「生まれ出づる歓び」(一)

2019-03-09 15:18:54 | 「生まれ出づる歓び」(一)~(五)

        「生まれ出づる歓び」 

 

            (一)

「一炊の夢って知ってる?邯鄲の夢とも言うけど」

 佐藤とおれは大学の同期でそれから20年来の親友である。もともと

彼は文系の学部に進学したが、2年生の時に「これじゃあ多分飯が食え

ねえ」と思って中退して、おれと同じの大学の情報工学部に入学し直し

たのでおれより2コ上だった。時はITバブル全盛の頃でITビジネス

の若い起業家が世間の注目を浴びていた。日本経済は「失われた10年

」と言われていたが、なるほど彼が狙った通りに就職先は引く手数多で

就活に奔走することもなかった。おれはすでに中堅だったIT関連の会

社に潜り込んだが、彼は敢えて出来たばかりのゲームソフトの会社を選

んだ。間もなくして彼はコンピューターによる占いのソフトを開発して

、それが人気を博して会社の業績を飛躍的に伸ばして、彼は数年でその

部署の役職を任された。彼とは卒業してからも親しくしていて酒を酌み

交わしては親交を温めていた。その夜も馴染みの居酒屋でとりとめのな

い世間話をしていたが、話題が尽きた頃に酔いが回ってきたのか彼が改

まってそう言った。おれは、

「えっ何?」

「一炊の夢」

「ああ、あれか、夢の中で自分の人生を見てしまうって話か?」

「まあそうだ」

「それがどうした?」

「・・・」

すでに彼は酔っていた。

「なんかさ、生きているのが虚しくなってしまったんだ」

「おいおい、いったい何があったんだ?」

「いや、何も問題はない。ただ面白くない、それだけだ」

「・・・」

おれはどう応えていいのか分らずに黙って彼のことばを待った。

 改めて「一炊の夢」をウィキペディアから引用すると、

「趙の時代に『盧生』という若者が人生の目標も定まらぬまま故郷を離

れ、趙の都の邯鄲に赴く。盧生はそこで呂翁という道士(日本でいう仙

人)に出会い、延々と僅かな田畑を持つだけの自らの身の不平を語った

。するとその道士は夢が叶うという枕を盧生に授ける。そして盧生はそ

の枕を使ってみると、みるみる出世し嫁も貰い、時には冤罪で投獄され

、名声を求めたことを後悔して自殺しようとしたり、運よく処罰を免れ

たり、冤罪が晴らされ信義を取り戻ししたりしながら栄旺栄華を極め、

国王にも就き賢臣の誉れを恣に至る。子や孫にも恵まれ、幸福な生活を

送った。しかし年齢には勝てず、多くの人々に惜しまれながら眠るよう

に死んだ。ふと目覚めると、実は最初に呂翁という道士に出会った当日

であり、寝る前に火に掛けた粟粥がまだ煮揚がってさえいなかった。全

ては夢であり束の間の出来事であったのである。盧生は枕元に居た呂翁

に『人生の栄枯盛衰全てを見ました。先生は私の欲を払ってくださった

』と丁寧に礼を言い、故郷へ帰って行った。」とある。「一炊の夢」と

は粟粥が煮えるまでのわずかの間に、自分の一生を夢の中で見た男の話

である。

 彼は、いまAIを応用して個人々々の将来の可能性を予測するアプリ

を開発しようとしていた。すでに「将来予測」という名称で占いによる

種々のアプリは版を重ねて作られていたが、彼曰く「まったくデタラメ

」だったので、一新してデータに基づいた個人の将来から寿命までを予

測するソフトを開発しようと模索していた。そこで、

「とにかくデータが欲しいんだだ、それも個人の」

「だけどそれって個人情報でしょ?」

「そうなんだ」

彼は、行政が公表する統計などは隈なくデータ化してきたが、もちろん

特定できる個人名はまったく求めていなかったけれど、例えば生年月日

や生い立ち、最終学歴や病歴、さらには性格や特技などの詳細な情報か

ら得られる社会的地位や寿命までもデータ化して、それぞれの利用者の

将来の選択肢を予測しようと考えていた。おれは、

「そんなことが予測できるのかね?」

「たとえば俺たちは同じ専門の学部を出たけれど、二人とも専門外の職

に就いたりなんかしていないじゃないか」

「まあそうだけど」

「もちろん予測できないことの方が多いけれど、社会の選択肢は限られ

ている」

「そうかな?」

「仮にそれを拒否してドロップアウトすれば、よほどの幸運でも訪れな

い限りたちまち貧困が訪れる」

「ま、いまさら他の選択肢なんて考えられないので会社に居る限りある

程度将来の予想はつくけれど。それが面白くないと言うのか?」

「まあそうだな」

彼は、開発途中のソフトに何度も自分自身のデータをインプットして、

自分の将来を予測させた。その結果、然したる幸運に恵まれることもな

く60代で死ぬと予測された。

「実は俺の親父もちょうど60才で死んだんだ。もしそうだとすればあ

と20年も無いからな」

彼は自分が開発したソフトによって「一炊の夢」を見てしまった。

「実際、自分の一生はたぶんそうなるだろうと思うとやり切れなくなっ

てさ。じゃそれはそれで終わったことにして別の人生もいいんじゃない

かなって思っているんだ」

「何を言ってるんだ、久美ちゃんや子どものことを考えたらそんなこと

出来るわけないだろ」

久美ちゃんとは彼の嫁さんで結婚前からおれもよく知っていた。

「わかってるさ」

佐藤は申し訳なさそうに呟いて、コップの焼酎を呷った。

 

                           (つづく)


「生まれ出づる歓び」(二)

2019-03-09 15:17:40 | 「生まれ出づる歓び」(一)~(五)


          「生まれ出づる歓び」

 

             (二)

