(十一)

2012-07-11 06:06:24 | ゆーさんの「パソ街!」(十一)―(十五)
               (十一)



 「アイデンティティー」という言葉は昨今よく耳にしますが、本

来は「主体性、自己同一性」(大辞泉)という意味ですが、アメリカ

の精神分析学者E・H・エリクソンが「特有の含蓄をもった概念と

して用いて」「内省によってみいだされる主観的自己であるよりは、

社会集団のなかで自覚され、評価される社会的自己のことである」

(日本大百科全書[小学館]より一部抜粋)とあります。しかし、同じ

言葉でありながら「自己同一性(主観的自己)」と「社会的自己(帰属

意識)」では余りにも広義に過ぎるのではないでしょうか?「私は私

だ」と「私は日本人だ」とでは全然視点が違います。たとえ私が日

本人であったとしても、「私」と「日本人」に同一性はありません。

ですから、わたしが「自分を失う」と云う時に使う「自分」とは「

主観的自己」であって、エリクソンの云う「社会的自己」では決し

てありません。社会の視点から他者を視ると、社会性を失った人は

自己を喪失した人に映るかもしれませんが、むしろ「社会的自己」

を自覚する者こそ「自己同一性」を失った者ではないでしょうか。

つまり、我々がよく口にする「アイデンティティー(社会的自己)」

を自覚するということは、実は、信仰や組織などの社会へ自己を委

ねてしまった、本来の「アイデンティティー(自己同一性)」を失っ

た自己と言えるのではないでしょうか。

 それでは、「自己同一性」のアイデンティティーとは一体どうい

う心理状況なのか。よく喩えられるように、外国へ出掛けて言葉や

習慣の違いからトラブルに巻き込まれ、疎外感に苛まれて呆然自失

に陥った時、我々は日本人としてのアイデンティティー(社会的自己)

