ゆーさんの「パソ街!」 (一)

2012-07-11 06:24:32 | ゆーさんの「パソ街!」(一)―(五)
           ゆーさんの「パソ街!」

                 

              (一)



 雨上がりの雲間から覗く太陽が熱い眼差しを大地に送り、それに

応えるように大地の息吹きが蔽(おお)っていた梅雨雲を吹き飛ばし

て、山里にも初夏が訪れようとしていた。嘗てなら比応なく夏本番

の到来を今か今かと待ち望んだものだが、昨今はさてどういう因果

なのかこの時期には必ずと言っていい程どこかで豪雨による水害が

発生し、唱歌「夏は来ぬ」に唄われた活き活きとした初夏は水害と

猛暑をもたらす忌まわしい季節へと変わってしまった。何れ「夏は

来ぬ」の「ぬ」は打消しの助動詞だと思われる日が来るのかもしれ

ない。そうなれば二番の歌詞、

  「五月雨の  そそぐ山田に

   早乙女が  裳裾ぬらして

   玉苗植うる 夏は来ぬ」

   (作詞:佐々木信綱)

も、

   「ゲリラ豪雨がそそぐ休田に

    お年寄りが首まで浸り

    玉萎え憂うる夏は来ぬ」

    (作詞;ゆーさん)

と、替えなければならない。しかし、それらのことは我々の「怠(お

こた)りを諌(いさ)むる」自然からの警告ではないだろうか。もしも、

雨を降らせる神様が居るとしたら予め決められた量の雨を一度にまと

めて降らすというのは随分と荒っぽい仕業ではあるが、その荒っぽい

仕業に仕向かせたのは紛うこと無く我々の仕業なのだ。我々は、雨は

天の恵みだと思っているが、実は、大地の恵みなのだ。夜明けと共に

上がった雨は、山々の樹木の新緑の若葉を洗って活き返らせ、透き通

った大気の中を真っ直ぐに届いた朝日を浴びて、若葉の一枚一枚がそ

の葉脈までも際立たせ、今を生きる歓びに震えながら初めて吐いた酸

素が再び大気に還った。そして、甦った大気は新緑に萌える樹木や遠

くの山々をも輝かして、その大気の中をホトトギスの甲高い鳴き声が

隠し切れない歓びを忍ぶことなく辺りの山々に響かせていた。木々を

洗った五月雨は大地に落ちて上流の渓谷を駆ってきた雪解け水と合流

して荒々しい通奏低音を奏でていた。若葉に遮られた影は微かな動き

も逃さないように小刻みに揺れて大地の草々を撫でていた。ああ、何

と美しい世界だろう!此処に在ること以上の歓びなどあるのだろうか。

「我々は何と過った幸せを追い求めているのだろう」

木漏れ日が煌めく緩やかな山道を登りながらそう思った。

                                    (つづく)

 

(二)

2012-07-11 06:20:59 | ゆーさんの「パソ街!」(一)―(五)
                 (二)