 おれは、佐藤の迷いがまったく理解できない訳ではなかった。技術革

新の著しいIT業界に身を置いて齢40を過ぎるとさすがにその変化に

着いて行けなかった。若い頃なら第一線に立って寝る間も惜しんで知識

の習得に励んだりもしたが、若い者に仕事を譲った今では、体力の衰え

だけでなく、学習意欲さえも湧いてこなくなっていた。さらに、多分ど

この職場でも同じことだとは思うが、煩わしい人間関係に悩まされいっ

そ辞めてしまおうかと思ったことは一度や二度ではなかったが、しかし

妻や子のいる家庭に帰るとそんな思いはすぐに翻った。

 ある時怖ろしい夢を見た。「一炊の夢」ではないけれど、山の中で迷

ってしまい、生まれ育ったのは田舎だったので山には馴染みがあったか

らだと思うが、行きつ戻りつを繰り返していると、どういうわけかいけ

好かない同僚が、彼は猜疑心の強い男で詮索好きで、他人の噂話を吹聴

しては人に取り入ろうとしていた。その彼がひょいと現れて、

「こんなところで何をしているんだ?」

と言った。おれは、

「山を降りようとしているんだが、どうしても道がわからない」

と言うと、彼は、

「何を言ってるんだ、この道をまっすぐ行けばいいんだよ。途中にトン

ネルがあってだんだん狭くなっていくけど、そこを抜ければすぐだよ」

おれは彼に礼を言ってその道を進んだ。すぐにトンネルがあって迷わず

に入って行った。始めのうちは充分立って歩けたが、彼の言うように徐

々に天井が迫ってきて腰を屈めないと前には進めなくなった。やがてそ

の先は真っ暗で四つん這いにならなければ前に進めなくなったが、おれ

は疑心を振り払いながら前に進んだ。そして遂には体が漸う通るくらい

の狭い穴の中を腹這いになって進んだが、しかしそれでも出口は見えて

こなかった。もしもこんな時に地震でも起これば生き埋めになってしま

うと恐怖に怯え、もはや疑いが振り払えなくなって引き返そうと思った

が、狭い穴の中で向きを替えることさえ出来ず、しかも腹這いのままで

は後ろに戻ることも出来ず、ただ前に進むことしか出来なかったが、い

つになったら抜け出せるのかさえ判らなかった。恐怖を感じたおれは、

「くそっ!あいつにダマされた」

と叫んだところで眼が覚めた。全身からは脂汗が噴き出していた。

 また、殊に若い社員との考え方の違いに愕然とした。彼らはさすがに

言われたことの呑み込みは早かったが、ところが何故そうしなければな

らいかといった連想はほとんど働かせようとはしなかった。だから教え

られたこと以外のイレギュラーな事態が起こると信じられない仕方によ

ってその場凌ぎの処理をして繕った。後になって修復のために作業が滞

ることが何度も起こった。つまり、彼らは目の前の効率ばかりを意識し

て先の非効率を考えようとはしなかった。ある日、使った後の会議室の

掃除を新人の女子社員に頼むと、10分も経たないうちに「終わりまし

た」というので驚いて見に行くと、イスは放置されたままでゴミ箱には

ゴミが溢れて、「一体どこを掃除したのか?」と訊くと、「机の上を拭

きました」と言ったが、絞り切れていない雑巾で拭いた後の滴が其処彼

処に見られた。「ダメじゃないか、きちんと絞らなきゃ」と言うと、「

大丈夫ですって、すぐに乾きますから」と言い返した。さらに、どうで

もいいことかもしれないが、字がヘタで読めなかったし、メールのよう

な短文しか書けなかった。一言で言ってしまうと何もかもが「がさつ」

だった。おれは彼らをちょうど三人いたので「がさつ三兄弟」と呼んで

いたが、始めの頃は何度か注意もしたが次第に諦めざるを得なくなった

。と言うのも、彼らはあのいけ好かない同僚から可愛がられていたから

で、更に、そもそもIT技術とは情報手段である一方で、これまでの煩

雑な作業を効率化することによって進化してきたからである。やがて我

々はペンを持って字を書くことすら面倒臭くなってしまうに違いない。

技術を機械に委ねて、果たして我々の生命体としての能力そのものは退

化していないだろうか?


                          (つづく)

 


「生まれ出づる歓び」 (三)

2019-03-09 15:16:20 | 「生まれ出づる歓び」(一)~(五)

             「生まれ出づる歓び」


                 (三)

