「あほリズム」 (319)

2013-07-30 05:59:25 | アフォリズム(箴言)ではありません



       「あほリズム」


        (319)


 小学生の頃、夏休みになると毎朝学校でラジオ体操に参加させら

れた。みんなは手帳にハンコが貯まっていくのを喜んでいたが、私

は、みんなが一緒に揃って行う「ラジオ体操」の主旨がよくわから

なかった。そもそも、体操とは身体を動かす前の準備運動で、それ

ぞれが普段あまり使わない身体の一部に故意に負荷をかけて異状が

ないかどうかを確認する運動であるなら、勝れて個人的な行いであ

るにも係わらず、みんなと動作を揃える必要がいったいどこにある

のだろうか?仮に、体操中に足首の異状を認識して、そういえば確

か昨日段差に足を取られて捻ったことを思い出して、足首を何度も

ほぐしていると、最前列の壇上で監視する先生から指を差されて大

きな声で「そこーっ!」などと怒鳴られたりすると、はて、この体

操は一体誰のために行っているのだろうかと思わざるを得なかった。

それ以来、私はワザとみんなの動きに逆らって、右から始める体操

を左から始めたり、みんなが前に屈むときは後ろに反ったりしてい

ると、指導教師が飛んできて、「みんなに合わせろ!」と怒鳴るの

で、

「ぼく、ギッチョなんです」

と答えると、次の日からは体操免除の特権をいただいた。 ハンナ

・アレントは、「『自由』という言葉によって連想されるあらゆる

特殊な自由の中で、歴史的に最も古くまた基本的なものは運動の自

由です。」と言いました。つまり、「ラジオ体操」は、極めて個人

的な柔軟体操であるにも係わらず、個人の基本的な「運動の自由」

さえも、みんなと一緒に行うことによって奪われてしまうのです。

 
                                  (つづく)



「あほリズム」 (317)

2013-07-28 07:17:59 | アフォリズム(箴言)ではありません



        「あほリズム」


          (317)


 たまたまテレビを点けたら、「1000万人みんなの体操」と銘

打ってラジオ体操をやっていた。昨日のニュースでは北朝鮮では休

戦六十周年を記念して国民10万人による一糸乱れぬマスゲームが

過去最大規模で行わたらしい。簡単に言うとどちらも気持ち悪かった。

体操ぐらい自分だけでやればいいじゃないか。何でみんなと一緒で揃

ってやらなくてはならないのか?多分そのメンタリティーはマスゲーム

と同じだと思う。そうやって共同幻想が生まれ、やがて権力者に利用

される。


            (318)


     「マスゲームとラジオ体操と応援団」


     夜のニュースで北朝鮮が、

     10万人でマスゲーム、

     朝のテレビで日本人が、

     1000万人でラジオ体操、

     昼には高校野球の中継で、

     応援団が声を揃えて大声援、

     マスゲームとラジオ体操と応援団、

     みんなおなじで、気持ちわるい。







「無題」 (十七)―⑩

2013-07-26 05:31:21 | 小説「無題」 (十六) ― (二十)