「バロックはどうしたんや?」

わたしは娘のミコに聞いた。

「ツリーハウス」

「出来たんか?」

「出来ることはできたけど、仰山乗ったら強度が心配や言うて補強

してはる」

「ふん」

バロックというのはひょんなきっかけで知り合った青年で、何を思

ったのか、こんな人里離れた山奥に住み着いてしまった。ただ都

会で暮らす者はすぐに「何故こんなところで暮らすのか」と聞くが、

そもそも人は目的を持って生まれて来る訳ではないのだから、ど

こで暮らすかなどという理由は在って無いようなものなのだ。我々

は便所に迷い込んだ虫のようなものなのだ。つまり、何故こんな

ところに居るのかと言えば生きているからとしか言いようがない。

おお、そうじゃ!娘のことをすっかり忘れてた。一人娘のミコは生

まれた頃からひどいアレルギー体質で、ついには化学物質過敏

症と診断されて、化学物質に汚染された都会では暮らせなくなっ

てしまった。それがそもそもの理由だった。

「補強できたらお父さんを呼ぶって」

「ああ、是非見たいね」

バロックがツリーハウスを作ると言い出したのは随分前のことだが、

それなら竹で作ればいいとわたしは言ったが、まさか猫背山、ああ、

その山は猫が丸くなって寝ているように見えるとこからそう呼ばれ

ている、その山の頂上に作るとは思わなかった。山の上には竹など

生えていないので切り出して持って上がらなければならなかったか

らだ。何故そんな高いところに作るんだと聞くと「だってツリーハ

ウスやから」と言い、わたしは「なるほど」と納得した。

 バロックが「ツリーハウス」と言い出してからほぼ一年経っただ

ろうか、娘から何度となくその進み具合は聞かされていたが、遂に、

招待状が届いた。わたしはまだ五十代で畑仕事もするので山に登る

くらいは苦にならないが、娘が持って来いと注文した食料やドリン

クが多すぎて、満杯のリュックの中で上に登ろうとするわたしの背

中にへばり付いてわたしを谷底へ落とそうとした。

 山間を縫うよう伸びる山道は行く手が山陰に隠くされれて心許な

かったが、傍らを流れる谷川のせせらぎが右に寄り沿ったり、消え

たと思えば突然左に現れて淵へ流れ落ちたりと、それらは糾(あざ

な)える縄の如くに絡み合いながら山上へと導いてくれた。そして、

「猫の額」と呼ばれる「広い」平原に出ると今度は尾根伝いの急な

登りになった。息を切らしてただ足下だけを気にしながら登ってい

ると、突然、上の方からひとの声がした。

「ゆーさん!リュック持ったるわ」

驚いて見上げるとバロックだった。

「何や!何処におったん?」

「ゆーさんが登って来るの、さっきからずーっと見てたんや」

「見てた?」

「ほら、あそこから」

そう言って彼が指差す上方を見ると、大地から生える大きな幹は地

上の生き物が飛び上がっても届かない辺りで幹を左右に分け、更に

見上げるばかりの高さのところでそれぞれが競うように八方に枝を

分かつ幹元の処に、柵(しがら)むように竹で編まれたツリーハウス

が絡んでいた。そして、辛うじて窺える中の様子から娘のミコが大

きく手を振っているのが見えた。それは「ツリーハウス」と言うよ

りも宛(さなが)ら「スカイツリーハウス」と言った方がいいほど高

い処に浮かんでいた。

「ミズナラか」

「ええ」

「ようあんな木を見つけたな」

バロックの後を追って「スカイツリーハウス」の木陰に近づいた。

「ほら、ゆーさん、あそこ」

そう言って彼はツリーハウスの床下を指した。

「なるほど、うまい具合に枝が四本揃おとるな」

「せやろ、あれを見た時にこの樹やって思たんや」

猫背山の頂上にはもう上りも下りもなかった。なだらかな大地を冬

の凍てつく強風と豪雪に耐え抜いた樹木だけが初夏の陽射しを独

り占めしていた。一方、大地では朽ち果てた老木を穿(うが)つよう

にして新芽が上へ伸びようと震えていて、過酷な生存競争はすで

に繰り返されていた。

「お父さん」

娘のミコが「スカイツリーハウス」の竹梯子を恐る恐る降りてきた。

「おまえ、ようあんな高い所登れんな」

彼女は幼い頃から高い所は全くダメだった。

「練習中」

そう言って最後の片足で何度も大地を確かめながら、彼女にとって

の大きな一歩を踏みしめた。巨木に絡んだその竹梯子はゴールに辿

り着くまでに二つの踊り場を経なければならなかった。

 猫背山の頂上には、更なる昇りと降りが作られていた。

                                    (つづく)

(三)

2012-07-11 06:19:07 | ゆーさんの「パソ街!」(一)―(五)
                    (三)