 最後に佐藤と会ってから半年余り経って、もちろんデンワやメールの

やり取りは頻繁にしていたが、彼の方が忙しくなって再会する機会がな

かった。彼は、目が開いているうちは昼夜を問わずパソコンのモニター

画面ばかり見ているとぼやいた。ところが、年が改まって早々に彼から、

「できた!やっと完成した!!!」

というメールが来て、これまで彼が取り組んできた新しいソフトが出来

上がったことを知った。すぐにデンワをして「おめでとう」と言うと、

彼の方から祝杯をあげようと言い出して、早速その日の夜に会うことに

なった。少し遅れていつもの居酒屋に入ると、すでに彼はいつもの席で

いつもの「とりあえずビール」を呷っていた。二人とも会社員だったが

、彼はソフト開発に伴う幾つかの著作権を持っていたので、彼の方がは

るかに所得は多かった。だから勘定はいつも彼が気前よく払ってくれる

ので、おれは財布の中を気にせずに彼の誘いに従った。ただ、彼は酔い

が回ってくると愚痴っぽくなったが、それを聴いてやることも勘定の中

に入っているんだと思って付き合った。ただ、その夜は念願だった仕事

をやり終えた後だったので、彼は終始上機嫌で雄弁だった。

「近代社会も成熟してくると敢えて社会の仕組みを変えるような改革は

しづらくなる。そんなめんどくさいことをしなくたってそれなりに快適

に過ごせるから」

彼の世間に対するシニカルな見方におれは心の中でまた始まったと思っ

たが、付き合うしかなかった。

「ぬるま湯から脱け出せないってことだろ」

「だってあれほど熱心に首都を移転させると言ってたのに、結局何も出

来なかったじゃないか」

「あったよな、そんなこと」

「変わらない社会の枠組みの中で俺たちの選択肢はどんどん限られよう

としている」

「・・・」

「それって実は管理する者にとっては扱い易いんだよね」

「バラツキがなくなるもんな」

「それにAIによって管理社会はますます進んでいくだろう」

「おれもそうだと思うよ」

「それってさ、実は家畜と同じなんだよね」

「ちょっとそれは言い過ぎだろ?」

「いや、おれたちは今回のプロジェクトで何度も人はどっちを選択する

かのシュミレーションをやったんだ。たとえば、快適と不快なら当然誰

もが快適を選ぶだろ」

「まあそうだよね」

「じゃあ快適と正義ならどっちを選ぶ?」

「ちょっと抽象的すぎて選べないよ」

「だったら、サイフを拾ったらほとんどの日本人は警察へ届けるよね」

「うん」

「じゃあ、裸のままの現金を拾ったらどうする?」

「たぶん金額によると思うけど、千円程度ならネコババするかもしれな

いね」

「それってどうしてだと思う?」

「そりゃあ足がつかないからさ」

「だったら裸のままの一億円を見つけたらどうする?」

「それはいくら何でも足がつくから届けるだろ」

「つまり個人的な快適と社会的道義のどちらを選ぶかは状況の違いによ

ってその選択も変わるってことだよね」

「まあそうだ」

「社会の中で暮らしている限りは社会的道義に従うけれども、社会的道

義が問われなければ快適の方を選らぶってことだろ」

「そうだな」

「そこで俺たちは個人の意識を本能が支配する個人的自我と、理性が支

配する社会的自我に分けたんだ。それを俺たちはバイセルブスって呼ん

でるんだけど」

「それって本音と建前ってことじゃないの?」