              「無題」

              (十七)―⑩



 翌朝、わたしは結局酔い潰れて帰れなかったバロックと一緒に朝

湯に浸かってから朝食をとり、そしてガカの車に乗って宿を後にし

た。わたしは後部座席から助手席のバロックに、

「これから大変ですね、風評被害」

と言うと、

「まあ、原発事故がどうなるかですね。たぶん農場はあかんけど、

発電機の問い合わせは増えてるんですよ」

「じゃあ、営業部長に復帰するんですか」

「いや、もうそっちはもっと詳しい人が居ますからね。これからは

始まったばかりの都市緑化に取り組もうと思ってます」

「都市緑化というと緑のカーテンみたいなものですか?」

「ええ、ほらあそこ見て下さい」

そう言ってバロックは前方の山の頂きを指差した。わたしは背もた

れの間から身を乗り出して彼が差す方を見た。

「あれ、いったい何ですか?」

「ツリーハウスです」

「でも、ずいぶん高い所にありますね」

「ええ、スカイツリーハウスって呼んでます」

「うまいですね、それにしてもすごい蔓が絡んでますね」

それは山の頂きの巨木に設えたツリーハウスだったが、地面から生

えた葛(くず)の蔓が巨木を伝わってツリーハウスまで、さながら木に

飾られたイルミネーションの導線のように伸びていた。

「すごいでしょ。葉が茂るとまるでクリスマスツリーのようになり

ます」

「あっ、あれを緑のカーテンに使うつもりですか」

「ええ、まだ研究の段階ですが」

「どのくらいまで伸びるんですか?」

「まあ10メートルは軽く越えますから、普通のビルなら3階くら

いは楽に超えるでしょ」

「そんなに」

「それどころじゃないですよ、蔓から根が出ますから養分さえ与え

て継いでいけば際限なく伸びます」

「際限なく?」

「ええ、たぶん100メートルでも200メートルでも伸ばせます。

ただ、繁茂力が強すぎて木を枯らしちゃうんですよ、だから悪者扱

いされてますが、根からは葛粉が取れますし薬にも使われてます」

「ああ、葛根湯ですよね」

「ええ」

「それに蔓でカゴを編むこともできるし、ロープのようにして使う

こともできる」

「昔から吊り橋に使われていましたね」

「もっと言うと葉は家畜が好む餌だし、繊維だって取れる。そ

れに、何しろ資源は邪魔になるなるほどある」

バロックは眼を輝かせて葛の可能性を熱く語った。そして、

「こんな役に立つもんなんで使えへんねんやろ?」

と言い、かつて重宝した葛が野放しで厄介者扱いされてい

ることに今の時代の自然忌避が見て取れると語った。




                                 (つづく)


「あほリズム」 (317)

2013-07-22 10:18:15 | アフォリズム(箴言)ではありません



       「あほリズム」


         (317)


 思想は、陰湿で暗いところを好む。光の届かない書物の中であっ

たり、とりわけ人間の脳内がお気に入りだ。彼らはそこで増殖して

溢れると言葉となって口から洩れる。ところが、世間の空気に触れ

ると忽ち枯れてしまう。そこで、本を介して人の脳に感染ろうとする。



             (318)


 「一度口に出したら、その思想は嘘になる」というその「口に出した

思想」に対して、人々は偏見を抱いているのです。

(ドストエフスキーがソロヴィヨフに宛てた手紙より)



             (319)



 果たして、インターネットは思想を育むことができるだろうか? 

 少なくともSNSから思想が生まれることはないだろう。

 何故なら、育まれる前に枯れてしまうから。

 







「わが町の祭りとお会式」

2013-07-20 07:46:41 | 従って、本来の「ブログ」



              「わが町の祭りとお会式」


 私がこの土地に来て初めてその祭りを観たのは、もう20年以上

も前のことだった。それぞれの集まりの老いも若きもが笛の音に合

わせて団扇太鼓や鉦を叩いて旧街道を囃しながら練り歩く。その前

の週には、花火大会も行われて人口5万余りの町の中心地は祭り一

色に染まります。

 その後、わたしはこの地を離れて東京へ出た。東京では何度か住

居を変えたが、東京での最後の夜を過ごした地は大田区の池上だっ

た。池上は、かつて日蓮聖人が病気治療のため身延山から常陸の湯

に向かわれる途中にこの地で入滅され、その後、日蓮宗の霊場とし

て池上本門寺が築かれ、古くより多くの信者によって崇められてき

た。その門前には、蒲田と五反田を結ぶ東急池上線の池上駅が置か

れ、そもそもは本門寺の参拝客のために鉄道が引かれた、とあった。

日蓮聖人が入滅された命日には毎年「お会式」が盛大に行われ、全

国各地の信徒がこの地に集まり聖人を供養します。私は、初めてそ

の「お会式」を観た時に、その様子がこの土地で観た祭りと全く同

じだったことに驚きました。団扇太鼓の音頭も踊り子を先導する万

灯もそっくり同じでした。その後、この町に帰ってきて毎年この地

で団扇太鼓のリズムを耳にしますが、その度に池上本門寺の「お会

式」を思い出さずにはいられません。ふたつの祭りには繋がりがあ

ると思っていましたが、ところが、いくら調べてみても日蓮宗の「

お会式」との関連はいっさい触れられていない。宗派間の何らかの

拘りからその宗教色を消し去ったのかもしれませんが、しかし、謂

われ(物語)を失った祭りとはいったい何のために行われるのだろ

うか?そのまさに換骨奪胎たる祭りは来週の土曜日にあります。

町のあちらこちらからその日に備えて団扇太鼓を打ち鳴らす音が

聞こえてきます。



                                (おわり)