(十六)

2012-07-11 05:56:27 | ゆーさんの「パソ街!」(十六)―(二十)
                   (十六)



 峰々に留まっていた残雪が雪解け水となって渓谷を流れ下り、再

び天地の間を巡る果てしない循環に回帰し始めたが、その一部は人

によって行く手を遮られて流れを逸れ、乾いた田に導かれて潤し、

水面となって春の日差しをメタリックに反射させた。温んだ水は小

さな生き物から順に目覚めさせ、新緑が芽吹き始めた樹木の下では、

陽射しが遮られる前に種を残そうと大地にしがみついた草花が慌た

だしく可憐な花々を咲かせていた。冬の間、巣に閉じ篭って口を噤

んで耐え忍んでいた小鳥たちも、それまでの辛さなどすっかり忘れ

てしまったかの様に無邪気な鳴き声を響かせた。この国に生きる人

々が、すぐに過ぎ去ったことを忘れてしまうのは、もしかすると、

目まぐるしく移り変わる四季の所為かもしれない。春の訪れを喜ぶ

時に厳しかった冬を忘れてしまうことは到って自然なことではない

だろうか。                         

「お父ちゃん、まさか、また忘れたんとちゃうやろな?」    

娘のミコが寝ている私の部屋のドアをノックもせずに勢いよく直角

に開けて、叫んだ。

「何が?」

私はフトンの中から身動きもせずに疎ましく応えた。

「何がって、池本さん等が来はんのん、今日とちゃうのん」

「あっ!せや、忘れてた」

私は慌てて上フトンを撥ね退けて起き上がった。

「もうっ、またや」

ミコは、私の物忘れの良さに常々呆れ果てていた。しかし、もしも

人の記憶に容量の限りがあって、何を保存するべきか、或は削除す

べきかを決定するのは、記憶を掌る理性にあるのではなく、むしろ、

移ろう感情に支配されている。つまり、理性が幾ら忌まわしい記憶

の「削除」を試みても感情がすぐに「復活」させてしまうのだ。ただ、

わたしはこの時ばかりは理性に従う。何故なら、過去の記憶に縛ら

れて今を見失いたくないからだ。記憶の容量を思い出で満たしたく

ないのだ。わたしは記憶を保存することよりも削除することを心掛

けているのだ。                       

「年をとると物忘れがひどくなってあかん」          

「物忘れよりも物覚えが悪いのとちゃうの?」         

「それ、どう違(ちゃ)うの?」

 池本さん一家は、わたしたちと同じようにCS(化学物質過敏症)

