとして見捨てられるのだ。我々は思想な

ど語っているのではない、ただ生い立ちを語っているのだ。

 大阪の街はバブル経済崩壊後も、バブル期に計画された大規模な

都市再開発を見直すことなく、否、返って景気回復になるといって

借金をしてまで断行した。それは、金融は破綻しても実体経済は堅

調で、金融が改善すれば再び景気回復すると大方の専門家の意見に

同調するものでもあった。しかし、結果は火に油を注ぐことになり

財政は火の車となった。ただ楽観主義の大阪人はそんなことなど気

にもしなかった。

 ある日、学校から戻ると珍しく母が居た。さらに珍しいことに夕

飯の用意までしていた。

「今日休みやさかい晩ごはん一緒に食べよ思て」

「ええーよ、後で食うよ」

「違うねん、ちょっと話しがあるねん」

「何?」

「まあ、座り―な」

おれは仕方なくテーブルの椅子に腰を下ろした。すると母はお茶を

入れながら、

「あんた、ちゃんと学校行ってんの?」

「行ってるよ、いま戻ってきたやろ」

「そやな、それでちゃんと卒業できるの?」

「・・・」

実は、進学を諦めた時にもう卒業などどうでもよくなった。もの心

がついた時から轡(くつわ)を噛まされて競争を勝ち抜くことを教え

込まれ、馬主がいなくなった途端に檻から追い出されて今日から

自分独りで生きていけと言われても、頭の中は「?」だらけで呆然

とするばかりだった。ただ、もう学校に留まるつもりはなかったので、

その時はやめるつもりでいた。母にはそんなことを言いたくなかっ

たので、箸をとって唐揚げを突き刺してそれで自分の口を塞いだ。

「学校に聞いたんやけどな、出席がギリギリやって言うてたで」

「何でそんなこと聞くのん」

そんなことは充分知っていた。つまり、考えながら休んでいたのだ。

すると母は、

「実は、あんたが卒業したら、わたし結婚してもええやろか?」

「ええっ!」

母は所謂水商売で働いていた。当然常連の客と懇(ねんご)ろになっ

てそういうこともあるかもしれんと覚悟していたが、実際に起って

みると母を奪われたような淋しい気持ちが沸いてきた。母はもうそ

ういうことに懲りて引退したものと思っていたので、自分が排除され

た新しい関係を築こうとしていることに少し裏切られた思いがした。

「誰と?」

「会社の社長さんなんやけど、日本の人と違うねん」

「がっ、がいじん!?」

「まっ、外人いうても、中国の人なんや」

「中国人?」

「そう」

「何の仕事してるの?」

「貿易」

「ふーん、何か金持ってそうやな」

「持ってはる」

「ははっはっ」

母と二人で笑った。

 母が言うには、その人は中国人と言っても神戸生まれでもちろん

日本語を話せるらしい。父親が食材などを輸入する会社を細々と営

んでいたが、彼が後を継いでから中国政府の政策転換によって急に

取り扱いが増え、今や何でも扱う貿易会社へと成長したらしい。

「幾つ?」

「わたしより三つ上」

「もしかしてバツイチ?」

「そう」

「子供は?」

「二人おる」

おれは彼女の足を引っ張るつもりなど毛頭なかったが、それでも直

ぐに母子関係を改めることができなかった。しかし、一方ではこれ

からは自分のことさえ考えればいいという、肩の荷がひとつ減った

ような開放を感じた。呆然としてると、母が、

「あんた大学行きぃな、行きたいやろ大学!」

「えっ」

「行かしたげる言うてくれてはんねんって!」

「ええ、もうやめた」

「何でぇ?せっかく言うてくれてはんのに」

「まさか、その為に一緒になるんと違(ちゃ)うやろな!」

「何を言うてんの、アホ!」

日本人が知っている中国人は戦略家や軍人や道徳家といった社会的

な教訓を垂れる人か、或は都での夢叶わず郷里の山紫水明に想いを

虚しくする詩人達か、何れも何千年か何百年も前の人物ばかりで、

現代に至るも専ら政治家ばかりが鹿爪顔をマスメディアに曝して、

情を通じ合える縁(よすが)がなく、個人の顔が全く見えないことに

驚かされる。いったい彼等には個人的な情感というものが備わっ

ているのだろうか?そもそも彼等は笑うことがあるのだろうか?

