「生まれ出づる歓び」
(一)
「一炊の夢って知ってる?邯鄲の夢とも言うけど」
佐藤とおれは大学の同期でそれから20年来の親友である。もともと
彼は文系の学部に進学したが、2年生の時に「これじゃあ多分飯が食え
ねえ」と思って中退して、おれと同じの大学の情報工学部に入学し直し
たのでおれより2コ上だった。時はITバブル全盛の頃でITビジネス
の若い起業家が世間の注目を浴びていた。日本経済は「失われた10年
」と言われていたが、なるほど彼が狙った通りに就職先は引く手数多で
就活に奔走することもなかった。おれはすでに中堅だったIT関連の会
社に潜り込んだが、彼は敢えて出来たばかりのゲームソフトの会社を選
んだ。間もなくして彼はコンピューターによる占いのソフトを開発して
、それが人気を博して会社の業績を飛躍的に伸ばして、彼は数年でその
部署の役職を任された。彼とは卒業してからも親しくしていて酒を酌み
交わしては親交を温めていた。その夜も馴染みの居酒屋でとりとめのな
い世間話をしていたが、話題が尽きた頃に酔いが回ってきたのか彼が改
まってそう言った。おれは、
「えっ何?」
「一炊の夢」
「ああ、あれか、夢の中で自分の人生を見てしまうって話か?」
「まあそうだ」
「それがどうした?」
「・・・」
すでに彼は酔っていた。
「なんかさ、生きているのが虚しくなってしまったんだ」
「おいおい、いったい何があったんだ?」
「いや、何も問題はない。ただ面白くない、それだけだ」
「・・・」
おれはどう応えていいのか分らずに黙って彼のことばを待った。
改めて「一炊の夢」をウィキペディアから引用すると、
「趙の時代に『盧生』という若者が人生の目標も定まらぬまま故郷を離
れ、趙の都の邯鄲に赴く。盧生はそこで呂翁という道士(日本でいう仙
人)に出会い、延々と僅かな田畑を持つだけの自らの身の不平を語った
。するとその道士は夢が叶うという枕を盧生に授ける。そして盧生はそ
の枕を使ってみると、みるみる出世し嫁も貰い、時には冤罪で投獄され
、名声を求めたことを後悔して自殺しようとしたり、運よく処罰を免れ
たり、冤罪が晴らされ信義を取り戻ししたりしながら栄旺栄華を極め、
国王にも就き賢臣の誉れを恣に至る。子や孫にも恵まれ、幸福な生活を
送った。しかし年齢には勝てず、多くの人々に惜しまれながら眠るよう
に死んだ。ふと目覚めると、実は最初に呂翁という道士に出会った当日
であり、寝る前に火に掛けた粟粥がまだ煮揚がってさえいなかった。全
ては夢であり束の間の出来事であったのである。盧生は枕元に居た呂翁
に『人生の栄枯盛衰全てを見ました。先生は私の欲を払ってくださった
』と丁寧に礼を言い、故郷へ帰って行った。」とある。「一炊の夢」と
は粟粥が煮えるまでのわずかの間に、自分の一生を夢の中で見た男の話
である。
彼は、いまAIを応用して個人々々の将来の可能性を予測するアプリ
を開発しようとしていた。すでに「将来予測」という名称で占いによる
種々のアプリは版を重ねて作られていたが、彼曰く「まったくデタラメ
」だったので、一新してデータに基づいた個人の将来から寿命までを予
測するソフトを開発しようと模索していた。そこで、
「とにかくデータが欲しいんだだ、それも個人の」
「だけどそれって個人情報でしょ?」
「そうなんだ」
彼は、行政が公表する統計などは隈なくデータ化してきたが、もちろん
特定できる個人名はまったく求めていなかったけれど、例えば生年月日
や生い立ち、最終学歴や病歴、さらには性格や特技などの詳細な情報か
ら得られる社会的地位や寿命までもデータ化して、それぞれの利用者の
将来の選択肢を予測しようと考えていた。おれは、
「そんなことが予測できるのかね?」
「たとえば俺たちは同じ専門の学部を出たけれど、二人とも専門外の職
に就いたりなんかしていないじゃないか」
「まあそうだけど」
「もちろん予測できないことの方が多いけれど、社会の選択肢は限られ
ている」
「そうかな?」
「仮にそれを拒否してドロップアウトすれば、よほどの幸運でも訪れな
い限りたちまち貧困が訪れる」
「ま、いまさら他の選択肢なんて考えられないので会社に居る限りある
程度将来の予想はつくけれど。それが面白くないと言うのか?」
「まあそうだな」
彼は、開発途中のソフトに何度も自分自身のデータをインプットして、
自分の将来を予測させた。その結果、然したる幸運に恵まれることもな
く60代で死ぬと予測された。
「実は俺の親父もちょうど60才で死んだんだ。もしそうだとすればあ
と20年も無いからな」
彼は自分が開発したソフトによって「一炊の夢」を見てしまった。
「実際、自分の一生はたぶんそうなるだろうと思うとやり切れなくなっ
てさ。じゃそれはそれで終わったことにして別の人生もいいんじゃない
かなって思っているんだ」
「何を言ってるんだ、久美ちゃんや子どものことを考えたらそんなこと
出来るわけないだろ」
久美ちゃんとは彼の嫁さんで結婚前からおれもよく知っていた。
「わかってるさ」
佐藤は申し訳なさそうに呟いて、コップの焼酎を呷った。
(つづく)