「ま、そうだけど、何て言うかその距離感がまったく違う」

「距離感?」

「実際もう誰も本音なんかで生きてないからね。二―トかヒッキ―くら

いしか」

「そうかな?」

「だって社会が巨大化して個人の欲望なんてすべて満たしてくれるから

卑屈な自己意識しか生れてこない」

「だけど社会から外れたからって自由に生きることなんて出来ないしさ

「自由って言うけどそれって社会的自由でしかないからね。リードを外

されているかもしれないけれど首輪は着けられたままなんだ」

「でも、仮に社会を捨てたとしても、生きていくためにははやっぱり食

うこととか住む処とかに縛られるんだから、それって同じことじゃない

の」

「同じじゃないさ、どれほど独りで自由を持て余したとしても、ケツの

穴まで洗ってくれる便器なんて思い付かないさ。俺たちはもうこの快適

な暮らしから遁れられなくなってしまって家畜化しているんだ」

「確かに文明の進化が人間を退化させるというのは分るけど、だからと

言って文明を棄てて自然に還ることなんて絶対出来ないよ。たとえば温

暖化問題だってさ、このままだと百年後にはとんでもないことになるっ

て言われても、とりあえず今は大丈夫だと言ってるようなもんだから誰

も変えようなんて思わないさ」

「特に日本人は事なかれ主義だからね。敢えてぬるま湯から抜け出そう

なんて思わない。首都移転にしてもさ、ダメもとでもいいからやっちゃ

えば良かったんだよ。東京の一極集中なんて前から分ってたんだしさ」

「いや、絶対出来っこないって!だって、いくら理屈で解っていても最

後は情緒が決めるんだからこの国は。変われるわけがない」

「ただ、管理する者は設定が変わってしまうことを嫌がるんだよね。蓄

積したデータが使えなくなるから」

「まあそうだろうな」

「俺たちさ、まあ大したデータを基にして他人の将来を予測しているわ

けでもないけれどさ、たとえば医者になるためには当然資格が要るし、

そのためには医学部を出なければならないし、まあそこまで行けばガチ

なんだけど、その後はもちろんそれぞれの能力にもよるけれども、まあ

大体の年収や生活レベルの範囲って出てくるじゃない」

「うん」

「それで学歴や資格以外にもよくある適職診断のアンケートにも答えて

もらって、その診断から組織の中でどの程度信頼されるかまでリサーチ

して適性業種を出して、さらには本人の生活習慣はもちろん両親の既往

歴までも答えてもらって本人の寿命までも予測してるんだ。すべて答え

ると100問あるんだけど、もちろん拒否もできるけど。っでさ、寿命

って母親の方の寿命が遺伝するって知ってた?」

「ああ、どこかで聞いたことがある。でもさ病気になってしまえばどう

にもならないだろ」

「そうなんだ。俺の親父はガンで死んでしまったからな、ガン家系なん

だよ」

「それでお前もガンで死ぬって出たのか?」

「ああ、親父と同じ60で」

「信じているのか?」

「っていうかある程度覚悟はしている」

「それで別の人生なんて言い出したのか?」

「まあそうだ」

                           (つづく)


「生まれ出づる歓び」(四)

2019-03-09 15:09:35 | 「生まれ出づる歓び」(一)~(五)

           「生まれ出づる歓び」

              

               (四) 