を自覚するのでしょうが、ところが「自己同一性」とは、まさに疎

外感に苛まれて呆然自失に陥った状態から「帰属意識」に縋ろうと

するのではなく、自らの意思で自己を取り戻して、排他的な状況を

克服しようとする主体性を、本来のアイデンティティーというので

はないだろうか。つまり、茫然自失に陥ることが我々をアイデンテ

ィティー(自己同一性)に目覚めさせる契機となるのだ。「私は私だ」

は、国家や民族や肩書きや身分や性別といった社会への帰属によっ

て自己を確かめなければならないアイデンティティーよりどれほど

自立した力強いアイデンティティーだろうか。

 おれ達はこれから「お前は誰だ?」と聞かれたら堂々とこう言おう、

  「私は私だ!」と。

 わたしは、前の章(十)で「自己は本能に宿る」と記しましたが、  

ここでもう少しそのことについて詳しく述べようと思います。

 我々は、否、少なくともわたしは、自分の本能と理性を認識する

ことが出来ます。わたしの理性は本能が望むことに干渉し抑制して

理性的に行動するよう命じます。従って、「自己は本能に宿る」と

言っても本能のままに生きている訳ではありません。街を歩いてい

て美しい女性を視て欲情しても、無理矢理押し倒すことは決してあ

りません。それを封じているのはわたしの理性です。理性は本能の

暴走を抑制して秩序を守ろうとします。車で云えば本能がエンジン

で理性がブレーキの様なものかもしれません。しかし、社会が大き

くなれば混乱を避けるため理性によるブレーキが頻繁に使われるよ

うになって、本能が満たされなくなります。概ね都会で暮らす人々

は渋滞に巻き込まれた車の様に、ブレーキばかり踏んで生きている

のだろうと思います。やがて我々は理性的な視点でしかものが見え

なくなり、そうやって本能を視るようになると、その浅はかな動機

を蔑むようになります。解かり易く云えば、欲情にかられて自分を

見失うことを避けようとします。しかし、本能を理性的に視ること

ほど無意味なことはありません。他人のノロケ話ほどアホ臭いもの

はないように。こうして我々は本能を矯めて理性的に生きようとし

て、本能から生まれた自己を理性に移します。ところが、理性は飽

くまでも本能を導くための手段でしかありません。だから理性には

そもそも「生きる動機」がありません。そこで、我々は「生きる動

機」を社会との共生に求めようとします。もう、我々は自らの本能

のままに社会を気にせず生きることなどできません。そして「生き

る動機」を放棄した自己は、社会が与える「幸せ」を追い求めます。

しかし、その「幸せ」とは自らの動機から生まれたものではありま

せん。社会という抽選箱の中にある「幸せ」「不幸せ」なのです。

こうして我々は移ろい易い社会の中で自分自身を見失い、社会を見

回ながら社会に縋って生きるしかなくなるのです。そして、その果

てには人格が多重化して人格障害を引き起こすことになるのです。

 しかし、我々はもう一度、本能の「生きる動機」に根ざした自己

本位の生き方を取り戻すべきではないでしょうか。歓びや感動を社

会から与えられるばかりではなく、自らの動機によって生まれるよ

うな。それを人間性の回復と言ってもいいのかもしれない。しかし

それは、恐らく緊密な現代社会の閉塞の中からは決して生まれて来

ないでしょう。そして、我々が再び自己を本能に戻して、自己の動

機によって自分を生きようとする時、「近代社会の終焉」が訪れる

に違いない。

                                   (つづく)

(十二)

2012-07-11 06:04:15 | ゆーさんの「パソ街!」(十一)―(十五)
              (十二)

