「生まれ出づる歓び」(九)

2019-04-24 01:37:07 | 「生まれ出づる歓び」(六)~(十)

        「生まれ出づる歓び」


            (九)


 佐藤の要請を受けて故人の音声を再生させた会話アプリの開発がスター

トした。すでにAIを使った会話アプリは実用化されていたが、われわれ

の企画の成功は一に故人の声の再生にかかっていた。佐藤がプレゼンする

第一回目の打ち合わせはわが社の音声技術部の技術室で行われることにな

っていた。その佐藤は約束の時間ギリギリになって来社した。おれは担当

の野口にデンワでその旨を伝えてから佐藤を迎えに行った。佐藤は地味な

ブルゾンにパンツというラフな格好だった。そう言えば、これまで彼のス

ーツ姿を見た覚えがなかった。シリコンバレーから始まったIT起業家た

ちのファッションに拘らないライフスタイルは、この国の業界でも一応の

市民権を得ていた。佐藤は、

「お前の会社に入るのは初めてだよ」

「あっ、そうだっけ」

そう言やあ俺たちはもっぱら居酒屋で酒を酌み交わすばかりで、一緒に仕

事をするのはこの日が初めてだった。


                          (つづく)


「生まれ出づる歓び」(六)

2019-04-08 05:33:10 | 「生まれ出づる歓び」(六)~(十)

         「生まれ出づる歓び」


            (六)

 