 佐藤は自分が作成した将来予測のソフトに自分自身の予測を試みて、

残された人生がそれほど長くないという結果が出たことから、本人は薄

々予感はしていたようだが、改めて行く末を模索し直そうとしていた。

「何よりも平々凡々の後半生であると言われたことが許せなかった」

「それで、仕事は何が適職だと答えたんだ?」

「デザイナー」

「ほう、結構当っているじゃないか」

彼は、おれと同じ学校に来る前は美術大学に進学した。だから彼が手掛

けた初期の頃のアプリでは、何もかも独りで創り上げるしかなかったの

で、キャラクターも自分がデザインしてそれが意外にも評判が良くて、

今も引き続き使われていた。佐藤は、

「将棋とか囲碁にはルールがあって複雑だけれどもただ勝つための選択

は限られているだろ。ところが人間はそうはいかない。能力がないのに

希望したり、優れた能力があってもそれを生かそうとしなかったり、た

とえば経済力が単純に幸福をもたらしてくれるとばかりは言い切れない

。つまり、何が勝ちであるかは人それぞれ違うんだよ」

「うん、分る」

「それともう一点は社会そのものが変化するので、いくら好きな仕事で

あっても仕事そのものが無くなっていることだってある」

「IT革命ってまさにそれだよね」

「つまり、将棋なんかはいくら時代が変わっても升目の数は変わらない

けど、社会はそれが増えたり減ったり、それどころか新しい駒が作られ

たりするんだから」

「それってフレーム問題ってやつだよね?」

「なんだ、知ってるんじゃん」

「まあ、一応業界人だからね」

 過去のデータから未来を予測するということは、分り易く言えば後ろ

を見ながら前に進むようなもんだから、ぶつかってからでないと何が起

こったか解らないんだ」

「つまり、フィードバックできても新しいことを生み出すことは出来な

いってことだろ。たとえば、イチゴ大福のような商品を考え出すことは

出来ない」

「まあイチゴ大福くらいならイチゴも大福も既にデータがあるもんだし

、プログラムさえ上手くすれば多分新しいものだっていくらでも作れる

と思うけど、たとえば納豆大福だとか、ただ俺たちがそれを美味いと思

うかどうかは別だからな。いくら新しくたって不味かったら誰も新しさ

なんか感じないしさ」

「つまりAIが選択したものを人間が選択するとは限らない」

「だって人の嗜好って一つじゃないからさ、将棋は勝つことの一つしか

ないけれど」

そして、

「AIは新しいものを作れないって言ったけどさ、人間だってそうそう

新しいものを作り出しているわけじゃないからね。イチゴ大福にしたっ

てそのコラボが新しいだけでイチゴも大福も前からあるからね」「それ

まで何一つデータがないものを新しいと言うなら、たとえば青色LED

のようなものは、たぶんAIは作れないと思う」

「何かの本にAIは哲学と芸術だけはできないと書かれていたけどさ、

それじゃ哲学も芸術もデータのない分野かというとそうじゃないよね」

「うん、たぶんそれなりに作れると思う。ただ、芸術とは何かと問われ

てもそもそも定義できないものだから、たとえば自然が作り出す風景だ

って芸術だとも言えるし、そういう意味で言えばAIにだって表現する

ことはたぶん可能だよ。ただそれが人を感動させるかどうかは怪しいと

思う。仮に芸術とは人間によって創作されたものと定義すれば、AIに

は人間の感情は存在しないんだからどれほど奇抜な作品に目を奪われた

としても心を奪われることはないと思う」

「じゃあもしAIが感情を持ったとしたら?」

「コントロールされるかもしれない」

 佐藤は、

「芸術や哲学というのはさ、人間の精神が創造した独自の世界なの

で、もし仮にそれがAIに委ねられるとすれば、われわれはいっそ

う家畜化した証拠になる。だって家畜は快適でありさえすれば新し

い世界なんて要らないからね。実際もうその兆候は現れているじゃ

ないか、今やわれわれの関心は経済だけで、芸術にしろ哲学にしろ

全く関心が失せてしまったじゃないか」そして「さっきのバイセル

ブスだけれども」

「ええーっと、個人的自我と社会的ってやつか」

「ああ、データを集計してみるとさ、それぞれの選択はほとんど社

会的自我が決めているんだよな」

「だってそれは仕方がないじゃないか、そういう選択を迫っている

んだから」

「まあそうだけど、それにしたって個人が見えてこない。決められ

た道を何の迷いもなく選択する。でもさ、自分がやりたいことって

そんなにあっさり社会の中に見つかるものかね」

「だからって迷っていないとは思わないけどね」

「たまに大手企業を退職なんて経歴を目にすると、こいつ辞めて何