に苦しむ子供を抱えていた。社会生活を共有できない疎外感は発症

した本人だけに止まらずその子を見守る親たちにも及ぶことはこれ

までにも幾度となく記したので繰り返さないが、彼らとは大阪に居

る頃、CS患者の集まりで知り合った。その後、わたしたちが大阪

を離れてもお互いに連絡を取り合い、今では「虫食い農園」の野菜

を買ってくれるお得意さんだった。もちろん、わたしたちが都会の

生活を棄てて山村に居を移したことは、彼らにとっても大きな関心

だったのだろう。娘のミコの症状が改善したことが彼らがここへ移

り住むことの大きなきっかけになった。とはいっても、すぐにお父

さんまで仕事を辞めて何もかも棄てて一家がここで暮らすことは出

来ないので、とりあえず十才になったばかりの女の子「あやちゃん」

、名前を文香(あやか)と言った、とお母さんのふたりが体験生活を

することになった。

「お父さんも一緒に来るんでしょ?」

ダイニングテーブルのPCでニュースを見ているわたしにミコがコ

ーヒーカップを置いてそう言った。わたしは何も混ぜないで口に流

し込んだ。

「ああ、一週間くらいは居ると思う」

「ご飯どうしょう?」

「どうしょうって?」

「あやちゃん、食べられへんもんってあるんやろか」

「アレルギーか?」

「うん」

わたしは半熟の目玉焼きの黄身に塩をかけフォークで崩したところ

へ、自家製の小麦で作ったトーストを対角線で二つ折りにして、そ

の一角を浸けて口に運んだ。ミコは「変な食べ方」と言って怪訝な

眼で見るが、皿に流れる卵黄をどうすれば防げるか長年考えた末

の食べ方なのだ。食べ終わった後に黄身で汚されていない皿はわ

たしの小さな自慢だった。目の前にある食べ物をただ胃の中へ移す

だけでは食文化は生まれない。同じものを食べても、つまり、譬え結

果は同じであっても過程を工夫することで豊かさが生まれる、文化と

はそういうものだ。ミコのように朝取りの新鮮な鶏卵を生命体の跡形

も残らないまで火に炙って炭化物に変質させてしまっては元も子もな

い。あっ、言うのを忘れていたが、彼女は小さい頃から卵へのアレル

ギー反応があって一切受けつかなかった上に、鶏卵だけに止まらず

凡そ卵というものを口にすることを厭がった。それには母親の影響も

あったのか、突然ふたりは「ベジタリアン」になることを宣言して、そし

てわたしが夕食にわたしだけの為に用意された豚カツなどを頬張って

いると、犠牲になった仲間を貪る卑しい猛獣を遠くから無言で眺めて

いるトムソンガゼルたちのように蔑むような眼でわたしを見ていた。

それでも、育ち盛りのミコはここに来てから少しずつ魚や鶏肉さえも

口にするようになった。ここでは命を奪うこととその命を食すことが

ひとつの行いとして繋がっていた。生きるとは自分の命を養うために

ほかの生き物を殺すことに他ならない。その明快な論理が彼女に生き

るためのある決心をさせたのかもしれない。今ではたじろぎもせずに

鶏の首を絞めて食事に賄った。わたしは白い皿だけを残して、そして

カップの底に溜まった冷めたコーヒーを飲み干して立ち上がった。

「わかった、会ったら聞いてすぐに連絡するわ」

そう言って池本さん一家を迎えるために家を後にした。

 わたしたちが暮らしている集落はすでに限界集落となって久しか

った。一時は学校も造られるほど賑やかだったこともあったらしい

がもうその面影はどこにもなかった。ただ一本の道路で街と繋がっ

っていたが、先の地震で川に架かる橋の橋脚が崩落して舗装道路は

陥落して垂れ下がり、辛うじて此岸の壁面で止まっていた。従って、

自動車の通行が出来なくなり、車で街へ出るにはその道を反対方向

に向かって九十九折(つづらおり)の道を走って山を越え、隣町に出

てから県道を廻って迂回しなければならなかった。そのルートは橋

が壊れる前の三倍以上の時間を要したが、行政の対応は鈍く、未だ

道路は此岸の壁面に繋がったままだった。ただ、化学物質からの避

難を繰り返さざるを得なかったミコはそれを歓迎した。わたしが役

場へ掛け合ってくると言うと必死になって引き止めた。やがて役場

からもそんな不便な集落を出て、いまの暮らしに見合った土地や家

屋は用意するのでもう少し人里に降りてきて暮らさないかと提案し

てきたが、こんどはこの地で代を守って生きて来た僅かばかりの老

人たちが先祖代々の土地を自らの手によって棄ててしまうのは忍び

ないと頑(かたく)なに拒んだ。こうして、ミコと老人たちの不思議

な連帯が生まれ、遂にはその訴えが実を結んで行政を「動かさなか

った」。

 車でやって来る池本さん一家とは遠回りでも道が繋がっている隣

町で待ち合わせた。しかし、わたしはその隣町とは反対方向の橋が

