「あほリズム」

2011-07-29 01:01:56 | アフォリズム(箴言)ではありません
               

                    「あほリズム」



                      (137)



 「我思う」とは社会認識である。




                       (138)


 世界が失せて我独りのみが存在するならば、「我」という認識は

生まれない。



                 (139)


 ところが、デカルトは懐疑によって世界を消滅させたにもかかわ

らず、運よく我独り存在できたにせよ、他者の存在しない世界で

「我」という自意識も消滅するなどとは思はなかった。



                       (140)

 Aに内在するaを、Aだけを消滅させてaをそのままの状態で取り

出すことなど出来ない。


                        (141)

 我々は全体との連関性を無視して個々を取り上げるが、むしろ、

個々は全体との連関性から個性を得る。つまり、個性とは全体が

なければ生まれない。

だから 「我思う」とは社会認識である。


                        (142)

  従って、世界を懐疑によって消滅させたにもかかわらず、

尚も「我」だけが世界に留まって思惟を許されるなどというこ

とはまずは起こり得ない。





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「まさか、なでしこが勝つなんて!」

2011-07-19 04:18:38 | 「閑話放題」


「まさか、なでしこが勝つなんて!」

 十八日未明にキックオフしたフランクフルトでの女子サッカーW

杯決勝「なでしこ」対USA戦をテレビで見た。既に一日が経とうと

しているので様々な論評がマス・メディアを賑しているから被るか

もしれないが、ちょうど裏番組のNHKでは男子の南米杯の準々

決勝ブラジル対パラグアイ戦もほぼ同時刻に放送されていた。

本来ならそっちが見たかったが、「なでしこ」戦のキックオフの方

が少し早かったのでこっちにチャンネルを合わせた。

 開始早々「なでしこ」は米国の激しい攻撃に遭い為す術もなく防

戦に終始していた。過去の対戦成績(22戦3分19敗)が表してい

るように体躯に勝る米国は競り合いを制してほぼワンサイドでボー

ルを支配していた。「なでしこ」のパスは尽くカットされて「ああ、

これは絶対負けるな」と、サッカーを見てきた者なら誰しもそう思

ったに違いない。余りの実力の差に嫌気が差して何度かNHKへチ

ャンネルを変えた。そして、もう2,3点は取られているに違いな

いと思いながら、それでも「なでしこ」が気になってCXに戻ると

何故かゴールラインは破られていなかった。米国の執拗な攻撃に、

譬え競り合いに負けてもフリーでシュートだけは打たせまいとチェ

ックを怠らなかった。米国の拙い攻めにも助けられて何本ものシュ

ートがサイドネットを揺らし、或いはバーに救われた。勝敗の行方

を決定づけたものを挙げるなら、前半の米国の攻撃を耐え忍んだこ

とだ思う。もちろん、後半に入ってからも米国の優勢は変わらなか

ったが、その勢いは幾分衰えて縦パスを多用するようになった。そ

のうちの一本がゴールに繋がったが「なでしこ」は諦めなかった。

全く幸運としか言いようのない、とは言っても詰めてなければ生ま

れなったのだが、リバウンドを押し込んで同点に持ち込んだ。延長

戦終了間際の同点ゴールはコーナーキックから生まれたが、高さに

勝る米国選手と競らずにゴールを狙うにはニアサイドしかなかった。

しかもダイレクトで決めなければ潰されてしまうことは明らかだ。

沢選手のバックキックは見事だったが、蹴ったボールが何処へ行く

か確信を持てないのがバックキックやオーバーヘッドキックなのだ。

延長ロスタイム直前にはゴール前でフリーでボールを受けた相手に

果敢にチャージしてレッドカードを受けて退場させられた選手が被

災地東北の出身であったこと、あのチャージがなければ決定的な決

勝ゴールを決められて、恐らく惜敗は免れなかっただろう。その想い

は残りの10人にも伝わってPK戦でも自分を失わずに戦えたのでは

ないだろうか。一方の米国の得点は何れも意図した通りの得点だっ

た。しかし「なでしこ」のそれは意図を越えた意地の得点だった。つまり、

実力では劣っていたが精神では勝っていた。そして、その精神力がPK

戦のプレッシャーを跳ね飛ばした。

 ありがとう!「なでしこ」ジャパン、おめでとう!「なでしこ」ジャパン。

 そして、「なでしこ」に熱中して全く忘れてしまった南米杯の試

合もまた、強豪ブラジルがパラグアイに一本のシュートも打たせ

ず圧倒しながら得点出来ず、0対0の末PK戦で敗退したことを

眠りから覚めて知った。


                                    (おわり) 

「ストレステスト」

2011-07-10 10:47:12 | 「パラダイムシフト」
         「ストレステスト」

 
 