 間もなくして佐藤が作ったスマホ専用のAI搭載のアプリが配信

された。「AIによるあなたの将来予測」とサブタイトルがあって

、なんとタイトルは「一炊の夢」だった。そしてこれまでの占いシ

リーズで使われていたコミカルなキャラクターが一変して劇画調で

描かれていた。間近に卒業シーズンを控えていたこともあって、進

路の選択を迫られた若者たちからのダウンロードが瞬く間に激増し

た。それはすぐに業界でも話題になり、ネット上にはAI搭載アプ

リの可能性についての記事が殺到していた。おれはしたり顔の佐藤

を思い浮かべながら何度か祝福のメールを送ったが一度も返信して

来なかった。多分忙しくてそれどころではないのだろうと思って気

に掛けなかった。数日後、いつものように仕事帰りの電車の中で、

すでに空席が目立つ車両の座席に腰を下ろして、スマホでニュース

を見ようとして、一つの見出しに目がいった。

「生保の個人データ200万件流出、売買目的か?関係者を聴取」

おれはすぐに佐藤がつぶやいた言葉を思い出した。

「とにかくデータが欲しいんだ、それも個人の」

早速ニュースの内容を確かめると、流出したのは住所氏名は番号化

された個人情報で、そのデータから特定の個人に辿り着くには更な

る情報が必要だったが、それこそが佐藤が欲しがっていたデータに

他ならなかった。おれは停車した途中の駅で下車して佐藤にデンワ

をしたが繋がらなかった。彼の嫁さんの久美ちゃんにもデンワをし

たが繋がらなかった。そして「間違いない」、佐藤に違いないと思

って、こうなったら彼の家に行くしかないと思って、引き返すため

に対面する反対側のホームへ降りた。

 人影のないホームに佇んで電車が来るのを待っている間に、彼が

作ったアプリ「一炊の夢」を恐る恐る開いた。するとアプリは通常

通りに使うことが出来た。彼のアプリは適職診断のようなアンケー

ト形式で、ただ一択ではなく複数の選択ができた。例えば「好きな

学科は?」という問いには文系と理系の二択があって両方とも選ぶ

ことができたが、そうすると選択の項目が画面をスワイプしなけれ

ばならないほど出てきた。なるほどこれがAIによるのだなと思い

ながら最後まで答えると予測結果が出て、職業、年収、地位、そし

て寿命までも、その確率をパーセンテージで予測してくれた。何と

いっも寿命予測がこのアプリの売りだった。もちろん検査データの

入力は必須だが、他にも既往症や食生活や生活習慣のの嗜好など多

岐にわたっていた。そして今の生活を続ければ何パーセント確率で

寿命何歳と表示された。おれは彼のアプリがまだ削除されずに残っ

ていたことにすこし安堵した。
 
 スマホを弄っていると、ホームのアナウンスが次に来る電車が最

終電車だと告げた。その時、おれはその最終電車に乗ってしまった

ら、もしも佐藤の家に行って留守だったら帰れなくなると気付いた

。「やばい」今日は諦めて明日にしようと思って元の反対のホーム

に戻ろうとした。通路を上っていると最終電車が到着したのが分っ

た。「よかった乗らなくて」と思って元のホームに戻ってくると、

何故かホーム全体が薄暗かった。ちょうど駅員が掃除をしていたの

で、「次は何分後ですか?」と訊くと、「もうとっくに最終電車は

出ましたよ」と言った。そうだ!おれは最終電車に乗っていたのだ

った。おれは向かいのホームにしばらく止まっていた最終電車もベ

ルが鳴ると大きなスカ屁をして出て行った。静まり返ったホームに

独りとり残された自分はしばらく茫然と立っていた。

                        (つづく)


「生まれ出ずる歓び」(七)

2019-04-08 05:30:38 | 「生まれ出づる歓び」(六)~(十)

        「生まれ出ずる歓び」


            (七)