陥落して道路が途切れた場所へ歩かなければならなかった。と言う

のは、わたしの車は街へ出る時のために行き止まりになった対岸の

道路に停めてあったので、車に乗るためにはそこへ行かなければな

らなかった。そして、遠回りする道路を辿らずにショートカットの山

道を歩いた。もちろん、街へ行くにはその方が早かったが、車まで歩

いてそれから隣町へ行くのと反対方向から車で山越えをして隣町に行

くのとはそれほど時間は変わらなかった。こうして、循環が途切れて

しまった一本の道路の此岸と彼岸とは、かつては繋がっていたにも

拘らず、断裂によっていまでは目の前に在っても最も離れた直線の

両端へと変貌してしまった。つまり、最も近くに在るものほど最も

遠くに離れてしまうのだ。

 モノトーンに飽いた山々は、種々の木々が樹皮を破って生まれて

くる新しい芽吹きに彩られるように、気付かないうちに山裾では様

々な新芽の淡い色彩が明暗ばかりの色調を乱し始めた。その間を縫

って勢いよく流れ下る穢れのない渓流は岸の岩場に当たっては純白

の白波を其処此処に立てながらその一部は霧となって空を舞い、迫

り出した小枝の先の若葉を惜しげもなく潤した。山道は融け始めた

土の匂いと草花の甘い香りや樹木の凛とした芳しさが、立ちこめる

霧にやさしく覆われた。それは息吹き始めた生き物たちの春の営み

の薫りだった。そして、山道の右に沿ったり左に現れたり、時には

音だけを轟(とどろ)かせて隠れてしまったり、すると突然、淀みに

流れ落ちて静寂の中でわたしを待っていたりするせせらぎの低音、

せっかちな小鳥が木の上から高い鳴き声でそれに応じ、つられて一

斉に歌声を競い合い、それが残雪の残った森にこだまして春風を誘

い、幹の柔らかな草々を爽と揺らした。こうした色彩と薫り、生き

物たちの鳴き声と水の流れ風の音、この麗しい自然の世界の中に留

まることができるならば、移ろい易い薄っぺらな欲望や、自らの幸

福を他人の羨望によって確かめなければならない生き方や、偶々知

り合っただけの者との馬鹿げた恨みに執着することなど、それらは

どれもたったひとつの生き物としてこの自然の中で気ままに生きる

ことができるならば、作為的な豊かさ、つまり、偽善的な社会など

全く棄ててしまっても構わないとさえ思った。

 たとえば、この小一時間をかける山歩きを不便だろうからと世話

を焼いてくれて、件(くだん)の橋を架け替えてくれるようなことに

なって車に乗って僅か十分程度で辿り着くようになれば、わたしは

確かに時間的には大きな節約を得ることができるだろうが、しかし、

その退屈な十分間を耐えるために、楽しい小一時間の山歩きを諦め

なければならないのだろうか?草花の可憐な色彩や森の薫風、絶え

間なく流れる渓流の水音や小鳥の囀(さえず)りを楽しむ歓びが満腔

を充たし時間を忘れて歩く歓びを棄ててまでも、わたしはただそこ

へ早く行かなければならないのだろうか?東京―大阪間を飛行機や

鉄道を使って三時間足らずで何度も行き来する者が、何週間もかけ

て宿場を辿って只管(ひたすら)歩いて、後にも先にも人生一度きり

の花のお江戸に辿り着いた者よりも東京―大阪間のことなら何でも

知っているとは言えない。ただ、彼が熟知しているのは「移動する

こと」だけである。通り過ぎた土地のことなど知ろうとしないし興

味すら湧かない。世界地図の訪れた都市の上にどれほどピンを立て

てもそれらは線にもならないし況してや面にもならない、ただの点

に過ぎない。「世界各国へ行った」。そうだ、そのとおり彼はただ

「行った」だけなのだ。それも大概は自分の興味からではなく人の

興味を得る為の都合のいいエピソードを求めて。我々はアナログ社

会の過程を棄てて、ただ結果だけを求めるデジタル社会を迎えてい

る。或る人は社長になった。しかし、「何をして」などどうでもい

いのだ。また、或る者は総理大臣になった。「何をしたか」などど

うでもいいのだ。つまり、結果を残せない過程など価値がないのだ。
しかし、それでは、過程を省かれた結果というのがそれほど価値の

あることだろうか。もしも、世間が結果だけを見て、つまり、人を

富や肩書きだけで判断するなら、そんな社会はきっと一発屋芸人の

ギャグほどにも何も生まない社会だからあっさり見切って、人への

自慢にはならなくても、後にも先にも一度きりの人生を、拙速に移

り変わる世間に惑わされずに自分の足で歩いて行こうと思った。何

故なら、時間とは社会から生まれた概念だから。

                                   (つづく)

(十七)

2012-07-11 05:51:11 | ゆーさんの「パソ街!」(十六)―(二十)
                   (十七)



