「あほリズム」(73)~(77)

2010-10-23 18:33:35 | アフォリズム(箴言)ではありません
        「あほリズム」


          (73)

 世界が存在して私が存在する。世界は私に先行する。ところが、私

が世界の意味を問う時、私の思考が世界に先行する。つまり、我々が

意味を問うということは自分を先行させる為の遡行(そこう)であり、

世界との関係性を転換させることである。


          (74)

 「実存は本質に先行する」ということは、本質は実存に委ねられて

いる。つまり、真理や秩序などといった絶対性が我々の存在を超えて

在るのではなく、ただ、我々の理性がそれを追い求めているのだ。


           (75)

 真実は一つであるというのは絶対主義者が求める妄想である。視点

が相対化すれば、真実も相対化する。


           (76)

 AがBを認めてその意味を問う時、Вに意味があるのではなくAが

求める意味にBが合致しただけに過ぎない。紙を切ろうと思ってハサ

ミを思い浮かべるのはハサミに元々意味が備わっているのではなく、

紙を切ろうとする主体の意味にハサミが合致するだけだ。我々が生き

る意味を自分自身に問うても、我々がまずその意味を見出さなければ

自分自身はそれに答えることが出来ない。我々が世界の意味を求め

ても我々がその意味を見出さなければ世界は何時までも無意味である。


            (77)