「ハッブルって知ってるやろ、エドウィン・ハッブル」

「天文学者の?」

「そう。おれ、この頃、ハッブルのようにただ星を眺めていたいと思

うようになって」

「何や、このツリーハウスは天文台なんか」

「そうです」

 エドウィン・ハッブルは、学生の頃は専ら運動能力の優れたスポ

ーツマンとして知られ、大学ではプロ顔負けのボクサーとして活躍

しながら数学と天文学の学部を卒業したが、戦争が始まるとすぐに

入隊して少佐にまでなり、終戦を迎えると再び天文学の研究に戻っ

て博士号を取得し、天文台の職員として高地の天文台に赴いて酷寒

の中で毎夜欠かさず天体を観測し続けて宇宙の謎を解き明かした。

その功績が認められてノーベル賞が授与される筈だったが、その直

前に死去してしまい、「墓碑を記すな」という彼の希望通りに、遺

族は葬式も行わず埋葬し、さらにその場所を問われても頑なに拒ん

だ為、未だハッブルの墓は明らかになっていないという。如何にも

宇宙物理学者らしい死に方ではないか。

「ハッブルは帷(とばり)に空いた無数の小さい穴を凝視し続けて世

界の裏側を覗こうとしたんや、きっと。たった一つの星を見続ける

だけでも様々な想像が浮かんで来るんやないかな」

「確かに太古の人は星の光を帷の穴から差し込む別世界の光と思っ

たかもしれんな。実際、ワシらは余りにも多くの星を追い求め過ぎ

て、結局は何一つ手に入れることが出来なくなったんだよね」

「何でアメリカの映画界はハッブルの生涯を映画化しないんやろ?」

バロックは、彼の波乱に富んだ人生はアメリカンドリームそのもの

だと言った。

「まず、冒頭は装置の故障で帰還させることになったハッブル望遠

鏡が地球の映像を3D映像でズームして、その地上ではハッブルの

墓が確認されたという架空の事実を下にハッブルの生涯を再現する

んや。やがて成長して陸上選手として活躍する学生時代の彼やボク

サーとして闘う決闘シーン、そして入隊した軍隊での戦争シーン、

復学して天文台の職員として酷寒の中で宇宙の彼方の星座を望遠鏡

で眺めるハッブル。やがて、宇宙物理学が注目されはじめ、彼は集

めたデータから宇宙の膨張を確信しアインシュタインと議論する場

面、そして、ノーベル賞授与の内定を受けた直後の死。どれも映像

として、或はドラマとしても優れてアメリカンシネマとして成り立

つと思うんやけどな」

「なるほど『アラビアのローレンス』に比して劣らぬ映画が創れる

かもしれんな」

ハッブルの生涯を映画化した作品は未だない。

 蔓(つる)だけで繋がれた竹梯子を登って、二つの踊り場を越えて、

いよいよ「スカイツリーハウス」へと辿り着いた。

「すごいっ!」

「スカイツリーハウス」の中は六畳ほどの広さだったが、その見晴

らしの良さに感嘆せずにいられなかった。

「ほら、あそこにゆーさんらが前に居た町も見えるやろ」

「町どころか住んでた家も見えるわ」

俯瞰して自分達の暮らしをもう一度見つめ直すことはそれ程無駄な

ことではないかもしれない。家族三人で大阪から引っ越して来た当

時のことが思い出された。

 竹で作られた「スカイツリーハウス」の屋根は切り落とした竹の

笹で葺かれていた。竹で作られた家は釘が効かないので随分苦労し

たらしい。結局、山に生えてるカズラの蔓(つる)で繋ぎ合わされて

いた。

「ゆーさん、おれ、実は、閃(ひらめ)いたんや」

「何を?」

「この葛(カズラ)を都市緑化に利用でけへんかなって」

「どうやって?」

「ビルの壁面に這わせるねん」

「そんなに伸びる?」

「信じられんくらいに伸びよる」

バロックが言うには、カズラは夏になると爆発的に繁茂して樹とい

う樹、枝という枝に絡まり付いて宿木を枯らすほどに葉を茂らせる。

そのカズラをヒートアイランド現象を鎮める都市緑化に利用しない

手はない。

「そのうち都市という都市をカズラで蔽(おお)い尽くしてやるんや」

「それ面白いかもしれんな」

娘のミコが随分遅れて登って来た。

「何やっ!登るんやったらさっき降りんかったらよかった、もうっ!」

そう言って竹を敷き詰めた床に身体を腹這いにして投げ出した。

「練習中やろ」

「せやかて、」

「練習というのは同じことを何度も繰り返すことなんや」

「解かりました、上官!」

「おい、あそこに母さんの家(うち)が見えるで」

「知ってる」

「何や知ってんのか」

「ズーッと見てたもん」

「ズーッとって、もしかしておまえ帰りたいんか?」

「何言うてんの!」

彼女の母親は月に一度は訪れて娘の様子を伺った。化学物質に対す

る彼女の身体の過敏な反応は中山間地の生活でさえ、否、むしろ農

薬が何時散布されるか解からない田園に囲まれた市街地の方が、密

室に籠もって生活できる大都市よりも大きな不安に苛(さいな)まれ

た。

「わたしはもう一生ここから出られへんのや」

「あほ言うなっ!」

そんな会話を私たち親子は何度繰り返しただろうか。初めの頃は涙

