「インターネットと儒教文化」

2013-05-27 06:35:33 | 「パラダイムシフト」



      「インターネットと儒教文化」


 丸山真男は、自身の著書「日本の思想」(岩波新書C39) の中

で、社会文化の組織形態を二つに分けて「ササラ型」と「タコツボ

型」と図式化し、先の原発事故でマスコミにも散々叩かれた「原子

力村」のような既得権益に群がり、しかし、組織がそれぞれ孤立し

てタコツボが並列している形態をタコツボ型とし、それに対して個

人は孤立していても共通の社会基盤の下に繋がっている形態をササ

ラ型と分類した。そして、日本社会はタコツボ型だと言っている。

 さて、情報技術の更なる発達によって高度化したネット社会の下

で、これまで組織、地域、国家といったカテゴリーの中だけで共有

されていた内輪だけの論理が好むと好まざるに係わらずそれらの壁

を簡単にすり抜けて情報化され誰もが知ることになり、タコツボ型

組織の論理が批判の的にされているが、しかし、そもそもインター

ネットとは個人主義を重んじる西洋文化のササラ型社会からもたら

された技術で、「寄らしむべし知らしめべからず」を旨とする儒教

文化の下で、情報は個人には与えず「黙って従え」と命じるタコツ

ボ型社会の下で新しい発想が生まれなかったのは宜(むべ)なるかな

である。われわれがネット上でもタコツボ的繋がりを求めるのに比べ

て、彼らは早くからパソコンをケイタイ電話のように外で持ち歩きたい

と願っていたのではないだろうか。つまり、インターネットとはタコツ

ボ型文化では無用のササラ型文化のツールであり、それは、丸山真

男が図式化した「ササラ型」そのものではないか。

 かつて、松下電工の社長だった松下幸之助氏は「コンピューター

はやらない」と言ったが、そもそも孤立した組織が並列しているタ

コツボ型の社会では、たとえ、それぞれの企業は独自の優れた技術

を持っていてもそれぞれの技術を晒して統一された規格を共有す

るなどということが困難に思われたからに違いない。そして、何よ

りも終身雇用を約束して忠義を求めるタコツボ組織にとって、IT

革命が果たした情報化社会は必要が認められなかっただけでなく

儒教文化と相容れない好ましからざる道具だった。わたしは、日本

のIT革命への対応が後手後手を踏んだのは縦社会のタコツボ型

社会と、それを転換させることを望まなかった電器産業界のカリス

マであり、晩年は企業家というよりもむしろヒエラルキーに守られ

た宗教家と言った方が相応しい松下幸之助氏の一言によって、それ

まで世界の電気機器の技術革新を先駆けてきた日本の電器産業界が

その時だけは足並みを揃えて二の足を踏み、更に優れた技術者たち

も自らの自立心を頼まずタコツボに留まり、ところが、存亡が危ぶ

まれ終身雇用が崩れるとあっさり新興国の誘いに寝返ってその技術

を投げ売り、遂には母国の電器産業を脅かしていることが笑い話に

しか聞こえない。パナソニックやシャープ、ソニーといったかつて

のこの国を代表する企業が、最先端の技術力を有しながらIT革命

をリードすることができなかったのは、縦社会のタコツボから抜け

出すことができなかったからではないだろうか。

 しかし、いくらこの国の伝統文化を守ろうとしても、情報だけで

なく経済までもグローバル化した世界の潮流は国境の堰を切って水

平を求めて押し寄せてくる。やがて、グローバリズムの波はナショ

ナリズムを呑み込んでしまうだろう。われわれが苦労して「修正し

た文化」を守ろうとしても、情報のグローバル化は労せずに検閲を

必要としない「無修正の文化」を送り届けてくるのだ。何もわたし

はこの国の伝統文化を蔑(なみ)するつもりはない。だからと言って

極端な原理主義への回帰を主張するナショナリストの意見には首肯

できない。文化とは伝統の上にしか築かれないというのは首肯して

も、伝統さえ守れば新しい文化が生まれるとは思えない。過去ばか

り見ていては未来は見えない。ただ、忘れてはならないのは、グロ

ーバリズムでさえも文明史の一つの通過点であるということだ。


                                   (おわり)





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2 コメント

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千年マルテンサイト (グローバルサムライ)
2024-03-10 12:06:45
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタインの理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズムは人間の思考を模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。ひるがえって考えてみると日本らしさというか多神教的な魂の根源に関わるような話にも思える。
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マルチスケール (ビジネス数理哲学者)
2024-07-20 20:05:51
「材料物理数学再武装」なつかしいな。番外編の経済学の国富論における、価格決定メカニズムの話面白かった。学校卒業して以来ようやく微積分のありがたさに気づくことができたのはこのあたりの情報収集によるものだ。ようはトレードオフ関係にある比例と反比例の曲線を関数接合論で繋げて、微分してゼロなところが全体最適だとする話だった。
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