 つまり、生きることに意味がないのではなく、ただ、自分が生きる

ことに意味を見出せないだけなのだ。


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 「(菅)話放題」⑯

2010-10-21 01:39:10 | 「(菅)話放題」
            「(菅)話放題」⑯


 東南アジアのタイで、あれは何時ごろから始まったのだったか、

タクシン元首相支持派による抗議デモが起ってから、その後キルギ

スだったか中央アジアで内乱が起り、ギリシャの国家財政財の破綻

が明らかになって抗議デモが起こり、それが暴動へエスカレートし

て、更にその前にはチベット、及びウイグル自治区で中国政府に対

する民衆の抗議デモが武力鎮圧されたりと、忘れてしまったものも

あるかも知れないが、経済のグローバル化は至る所で経済格差を齎

した。安定していたヨーロッパでさえ再び移民との対立が燻ぶって

おり、最近ではフランスでも年金制度改革に反対するデモが起って

いる。国内の格差を巡って国民が政府と対立する構図はグルッと地

球をひと回りして戻ってくると、今度は東アジアの日本と中国の間

で島嶼の領有権を巡る国家間の対立へと転化した。グローバル経済

が齎した変化はそれぞれの国内で格差を生み、格差は対立を生み、

対立は抗議行動となって、それはやがて暴動へとエスカレートして、

暴徒化した民衆は政府によって武力鎮圧される。しかし、国内紛争

を怖れる政権は国内の経済を守る為に、一転してグローバル化とは

反対の保護主義へと政策転換しようとしている。

 以下は全くの私の危惧に過ぎないかもしれないが、今、我々が眼

にしてるグローバル経済に端を発する様々な国内対立は何れ国家間

対立に転化して、やがて「経済」戦争が激化して憎しみの感情だけ

を残して戦争へと繋がるのではないだろうかと怖れている。事実、

ブラジルのマンテガ財務相は、米欧など主要国が自国通貨を安く誘

導する現状を「これは通貨戦争だ」と言って、特にドル安を事実上

放置している米政府の通貨政策を批判している。グローバル経済が

齎した格差は遂に先進国と新興国の経済戦争に発展しようとしてい

る。何れの国も政権批判をかわす為に経済格差の歪みを正そうとし

て自国の経済だけを守ろうとすれば、協調して世界経済を立て直す

ことなど叶わないだろう。経済危機から立ち直れないアメリカが新

興国の経済進出を恐れて保護主義を貫くことは、そもそも自分達が

推し進めたグローバルスタンダードに反するではないか。それぞれ

の国がグローバル経済の弊害から国内経済を守る為に保護主義に向

かえば、一転して世界は再び対立へと向かうだろう。そして、その

責任は負けたから一先ず逃れようとするアメリカと、逆に勝ったか

ら一先ず逃れようとする中国にある。しかし、アメリカも中国もグ

ローバル経済の発展でしかその存在を保てない大国なのだ。グロー

バル経済を自国の経済を守る為に利用するとすれば、何れはかつて

世界が経験した苦い記憶を甦らせることにならだいだろうか。すで

に世界経済は国家という枠組みを乗り越えてしまったのだ。一国の

繁栄が他国の破綻を招くゼロサム経済が地球を取り巻いている。そ

れは一国の経済破綻が世界経済の破綻に繋がる危険性を孕んでいる。

自国経済を守る為に世界との協調性を踏み躙ってしまえば、我々が

かつて辿った「何時か来た道」へ舞い戻ることになるだろう。

 ついさっき見たネットのニュースでは、2010年版「世界人口

白書」が発表されて、世界の人口が今年69億人を超えて、来年に

は遂に70億を突破するだろうと伝えていた。

                          (菅)⑯


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「日本的な、あまりにも日本的な」

2010-10-19 02:43:09 | 赤裸の心
           「日本的な、あまりにも日本的な」


 最近のことですが、私はある農業法人のアルバイトの仕事を一ヶ

月余りの約束で手伝いました。五十代のオーナーは中国人の女子研

修生を使って人件費のコスト削減を図るなどなかなかのやり手でし

たが、四人いた研修生は中国での日本企業の従業員ストが起ったの

と機を一にして、七月頃に示し合わせて賃上げ要求のストを決行し

て作業をボイコットし、それがオーナーの逆鱗に触れ四人とも解雇

され中国に帰されました。そこで人手が足りなくなって雇われたの

ですが、私が始めた九月の半ばは未だ日中は日差しが強く汗ばむほ

どで、ところが日が落ちると途端に冷気が覆うほどの寒暖の差が激

しい山間地での野良作業でした。ある日、仕事を終えると私は直ぐ

に帰宅したのですが、最近に見習社員として雇われた他の三人は帰

り際にそのオーナーに捕まって黄昏の中の立ち話で懇々と仕事の話

しを聞かされたというのです。先に言いましたように日が落ちると

急激に冷たくなる外気の中で、汗をかいたままの彼等は寒くて、オ

ーナーの話しどころではなかったが、早く終わってくれないかとば

かり願って、何と!一時間余りもそこに立ち尽くしていたと言う。

私が「どうして寒いって言わなかったの?」と聞くと、彼等は未だ

新人なので、作業中も「社長が来た!」などと言っては話しを止め

るほど気を使っていたので、熱心に語るオーナーに対して水を差す

ようなことは言えなかったらしい。次の日の朝、その中の一人が風

邪を理由に仕事を休みました。彼は二、三日前の雨の日にも雨合羽

を着ずにずぶ濡れになって作業していたこともあって、ただその日

は身体を動かしながらだったから寒さに耐えられたのですが、黄昏

の山の中での立ち話はさすがに堪えたようです。みんな震えながら

聞いていたと言ってました。その日の休憩時間に、オーナーはそん

なことなど露知らず、「雨の中で合羽も着ずに作業するからだ」と、

雨の日の出来事が原因だと信じて疑わず、風邪を引いた者と一緒に

立ち話を聞かされた男性に同意を求めました。すると、オーナーに

話し掛けられた男性は迷うことなく「そうですね」と答えて、黄昏

の立ち話のことは一切口にしませんでした。私はそれを横で聞いて

いて、何と日本的な配慮だと呆れ返ってしまいました。きっと、こん

な馬鹿げた気遣いが未だ日本の至る所で上意下達の一方通行のすれ

違いを惹き起こしているのだろう。

                          (おわり) 