に咽びながら叫んでいた彼女も、今では何の感情も表さずにまるで

常套句を述べるように口にするようになった。それが親として辛か

った。

「体質は変わるって先生も言うてたやないか」

「解かってるって」

「ほらっ、高いとこがダメやったけど、見てみ、おまえ、えらい高

いとこに居るやないか」

「うん」

「ええかっ、諦めるな!絶対に諦めるな!」

事実、成長期の彼女の身体は以前に比べて見違えるほど逞しくなっ

ていた。

「回りを見ずに自分の足下だけを見て一歩ずつやね」

「何や、それ?」

すると、バロックが口を挟んだ。

「あっ、おれが教えました。ほら、登る時にミコが怖いって言うか

ら、回りを見るなって」

バロックが続けた、

「お腹すいたからご飯にせえへん?」

そう言って、わたしが背負ってきたバックから缶ビールやミコが作

った弁当を広げた。わたしとバロックは久々にビールで、ミコは水

筒に入ったお気に入りの湧き水を自作の陶器のコップを掲げて、

わたしが、

「スカイツリーハウスの完成を祝って・・・」

と言うと、バロックが口を挟んだ。

「スカイツリーハウス?」

「そう!ここを『スカイツリーハウス』と呼ぶことに決めたんや」

「別にええけど」

「それじゃあ、もう一度。スカイツリーハウスの完成を祝って、」

「乾杯!」

山頂を撫でる初夏の風が若葉に癒されてやさしく吹き抜け、心地

よかった。

                                    (つづく)

(四)

2012-07-11 06:16:27 | ゆーさんの「パソ街!」(一)―(五)
                 (四)



 こどもの恋愛に親が顔を出すべきでない、と日頃から自分に言い

聞かせてきたが、いざ、娘が見知らぬ男と寄り添っているところを

眼にしたりすると、とうに娘によって切られてしまった糸でも操り

たい想いに駆られるのは、子供の自立を複雑な思いでしか見つめら

れないこの国の湿った親心なのかもしれない。実は、娘のミコがバ

ロックとの距離を随分と縮めているなと思ったからだ。あれは暑い

日に三人で田んぼの雑草を取っていた時のことだったが、ミコが持

ち歩く水筒にバロックが直接口をつけて水を喉に流し込んだ。仮に、

わたしがそんなことをすれば、恐らくミコは散々罵った後、それか

らはその水筒を使わなくなるに違いなかったが、

「もうっ!コップ使ってよ」

と、笑いながらバロックに言ったのだ、笑いながら。それは明らか

にわたしに対する遇(あしら)い方とは異なっていた。一瞬、バロッ

クを恨めしく思ったが、はしゃぐ娘を傷つけてはなるまいと切ない

カラ笑いで応じた。もちろん、こんな山の中で年頃の男女が、しか

も他に男を名乗るものといえば畜生くらいしかいないのだから、仕

方がないと言えば仕方がないのだが、ただ、バロックはミコよりも

ひと回以上も年が離れていた。更に親心を明かせば、彼のような青

年がどうしてこんな辺鄙な山奥に逃げ込んで来たのか、彼の口から

聞かされたことがなかったので、彼の人柄を未だ理解しているとま

では言えなかった。

 ただ、こどもの恋愛に親が顔を出すべきでない、ともう一度自分

に言い聞かせて、彼女の人生は彼女自身が決めるしかないのだから、

もちろん、彼女の一生に何時もわたしが先回りして援けることが出

来るならそうすることも厭わないが、果たしてそれで彼女が自分の

人生を生きることになるだろうか。彼女はわたしの操り人形ではな

いし、彼女自身がそんな忠告を言下に遮っただろう。

 娘「ミコ」の名前は、「卑弥呼」の「卑」しいという字を取り去

った「弥呼」と書く。「卑弥呼」とは中国の正史「三国志」の中の

所謂「魏志倭人伝」に記された謂わば当て字で、「倭」人であれ「

卑」弥呼であれ、よそ者を蔑(さげす)む中華思想の表れである。そ

の頃、邪馬台国ブームにハマッてしまったわたしは娘が生まれたら

「卑」を取って「弥呼」とつけようと決めていた。そして、それが

原因で思春期を迎えようとする娘の反抗が始まった。

「こんなん否や!」

わたしは返すことばがなかった。その後、彼女は漢字を使わずに「

ミコ」とカタカナで書くようになり、黙って聞くばかりの父親を、

さながらサンドバックのように攻撃した。それは彼女の自立心の表

れだと良い方に解釈していたが、ついには、わたしが会社から帰っ

てくると突然表情が厳しくなってつまらぬことにでも癇癪を起こす

ようになった。それと同時に、母親によると頻繁に起る呼吸器の発

作や皮膚の炎症、時にはひどい頭痛から卒倒するまでに至って、様

子が違うことに気付いて慌てて病院に駆け込んだが確たる病名が判

明しなかった。ちょうどその頃、化学物質過敏症という症例がマス

コミにも取り上げられるようになって初めて彼女の症状と一致した。

原因が判ってしまうと、それまでのまるで人格障害かと訝(いぶか)

