「自虐道徳」

2009-11-09 01:38:14 | 赤裸の心
   「自虐道徳」




 我々の「自虐道徳」は、目上の者に諂(へつら)い目下の者を軽

(かろ)んじ、やがて「自己本位」を失い、遂には自己を社会に委

ねてしまう「自虐文化」を育んだ。断わっておくが、私は孔子を尊

敬しその箴言は座右の銘にもしている。ただし、キリストであれ釈

迦であれ、実際は彼らは一言も残していないのだ。論語も聖書も仏

典も、彼らに随う弟子達がその後の時代に阿(おもね)って都合良

く「加上」したのだ。(『出定後語』富永仲基) つまり、この国の

儒教道徳とは武士の封建社会を守る為に作られた身分秩序で、孔子

は全く与り知らないのだ。彼が生きた春秋戦国時代はその名の通り

戦乱の時代で、彼は秩序を取り戻す為に道徳を説いたが、それは封

建的な時代の秩序で、今日の民主的な時代に当て嵌めるのは一寸違

うんじゃないかと思う。我々は、「昔は良かった」と言う時には、

より多くの悪いことは忘れてしまうのだ。そして良かったことだけ

を移すことなど出来る訳が無いのだ。儒教は、その時代の墨子でさ

え差別秩序だと批判した。そんな差別道徳の下では、目下の者は立

場を弁(わきま)えて自己主張を慎み、空気を読んで、王様が裸で

あることさえ言え無くなる。こういった「自虐道徳」を改めるには

礼儀や言葉遣いの在り方を簡素化するべきではないでしょうか。個

人を卑屈にさせる「自虐道徳」を棄て、それぞれが対等の立場で語

れる民主的な社会に改めるべきです。つまり、この社会を覆う重苦

しい空気を変えようではありませんか。そうは言っても、目下の者

に「ため口」で話されたらムカッ!とくるのは長い間に培ったアジ

ア民族の遺伝子だから仕方ない。我が国の文化とは支那を真似た冠

位十二階の古(いにしえ)より、連綿たる身分差別の文化に、犬の

ように躾けられたきたのだ。年功序列や身分差別、男尊女卑や官尊

民卑に止まず、血統書や続柄までも気に兼ける始末だ。そこで、分

別のある立場に居る方々にお願致します。つまり、あなた方こそが

遜(へりくだ)って、我々目下の者と対等の礼儀や言葉遣いを慮っ

て戴けないでしょうか?それこそ所謂日本的な「惻隠の情」に適っ

たやり方ではないでしょうか。何れ、時代掛かった手続きや大仰な

物言いにお互いがウザくなって、気兼ねなく目上の人の裸も教えら

れる様に為るのではないでしょうか。人間は言葉によって誤りを正

すのです。我々は言葉遣いから対等に正すべきではないでしょうか

。犬のような群れ社会から対等に言葉を交わせる、個人が自立した

社会を築くべきではないでしょうか。そもそも犬畜生ならいざ知ら

ず、人の道徳とは目下の者に強いるものでは無く、目上の人こそが

率先して行うべきではないでしょうか。選挙前には平身低頭してい

た人物が、地位を手にした途端、手の平を返すように威圧的な物言

いをするのを見ると、この国の似非(えせ)民主主義を目の当たり

にした思いがします。彼らは主権者の代表であることすら忘れてし

まうのです。つまり、民主主義の下で道徳を弁(わきま)えるべき

は、誠に恐縮ですが、人の上に立つ方々の方ではないのでしょうか?

 身分を弁えない出過ぎた意見ですが、どうか御配慮戴きます様、

宜しくお願い致します。

                         (おわり)

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