総てが謀(はかりごと)のように思えてしまうのは何故だろうか。

「個人主義は敵だ!」という国の人に援けられてまでして進学した

いとは思わなかった。ただ、中国人のお笑い芸人でも出てくりゃあ

チョッとは見方が変わるんだけどな。

 自分の母親がよそのおっさんに体を許すと想うと何とも言えない

虚しさに襲われた。例えば娘であればそんな風には想わないのだろ

うか?変な言い方かもしれないが、自分の還る場所を奪われたよう

な、自分の生い立ちを逆に辿っていくと最後の最後で母の胎内の入

口の前に見知らぬおっさんが立っていた。それでも母はおれのもの

ではない、彼女自身のものである。

「えっ!かめへんの」

「ああ、おれが決めることちゃうやろ」

母はおれが卒業したら中国人のおっさんの処へ行くことになった。

おれは頑なに進学の話しを断ったが、それでも心の片隅で卒業だけ

はしておこうと細い糸を切らないように心掛けて、それから休まず

に登校した。

 今や教育は英語を小学校から始めようとしているが、言語教育と

はただ言葉を覚える限りに非ず、文化や考え方、ともすれば生き方

さえも覚えることになる。一方では支那が起源の儒教道徳を強い、

儒教道徳を説く者が何故中国を嫌うのか理解できないが、そこでは

道理があって後に人が存在すると説くが、他方、英語教育では人間

の「自然権」を認める個人主義社会の言語を覚えさせる。それで学

生が序列道徳と平等意識を混がらがらずに使い分けることなどでき

るだろうか。英語は、教師であれ親であれ年上であれ年下であれ、

総て「YOU」で済む。そこには序列による呼び方の違いなどない。

何れ「英(易)語は漢(難)語を駆逐する」に違いない。そしてそれは

ただ言葉が変わる限りに非ず、やがて敬語がなくなり序列道徳が崩

壊するだろう。おれは日本文化を守ろうとする人はアメリカの軍事

圧力なんかより遥かに英語教育を脅威に感じるべきやと思うけどね。

それでも「文化は易きに流れる」だから仕方がないか。

「グッドモーニング!北森さん」

「おまえはウィッキーさんか?」

「古!」
                                  (つづく)

「バロックのパソ街!」 (十八)

2013-01-21 02:38:27 | 「バロックのパソ街!」(十六)―(二十)
 


               (十八)