 山間地の夏の盛りは短い。野菜の収穫に追われている間に、何時

の間にか朝夕の涼しさに気づき、秋が近いことを知る。それでも日

中の陽差しはまだそれに気づかずに、蝉たちの断末魔の叫び声に応

えて残暑を衰えさせる気配はない。日影がなくなる頃、わたし達は

一日の仕事を終えて、日差しがなくなる頃までそれぞれが自分の好

きなことをして時間を「創る」。バロックは専ら魚釣りに勤しんだ。

ミコも、去年までは籐篭編みに凝っていたが、今年から彼に誘われ

て釣りを始めた。それまで家に籠もってばかり居た娘が、日焼けし

た顔から白い歯を覗かせて笑うのを見て驚かずにはいられなかった。

ある暑い日、魚があまりにも獲れないので釣りを諦めて、バロック

と一緒に川の中に入って泳ぎ方を教えてもらったと嬉しそうに言っ

た。

「水着、どうしたんや?」

彼女はそんなもの持ってなかった筈で、わたしは恐る恐る聞いた。

すると、

「誰も居(い)ーひんのに裸に決まってるやん」

「二人ともか?」

「うん」

それ以来、もうわたしは二人の仲を心配することを止めた。彼女は

小さい頃から塩素消毒されたプールには入れなかったので泳ぐこと

が出来なかった。しかし、自然の中の暮らしが自律神経を回復させ、

育ち盛りの身体は見違えるように健康を取り戻した。ただ、町の中

でも変わらずに居られるかどうかは判らなかった。

「お母ちゃん、もう来られへんて」

三人で夕食を取っているとき、ミコがわたしの様子を伺いながら囁

くように言った。

「何でや?」

「大阪へ行くねんて」

「何しに?」

「修行しに」

「修行?」 「何の?」

「霊媒師の」

「ブッ!れっ霊媒師っ!」

わたしは飲んでいた汁を吹きそうになった。ミコの母親は、従って

わたしの(元)妻は、週に一度訪れてミコの必需品や皆が使う日用品

を届けてくれた。ただ、訪ねて来てもわたしを避けるようにして帰

った。もともと大阪に居る時は、わたしも彼女もミコを助けようと

共に協力し合っていたが、わたしの知らぬ間に彼女は怪しげな世界

へ救いを求め始めた。もちろん、その頃はわたしも勤めていたので

協力するといっても相談に乗るくらいで、ミコの日常生活の総ては

彼女が差配してくれた。ただ、毎日苦しむ娘と向き合って、我が身

に代えてでも助けてやりたいと願う親心から、たとえ掴んだ藁が救

いの綱に見えたとしても責めることは出来なかった。しかし、わた

しのエンジニアとしての認識が彼女の想いを認める訳にはいかなか

った。

「そんなもん成ろ思てなれるんか?」

「お父ちゃん、知らんだけや。お母ちゃんすごいで」

「何が?」

「予知能力」

「よちのうりょく?」

ミコが言うには、彼女はミコが化学物質に被爆するかもしれない場

所を予め知ることができるらしい。

「どうやって?」

「見えるねんて」

「何が?」

「悪い空気が」

「ほんまかいな」

彼女はミコの身を守りたい一念からひたすら気に掛けて神経を集中

させていると化学物質に汚染された空気が漂っているのが見えるよ

うになったらしい。

「お父ちゃん、実は、うちも見えるねん」

「ほんまかいな。なっ!バロックどう思う?」

「いやーっ、ミコもすごいですよ」

「何が?」

「霊感」

「霊感?」

「お父ちゃん、そんなん信じへんもんな」

わたしは娘に「みこ」という名前を付けたことをその時初めて後悔

した。

 卑弥呼の邪馬台国は、奈良大和地方に在ったと思う。それは「邪

馬台」という名前が示している。もしも、九州に在ったとすれば、

「邪馬台」の地名を偲ばせる場所がなければならない。しかし「や

まと」は古くからの奈良地方の地名である。人は地名を付ける時に

決して同じ地名を使おうとはしない。つまり、嘗て九州に在った「

邪馬台」の地名を奈良でも使うことは絶対にない。だから、邪馬台

国はもとから「やまと」地方にあったに違いない。因みに、邪馬台

国の「邪」も支那人が「やまと」民族を蔑むために当てた漢字であ

る。

 生まれてきた娘を「卑弥呼」の「卑」を取って「弥呼」と名付け

ようとした時、(元)妻が頑なに拒むだろうと躊躇っていたら、寧ろ、

彼女の方が積極的に受け入れた。今から思えば、彼女はもともと神

秘主義に関心があったに違いない。ただ、司馬遼太郎によれば、そ

もそも仏教は霊魂を否定している、と語っている。認めていない。

わたしは技術者としての認識を忘れて、たとえ霊魂が成仏できずに

この世を彷徨っていたって別に構わない。ただ、この世界が我々の

眼に見えない大きな力によって操られていると信じることが耐えら

れないのだ。それを認めてしまえば、我々の力ではどうすることも

出来ない亡者の霊魂に、この世界を預けてしまうことにならないだ

ろうか。自分の意思で生きようとするモチベーションが失われてし

まい、辛いことがあればすぐに信仰に縋ろうとする。それどころか、

巧妙に亡者の霊魂を騙る預言者モドキが現れて、頭を垂れて盲信す

る人々を洗脳によって支配しようとするかもしれないではないか。

亡者の霊魂の存在を信じる前に、まずは自分が生きていることを信

じようではないか。嘗て、宮本武蔵はこう言った、

「神仏を敬い 神仏に頼らず」と。



                                         (つづく)

(十三)

2012-07-11 06:02:46 | ゆーさんの「パソ街!」(十一)―(十五)
            (十三)