 次々に消されていく照明灯に急かされて改札を出た。そこは初めて降り

た街だったが、すでに東京の街はどこも同じハードウエアによって造られ

ているので殊更とまどったりはしなかった。馴染みのあるビジネスホテル

やコンビニ、そして有名なコーヒー店に多種多様な飲食店など、そしてど

こまでも続くビル街、それらはどこの駅前にもある似通った景観だった。

東京に来たばかりの頃、この人工の建築物が永遠と続く街並みに恐怖を覚

えパニック障害に陥りかけた。特に電車に乗っている時には檻の中に入れ

られた思いがして次第に動悸が治まらなくなって途中下車したこともあっ

た。だからよく用もないのにまだ自然が残されている郊外に足を運んだ。

 帰る術を失ったおれは仕方なく目の前のビジネスホテルに泊まろうとし

たが、思い直してすこし街を歩いてみようと思った。そして歩きながら佐

藤のことを考えた。

 佐藤は若い時からニーチェを愛読していて、話をしている時にもよくニ

ーチェの名前を口にした。佐藤によるニーチェ思想とは、世界は混沌と秩

序からなり、それは生成と真理へも変換される。おれは佐藤に勧められて

ニーチェの処女作「悲劇の誕生」だけは何とか読んだが、そうだ、浅田彰

の「逃走論」にもニーチェが語られていたっけ、しかし、そもそもギリシ

ャ文化にそれほどの造詣がなかったのでチンプンカンプンだった。ただデ

ィオニュソス対アポロの対立概念だけは何となく分ったような気がした。

つまり、混沌と秩序の対立概念は、生成と真理の対立であり、そしてそれ

はディオニュソス対アポロの対立だと思った。そこで、世界とは変動する

生成であるとするならば、固定化した不変の真理というのは成り立たない

ことになる。つまり「真理とは幻想なり」である。近代社会はもとよりそ

の真理の探究によってもたらされた科学技術によって発展した。しかし、

そもそも真理が幻想であるとすれば、当然、科学文明社会も幻想であり、

いずれその限界が訪れるのかもしれない。それはエネルギー資源の枯渇に

よってか、或は環境破壊によってか分らないけれど。

 佐藤は、「変動する生成の世界は循環しながら再生されるけれど、科学

によって生み出された固定化された人工物質は自然回帰しないので再生さ

れない」

「確かにそうだけど・・・」

「それどころか生成の循環を阻害して自然回帰を滞らせている」

「でもさ、だからと言って科学文明を棄てて自然に帰ることなんてできな

いじゃないか」

「何もそこまでは言ってないさ」「ただ、我々はますます生成の世界から

離れて家畜化しているんだ」

「かちくか?」

「そう家畜化」

彼の言ってることがよくわからなかったので黙っていると、

「家畜化とは、つまり生成変化する世界を固定化すること」

「管理社会ってこと?」

「まあそうかな、循環しながら再生進化する生成のしくみから見れば固定

化した科学文明は直線的で、直線って効率的かもしれないけれど円環しな

いから再生できない。再生しない生成は進化しない。進化しない生き物は

家畜ないか」

「科学技術の進化が生成そのものの進化を阻んでいるってことだろ」「ま

あ、それは何となく分るけど、でもしかたがないじゃないか」

「そうだ、しかたない」そして、「確かに科学技術は我々の何とかならな

いかという期待に答えてくれた。ただしそれは自然循環を破壊し、生成と

しての生成の世界を犠牲にしてことなんだ」

彼が言わんとしているのは、たぶん、変動する生成と固定化した科学技術

の相違がやがて文明を破たんさせると言うのだ。そして、生成として変遷

流転する存在であることを忘れた我々は家畜化、それは固定化によって進

化しなくなり、やがて変遷流転する自然循環から外れ再生できずに絶滅す

ると言うのだ。

 佐藤は、彼の地元である福島県が原発事故に遭ってそれまでの科学至上

主義の考え方を疑うようになった。そして、

「福島の問題は実は福島だけの問題じゃないんだよね」

「もちろん、世界中で稼働している原発にとっても他人事ではないけれど

、さらに、さまざまな環境問題が指摘されている近代社会のあり方も問う

ているんだ」「つまり、近代社会の継続か撤退かの」

おれは佐藤ほどの切迫感を持ち合わせていなかったので、原発問題にして

も中途半端な考えしか言えなかった。

「もちろん事故は許されないけど、だけど今の生活は失いたくない」

それは背反だと佐藤は言った。しかしその背反した二律の間隙にこそ我々

が望む暮らしが営まれていた。ただ中途半端な選択の中には最悪の事態、

つまり再び原発事故が起こって、同時に今の生活のすべてを失う可能性も

残されていた。そして佐藤は、それは日本と言う国の消滅にほかならなら

ないと言った。

「もはや豊かさか安全かの選択じゃないんだ。豊かさかそれともこの国の

消滅かの選択なんだ」「それは悲しむ人すら居ない無人の世界だ」

 おれは佐藤の言ってることがまったく解らないわけではなかったが、た

とえば車があるのにそれには乗らないで歩くなんてことは出来るわけがな

いと思った。車が走るという事実の先にはその動力を生む燃料が必要で、

その化石燃料は地球温暖化をもたらし異常気象を引き起こすだとか、或は

原発は一度メルトダウンが起これば放射能汚染の拡散によって深刻な被害

が及ぶだとか言われても、たぶん我々は最後のガソリンを使い切るまで、

もちろん環境は更に悪化するだろうが、或は再び深刻な原発事故が起こる

まで、その時には日本という国家は消滅しているだろうが、あたかも薬物

依存から脱け出せないジャンキーのように、文明への依存から自立するこ

とはできないだろう。ただ、科学技術の進歩は環境の退歩によって賄われ

るゼロサムゲームであることだけはよくわかった。

                            (つづく)


「生まれ出づる歓び」(八)

2019-04-07 03:29:32 | 「生まれ出づる歓び」(六)~(十)

          「生まれ出づる歓び」

 

               (八)

 