 山道を歩き終えた後の車の運転は退屈だった。思索を繋げ止め

る視線の対象が定まらず、考えがが纏(まと)まらないうちに過ぎ

去ってしまった。思うに、意思と呼べるものは総ての生きものが獲

得していて、喩え植物であっても成長したり動くことができるという

ことは何らかの意思がなければできないはずで、その凡そを遺伝

子に支配されているにせよ、決断は個々に委ねられている。つまり、

進化とは個々に委ねられた「逸脱」した思考によってもたらせるのだ。

思考が動くことによってもたらされたとすれば、我々の思考はその身

体能力によって制限を受けている。ところが、進化を道具に委ねた人

間は、道具の著しい進化によって身体能力と思考能力のバランスが

崩れ、たとえば、時速50キロで移動できる身体に相応しい思考能力

を未だに持てないでいる。何故なら、実際にはそんな速さで走る身体

能力を獲得していないからだ。こうして、我々は身体を超えた能力を

道具によって手にした代わりに、道具を操ったり機械に身を委ねるこ

とによって自らの能力を見誤る。身体化されない超能力への依存が、

我々の身体能力の退化と同時に、それに相応しい思考能力の退化

を招いているのではないだろうか。何かを手に入れた時に、何かを失

ったことには気付かずに。わたしは、大袈裟かもしれないが、軽い時

差みたいなものを感じて車を降りた。

 池本さん一家とは隣町のショッピングストアで待ち合わせた。わ

たしは早く着いて買い物を済ませてから彼らを待った。K―帯で連

絡を取り合っての待ち合わせはスムーズだった。間もなく夫妻が車

から降りて来た。わたしも車を降りて迎えた。そしてご主人に、

「どうも久しぶりです。大阪からだと疲れたでしょ?」

「どうも、ご厄介をお掛けします。いやーっ、日本って案外広いん

ですね、世界地図を見るとそうは思えないけど」

「確かに。一億二千万も居るなんて到底思えないよね」

すると奥さんが、

「でも、納得しましたよ。こんな山奥にも民家が立ち並んでいるん

だもん。あっ、ゴメンなさい」

「何のっ!わたし等が居る所はもっと山奥だから、奥さん、覚悟し

て下さい」

「ええ、娘のためなら何処だって行きますよ」

「あっ、それで、あやちゃんの具合はどうですか?」

「良くは為らないですね」

「やっぱり」

そう言って、池本さんの車に近付いて車内を覗いた。文香ちゃんは

助手席でマスクをしたまま、春風さえも断って締め切った窓にもた

れて眠っていた。車での長旅で疲れたのだろう。露出した肌は青白さ

と赤みが斑(まだら)で、一目で健康な子どものそれとは違っていた。

それでも、わたしはお母さんを励まそうと、

「ミコがここへ来た時より顔色はずっとましですよ」

事実そうだった。

「本当ですか!」

奥さんは安堵を確かめるように言った。

「あまりここに居てもあやちゃんにも良くないでしょうから、さあ、

もっと山奥に引き篭もりますか」

「はい、後を着いていきます」

「あっ!そうだ、あやちゃんは食べれないものってある?」

「ええ、いっぱいあります」

「やっぱりそうですか」

「でも、おたくの野菜は毎日食べさせてましたから大丈夫です」

「なるほど」

わたしはミコに連絡してそのことを伝えた。ミコは、それじゃあ私

が食べれるもので用意しておくと言った。わたしは、

「あやちゃんもお腹空いたでしょ、きっと。買って食べれないから」

「そうかもしれません」

「三人の食事を用意してますので行きましょう」

「あのう、実は、三人じゃなくて四人なんです」

「えっ?」

わたしは振り向いて車の後部座席を覗いた。すると、何と、妻の、

否、元妻の、ミコの母が、わたしの目を見て申し訳なさそうに頭を

下げた。

「奥さんが内緒にしてって言うんで・・・」

池本さんの奥さんは元妻が一緒に来ることを隠した理由を明かした。

「でも、奥さんが一緒に来てくれて文香も私たちもほんとに助かりま

した」

彼女は娘のミコに付き添った経験からCSのことをよく知っていた。

だから、これまでも何かと文香ちゃん家族の不安にアドバイスして

いたらしい。

「そうだったんですか」

わたしは彼女を問い詰めることなどせずに、わたしの車に移るよう

に促した。彼女は黙ってドアを開けて降り、後ろのハッチを開けて

もらって自分のキャリーバックを移し変え、池本さん夫婦に礼を言

った。それまで雲に遮られていた陽射しがその時だけ初夏を想わせ

るマンガで見るような六角形の反射を幾つも連ねた光線がギラギラ

とふたり照らして、ことさら無言でいることを際立たせた。駐車場

を出て山間の農道に出ると再び山道は春霞みに覆われた。しかし、

霞に覆われようと亀甲を連ねた陽射しが差し込もうと、ふたりの重

苦しい空気を変化させることはできなかった。

「あやちゃんの具合はどう?」 

重苦しい空気に耐えられなくなってわたしが言葉を吐いた。

「ミコの時よりも軽い」

「そうか、じゃあ何とかなりそうやな」

「ええ」

思い付いた話題はわずかの会話で途切れた。それは互いに他のこと

を考えていたからだった。しかし、気兼ねしてそれを言い出せなか

った。変わり映えしない景色と相まって沈黙が続いた。すると突然、

彼女が後ろを振り返って、

「あんたっ!」

と叫んだ。一緒に暮らしている時、彼女はわたしを呼ぶときには決

まってそう言った。だから、「あんた」と呼ばれたことにたじろい

た。

「えっ?」

もちろん、彼女にすればほかの呼び方が思い付かなかっただけかも

しれないが、わたしは、これまでのように「あんた」と呼ばれただ

けで何故かそれまでのギクシャクした感情がどうでもいい事の様に

思えた。彼女は、

「・・・ちょっと速過ぎるって。池本さんら来てないで」

「えっ!」

わたしは彼女とのことに気を取られて彼らのことは全く忘れていた。

バックミラーには蛇行した道路が山肌に隠されて後を着けて来てる

はずの池本さんの車は見当たらなかった。

「忘れてた」

そう言って見通しの利く待避所に車を預けた。

 離婚した夫婦が姓を別った後も子の鎹(かすがい)によって仕方な

く会わなければならなかったり、或いは話をしなければならなくな

った時、彼らはお互いを何と呼んでいるのだろうか?たとえば、そ

こに子どもも居合わせていれば、子どもを傷付けないように父親母

親を演じるのだろうか?恐らく、社会などを気にせずに二人だけの

世界に充たされていた恋人同士が、暮らしていくために社会と関わ

り、そして「夫婦」の役割を演じ始めた時に二人の世界が消滅する。

かつては、互いに運命を感じて愛を確かめ、この人のいない如何な

る人生も幸せだとは言えないとまで一途に思い詰めたかけがえのな

い人も、想いを実らせて一緒に暮らし、「夫」「妻」或いは「父親」

「母親」の社会的な役割を演じ始めた時に、恋しい人は遠ざかって

小さくなる。夫婦の役割は社会的な責任をもたらし、社会が二人の

愛を義務に変えてしまった。愛とは、相手をただ受け入れることだ

とすれば、能力によって選別する競争社会とは相容れない。わたし

は豊かな暮らしを得るために競争社会を生き抜き、そのことが彼女

を受け入れようとしなかった原因を生んだのかもしれない。しかし、

すでにわたしは社会を棄ててしまったではないか。社会的な立場や

常識といったタテマエなどもうどうだっていい。ただ、失ってしま

った彼女との二人の世界をもう一度やり直したかった。そして、

社会的な役割を忘れた寛(くつろ)かな笑顔を彼女にもう一度

取り戻してほしかった。

「じっ、実は、相談があるんや」

「何?」

「あのーっ、・・・」

「早よう!何っ?」

わたしは意を決して、

「あのーっ、おっ、おれの『セフレ』になってくれへんか」

「何や、『セフレ』って?」

「せっ、『セフレ』って言うのはやな・・・」

その時、車道を一台の車が勢いよく走り抜けた。すると、彼女が

その車を指差して、

「あっ!池本さんや、ほらっ!池本さんが通り過ぎた」

わたしは慌ててクラクションを鳴らして彼らに知らせた。彼らの車

はそれに気付いて急ブレーキを掛けて停まった。ただ、わたしは彼

女に『セフレ』という言葉が『セックスフレンド』の略語だと打ち

明ける機会を失い、それでも彼女はしつこく聞いてきたが、改まっ

て説明するにはあまりにもバツが悪かった。

「なあ、あんた、『セフレ』って何やのん?」

気付かないうちに山霞は「霞」散して再び亀甲が連なった陽射しが

差し込んでいた。

                          (つづく)

(十八)

2012-07-11 05:49:11 | ゆーさんの「パソ街!」(十六)―(二十)
                  (十八)