そうは言っても、彼女は元妻であって、すでにわたしとの直接的な

関係は切れてしまった。ただ、娘を通じての間接的な繋がりでしか

ない。もはや彼女が何をしようがわたしが関わることではない。わ

たしとしては、娘がそういうものに頼らずに自分の力だけで自由に

生きて欲しいと願うばかりだ。後はミコが自分で判断するしかない。

「ボクでよかったら買いに行きますよ、町へ」

バロックがそう言ってくれたので頼むと、すぐにミコが、

「私も行きたい!」

バロックとわたしは同時に、

「大丈夫?」

と声を重ねた。

「多分」

本人が行きたいと言っているのを無理に押し止めることはできなか

った。ミコも年頃なので若い者で賑わう町の様子を見たいだろう。

さっそく被爆から身を守るための出来る限りの防備を用意して彼女

のバッグに詰め込んだ。居座る残暑を漸く追い遣った初秋の爽や

かな風が、彼女の身を気遣うわたしのせめてもの救いだった。

「行ってきまーす!」

バロックと、ミコは明るく家を後にした。

 バロックが来てからわたしは独りになることが多くなった。彼に

ミコを奪われて少し妬みを覚えた。もしも、このまま二人がここを

出て行くようなことになれば、わたしは一体どうしたらいいのだろ

うか。自然循環に拘った生活をたった独りでする意味が、果たして

あるのだろうか。社会を失えば誰だって自然循環の中で暮らすしか

ないではないか。そうだ!社会だ!社会がなければならない。自然

循環に拘った、近代社会とは異なる新しい社会を創ろう。限界集落

に再び人が興味を持って戻って来るような社会を創ろう。終わりの

ないラットレースのような都会生活に疲れた人々が、再び生きる歓

びを取り戻せるような社会を創ろう。病院の待合室のような、誰も

が沈黙して自分の死ぬ順番を待っているような社会ではなく、生き

ていることさえ忘れるような気兼ねのない社会を創ろう。でも、ど

うやって?

 考えているうちにソファで寝てしまった。そして、何時しか若い

頃の夢を見た。

 妻の市子とは社内結婚だった。部下だった彼女は笑顔の素敵な女

性だった。笑うとまなじりから伸びた皺が歓呼に応えて優しい曲線

を描いて放射状に広がった。いさぎよい希望にあふれた笑顔は何時

まで見ていても飽きなかった。ところが、娘が生まれてアトピーを

発症したりアレルギー疾患に悩まされる頃から、彼女のまなじりか

ら優しい曲線が消え、ああ、栄冠に輝く瞳(ひとみ)が見られなく

なった。瞼(まぶた)は強い直線で描かれ、まなじりが鋭角に尖り

眼(まなこ)が三角になった。そして、まなじりにできる寛(くつろ)