するつもりなんだろうってすっごく気になる。そういう時ってバイ

セルブスが入れ替わった時なんだ」

「社会的自我から個人的自我へ?」

「うん、そうやって上からかもしれないけど見ていると、何か人間

が家畜化しているように思えてならないんだ」

「仮にそうだとしても生きていくためには已むを得ないじゃないか

「そんなことは分っているさ。ただ、その先は見えているんだけど

ね」

「たぶんそれを望んでいるんだよ、先が見えないことより」

「ああ、そうなのか」

「いつだったか若い社員が休憩の時に、長いものには巻かれろって

言うでしょと得意げに口にした時に、あれ?おれたちはもっと自虐

的に呟いたものだけどなって思ったりしたけど」

「みんな長いものに巻かれたいんだよ」

「つまり、AIは社会的自我に対しては応えられるけれど、個人的

自我には役に立たないってことだよね」

「芸術だって哲学にしたって個人的自我に届かなければただのパフ

ォーマンスだからね、すぐに忘れ去られる。だってAIが、つまり

人工知能が自由を叫べると思えるかい?」

 おれは、「仮にそうだとして、それじゃあ人間を家畜化させてい

る原因は何?」

「これは俺の意見だけど、近代社会そのものがそうなんだけれども

、中でも効率主義こそがわれわれを家畜化させていると思う。そも

そもAIが一番得意とするのは効率性なんだから。そもそも芸術や

哲学というのは効率がまったく意味を為さない。効率を求めれば

求めるほどフレームに入り切れないデータは排除される。だから、

われわれが文明社会の快適さを求める限り、社会のフレームからは

み出すことは許されない。家畜って効率性がすべてだから酪農にし

ろ養鶏にしろ子や卵を生むメスしか飼育されていないだろ、経済効

率の悪いオスは何の役にも立たない」

「それで今の時代は女の方が元気なのかな?」

「なるほどそうかもしれない。効率を追い求めればいずれ社会の役

に立たない人間は淘汰されるだろう」

「それって優生思想じゃないか」

「そうなんだ、何が恐ろしいって快適さと引換えにAI、つまり科

学に生命をコントロールされることじゃないかな」

「まさかそんなことはないと思うけど・・・」

「何を言ってるんだ、すでに出産は無痛分娩が一般的だし、今では

尊厳死、つまり安楽死さえも合法化されようとしているんだぜ。そ

のうち出産制限とか定年死さえも合法化されるさ」

「出産制限は何となく分るけど、定年シ、って何?」

「だって経済効率を追い求めれば働けなくなった高齢者は非効率そ

のものだからね、管理社会が進めば経済的に自立できない高齢者は

一定の年齢に達したら安楽死させる。つまり、定年になったら死ぬ

から定年死、もちろん本人の承諾を得た上でだけど」

「誰もそんなの受け入れるわけないじゃないか」

「いいや、快適な生活に慣れた現代人はたぶん身体が衰えて辛い思

いをするくらいなら楽に死にたいと思うんじゃないかな。ある学者

は様々な痛みから解放させてくれる近代文明を無痛文明って呼んで

るけど、あっ無痛分娩じゃないよ、無痛・文明だよ。でもさ痛みの

伴わない命っておかしいと思わないか?われわれが恐怖だとか不安

を呼び覚ますのは身体中に張り巡らされた神経の記憶から生まれる

感覚なんだ。つまりAIと人間の大きな違いは神経なんだ、その神

経によってもたらされる感覚なんだ。その神経をマヒさせて果たし

て生きていると言えるのだろうか?すでにわれわれは科学によって

命をコントロールされているんだ。そして遂には個人と社会との関

係が逆転して、生きることとは社会のために生きることだと思うよ

うになる」

「それって全然間違っているとは思えないけど」

「何を言ってんだ、初めに生命があってそれから社会が出来るんだ

ろ。社会から生命は生まれないからね。明らかに目的と手段が逆転

しているじゃないか。その逆転こそが家畜化だと言ってるんだ」

俺は、

「それじゃあ、家畜化から遁れるためにはいったいどうすればいい

と言うんだ?」

「逃げるしかない」

「何処へ?」

「フレームの外へ」

「それって今の暮らしを棄てろってことだろ、そんなこと出来ない

な俺には」

「ああ、できない。実はおれもそれで迷っているけど、個人的自我

を取り戻す方法はそれしかないと思う。残された人生だってそんな

に長くないからね」

                          (つづく)


「生まれ出づる歓び」 (五)

2019-03-09 15:02:56 | 「生まれ出づる歓び」(一)~(五)

          「生まれ出づる歓び」

 

             (五)