 政治はもうウンザリだと言いながら、やっぱりシカトする訳には

いかないので気になったことを記します。

 先の見えない時代転換を迎えて、これまでの判断や対応が機能し

なくなった時、朝決めたことを暮に改めなければならないことだっ

て起こります。もしも、人は過ちを犯すものだとすれば、過ちその

ものをいくら非難してもどうにもならない。それではどうすれば過

ちを無くすことが出来るだろうか。そこで、孔子は「過ちを改めざ

るこれを過ちと謂う」と仰った。即ち、朝令暮改は過ちを犯さない

為の有効な手段なのだ。これまでの前例に従って事を収めようとし

てもその前提が破綻してしまったのだ。「フクシマ」原発事故はこ

れまでの社会システムを根底から瓦解させた。迷走する政治に、時

として我々はこの苦境から救ってくれる強いリーダーを待望するが、

果たして如何なる人物が新しい社会のビジョンを持っているだろう

か?否、こんな時に有無を言わさぬ権力で政治を執り行うリーダー

こそ、実は「過ちを改めざる」者であることを我々は過去の歴史か

ら厭と言うほど知らされた筈ではなかったか。「決めたことは何が

あっても覆さない」という強固な意志はその責任を自らが負う限り

一個の人格として認めることが出来ても、国家の存亡を掌るリーダ

ーが「過ちを改める」ことに頑(かたく)なでは心許ない。確かに、

菅総理は決断力に欠けるが、それでも少なくとも「過ちを改めざる」

過ちを犯すことはないのではないか。もちろん、彼には政治判断を

説明する責任があり、決定を翻した理由を正しく説明しなければな

らないし怠っていると思う。ただ、新しい社会が複雑な選択支の中

に在るとすれば、我々は一つ一つ「過ちを改めながら」、時には決

定を翻して後戻りして選択し直すしか道はないではないだろうか。

 鎖国を解いて開国をもたらした明治維新は、幕末の攘夷派の志士

たちによって成し遂げられた。彼らは欧米列強の近代文明に圧倒さ

れ止むを得ず、攘夷の決意を翻した。時代転換とはそれまでの前提

が覆される時代である。旧い序列秩序に縛られて面子や立場を弁え

「過ちを改める」機会を見過ごすことほど悲惨なものはない。疑念

を持つ者を組織から締め出し、従う者だけの序列秩序によって原発

の安全神話は形作られた。しかし、今や旧い秩序の絶対性は崩壊し

た。我々は一人の県知事や経済界のリーダー、或いは総理大臣と謂

えども原発政策の判断を委ねるわけにはいかない。何故なら、万が

一の事故による放射能被害の責任を如何なる権力と謂えども負える

筈がないからだ。ただ、被爆に曝されるリスクを負う国民一人一人

がその責任を負わなければならない。

 さて、一度は安全確保を認めて玄海原発の再稼動を認めておきな

がら、唐突に「ストレステスト」という新たな規制を持ち出したこ

とに再稼動を待ち望んで動き始めていた人々の非難が凄まじいが、

私は少しでも過ちに気付いたら改めることを躊躇うべきではないと

思う。もちろん、過ちのない決定を下すことに越した事はないが、

上でも記したように、いま、我々は大きな時代転換の節目に在る。

朝議の決議が暮に覆されて面目を失う者も居るだろうが、ただ立場

や面目を保つために「過ちを改めざる」過ちだけは何としても避け

なければならない。そして、忘れてはいけないのは今我々の社

会こそが「ストレステスト」されているということだ。






(独り言) 「やっぱりパソコンのもんよ 〈広島弁〉」










                                  (おわり)


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「シングル・イシュー、それともビック・イシュー?」

2011-07-02 20:28:39 | 「パラダイムシフト」
「シングル・イシュー、それともビッグ・イシュー?」


 脱原発政策の是非を問う選挙を、ただ一つの政策の賛否によって

政策全般が信認されたと見做されることへの反発から、かつて小泉

政権が郵政民営化問題だけのシングル・イシューを国民に問い総選

挙に大勝すると政権が信認されたと勘違いした様に、菅政権が政権

維持を図る為に脱原発政策の是非を国民に委ねることに批判的な意

見があるが、しかし、私は脱原発政策が所謂シングル・イシューだ

とは到底思えない。何故なら、脱原発政策とは社会経済の根幹を担

うエネルギー・シフトの転換であり、これまでの近代文明の価値観

そのものを大きく転換させるビック・イシューだと思っているから

だ。脱原発政策をシングル・イシューだと言い切る政治家の鈍感さ

に驚く。そもそも、原発から自然エネルギーへ転換すれば今まで通

りの経済成長がこれからも続くと思っている

のだろうか?これまでのエネルギー・シフトは、例えば石炭から石

油というように、より経済性の優れたものへの転換だったが、いま

我々が迫られている転換は、決して経済合理性に基づく成長への転

換などではないのだ。恐らく、これまでに人類は環境を守る為に手

に入れた最先端の技術を投げ捨て時代を後戻りするような転換を成

し遂げたことなどなかった。原発政策は3・11の「フクシマ」までは、

CO2を排出しないクリーンエネルギーとして政財学が談合した


「原子力村」によって強力に推進してきたではないか。経済の根幹で

あるエネルギー政策を最先端の原発から自然エネルギーへシフトす

る、つまり、後退させることなど、未だかつて成し遂げたことのな

いビッグ・イシューではないか。脱原発政策がシングル・イシュー

だと言うなら、憲法改正問題も核武装さえもシングル・イシューだ。

さらに、「フクシマ」原発事故を喰らって喉元を過ぎた地球温暖化

問題さえ何一つ有効な対策は取られず、否、それどころか原発事故

によってCO2を排出する化石燃料への依存も已むを得ないと、溜

飲を下げるどころかさらに皿まで喰らおうとしているではないか。

我々は生活習慣病患者のように飽食への依存から抜け出せずに遂に

神経がマヒしてい、社会はすでに機能不全に陥ってしまった。つま

り、我々はこう言っているのだ、


「更なる豊かさを、さもなくば死を!」


                                      (おわり)


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