かな皺は、笑わなくなって姿を消した。それはわたしの好きだった

彼女の眼ではなかった。わたしは彼女の優しい笑った顔を必死で

思い出そうとした。

 すると突然、白装束の女が神棚に向かって正座して体を震わせて

何かを呟きながら、ただ一心不乱に祈りを捧げている姿が現れた。

わたしが恐る々々彼女の名前を呼んだ。

「イチコ―ッ!」

すると、彼女は頭を反して鋭い眼差しでわたしを睨んだ。その眼は

まるでもののけにとり憑かれたように血走っていた。そして厳しい

口調で、

「邪魔しないで!もう、私にはこれしかないのよ!」

と、吐き出すように言った。彼女はもう、わたしの好きなよく笑う

彼女ではなかった。わたしは彼女の変貌に驚いて眼が覚めた。わた

しは彼女を呼び戻すことが出来なかった。彼女に屈託の無い笑みを

取り戻してもらうことは叶わなかった。ああ、それにしても現実は

なんて惨(むご)いんだ、わたしはただ、家族の者と楽しく生きた

かっただけなのに・・・

 「お父ちゃん、もしかしたらワタシ、CS(化学物質過敏症)、

治ったかもしれん」

わたしの心配を他所に、随分経ってからミコが楽しそうに携帯から

デンワしてきた。

「おまえ、もしかして、マスクしてないやろっ?」

「せんでも、平気やもん」

「あかん!マスクだけはしとけ!何があるか分らんねんから」

「わかった、わかった」

「買い物すんだら、早よ帰って来いよ」

「もう、買い物すんだ。これから、バロックと一緒にゴハン食べて、

それから帰る」

「ごはん食べてもええけど、マスクだけは絶対しとけよ」

「アホやな、マスクしてゴハン食べられへんやん」

「あっ、そうか」

ミコは明るかった。その明るさがわたしを暗くした。もちろん、彼

女がCSを克服して普通の暮らしが取り戻せることを願っているが、

そうなれば、何れこんな山の中で暮らしたくないと言い出すに決ま

ってる。そもそも年頃の娘が世間の流行(はやり)に無関心なはず

がない。しかし、ここでは流行など全く意味がない。何しろ関心を

示してくれる者など居ないのだから。しかし、そういう関心は我々

の本能から発する動機であって、いくら理性が軽薄さを批判しても、

我々は社会を棄てることなどできない。況(ま)して、年頃の娘が社

会と関わらずに耐えられるわけがない。つまり、社会とは性的な関

心によって繋がっているのだ。我々が人との繋がりを求めるのは本

能的な動機なのだ。理性は孤独に耐えることができても、本能は社

会との繋がりを求める。わたしはそれを考慮せずに理性的な動機だ

けで生きようとしていたのかもしれない。しかし、わたしはあの退

屈な社会へ戻りたいとは思わなかった。ミコのデンワはわたしの想

いを複雑にした。わたし自身は何時もこの本能と理性のアンビバレ

ント(二律背反)に悩まされる。

「ゆーさん、ゴメン!」

しばらく経って、今度はバロックがデンワをしてきた。彼はデンワ

の向うで頭を下げているのが分るほど神妙な声で話した。

「何や?」

「ミコが倒れた!」

「何で?」

「レストランに入ったら、急に頭が痛い言い出して・・・」

「ふん」 「でも、何でレストランで被爆したんや?」

「アロマキャンドルの臭いや言うてる」

「アロマキャンドル?」

「芳香剤みたいな、油性の粘っこい臭い」

「あっ、わかった!」

ミコは人がつけてる香水もダメで、芳香剤は特にひどかった。

「ミコがもう平気やって言うから、よう確かめんと入ってしもた」

「それで、どうしてる?」

「お母さんの実家に連れて来て、横になってる」