「みんなが受験で休みだしたらお前は毎日学校へ来るんやな」

北森さんに毎日登校するようになったことを揶揄(からか)われた。

「来んでも卒業させてくれるんやったら来(け)えへんで」

 父兄始め卒業生や教師達にとって目障りなおれは、その頃、福沢

諭吉に共感して「反儒教革命」というビラを作って部室の前に誰で

も取れるように紐を通してぶら下げていたが、それが問題になって

校内の風紀が乱れるとの理由で、おれだけでなく軽音楽部まで槍玉

に挙げられた。そのビラには、

「敬語を棄てよう!」

「序列に諂(へつら)うな!」

と銘打って福沢諭吉の言葉を紹介した。ビラは瞬く間に紐だけを残

して無くなった。それでもおれ達は風紀が乱れるなんて思ってもいな

かったが、というのは部活内では以前から敬語なんて使っていなか

ったし、それでも何の問題もなかった。ただ、顧問の女教師は泡を食

って部員を集め緊急の部会を開いた。早速、女教師の清水さんは

誰かに言い含められたように、目上の者や教師に対してきちんと敬

語や礼儀を正しましょうと言った。すぐにおれが口を挟んだ、

「教師が学生に対して敬語を使うならおれ達だってそうするけど、

乱暴な言葉使いはどっちかと言うと教師の方がひどいやないか」

そう言うと一部から拍手が起った。

「だってあなた達は生徒でしょう!」

「だから何なんですか?それがおかしいっていってるんですよ」

「でも教師が生徒に敬語を使う方がおかしいでしょ」

「だから敬語を使うのはやめようと言ってるんや。おれはそういう

封建的な序列意識を改めようと、これはなあ、あなた、革命なんや、

文化革命なんや」

「そんなことはこの中だけにしなさい。学校中に広めないで下さい」

「それでもクラブの皆は賛同してくれたんや」

ここで大きな拍手が起った。

「それで一体何が変わるというの」

「身分や年齢や性別による言葉の差別がなくなる」

「そんなの嘘よ!なくなる訳ないわよ。」

するとシカゴが口を挟んだ、

「なんや、先生も結局差別があることは認めてるんや」

そこでおれがビラに書いてある憲法第14条を読んだ。

「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会

的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、

差別されない。」「ほらっ。おれはただ、下の者だけに敬語を強いる

のはやめようと言ってるだけなんや」

「そんなこと学校が認めるわけないでしょ!」

「認めてくれなんて言ってない、ただ、おれ達が使わんだけや」

「そんなことすれば社会に出て困るのはあなた達よ!」

「その考え方が間違っているんや。それじゃあ社会というのは間違

っていると思っても、困りたくないから黙って従ってるんですか?」

教師の清水さんはそれ以上は何も言わなかった。そして、

「わかりました。わたしはもうあなた達を指導することが出来ませ

んので、今日でこのクラブの顧問を辞めます」

そう言って全くこっちを見ずに出て行こうとした。

「先生!待って!」

咄嗟に「先生」という言葉がでてしまった。彼女はドアの寸前で立

ち止まっておれを睨んだ。

「あなたが辞めるのはどう考えてもおかしい。相談もせずに勝手

な運動をしたおれに責任があるんやから、辞めなあかんのは自

分の方です。それに三年生はもう部活をやめる時期やし、この際、

自分がやめます」

実際、一週間後には三年生を送る部会が予定されていた。そして、

「どうか清水さんにはこれからも顧問として残ってもらいたい」

そう言うと皆が一斉に拍手した。おれは信念を捨てて何度も「先生」

という言葉を使って慰留した。すると彼女も渋々ながら考えを翻し

てくれた。その後、女部長が提案して急遽、三年生の送別会をする

ことになった。おれは皆に迷惑を掛けたことを謝って、部長を選ぶ

投票が行われ、女生徒からの圧倒的な支持を得て一年生のシカゴ

が選ばれた。何度も言うがおれ達は学年による分け隔てが無く誰も

がタメで話し合えた。シカゴは堂々と新部長としての抱負を開陳した。

そして清水さんも顧問として、アンちゃんの悲しい出来事に触れた。

「わたしの力不足であなた達を守ってやれなかったことを本当に申

し訳ないと思っています」

そう言って泣き出した。我々の誰もがアンちゃんのことは心の奥底

にしまっていたのだ。思い出した女生徒の多くが連られて泣き出し

た。

「これからはもっとあなた達の相談にのれる顧問になります」

全員が湿った拍手を送った。そして今までどおり一二年生が歌う校

歌に送られて三年生が部室を後にした。

 おれの「反儒教革命」は、おれが部活を辞める事で軽音楽部とし

ての責任を取った形になった。部活内では敬語を排して分け隔てな

く活動していたが、おれはアンちゃんからそれを引き継いで校内に

まで広げようとしたが上手くいかなかった。元々、こうなるだろう

とは予測していた。そしてその時は辞めようとも決めていた。飽く

までもクラブ活動は学校内活動で、学校が認めない限り好き勝手に

出来るわけがなかった。しかし、そんなことを言えば、会社内であ

れ、地域内であれ、それこそ日本国内でも、序列の下の者は異見が