 佐藤の話を聴いていて、何故かかつて読んだ浅田彰の「逃走論」

を思い出した。いや、思い出したのは「逃走論」という題名だけで

内容は何一つ覚えていないが。それは、同期に入社した男が、彼は

就職氷河期でなければもっと大きな会社に入れるほどの難関大学を

出ていたけれど仕方なくいま俺が居る会社に就職した、が、一年も

経たないうちに辞めてしまった。入社したころは机を並べてデータ

処理の雑務をしていたが彼の頭の良さに驚かされ、こいつには絶対

勝てないと思っていると、彼の口から突然「辞める」と聞かされた

時には内心ほっとした。一年も経たずに辞職する新入社員に対して

は会社もそっけなく、新入社員だけで彼との送別を惜しむ席を設け

た。その席で彼が浅田彰の「逃走論」を語り始めた。聞き慣れない

横文字ばかりで何を言っているのかまったく解らなかったが、ただ

「逃走論」という言葉だけが耳に残った。すぐに読んでみたがそれ

でもよく解らなかった。ただ構造主義からの逃走であるらしいこと

は解ったが、では構造主義とは何かが解らなかった。

 例えば、この国に生まれてこの国で暮らしていると、誰もこの国

との関係性から逃れることはできない。その関係性への執着から愛

国心が芽生えるというのは何もこの国に限ったことではない。隣国

に於いても同じである。自分たちの国を愛すること自体は何も問題

はないが、それが関係性の乏しい他国に向けられると異質な文化に

対する嫌悪感から排他的になる。それもまた隣国に於いても同じで

ある。つまり愛国者どうしが罵り合う背景には何か構造的な仕組み

があって、それぞれの愛国者たちはその仕組みに踊らされているだ

けではないか。仮に、この国の愛国者たちが立場が入れ替わって彼

の国に生れ堕ちれば、たぶん反日運動のシュプレヒコールを上げて

いるに違いない。だとすれば関係性に感情を絡めて馬鹿げた感情論

で非難し合うよりも対立的な関係性を解体してしまえばいい。EU

の試みはまさに国家の解体に他ならない。それは、何も国家間の構

造だけに止まらず、すべての構造的な関係においても言えるだろう

。「逃走論」とは構造主義社会からの逃走なのだ。そして、スキゾ

・キッズ佐藤の言う「フレームの外へ」もまた、ひたひたとしかし

確実に忍び寄る新たな構造主義社会、つまりAIが支配する管理社

会からの「逃走論」に違いなかった。

 佐藤は福島県出身で、父親は早くに亡くなって実家には母親と長

男の家族が暮らしていた。幸いにも2011年の大震災と大津波に

よる原発事故の直接的な被害は免れたが、しかし原発事故以来、科

学技術に対しては懐疑的になっていた。それまでは誰よりも「科学

の子」を自認していが、とりわけ原子力エネルギーについては「世

界を構成する物質の破壊は世界そのものの破壊で再生されない。そ

れは自然破壊なんかよりもはるかに深刻だ」と言って認めなかった

。そして温室効果ガスを排出する科学技術に対しても「欠陥技術だ

」と言い切った。そして佐藤は、

「日本は近代化するために欧米の科学技術を真似たんだけど、たと

えばタモリのモノマネをする芸人はタモリを超えられないんだよね

。タモリは自分自身を超えることが出来ても」

「ええっ、どういうこと?」

「だって西欧じゃ化石エネルギーの使用を無くそうとしているのに

、日本はハイブリッドだとかお為ごかしの技術でしか対応しない。

きっと既得権益を守ろうとする財界に政界が追従しているからだけ

ど、そんなタコつぼ社会の中からイノベーションなんてぜったいに

生れて来ないさ。もちろん原発問題だって同じさ」

おれは、

「今の政財界を見ていると、目の前の財政再建にばかり捕らわれて

、新しい技術だとかそんな先のことなんか考えてる余裕なんてない

んだよ、きっと」

「だって温暖化問題なんて日本にとっては技術力を発揮できる絶好

のチャンスだったのに、原発に頼ってしまったから太陽光発電だっ

てよそに追い抜かれてしまったじゃないか。世界が変わってからで

ないと変われないんだよ、この国は」

 佐藤だけでなくすでにおれも酔い始めていた。便所に行こうとし

て立ち上がった時にすこしよろけた。用を足した後、洗面所で顔を

洗ってから店員にオシボリを貰って拭った。満席だった店内もいつ

の間にか空席が目立った。スマホで時間を見るとすでに10時を過

ぎていた。席に戻って再び重苦しい話を続けたくなかったので、話

題を変えようと思った。おれは席に着いて、

「さっき迷ってるって言ったけど、いったい何を迷っているの?」

と切り出した。佐藤は、

「うん、仕事を辞めようかと思ってる」

「辞めてどうするつもり?」