「あっ!ツバメ」

ミコの声に誰もが苗を持った手を止めて空を見上げた。

「なんか飛び方下手やな」

池本さんの一人娘あやちゃんが田んぼに足を取られたままお父さん

を振り向いてそう言った。池本さん一家は是非とも田植えを体験し

たいと言うのでそれに合せて来ることになった。田植えが初めての

あやちゃん一家にはミコが着きっ切りで教えた。化学物質の被曝か

ら解放されたあやちゃんは、ミコに促されてパンツのように、いや

メガネのように久しく覆っていたマスクを恐る々々剥いで、爽やかな

春風をまるで初めて呼吸をするかのように口を開けて吸い込んだ。

そして、お母さんを見てニコっと笑いながら何度も繰り返した。

 わたし達の田んぼは山の傾斜に造られた棚田で機械が入れなか

ったので毎年手植えするしかなかった。下の棚田ではわたしがバロ

ックの友だちと共に手を止めて薄曇りの空に目をやった。確かにツ

バメは風を切って翔ぶイメージとは違って何かパタパタと溺れている

ように見えた。

「きっと疲れているんやろ」

わたしの応答にあやちゃんが、

「何で?」

「そら、遠いところからずーっと飛んで来たんやから」

「あっ、知ってる。飛びながら寝るんやろ」

「へえーっ!あやちゃんそんなことまで知ってるの、すごいな」

「本で読んだことがある」

あやちゃんは小学校に入ってから発症したため、学校には通えず、

専ら自室に籠もって本を読むことが楽しみだった。但し、その本で

さえも化学物質を被曝させる厄介な代物だった。

 池本さんは和歌山出身で大阪市内で飲食店を営んでいたが、あや

ちゃんがCSを発症してから地元へ戻りオーガニックに拘った食堂

を夫婦二人で始めた。しかし、食堂は人の集まる場所でなければな

らず、たとえ熊野の大自然が控えていても育ち盛りの娘を高齢の母

親に預けて独り避難させるわけにはいかなかった。そんな折、CS

患者の集まりで偶々顔を合わせて池本さんの方から気さくに声を掛

けて来てくれた。司馬遼太郎によれば、紀州弁には元々敬語という

ものがなく誰もが上下関係を憚らず自由に語り合える開放的な土地

柄だったという。その所為で、明治維新で新政府が広く官職を一般

から登用した際、和歌山県出身の若い官吏たちは上役の者であれ

年配の者であれ平気で「お前」と呼び捨てにして(紀州弁では決し

て蔑称ではなかった)馴れ馴れしく話し掛けて顰蹙(ひんしゅく)

を買い、冷や飯を食わされたり失職したらしい。ただ、大阪人にと

ってさえも和歌山弁の持つ馴れ馴れしさは驚かされる程で、遠慮の

ない言葉は序列秩序を重んじる社会の下では逆に軽薄に見えた。判

り易く言えば、丁度、毒カレー事件の女性容疑者がメディアを通し

て喋った言葉が和歌山弁そのものだった。もちろん、池本さんは大

阪でも永く暮らしていたのでその辺はよく弁(わきま)えていたが、

奔放で飾らない性格は紀州人独特の気質なのかもしれない。

 わたしの元妻市子は霊能を究めるために、霊場高野山の麓にある

怪しげな、否、風変わりな配(あしら)いをした家屋で人との交(まじ)