あってもただ黙って命令に従うしかないのだろうか。社員は経営者

に異見を述べてはいけないのだろうか。実際この国ではそうなのだ。

「分を弁えろ!」

そういう封建的な序列秩序こそが、客人のような若者の無関心を蔓

延らせ、独立不羈の志を萎えさせてきたのだ。敢えて言えば、数多

の企業で行われている行動や計画は、ほとんどの若者は命令される

から「仕方なく」取り組んでいるに過ぎない。命じられた成果を残

すことだけに齷齪(あくせく)し本来の意義や展開など知る由もない。

権力に諂い無力の者を嘲ていれば自分の立場が保てる。誰も「独立

不羈」の精神など養ってこなかった。しかし時代はひっくり返った。

若者を客人として迎えてくれる社会など無くなったのだ。卒業生の

多くは企業からの求人が集まらず、仕方なく失業対策の為の専門学

校へ掃きだされようとしていた。

 その後、マスメディアはおれ達バブル崩壊後に社会に出た世代を

「ロストジェネレーション」と呼んだ。元来それは第一次大戦後の

喪失感による厭世的で自堕落な世代を、主にアメリカの作家たちが

作品に描いてそこから生まれた言葉である。ヘミングウェイはそれ

を代表する作家だ。ただ、かつての「ロストジェネレーション」が

戦後の喪失感であったのに対して、我々の「ロスジェネ」はこれか

ら始まる戦争「前夜」の喪失感でないことを願うばかりだ。いや、

「ロスジェネ」世代は戦争アリなのかもしれない。戦争って一瞬で

閉塞状況をぶっ飛ばしてくれそうだし、そうでなきゃ一瞬で自分を

ぶっ飛ばしてくれる。おれもこうなったら「ロスジェネ」作家を目

指して小説でも書こうかな。「日はもう昇らない」とか、或は「武

器を取れ!」とか。

                              (つづく)

「バロックのパソ街!」 (十九)

2013-01-21 02:37:25 | 「バロックのパソ街!」(十六)―(二十)



                (十九)




 おれの「反儒教革命」は、卒業と共に終わろうとしていた。出来

ることなら革命を成し遂げるまで学校に留まって居たかったが、学

校の方がそれを嫌がった。あのビラ事件の後、教育指導の教師たち

に呼び出され、歴代の校長の写真がズラーっと掲げられた部屋で、

おれ達はその部屋を「北朝鮮の間」と呼んでいた、もちろん将軍様

の「御真影」は無かったけれど、その部屋で「教育」の社会的意義

のようなものを懇々と説かれて、要するに大人しく卵を産まなけれ

ばその内バラされるぞと嚇された。おれは、ドアの壁際から窓際ま

で並べられた歴代の校長の醜悪な写真に威圧されて、抗弁できずに

黙っていた。そもそも亡者たちの列に老醜を曝すことに何の恥らい

も持たない彼等の神経が痛ましく思えた。そして最後に教師のひと

りが、

「確か、君は留年したんだよね。だから登校しなくても『卒業させ

てやる』から、もう学校へは来なくていいよ」

そう言った。そこでおれは、

「それじゃあ、さっき「仰った」社会的意義に反するんやないです

か?」

そう言うと、それには答えず、別の教師が、

「おまえが来ると他の生徒の迷惑になるからな」

おれは目上の者や教師に憂ざったいと思われても、決して学生の迷

惑になるような主張をしたつもりはなかった。

「迷惑をしているのは生徒ではなく、あなた達やないんですか?」

「ああ、実際に先生方も迷惑してる」

「それでも、憲法ではそれぞれの思想信条の自由は認められている

やん?」

「そうかもしれん、しかし敬語や礼儀作法というのは長い間培って

きたこの国の文化なんや」

「文化って憲法よりも優先すんの?」

「まあせやな、憲法なんかよりずーっと前からそうしてきたんやか

ら」

 旧き良き時代に戻ろう言うのは現在を見失った者の戯言に過ぎな

い。人生であれ社会であれもう一度後戻りすることなどできないの

だ。過ぎ去った感情は取り戻すことなどできない。それはすでに我

々があの頃の自分にはもう戻れないからだ。尊敬や愛情といった感

情は押し付けたからといって生まれるものではない。この国の原理

主義者たちはその肝心なことがまるで解かっていない。「国を愛そ

う」だとか「親を尊敬しよう」などといくら叫んだところでそうな

るものではない。感情は理性の及ばないところで働く。すでに個人

にとっては、国家や会社や、家族でさえも方便に過ぎないのだ。我

々は「アイデンティティー」を本来の意味する自己自身に求めるし

かないないだろう。ところが、自己を見失っってしまった人々はそ

れを他者に求めようとする。チョンマゲを結った大人たちは全く何

も解かっていない。おれ達は表象だけの愛情や尊敬を「強いられる」

くらいなら、もちろん報われないことは覚悟の上で、むしろ「孤独」

でいる方が「アイデンティティー」を失すことなく自分に素直に生

きられるのだ。おれ達の嗅覚はすでに「道徳」の作為的な疚しさや

偽善的な青臭さに耐えられないのだ。おれ達は世代間の馬鹿げた序

列道徳に幻なりして、社会について話すことにも関わることにさえ

も虚しさを覚える「ロストコミュニティー」世代なのだ。

                                (つづく)