「実はやりたいことがある」

「まさか、絵を描こうと思っているんじゃないよね?」

佐藤はそもそも美術系の学校に進学したが、それじゃあ喰えないと

思って俺と同じ学校の情報工学部に入り直して今の会社に就職した

。知り合って話すうちに何度か絵に対する未練を聴かされたことを

覚えていた。

「そうなんだ、絵を描きたいんだ」

「家族はどうする?」

「久美子にはちらっと口に出したことがあるけどまったく取り合っ

てくれなかった」

「そりゃそうだよ、生活がまったく変わってしまうんだから」

「でも、もう娘は今年高校を卒業で志望校への進学も決まったので

少し自由ができたんだ」

「ああ、もうそんな大きくなったのか」

佐藤はおれもよく知っている学校の同級生と卒業してすぐに結婚し

て子どもを授かったので、おれの子どもよりもうんと年長だった。

おれは、

「それで、どうやって生活するんだ?」

「実は、実家の福島に親戚の空家があって、そこを借りて農業をし

ながら絵を描くつもりなんだけど」

「久美ちゃんは承知したのか?」

「いや、そんなとこに行きたくないって言われた」

「だって彼女は東京育ちだろ?」

「そうなんだ。今さら農業なんてしたくないって」

「そりゃそうだよ」

「仕方ないので別居するしかない」

「そこまで考えているのか」

「俺さ、絵を描くのは人に見せるためだと思っていたんだけれど、

ちょっとまえに前の学校の時の友だちが死んでさ、母親が彼が住

んでいた借家を片付けたら大量の絵が残されていて、それでお母さ

んはその絵をみんなに見てもらおうと思って個展を開いたんだ。俺

はその絵を見て心を打たれた。風景画が多かったんだけれど、実に

生き生きとした美しい絵だった。彼は誰にも見てもらえなくてもこ

んな素晴らしい絵を描いていたのか、と思うと可哀そうでならなか

ったんだけど、すぐに違うと思った。彼は絵を描いている時こそ生

きていることの歓びを実感していたに違いないと、それは彼の絵を

観て確信したんだ。そして人に見せること、それどころか売れなけ

れば意味がないと思っていた自分の考えが間違いだったことに気付

かされた。好きな絵を描くことはそれだけで充実した人生を送った

に違いないと、いま自分がやっているつまらない作業に比べたら」

 おれは佐藤に、家族だけは路頭に迷わせるなよと説得したが、仕

事を辞めて農業をしながら絵を描きたいという彼の決意を思い止ま

らせることは出来なかった。彼の話を聴いて、画家ゴーギャンを思

い出さずにはいられなかった。ゴーギャンは株式仲買人として成功

して家庭を持って裕福に暮らしていたが、株式市場の大暴落をきっ

かけに、何を思ったのか社会的地位も家庭さえも捨てて画家への転

身を志し、紆余曲折を経てついには南太平洋に浮かぶタヒチ島に渡

って創作を続け、最後は病魔に苦しんで南海の孤島に骨を埋めた。

かつてはともに画家を志したゴッホにも劣らぬほどの彼の壮絶な生

涯はすでに様々な書物でも取り上げられているのでここでは割愛す

るが、佐藤もおそらくふるさと福島の原発事故に対する不信から近

代文明への懐疑が芽生え、「ゴーギャン的転身」を決意したのかも

しれない。佐藤は、

「このまま死んでしまっても納得できる場所にいまの自分は居るの

かって自問するとさ、そうじゃないんだよね」

おれはそんな自問をしたことがなかったので、どう答えていいのか

分らなかった。そして佐藤は、

「たとえば明日死ぬと判ったらこんなとこで飲んでたりはしないだ

ろ」

「まあな」

「それどころか東京にだって居たくない」

「じゃあ何処へ行くんだ?」

「別に決まった所はないけれど、ただ自分が生まれてきた世界をも

う一度この目で確かめたいと思ったら決して東京なんかじゃない」

「それはわかるけど、じゃあ家族はどうするんだ?」

彼はしばらく沈黙したあと、

「それを考えたら元に戻るしかないが、しかし死んでしまえば居な

くなるんだから申し訳ないが許してもらうしかない」

そして、

「死から自分の人生を見つめ直すということは個人的自我を取り戻

すことなんだ。生きている限り死は避けられないとすれば、俺はそ

の死から逆行して生きて行こうと思うんだ」

「何かよう分らん」

「一炊の夢だよ。つまり俺の人生はもう終わってしまったんだ。だ

からこれからは別の人生を生きるんだ」

「上手く行かなかったら?」

「それも夢だと思ちゃえばいい」

「でも耐えられるか?」

「だってもう一度終わってしまったんだから何があっても耐えられ

るさ。ただもう一度生れて来た歓びを取り戻したいんだ」

                        (つづく)