 佐藤が個人情報保護法に抵触して警察から事情聴衆を受けたことは業界

内でも周知のこととなった。情報そのものは住所氏名が数字化されていて

それだけでは個人を特定できなかったが、しかし多額の金銭の授受が行わ

れ、保険会社は顧客情報を漏えい売買した元社員を告訴していた。佐藤は

任意による取り調べを受けたが、問題は佐藤が元社員に教唆したかどうか

だったが、どうもその証言は得られなかった。間もなく彼は不起訴になっ

て釈放されたが、いつもならそんなことがあればいつもの居酒屋で祝杯を

あげるところなんだが、たぶん何か思うところがあってのことだと思うが

、彼は会社には休暇を届けてすぐに実家のある福島へ帰省した。これは佐

藤が口にしたことばだが、いよいよ「晴耕雨描」の生活を始めるつもりな

のかなと思っていると、ある夜突然デンワがかかってきて、

「お前んとこの音声技術な、あれちょっと教えてくれないか」

仕事の話だった。うちの会社は過去に音声認識システムの会社を買収して

いて、その技術はいまや性能を格段に向上させて感情までも読みとること

ができるようになっていて、うちの主力コンテンツの一つになっていた。

おれは、

「ずいぶん突然だな。もちろん構わないけど、いったい何を思い付いたの

「そうなんだ、ちょっと思い付いたんだ。すぐに帰えるから会えないか」

「だったらまだお前の無罪放免の祝杯をあげてないからいつものところで

会おうか」

「よし、そうしよう!」

「なんか元気そうで安心したよ」

「ああ、心配させて申し訳なかった」

おれは、彼の無沙汰を咎めようとは思わなかった。

 次の日の夜、佐藤は例の居酒屋で日本酒を舐めながらおれを待っていた

。おれが遅れて入って行くと、いつもの席に座って手を上げた。その様子

にこれまでと変わったところはなかった。おれはその向かいに腰を下ろし

て、

「アレッ、ちょっと太ったんじゃないの?」

「そうかもしれない、毎日運動もしないでカツ丼ばかり食ってたからな」

佐藤は勾留中の取り調べを笑いにした。おれは笑いながら、

「なんだ、日本酒なんか飲んでるのか」

「ああ、年を取るとやっぱりこれだわ」

そもそもこの店は佐藤の行きつけで、オーナーも福島出身の人で、メニュ

ーにも馴染みのない福島の郷土料理が載っていた。そして佐藤が舐めてい

る酒も福島の地酒に違いなかった。おれは注文を聞きに来た店員に、

「同じものを」と、地酒の燗を頼んだ。さすがに首都である東京はすでに

地方に先駆けて桜の開花宣言が出されてはいたが、それでも陽ざしが隠れ

た夜半には冬のなごりの北風が春待つ思いに冷水を浴びせるように吹き荒

んだ。

「福島は、桜はまだか?」

佐藤は無言だったが、それは想いの詰まった無言だった。おれはあの日も

春が待ち遠しい頃だったことを思い出した。

 猪口を合わせてから、ひとしきり事件の話を聴いていたが、彼がそれほ

ど話したがらないのでそれ以上問い詰めて聴こうとは思わなかった。しば

らく黙りこんだ後、彼はテーブルの上に置いたスマホを操作して、「とこ

ろで、お前んとこの音声技術なんだけど」と言いながら、そこに録音され

ている留守電と思われる男性の声を再生した。そして、

「実はこの声なんだけど、生き返らせてほしいんだ」

「ええっ、どういうこと?」

佐藤が言うには、福島県の避難指示が解除された町で、彼はかねがね馴染

みのあるその地を見ておきたいと思って訪れたらしいが、そこで一人の中

年の女性と出遭って言葉を交わした。佐藤は、

「彼女は津波で仕事中のご主人を亡くされて、そのあと避難区域に指定さ

れたので家にも住めなくなって仮設住宅に身を寄せていたが、ずっと家に

戻ることを待ち望んでいて、やっと戻って来ることができたと笑って言っ

た。そして、慣れない仮設住宅の暮らしで彼女が辛くなるといつも聴いて

いたのがご主人が残したこの留守電の声だったんだ」

そのスマホからはご主人の、

「心配するな、すぐ帰るから」

という低い声が何度も繰り返されていた。佐藤は、

「彼女の話を聴きながら、俺はどう応えていいのか分らなかったが、その

時思い付いたんだ。もしかしたら声だけなら生き返らせることができるか

もしれないって」

「なるほど」

今や音声アシスタントの技術は著しい進化を遂げ、かつてのようなタドタ

ドしい音声をただ繰り返すだけではなく、AI化によって会話さえも続け

られるようになっている。会話ができるということは相手の言葉が理解で

きるということで、もちろん人間がするように認識しているわけではない

が、単純な遣り取りをするくらいの装置ならすでに製品化もされていて、

新しい言葉を覚える学習機能さえも備わっている。一方で、音声によって

個人を特定する声紋認証の技術はすでに顔認識に変わる抵抗の少ない技術

として実用化されている。つまり、オリジナルの音声さえあれば、それを

複製して本人になり変わって会話することもできるかもしれない。おれは

、佐藤が思い付いたことがすぐに理解できた。たとえばアマゾンのアレク

サのような装置に亡くなった人の音声を復元させて会話することができれ

ば、残された人の悲しみは癒されるに違いない。それでも、おれは、

「ただ、それはたぶん危ない技術かもしれないね」

「なんで?」

「だって、そんなことが出来るならオレオレ詐欺なんて簡単に出来ちゃう

じゃないか」

「ええ、そうかな?」

 ただ、おれは音声技術に関してはまったく専門外だってので、佐藤のア

イデアに技術的なアドバイスをすることはできなかった。そこで、

「うちの技術者でいいなら、紹介するけど」と言うと、佐藤は「是非そう

してくれないか」と、この企画を前に進めたいという意志は強かった。

 おれはさっそくその場で音声技術の責任者にデンワをして佐藤の話をす

ると、「それ、おもしろそうですね」と乗ってきた。彼は野上という男で

おれたちとさほど年は変わらなかったが、何よりも彼は業界内では名の知

れた佐藤の仕事をリスペクトしていた。だから「会ってくれない?」と訊

くと、「えっ、会えるんですか!」と喜んで受けてくれた。

 

                            (つづく)