わりを避け専ら亡者と語らう女霊能師の許へ修行に行っていた。

わたしも彼女に連れられて一度訪れたが、エンジニアのわたしには

到底理解できない魑魅魍魎の世界であった。ただ、わたしはこの世

界を巧く生きるために力のある者に阿(おもね)ったり況(ま)してや

亡者にまで縋ろうとは思わなかった。何故なら、自分以外のものに

自分自身を委ねて自分を生きないなんて、たとえ不運に苛まれても

したくはなかった。つまり、世間でいう幸不幸がわたしのそれとは

同じではなかった。わたしは自分を失って得る如何なる幸福も幸福

とは思えなかった。ただ、それが原因で彼女との絆を失ってしまっ

たが。ともあれ、彼女は近くに住む池本さん一家と子どもの共通の

悩みを通して交流を深めたのだろう。わたしの呼び掛けをあっさり

彼らが受け入れた背景には元妻の働きかけがあったからに違いなか

った。ただ、彼女が霊能力を究めて修行を終えたのか、それとも諦

めて終えたのかは定かではなかったが、もうそんなことはどうでも

よかった。彼女は彼女の思うように生きるべきだし、それを頭ごな

しに否定しようとは思わなかった。何故なら、迷っている者は自分

が迷っていることさえ隠そうとするから。

 わたしは、バロックの友だちの画家さんとサッチャンと一緒に下

の棚田を植え終えて、池本さん一家が居る田んぼの上の棚田へ

と移った。バロックは専ら苗束を手渡したり植え方を指示したりと

畦や納屋を駆け回った。元妻はみんなの賄いの準備に忙しかっ

た。こんな賑やかな田植えは初めてだった。

「文香、早ようせなおにいちゃんらに負けるで」

お父さんがあやちゃんに言った。

「せやかて、足が動かへんねんもん」

あやちゃんはCSのことなど忘れて田植えに没頭していた。その時、

一匹の蝶々が彼女の前を横切った。すると、あやちゃんは、

「きゃ―っ!!」

と、叫んで泥濘(ぬかるみ)に足を取られたまま後ろへ倒れこんだ。

わたしは何があったのかと腰を伸ばした。すると、お母さんが、

「この子、蝶々、嫌いなんです」

「えっ、蝶々が嫌い?」

「ええ、飛び方が怖い、言うて」

「へーっ」

あやちゃんは泥に埋まりながらベソをかいていたが決して泣かなか

った。その強さは病と闘って培った我慢強さに違いなかった。すぐ

に、お母さんに起こしてもらい畦に上がって用意してあった服に着

替えた。傍に居た画家さんが頭の上を越えて上の棚田へとフラフラ

飛んでいく蝶々を眺めながら、

「あの子が言うまでは気が付かなかったけど、そう言われてみれば

確かにおかしな飛び方ですよね」

そして、

「いやあ、小さい子の感性には時々ハッとさせられる」

と画家らしい感想を述べた。そして、忘れてしまった「生きること

の驚き」というようなものを気付かされた、とまで言った。ところ

が、棚田を昇っていった蝶々は、さっきまで溺れるようにして飛ん

でいたツバメに、今度は颯っと飛んできて一瞬で捕らえられた。

 陽は昇るほどに勢いを増し、遮る雲霞を山際へ追いやり幾つかの

塊りにまとめた。その陽射しはもう初夏を思わせた。元妻が棚田の

下から大きな声で「お昼にしましょう」と呼びかけた。すると、誰

もが宇宙から帰還した宇宙飛行士のような覚束ない足取りで畦を下

って辺(ほとり)の湧き水の溜まりで手を洗ってから、料理が並べら

れたゴザの周りに譲り合うこともなくへたり込んだ。

「こういうのって千枚田っていうんでしょ?」

バロックの友だちのサッチャンが氷を浮かべた麦茶を渇いた喉に流

し込んでから、むすびを手にしたわたしに聞いた。わたしは、

「まあ、そういうのかもしれけど、うちのはそんなに多くないから」

「そうでしょうけど」

すると、画家さんが割って入って、

「いったいどの位あるんですか?」

「さあ、何枚くらいあるのか、毎年増えていくのでよう判らんので

すよ」

「へえ、増えていってるんですか」

無農薬米を求める消費者は年々増加して、我が「虫食い農園」でさ

えも水田が足らなくなった。そこで、バロックが山を拓いて更に上

へ上へと棚田を重ねていた。

「ええ、だから、わたしたちはこの棚田のことをナンマイダーって

呼んでます」

すると、みんなが一斉に笑った。


                         (つづく)

(十九)

2012-07-11 05:44:24 | ゆーさんの「パソ街!」(十六)―(二十)
                (十九)