「ああ、それでええ」

彼女は病院へは絶対に行こうとしない。CS発症者にとって病院ほ

ど空気の悪い場所はないらしい。それにしてもこの頃は、思いもよ

らない場所で、場違いな臭いに遭遇して戸惑うことが多くなった。

しかし、臭いほど人の好みが分かれるものはない。良い香りという

のは人によって異なるのだ。昔、付き合っていた女は、わたしの超

クサイ足の臭いが堪らなく好きだと言った。あっ、それとこれとは

違うか。ただ、喫煙と同じことで、個人で楽しむ分には何の干渉も

しないが、公の場所で個人の嗜好を押し付けないで欲しい。いくら

良い香りのする場所でも長く居れば頭がおかしくなることだってあ

るのだ。我々は視力を衰えさせたように、嗅覚も退化させようとし

ている。とにかく、嗅覚が安らぐのは無臭しかない。

 ミコの被爆は、恢復には到らなかった残念な思いと、それに反し

て、今までどおりここで一緒に暮せる思いがわたしを安堵させた。

わたしは再び複雑な思いに悩まされた。

                         (つづく)              

(十四) 

2012-07-11 06:01:46 | ゆーさんの「パソ街!」(十一)―(十五)
             ゆーさんの「パソ街!」(十四) 

                                                     
  「理由(わけ)のわからないことで 

  悩んでいるうちに

  老いぼれてしまうから 

  黙りとおした歳月(としつき)を

  拾い集めて 暖めあおう」

  (「襟裳岬」一部抜粋 作詞:岡本おさみ)

 
 北国のみじかい秋は、豊かな実りと共に多忙をもたらす。それは

我々ばかりでなく、山に棲む生き物たちも厳しい冬を越すために、

過労を惜しまず精を出していた。一段落がついて、晩秋と初冬が重

なりながら訪れる頃、ついこの前までサラサラと涼しい風音を届け

てくれた青葉も、気が付けば紅葉してカラカラと乾いた別れの言葉

を残して大地に還った。人は、たぶん秋に歳をとる。秋が、人を物

想いに老けさせるのだ。そして、「黙りとおした歳月を、拾い集め

て」振り返える。

「ああ、なんて理由(わけ)のわからないことで悩んでいたんだろう」

と。

 わたしは元妻のK帯に電話した。もしも娘のミコに何かあれば連

絡することになっていた。

「どうかしたの?ミコ」

「いや、元気にしてる」

ミコは、あの後すぐに回復してケモノと共に山の中を駆け回ってい

た。

「じゃ、何の用?」

「いやっ、別に、何もないが、ただ・・・、」

「ただ、何よ?」

「あの・・・、もし、修行が終わったら、お前、どうするつもりか

なと思って」

「どうするって?」

「あの・・・、もし行くとこがなかったら、ミコのそばに居てやっ

てくれんか?」

「・・・」

「もしも、その気があるなら、ここで暮らせるようにしておくから」

「・・・」

「もっ、もしもし!」

「聞いてるって!」

「あっ!もう、お前のやることに文句は言わんから・・・」

「・・・」

「あの・・・、もう一度、家族で暮らさないか?」

彼女は何も応えなかった。ただ、嗚咽する音が聞こえた。いや、そ

れはわたしのものだったのかもしれない。

 「日々の暮らしはいやでも

 やってくるけど

  静かに笑ってしまおう

 いじけることだけが

 生きることだと

 飼い馴らしすぎたので

 身構えながら話すなんて

 ああ おくびょうなんだよね」

(「襟裳岬」より一部抜粋 作詞:岡本おさみ)