るような豹変ぶりや突然キレたりすることも、やがて、彼女自身が

克服するように努めて穏やかになった。会社での作業でわたしが被

曝した化学物質が彼女を苦しめていたことも一因であると判った。

すぐに、わたしは工場から事務への移動を申し出た。

「過敏症って自虐的になるんや」

彼女はそう言って悲惨な過去を振り返った。しかし、それからはロ

ーンを払い始めたばかりの新築の家を売り払って、まるで近代社会

から逆行するように化学物質の曝露に遭遇しない棲家を求めて転々

として、家は良くても近くに化学物質を扱う工場があったりして、

もうこの地上には娘が暮らせる場所などないのではないかと何度も

絶望を繰り返し、やがて勤めていた電機会社も辞めて、家族が共に

暮らせる場所を求めてこんな山奥の廃村まで流されてしまった。そ

れでも、ここは彼女にとって自律神経の機能を回復させ自分自身を

取り戻す唯一の場所であることがわかった。

「終の棲家っていうのかな、こう言うのん」

「ちょっとちがう」

ここに来て始めて彼女は明るさを取り戻し、生きる歓びを自らの身

体で享受することが出来た。そして、それは親としてのわたしの歓

びでもあった。

                         (つづく)

(五)

2012-07-11 06:14:46 | ゆーさんの「パソ街!」(一)―(五)
                 (五)



 ミコの母親は、従ってわたしの(元)妻は、山々の谷間を縫って蛇

行する河川が急流を勢い良く流れ落ちて、その勢いが広がりに変わ

る盆地の外れにある実家で暮らしている。わたしは大阪生まれの大

阪育ちのため娘が生き延びることが出来る環境は妻の実家しかない

と思った。ただ、そこでわたしが娘の為に始めた無農薬栽培が農家

の人々の顰蹙を買って、彼等から害虫を育てるなとまで言われて、

こっちはこっちで飛来する農薬に困り果て、気まずい反目が生まれ

た。そんな時に、技術屋根性からか勢い良く流れる用水路の水流が

利用されていないことに思い立って、発電機を作ることにしたが、

ところが試作した発電機が用水路の取水口を破壊するに到って、遂

に村八分にされてしまい住めなくなった。それでもわたしは水流発

電機の製作が諦め切れず、人里がダメなら山の中でと老後の蓄えを

切り崩して工場を造ってしまった。呆れ果てた妻は愛想を尽かして

実家に戻ってしまった。しかし、実際のすれ違いはそれ以前から生

じていた。彼女は娘の症状が現代医学では治癒できないと知ると、

わたしの知らない間に祈祷術や気功術や霊媒術といった神秘主義に

縋るようになっていた。技術屋のわたしの立場から、彼女が語る効

果に眉に唾をつけて聞いていたが、それらの治療は恰(あたか)も改

善したかのように装われていたが、どれも根本的な治癒には到らな

かった。それでも妻は一時的な変化に眼を奪われてその効果を信じ

て疑わなかった。やがて、彼女はわたしについている悪霊を追い払

う為に一緒に除霊を受けて欲しいとまで言い出した。わたしはそう

いうことがたとえ事実だとしても、理屈の確かめられない怪しい力

に頼るのは娘にとっても家族にとっても自分自身の生きる力を失う

ことになるからと言って断固拒否した。

「仮に事実やとしても、一度そういう神秘を体験した者が、その後、

その力を頼らずに生きることができると思うか?苦しくなるとまた

神秘主義に縋ろうとするやろ」

自分以外の力に依存して、果たして自分を信じることができるだろ

うか。大事なことは自分自身を見失わないことではないか。そんな

ものに頼らずに自分らの力だけで生きていこうと説得したが、妻は

縋った藁を離さなかった。

 我々はもちろん未知の世界で生きている。だからと言って未知の

力に頼ってしまえば自立して生きることができないではないか。つ

まり、常に大きな力の前では服従するようになるだろう。そして、

そういう能力が具わっていると勘違いした神秘主義者たちは、遂に

は自分は特別な存在だと信じ込み、やがて権力者として力のない人

々を見下すようになるに違いない。

                                  (つづく)