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「(菅)話放題」⑮

2010-10-18 05:21:17 | 「(菅)話放題」
                 「(菅)話放題」⑮



 「中国でまたデモが起きた」

 それを聞いた時、てっきり劉暁波氏の釈放を求めるデモだと思っ

たら、何と!反日デモだと言う。それにしても明らかにタイミング

がおかしい。一部の報道は「官製デモ」を報じているようだが、そ

れしか考えられない。つまり、ノーベル平和賞を受賞することにな

った劉暁波氏を巡って再び民主化運動が勃発することを怖れ、当局

の息のかかった組織が先手を打って、国民が共有できる領有権問題

に眼を向けさせようとしているのだ。そもそも事件が起きて一ヶ月

以上も経て、既に多くの日本人が忘れ始めているのに、更には中国

の「若者」が民主化運動ではなく反日デモに集まるだろうか?学生

デモは民主化運動と決まっているではないか。それでも、もし中国

の学生が自主的にデモを企てたなら随分と時機を逸した行動である。

あれほどまでタイミングよく反日デモを企ててきた「若者」が、そ

れはそれで怪しいが、何と頓珍漢な時機を選んだのだろうか。日本

の一部の抗議行動に対抗してという報道もあったが、日本の抗議行

動も随分温い時機に行ったものだが、抗議行動はタイミングを逸し

たら何の効果もないからだが、彼等はひと月前の「反日」の看板を

劉暁波氏の開放を求める「民主化」に書き変えなければならなかっ

たのではないのか。もしかしたら中国当局は何らかの民主化運動の

動きを察知したのかもしれない。つまり、そのことから当局が如何

に「若者」の民主化運動に神経を尖らせているかが知れる。しかし、

それらの規制は明らかにバランスを欠いた抑圧である。経済が発展

して豊かになった国民が、規制されることや不正に対して不満を口

にするようになるのは当たり前のことで、貧しさは人を黙らせるが

豊かさは人を雄弁するのだ。中国はこの経済成長によって、事によ

ると北朝鮮よりも先に政権崩壊が起るのではないだろうか。そして

中国共産党の崩壊は北朝鮮の独裁政権の崩壊へと繋がるだろう。今

回の頓珍漢な反日デモによって民主化要求に対する中国当局の焦り

が透けて見えた。恐らく近々に本物の学生による民主化暴動が、つ

まり、第二の天安門事件が起ると思う。

                                  (菅)⑮


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「あほリズム」(70)~(72)

2010-10-17 17:07:20 | アフォリズム(箴言)ではありません
           「あほリズム」


          (70)

 民主主義を重んじ主権者の代表を任ずる菅総理は、国民が閉塞感

に苛立つように、国民の苛立ちを代表してなのか彼もまた同じよう

に煮え切らない言動が目立つ。ただ、主権者には無くて代表の彼だ

けに与えられているのは、民主主義の外にあるリーダーシップであ

る。彼は未だ国民の方をばかり見て、外へ踏み出す「決断」が出来

ない。


          (71)

 生成と滅亡は一本の糸で繋がっている。我々は滅亡するから新し

い命を繋ぐのか、それとも新しい命を繋ぐから滅亡しなければなら

ないのか。例えば、経済は消費されなければ生産されなくなり循環

は滞る。循環が滞ると経済成長が止み、やがて破綻する。経済破綻

も一つの滅亡だとすれば、我々は滅亡する前に大きな意味での生成、

つまり、生きる為の何か新しい糧、新しい技術や新しい文化、或は

何か新しい時代の萌芽を生まなければならない。何故なら、自ら招

いた環境破壊によって近代文明は滅亡しようとしているからだ。近

代文明を不完全な過程の文明と捉えれば、我々の進む道は未だ残さ

れている。ただ、経済合理主義は滅亡するだろうが。



                (72)


 近代文明は直線的な文明である。時間や論理性といった思考にし

ろ、道路や高層ビルといった構造物、或はものを創る時にも二点を

結ぶ最短の線分が用いられる。経済的合理性を求めれば直線的にな

らざるを得ないからだ。しかし、我々の求める合理性とは一義的な

視点から得た合理性に過ぎない。ところが、自然は直線では出来て

いない。ただ、光線と重力が存在するだけだ。二点を結ぶ「最短で

は無い」線分は無数に存在するのだ。我々の文明はその無数に存在

する線分を直線で斬り捨ててきた。このまま続けば何れ地球は正四

方形になるに違いない。自然破壊は我々の直線的な思考が齎したの

だ。直線の両端は他とは繋がらないからだ。斬り捨てられた無数の

自然な線分が我々の直線的な思考に対して報復しているのだ。我々

は直線的な思考を改めて、せめて円を描くように循環させなければ

ならない。ただ、我々は合理的思考を捨てなければならない。しかし、

それは意外と簡単なことである。何故なら我々の存在そのものに合

理性などないのだから。


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