 木枯らしが吹き、未練を繋いでいた紅葉がいっせいに大地へ還る

と、木々はみすぼらしい骨格だけになって山々は彩りを失くした。

まもなく、彩りを補うように白雪が舞い、舞台は冬へと幕が変わっ

た。生き物たちは厳しい自然の淘汰を耐えようと巣穴に籠もったに

違いない。山から生き物の気配が失せ、静けさがうるさかった。冬

の厳しさは生き物たちに生きる決意を強いるかのようだ。朝の光を

反すほどに山々に降り積もった初雪は、木々のみすぼらしい姿さえ

も覆い隠して、景色が一変した。

 農閑期を迎えると、我々はさっそく水流発電機の普及に取り組ん

だ。バロックを営業課長にして、地元の役所に駆け合って河川の使

用を認めてもらおうとした。自然循環に適った生活とは、まず、何

よりも自然エネルギーの下で暮らすことから始めなければならない。

エネルギーの地産地消こそが自然循環型社会の根幹なのだ。産業の

ない山間の集落に人々の定住を促して、最低限の電化生活を維持し

て暮らそうとするならば、ライフラインを大手企業や中東諸国に頼

っていてはとてもまかなえない。ただ、今までの生活水準を維持し

ながら自然循環に適った暮らしなどできる訳がない。我々はどうし

ても失くすことができないもの以外を棄てなければならなくなった

のだ。

 わたしはバロックにここで定住する人を募るつもりだと打ち明け

た。すると彼は、

「むつかしいと思うで」

「何で」

「生活、変えれんやろ」

「やっぱりそうか」

わたしは、CS発症者の二家族を受け入れる用意をしていると打ち

明けた。

「あっ、それならええかもしれん」

「うん。もし知った人がいれば誘ってみてえや」

「わかった」

すでに我々の農園はわずか三人では賄い切れなくなって、どうして

も人手が必要だった。

 年の瀬は慌しかった。というのは「虫食い農園」の会員に正月用

の餅を送るために搗(つ)かなければならなかったからだ。今年はそ

の量が一機に増えた。それでも自然循環に拘る我々は臼と杵で人力

で搗いた。ところが、遂にバロックが音を上げて、

「もう来年は機械にせえへん?」

「・・・」

わたしは躊躇(ためら)った。もちろん、楽をして済むならそれに越

したことはないが、我々が楽をした分は自然環境に負わせることに

なる。それよりも、一たび安楽な方法を手にすれば、安楽に作業す

る方法はこの文明社会には幾らだってある。何故なら、近代文明と

は一言でいえば楽をする為の文明なのだ。耕すことが骨が折れるな

ら耕耘機を使えばいいし、害虫が疎ましければ農薬を撒けばいいと

思うようになる。そして、遂には自然循環に適った生き方などきっ

とどうでもよくなって、何もこんな山の中で文明に背を向けて暮ら

さなくたって便利な都会で楽して暮らせばいいと思うようになる。

しかし、そもそも人間は安楽に生きるために生まれてきたのだろう

か?もしも安楽が生きる目的なら、生まれて来なかった方がはるか

に楽ではなかっただろうか。我々は安楽を手に入れると同時に苦悩

を忘れ、しかし、その苦悩の克服こそが知性を与えられた人間の生

きる意義ではなかっただろうか。苦悩を投げ出して安楽だけを追い

求める時、我々は家畜へと堕落する。苦しみから逃れて安楽を求め

るのは、まさに家畜や奴隷の生き方そのものではないか。果して、

我々はただ安楽を得るために自らの意志や誇りを投げ出していない

だろうか。自分以外のものに縋って生きようとしていないだろうか。

「そうや、水車を使おう!」

「水車?」

「うん、水車!」

「そんなんあった?」

「いや、作ろう」

「えっ?なんか、だんだんアーミッシュ(*)みたいになってきたな」

 すると、すぐにミコが厭きれたように言った、

「お父ちゃん、うちらの電気って水流発電やろ」

「ああ」

「何もわざわざ水車で搗かんでも、同じことちゃうの」

「あっ、そうか!」

それで何もかも解決した。来年からは餅つき機を採用することにな

った。

 新年は、近くの温泉で迎えることになった。持ち主が高齢のため

維持管理が儘ならず今年で閉鎖するので、近くの者を招待してくれ

た。その温泉は、ミコが唯一浸かれる塩素消毒されていない源泉掛

け流しの湯だった。山間の鄙びた山村にただその温泉宿だけがあっ

た。かつては効能を求めて賑わっていたが、今では不便さから訪れ

る湯治客も減ってしまった。

「誰か管理してくれる人が居れば続けたいんだが」

ミコが縋るようにわたしを見て、

「ウチがしょうか?」

「あほ、ごはん誰が作るねん。農園もあるし」

「あっ、そうか」

「分かりました、誰か探しましょう」

わたしはミコの思いに引き摺られて安請け合いしてしまった。湯か

ら上がると新しい年を迎えていた。座敷へ戻ると、

「明けましておめでとうございます」

主人がそう言って、囲炉裏の自在鉤に掛けられた鍋に、我々が持ち

込んだ餅を雑煮に拵えてくれた。雪見窓からは大晦日(おおつごもり)

から止まぬ粉雪が音も立てずに新年の門出を雪ぎ清めていた。

                                                         (つづく)

                       
 (*)アーミッシュ・・・アメリカ合衆国のペンシルベニア州・中
              西部などやカナダ・オンタリオ州などに
              居住するドイツ系移民(ペンシルベニア
              ・ダッチも含まれる)の宗教集団である。
             移民当時の生活様式を保持し、農耕や牧
             畜によって自給自足生活をしていること
             で知られる。原郷はスイス、アルザス、
             シュワーベンなど。人口は20万人以上い
             るとされている (ウィキペディアより)

                                 

[作者より]

「ゆーさんの『パソ街!』」をプロットを大幅に変更して再開するこ

とにしました。多少繋がりに無理が生じるかもしれませんが、許して

ください。更に、パソコン(2003年製XP)はもう使えなくなったと思

われますので、更新が滞ると思いますが、震災の被災者の辛苦に比す

ればなんでもありません。これからもよろしく。

               「ネカフェ」より  ケケロ脱走兵

(十五)

2012-07-11 05:59:34 | ゆーさんの「パソ街!」(十一)―(十五)
          ゆーさんの「パソ街!」(十五)