「バロックのパソ街!」 (二十)

2013-01-21 02:36:21 | 「バロックのパソ街!」(十六)―(二十)
 


              (二十)




 毎年の恒例で、一二年生が卒業を迎えて退部する三年生の歓送会

を催してくれた。アンちゃんがいた頃は、彼の親が経営する焼肉店

で開かれていたが、「今年はどうしよう」とシカゴが新部長として

始めての役目に頭を悩ましているところへ、と言うのはアンちゃん

の店なら全く予算の心配がなかったから、ところが程なく、アンち

ゃんのお母さんから顧問の教師へ連絡があって、「是非今年も今ま

で通り使って下さい」と言ってくれた。それを聞いてシカゴは拳を

握り締めて喜んだ。

 数年前までは、深夜になっても寝ることも忘れてハシャいでいた

街も、バブル崩壊後は、家々の屋根まで黄金で葺かれた輝く国「ジ

パング」が、実は藁葺きだったことを聞かされたかのように、今で

は人々も昼間でさえ夢遊病者のように憔悴しきったようにうな垂れ

て歩いていた。部屋の中で暇を持て余すことが惜しく思えるほど浮

かれていた街も、今年は秋の訪れがひときわ心寂しく感じられた。

枯葉を舞い散らす秋風が、これからどう生きればいいのか解からな

い意思を亡くした心の隙間に容赦なく吹き込んできた。歓送会へ向

かう通り道の商店街も人の往来がメッキリ淋しくなって、アーケー

ドにはバブルガム・ブラザースの「Won’t be long」が虚しく流れ

ていた。アンちゃんに教えられて、そしてカモられた麻雀の時によ

く唄った曲だ。相手のリーチに降りようかと思案していると自然と

「降りオリオー」と口ずさんでいた。すると、リーチを掛けた相手

が「やりヤリヤリヤー」とけしかけた。内容のないノリだけの曲だ

ったがバブル崩壊後の目的を見失った時代の気分によく合っていた。

 アンちゃんの親が営む焼肉屋はコリアタウンにあった。商店街の

路地を曲がると直ぐだったが、曲に誘われてつい商店街の外れまで

来てしまった。引き返して店に着くとシカゴが玄関で待っていた。

「遅いよ!古木、何してんの?」

「ごめんごめん!えっ、おれだけ?」

「あんただけや!もう来(け)えへんのか思たで」

シカゴに急かされて店に入ると奥の座敷には部活のみんなが揃って

いた。「Won't be long」どころか危うく「Won't  belong 」

するところだった。

 顧問の清水教師がアンちゃんの両親へ感謝の言葉を述べ、卒業生

が一人ずつ思い出を語って、シカゴが乾杯の音頭をとって歓送会は

始まった。気が付くと、良子ちゃんが店を手伝ってガスコンロに火

を着けて廻っていた。それぞれ五人が座る5台のテーブルの最後に

おれ達の卒業生の席にやってきた。彼女とは彼女が高校受験を控え

ていたのでしばらく会っていなかったが、見違えるほどに女らしく

なっていた。おれが、

「また一緒にお経を聴こうね」

そう言うと、

「あほっ!」

彼女はしっかりと自分の意見を言える女性になっていた。

「何?お経って」

ピアノで音楽学校への進学が決まっている元女部長が退屈して話し

に絡んできた。

「宗教?」

「まあ、そんなもんかもしれん」

「どんな宗教?」

「なんなら今度一緒にお経を聴く?」

それを聞いてた良子ちゃんは着火器でおれの肘を炙(あぶ)った。

「カチッ!」という音と同時に、おれは「熱っつう―!」と叫んだ。

「アッ!ごめんなさい!間違えて火が着いちゃった。大丈夫ですか、

お客さん?」

良子ちゃんはそう言い残して冷たく席を離れた。

 咀嚼に忙しかった口は空腹が満たされると、今度は喋ることに忙

しくなった。顧問の手前もあって禁酒禁煙だったが若い時は美味し

いもので満腹になればそれだけで充分酔えた。席を外してトイレに

行く途中で良子ちゃんが待っていた。

「ばかっ!」

「ごめん」

二人の立場は完全に逆転していた。しばらく会ってないうちにどう

してそうなったのか、一体どんな契機でそうなったのか確めたかっ

たが、彼女が身体を寄せてきて、

「キスして」