 わたしは今まで事あるごとに、如何なる誘惑に飲み込まれそうに

なっても、決して自分自身を見失わないようと記してきたが、ただ、

こと恋愛について言えばそうとばかりは言えない。そもそも恋愛は

自分自身を失っても愛する人だけは失いたくないと思う感情が優先

し、自分自身を相手に委ねなくてはならないからだ。つまり、恋愛

とは女性にとって人生最大の「企投」なのだ。ミコとバロック、そ

してサッチャンのことを記さねばならない。

 ミコとバロックの穏やかな日々は、サッチャンの突然の訪問で俄

かに慌(あわただ)しくなった。サッチャンは、なるほどテレビに出

るだけあって洗練された美しい女性でミコが躊躇(ためら)うのも肯

けた。ただ、そればかりではなく彼女の着ている服からは僅かでは

あるが香水の匂いがした。到着した時は化粧や香水までしていて、

流石にバロックが飛んで行ってそれらの化学物質を落とすように説

得したが、ミコにとってサッチャンは逃れてきた街から遥々(はるば

る)追って来た刺客のように思えたに違いない。

「あんたが呼んだん?」

「違うよ、勝手に来たんや」

「いつ帰んの?」

「さあ?すぐに帰るよ、きっと」

「ちゃんと聞いてきて!」

「そんな失礼なこと聞けるかいな」

「何で?」

「せやかて、わざわざ呼んどいて」

「何やっ!やっぱりあんたが呼んだんやんか!」

サッチャンが現れたことでミコとバロックのリズムがずれ始めた。

 実際、バロックが直接サッチャンを呼んだわけではなかったが、

そうは言っても、画家さんが友だちを連れてくることを歓んで勧め

たのも間違いなかった。バロックにしてもそれがまさかサッチャン

だとは思わなかったが、些細な行き違いがミコのこれまでの平穏な

日常を乱した。ただ、面白くなかったのはミコだけではなかった。

サッチャンにしても、かつて路上で共に歌った謂わば同士に万感の

想いを抱いて、もしかしたら恋心さえも忍ばせて会いに来たら、気

性の激しいやかましい女が立ち開(はだか)った。ミコはここへ来て

から随分寛(くつろ)かにはなったけれど、小さい頃から原因不明の

病魔に悩まされたことが彼女の性格を穏やかなものにするはずがな

かった。そのことに関していえば、病気を理由に過保護に育てた親

のわたしの責任も免れない。しかし、ミコはそのトラウマを克服す

るためにもう一度自分自身を見詰め直す機会をここで得た。そして、

こんな山奥で稀有のことだがバロックという愛する人にも巡り逢え

て、大袈裟に言えば、自然に帰って、とは言っても彼女はそうする

より他に仕様がないのだが、近代社会の欠陥を超克するための新し

い生き方の端緒に着いたばかりだった。つまり、ミコにとって自然

に囲まれたこの土地以外に自分が生きることができる場所は、もう

この世界の中には何処にも残されていなかった。

 サッチャンは、とてもこんな自然の中で暮らせることの出来る女

性ではなかった。かつては「エコロジーガール」として脚光を浴び

たらしいが、たまたま流行りに乗っただけで、華やかな都会の暮

らしを棄てる覚悟など、こう言っては失礼だが、持ち合わせていな

かった。人々の歓心に応えるために自分を生きていた。だから、世

間のないところでは生きられなかった。つまり、世間一般の極めて

常識的な普通のお嬢さんだった。水が温み、引き篭もっていた生き

物たちが一斉に穴から這い出して種を繋ぐための営みに勤(いそ)し

み始めたムカデやゲジゲジやカエルさえも嫌がった。到着した日の

夜、彼女と画家さんにはわたしたちの家の中の部屋をそれぞれ用意

していたが、彼女が「虫がいる」と言ってダイニングに駆け込んで

来て、

殺虫剤を貸してほしいと言った。わたしは、ミコが体調を崩すので

そういうものは置いてないと言うと「あっ、そうか」と納得したが

困惑していた。つまり、彼女は都市近郊で暮らしながら都合のいい

時だけ「エコロジー」を説く「偽」自然主義者の類にすぎなかった。

わたしはそういう人々を「偽」然主義者と呼ぶ。

 バロックはその晩に、サッチャンはどうする心算なのかを本人で

はなく画家さんに訊ねた。すると、

「一週間もすれば出て行くはずだよ」

事もなげに画家さんは言った。バロックは胸を撫で下ろして、

「なんやっ!帰んの、東京へ?」

「いや、たまたま知り合った牧師さんから教会で歌を唄ってて頼ま

れたんだ」

「ふ―ん、やっぱりまだ歌(うと)てんのや」

「うん。それにどうもここは居心地がよくないみたいだし」

すぐに、そのことはミコにも告げられて、ミコも改まってサッチャ

ンをあくまでもお客さんとして遇することを勝ち誇ったように承諾

した。

 もちろん、わたしも便利な社会よりも山の中の不自由な暮らしの

方がいいなどとは思っていないが、しかし、我々は便利な暮らしを

送るためにどれ程の豊かさを犠牲にしなければならないかなど実は

解っていないのだ。ただ、自然環境を守るために「出来ることから」

などと言っている限り、消費社会の豊かさを身をもって知る現代人

が、何れ自然循環環境に沿って暮らす日が訪れようなどとは到底思

えない。わたしたちは、ただ、自分たちが使っているモノや捨てた

ゴミがどうなったのか、自然によって分解され再び自然循環へと回

帰していくような環境の中で生きたいと思っているだけだ。だから、

安楽に生きたいとは思わない、ただ、安心して暮らしたいだけなの

だ。そのために逐一要らないものは棄てなければならなかったが、

例えばやたら優劣感情を煽るマスメディアなどは一等最初に不要だ

と思われた。それらに接すると我々の生き方は間違っているのでは

ないかと不安にさえなった。もしも、わたしにこの社会の何が誤り

なのかと問われたら、迷わずに、眼前の結果ばかりを求める狭いカ

テゴリーの中での競争のあり方こそが誤りだと答えるだろう。つま

り、ゴールは我々が思っていたよりもずっと先にあるのだ。そして、

いま我々に求められているのは、経済合理性だけに特化した近代社

会の狭い価値観を見直して、その更なる先にある地球環境の中で生

きる生命体として価値観、つまり、「価値の転換」こそが求められ

ているのではないだろうか。


                                 (つづく)

(二十)

2012-07-11 05:39:12 | ゆーさんの「パソ街!」(十六)―(二十)
              (二十)



