「もどかしさ」

2010-01-31 00:56:45 | 赤裸の心
             「もどかしさ」



 過去の戦争の話しは、語る者も聞く者もある「もどかしさ」を感

ぜずにはいられない。語る者は平和な時代にその悲惨さをどう伝え

ていいのか解からない「もどかしさ」があるだろうし、聞く者も体

験のない話しにどう応えればいいのか解からない「もどかしさ」が

伴う。もちろんそれはこの国が平和であったからこそであるが、し

かし、それとは別にあの敗戦の総括についての「もどかしさ」が未

だ残されているからかもしれない。それまでこの国にも数多の武勇

伝が語られ、大概は眉唾だが、それでも聞く者は拳を硬くして相槌

を打ったものだが、降伏を受け入れない限り負けることは無かった

筈のあの敗戦から、悲惨な体験を語ることすら「自虐」的だと非難

され、その事実さえ半世紀を越えても「あった」「なかった」と揉

めているのを見ると、「もどかしさ」から面倒臭くなってしまう。

果たして省みて過ちを改める心算があるのだろうかと訝しく思う。

批判が国体に及び体制が改められることに危惧の念を抱いてのこと

だろうが、そんな「もどかしさ」の中から日本人の誇りが生まれて

来るとは思えない。事実を曖昧にして「もどかしさ」だけが残り、

再び権力者が同じ過ちを、国民に玉砕を強い、生きる意味に悩む若

者を自爆へと追い遣った「自爆史観」だけは、他国の自爆テロを非

難するのであれば決して許してはならない。純粋故に国家の為に殉

じようと逸る(はや)る若者達を諭す事も出来ず、ただ感涙に咽び

ながら見送った大人達の安っぽい美学こそ非難されるべきだ。人は

死ぬ為に生まれてくるのではない、生きることは本能である。「是

非など無い」のだ。まして若者に逡巡がない筈が無い。この国の親

達は自分の過ちを我が子の命で償わせてきたのだ。敢えて言うなら、

子供は親の為に生まれて来るのではない。若者が自分を殺さなけれ

ば生きられない社会の「システム」ではないだろうか。若者達こそ

はこの国の死に腐ったデカダンス文化を破壊し、そこから新しい社

会を再生させなければならない。

 現実に目をつぶる我々の習性は、戦後の社会にも受け継がれて、

子供達の未来を質草にして毎年莫大な借金を残し、少子化を嘆きな

がら、一方で多くの適合出来ない人間を間引ている。この国では親

の手形が無ければ通行も儘ならないのだ。コネを持たない者の多く

は社会に出て直ぐに自分が間違って生まれて来たことを知る。そん

な醒めてしまった人々が自分の子供に夢を語れるわけがない。それ

でも現老院による政治は過ちを改めることなく未だに「あった」「なか

った」を繰り返して、我々はまたしても曖昧な「もどかしさ」の中で生

きなければならない。さすが先進国の日本では事実は観察する者

によって異なって現われるのだ。我々は真実を語る勇気を、「自爆」

自棄による無差別殺人の大罪を懺悔して、同じ過ちを繰り返させな

い為に事実を語ると述べた加藤被告を見習わなければならない。

                                    (おわり)

にほんブログ村 小説ブログ 純文学小説へ
にほんブログ村