「今日はタバコを吸ってないからな、焼肉は食ったけど」

そんな契機はどうでもよくなった。トイレのドアが開いたので二人

はすぐに身体を離した。おれは何もなかったようにトイレに行った

が、戸惑いは勃起したペニスにも伝わってなかなか用が足せなかっ

た。 席に戻るとシカゴが言った、

「古木、卒業したらどうするの?」

「どうもせん」

実際何をすればいいのかまったく解からなかった。ほとんどの学生

は進学や就職が決まっていたが、自分は目的すら見つけられずにい

た。人は生まれてから家族や地域や学校や、またはマスメディアを

含めた社会の中で成長する。その中でそれぞれの生きる目的という

のは実は社会の所与であって自らの意思によるものではない。社会

なんてどうでもいいやと思えば途端に生きる目的を失って、ニート

か引き篭もりになる。彼等の無為は社会批判なのだ。そして社会の

所与ではない自分の意思による生きる目的を必死で捜しているのだ。

もちろん、おれも親父が倒産するまでは社会という大船に乗る心算

だった。ところが、一夜にして総てが崩壊し混乱しているうちに船

は出てしまった。呆然とする自分をもうひとりの自分が覚めた目で

眺めていた。やがて、その進路というのが本当に自分の意思が望ん

だものなのか怪しく思えてきた。深く想わずに「渡りに船」と社会

の所与に縋(すが)って生きていこうとしているのではないか。そう

思って世間を見渡すと、何のことは無い、誰も自分の意思によって

生きている者など一人もいないではないか。箱の中に押し込められ

箱の中で暮らし箱の中で死んでいくのが人間なのか。所与の世界で

しか人間は生きることが出来ないのか?もしそうだだとすれば、我

々は決して生きているのではない、生かされているのだ!社会など

に縋がらなくたって、たとえ船などなくたって独りで世の中を泳いで行

こう。自分で考え自分のやりたいことを自分で決めて生きていこう。

そう考えるようになると、箱の中での功名や他人の評価なんてどうで

もいいと思えるようになった。

「まあ、しばらく歌で凌ぐわ」

「いっそのことそっち目指したら」

「あかん、尾崎豊に先越されてしもた」

バブル期のミュージックシーンは螺旋の円周を狭める様にして過去

の模倣が繰り返され、衝撃を与えるほどのミュージシャンは現れな

かった。その中で唯一異彩を放っていたのが尾崎豊だった。彼は社

会の不条理に抗いながら生きることの苛立ちを歌った。26才の若

さで命を絶ったが、その早すぎる死に驚きはなかった。歌そのまま

に「この世界からの卒業」を果たした。それはまるで楽しみにしてい

た夏祭りで気に入った露店が見つからないまま参道を通り抜け裏

道に出てしまった子供のように、彼はこの退屈な世の中を通り過ぎ

て逝った。もしも、「生きる」ということが死に挑むことだすれば、彼

は命を惜しまずに生きた。

「シカゴ!カラオケ行かへんの?」

誰かが空腹の満たされた元気な声で幹事のシカゴに催促した。歓送

会の二次会は同じビルの上の階にあるカラオケと決まっていた。良

子ちゃんによると、アンちゃんのお父さんはあの事件の後、日本に

帰化してお母さんの氏名を名乗った。彼は祖先から繋がる族系を断

ってしまった。それは父系宗族を重んじる在日の者にとって民族ア

イデンティティーを失うことでもあった。さらにパチンコ屋もいず

れ人に譲る心算でいた。予(かね)てからアンちゃんが訴えていたこ

とだった。イカサマ商売を占有している限り在日は狭い宗族社会か

ら逃れることは出来ない。イカサマ利権は手放さず民族差別だけ訴

えても理解してもらえないだろう。自虐史観は日本だけのことでは

なかった。

「儒教道徳とはそもそも強い者に諂(へつら)う自虐道徳なんや」

アンちゃんはよくそう言った。
 
 軽音楽部の部員たちのカラオケ大会はさすがに聴き応えのあるも

のだった。おれもみんなに担がれて尾崎豊の「卒業」を歌った。カ

ラオケに飽いてそれぞれがオリジナル曲を披露する頃になると、

もう新しい日が始まっていた。

                                 (つづく)