 田植えを漸く終えた次の日、ツバメが颯っと線を引いた青空の下、

みんなで猫背山にあるバロックが造ったスカイツリーハウスまでの

ハイキングに出かけた。毎年大勢の人で賑わう里の公園の桜はすで

に見頃を過ぎていたが、山々に鎖(とざ)された山道を分け入って仰

ぎ見るとそこここに訪れた者を驚かそうと満開の桜が待ち構えてい

た。さらに、桜に負けじと山々の木々が自慢の花々を惜しげもなく

競い合っていた。あやちゃんは病気のことなどすっかり忘れて子ど

もらしい元気で先頭に立っては後から登って来るお父さんを励まし

たり、気になる花を見付けてはしばらくじっと見詰めて置いて行か

れたり、すると、今度はお母さんに呼ばれて駆け出したりと、小鳥

たちの歓声に混じって甲高い笑い声を山々に響かせた。本当は明る

くて見たいものや知りたいことがいっぱいのあやちゃんはまるで抑

えられていた感情のうっぷんを晴らすかのように燥(はしゃ)いだ。

そして、その小鳥たちの鳴き声を真似て大声で呼ぶと木霊して返っ

てくる自分の声に興が沸いて何度も繰り返して小鳥たちを驚かせた。
さらに、ミコに習って芽吹き始めた山菜の芽を摘み、地下から滲み

出た湧き水をお父さんに掬(すく)ってもらって喉を潤し、木橋の下

を流れる渓流の川面を覗き込んでは魚の影を探り、カエルやトカゲ

や「へんな虫さん」さえにもまるで挨拶をするように頭を下げて覗

き込んだ。そして、大人たちはあやちゃんが足を止める度に付き合

って、頂上に着いた時はすでに昼の盛りを過ぎていた。すぐにゴザ

を敷いて用意してきた弁当を広げ、使い果たした元気を取り戻そう

と言葉を吐く間を惜しんで女性たちが腕に縒(よ)りを掛けて拵(こさ)
えた料理を口に押し込んだ。すぐに胃袋が働きだして、誰もがその

邪魔をしないようにと寛いでいると、あやちゃんがミコにあのスカ

イツリーハウスに登りたいと言い出した。

「登ろか?」

ミコは高い所がダメなくせにあやちゃんの勢いに押されてお姉さん

面をして請合ってしまった。早速、あやちゃんを先に登らせてその

後をミコが続いた。誰もがその様子を少し離れた所から見上げてい

たが、バロックだけはすぐ下まで行って心配そうに見上げていた。

そして、ふたりが二つ目の踊り場に着き、そこからはミズナラの若

葉の繁みで視界を遮られて見えなくなって、しばらくするとあやち

ゃんとミコのふたりが摩天楼のスカイツリーハウスから手を振った。

「わあー!!すご―い!なあ、あれ富士山?」

「富士山と違(ちゃ)う!」

「あっ!パパとママや、パパ!ママ!ここ―っ!」

あやちゃんのひと際甲高い声が下で一番心配そうに眺めていたお父

さんとお母さんの耳にも届いて、お母さんはあやちゃんに応えるよ

うに大きく手を振りながら見上げる頬に流れ落ちる涙を気にも掛け

ず、笑いながら泣いていた。

 しばらくしてバロックがスカイツリーハウスに登って行った。あ

やちゃんが、

「あっ、オッチャンが来た!」

と言うと、バロックは、

「違う!お兄ちゃんや」

するとあやちゃんは、

「オッチャンのお兄ちゃんや」

そばで聞いていたミコは腹を抱えて笑った。バロックは、

「もう、それでええわ」

ミコがからかって、

「オッチャンのお兄ちゃん、何しに来たん?」

「あほ、お前まで言うな、オバチャンのお姉ちゃん」

「いやっ、よー言うわ!私まだ二十歳にもなってないんやで」

「すぐオバチャンになるよ」

「ゲッ、一緒にせんといて」

それには応えずバロックは隅にあったギターを取って、バロックは

独りでよくここに来てはギターを弾いていたらしい。

「あやちゃん、ここでうた唄えへんか?ものすごい気持ちええで」

「なんのうた?」

「なんでもええ、あやちゃんの好きな歌。あやちゃんは何が好き?」

「えーっと、アンパンマンのうた!」

「ええっ、すごいうた好きやねんな」

するとミコが、

「あんた、知ってんの?」

「あほ、おれは路上でリクエストを訊いて唄とてたんやど、それく

らい知ってるよ」

「へーっ、ちょっと見直したわ」

「ほんだら、あやちゃん、アンパンマンのうた、唄おか?」

「せえのっ!」

         そうだ うれしいんだ
         生きる よろこび
         たとえ 胸の傷がいたんでも

         なんのために 生まれて
         なにをして 生きるのか
         こたえられないなんて
         そんなのは いやだ!
         今を生きる ことで
         熱い こころ 燃える
          だから 君は いくんだ
          ほほえんで

         そうだ うれしいんだ
         生きる よろこび
         たとえ 胸の傷がいたんでも
         ああ アンパンマン
         やさしい 君は
          いけ! みんなの夢 まもるため

          なにが君の しあわせ
         なにをして よろこぶ
         わからないまま おわる
         そんなのは いやだ!
         忘れないで 夢を
         こぼさないで 涙
         だから 君は とぶんだ
         どこまでも

         そうだ おそれないで
         みんなのために
         愛と 勇気だけが ともだちさ
         ああ アンパンマン
         やさしい 君は
         いけ! みんなの夢 まもるため

          時は はやく すぎる
          光る 星は 消える
          だから 君は いくんだ
          ほほえんで

          そうだ うれしいんだ
          生きる よろこび
          たとえ どんな敵が あいてでも
          ああ アンパンマン
          やさしい 君は
          いけ! みんなの夢 まもるため

          [ http://youtu.be/BUGh-7Y5kZA ] 

           「アンパンマンのマーチ」             
           作詞 やなせたかし 
           作曲 三木たかし

メロディーは知っていたが初めて歌詞を聴いたミコは驚いた。
           
「ええーっ!何これ?アンパンマンの歌ってこんな歌詞やったん」

「なっ、けっこう来るやろ」

あやちゃんはバロックと一緒に歌いながら最後の方では飛び上がら

んばかりに身体を上下に揺らしていた。バロックはあやちゃんに、

「おいおいっ!アンパンマンと違(ちゃ)うんやから、そんなに跳ね

たら落ちてしまうぞ」

それからあやちゃんは調子に乗って「勇気りんりん」も続けて唄っ

た。

 ギターを抱えたバロックがスカイツリーハウスの舞台を終えて降

りて来ても地上からそれを見上げていた観客はそれだけでは終わら

せなかった。おまけに、かつて路上で共に唄った仲間まで待ち構え

ていた。さっそく第二部の天空の下での野外ライブが始まったが、

もちろんその主役はサッチャンだった。画家さんは食べ終わった折

箱をタンバリン代わりにして加わった。彼らが東京の下町界隈で夢

を語りながら音楽に明け暮れた忘れ得ぬ青春の日々が再現された。

仲間外れにされたミコは少しふてくされてバロックに告げた。

「サッチャンと一緒に東京へ帰っても、別にウチはかまへんで」

「あほっ!何を言うとんやっ」

陽が傾いて山を降りなければならない時間が過ぎようとしていた。

                                 (つづく)