 我々の水流発電機は、去年の夏の洪水によって破損してしまい、

川に潤滑油を漏らしてしまった。そんなこともあって、役場はなか

なか河川を使用する許可を出してくれなかった。遂には、地元の役

場では全く埒が開かなくって、営業課長のバロックは、散々振り回

された揚句、県庁まで出向かざるを得なくなった。それまで気付か

なかったが、河川には漁業権や水利権といった複雑な権利や治水に

関する条例が複雑に絡んでいた。我々は、仕方なく地元の代議士に

頼み込んで、水流発電機による「村起こし」を理解してもらい、力

になって貰おうとした。そこで、いま我々が稼動させている発電機

を実際に見学してもらって、その性能を確かめてもらうことになっ

た。その際、第三者として地元大学の発電機に詳しい専門家にも立

ち会ってもらうことにした。もちろん、事前にも点検してもらって、

恐らく問題がないだろうと言ってくれた。我々が、そんなことに係

わっている間に、何時しか山々の枯れた木々も僅かな季節の移ろい

にほだされて、現れ出ようとする新芽に硬い樹皮が宥められていた。

 ある日、バロックが、

「ゆーさん、東京の時の友だちが、来てもええかって」

「ほんまかっ!」

春になればここも少しは賑やかになるかもしれない。

 春の訪れは、厳しい冬を耐えた歓びを増幅させる。枯れていた木

々が一斉に小さな蕾をつけて山々を仄(ほの)かに朱色に染めた。巣

穴に閉じ籠っていた生き物たちもわれ先にと堪(こら)えていた鳴き

声を発した。その鳴き声が残雪の山々にこだまして冬籠もりをして

いる生き物たちを目覚めさせた。春は生まれ変わりの季節である。

耐え忍んだ苦悩を忘れて再び命が動き始める。だが、凍てついた水

は融け始めても、春風は山間に居座る冬をひと思いに追い出すこと

はできなかった。ただ、陽射しは日を重ねるごとに強く感じられた。

 そんな春の陽射しを受けて、バロックは東京から来る友だちを迎

えるために町へ出掛ける準備をしていた。

「ちょっと!髭くらい剃ったら」

確かに、ミコが訝(いぶか)るほど彼は髯を剃ることを不精にしてい

た。

「ここまで伸びると何か剃るの勿体のうて」

「あほっ」

「アイツをびっくりさせてから剃るわ」

わたしが口を挟んだ、

「これから人が来るようになるから、もうちょっと小ぎれいにせな

アカンで」

「わっ!ゆーさんに言われとうないわー」

「何で?」

「知ってる?ゆーさん、おれと初めて会うた時、どんな格好やった

か」

「そんな酷(ひど)かったか」

「よー言うわ!片方だけのメガネをガムテープで止めてたやん」

「せやったかいな」

するとミコが、

「もうわかったから早よ行き」

その時だった、ガタンと地面が沈んだと思ったら直ぐに上下に揺れ

だしてしばらく続いた後、今度は横に揺れだした。2008年の岩

手宮城内陸地震の後も、この地方では頻繁に地震が起こっていた。

しかし、我々はまな板の上の鯉のようにどうすることもできなかっ

た。ただ、もう慣れっこになってしまって、

「今の『5』以上あったな」

「『6』くらいはあったで」

などと他人事(ひとごと)のように言った。ミコは心配して、

「もしかしたら電車止まってない?」

「どうやろ?」

揺れが落ち着いてから、バロックが友だちのKー帯に電話をしたが、

繋がらなかった。我々の電気はすべて自家発電だったので、停電し

ても電気が使えた。早速テレビを見て新幹線が緊急停止したことを

知った。それでもバロックは、友だちが着くかもしれんので行くと

言って出掛けた。バロックが出掛けてからも、しばらくして大きな

余震が起こった。

 地震の影響でその日に到着することが出来ずに、バロックの友だ

ちは、一日遅れてやって来た。彼は画家だった。そして、その彼が

「さっちゃん」と言って紹介した女性は歌手だった。彼女は、東京

でバロックと一緒に路上で歌っていて、その時にスカウトされてテ

レビにも出るほど活躍していたらしい。わたしは覚えがなかったが、

娘のミコは「知ってる」と言った。ただ、バロックはあまり彼女の

ことには触れたがらなかった。旧交を温めたバロックと画家の彼は

深い絆で結ばれているように思えたが、バロックと「さっちゃん」

の間には融けない蟠(わだかま)りがあることが傍目にも伝わった。

もしかすると、それはバロックと娘の関係が影を落としているのか

もしれないと予感できた。それは、娘も同じだったにちがいない。

彼女の口数が感情を堪(こら)えようとして極端に減った。わたしは、

途方に暮れているさっちゃんを宥(なだ)めるように話しかけた。

「地震、驚いたでしょ」

「でも、東京だってしょっちゅう起こるから、ねっ、バロック!」

バロックはさっちゃんの顔を見ながら、他人事(ひとごと)のように

「ああ」

それだけしか言わなかった。それは何時ものバロックらしくなかっ

た。すると、画家の、彼は「アート」と呼ばれていた、彼が、

「ぼくらが地震を連れて来たかもしれないね」

すると娘が、

「そんなことないよ、こっちだってしょっちゅうなんだから、ねっ、

バロック!」

「ああ」

確かに賑やかになったが、誰もがややこしくなりそうな予感を抱い

たことも間違いなかった。

                                 (つづく)