「パソコンを持って街を棄てろ!」(十六)

2012-07-11 19:41:49 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(十六)

               (十六)

 

 就職祝いは、あの爆ッくれようとしてバレた居酒屋に、バロック

と待ち合わせて行った。今日は時間が早かったこともあってまだ席

は空いていたが、それでも我々は例の奥にある非常口の横の席を希

望した。未だ研修期間を修められないアルバイトの女店員は渋々二

人を案内して、

「あのぉ、駅前で唄ってる方ですよね?」

「そうや!」

「上手ですね」

するとバロックは、

「わしゃサメかっ」

「へへへっ・・」

彼女はおかしな笑い方だった。

「今度聴きに行っていいですか?」

「あかん、聴かんといて」

「えっ!」

「えっ!てな、道端で演ってるのにええも悪いもないやろ」

「あっ、こんど前で聴きます」

「ありがとう」

私は一言も喋らなかった。バロックは熱唱の余韻からか饒舌だった

。彼はビールを注文してから、私にメニューを見せながら料理を5

、6品頼んだ。

「仕事、何するの?」

「牛乳配達、朝だけだけどね」

「マンガ描くんか?」

「いやっ、もう描けない」

「何で?」

「ほらっ、判るじゃん。ダメかなって」

「うんっ」

私はもうその頃から流れに取り残されて、売れているマンガにも批

判的だった。超能力や、SFなどの「嘘」の世界が描けなかった。

これは余裕のない育ちのせいだと思った。いかにも大袈裟な構想で

結局「大切なのはヒューマニズムだ」と言うならば、何も宇宙の果

てまで行って愛を叫ばなくても、四畳半の部屋の中で事が済むだろ

うと思っていた。

「絵画を描く」

「えっ?」

「そっ、絵画!」

「くっ、食える?」

「食えん」

「描いてたの、今まで?」

「いいや、これからだよ」

私は乾杯からふた口目のビールを一気に喉に流し込んだ。バロック

は黙ってその様子を見ていた。私は飲み込んだビールが押し出した

息を大きく吐いて、

「どうせ食えないならやりたい事をやろうと思ったんだ」

するとバロックは、「あんた、サザンを超えたな」

 

                      (つづく)


「パソコンを持って街を棄てろ!」(十七)

2012-07-11 19:40:40 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(十六)

           (十七)

 

 そもそも「美」とは何だろう?分かり易いのは異性の容姿につい

ての感情だと思うが、私は美しい人だと思っていた女性に、思いと

は裏腹に邪険に扱われて、言葉を交わす前に懐いていた印象が忽ち

色褪せて、美しく思えなくなることが何度かあった。つまり美しさ

とは、私が思い描いた理想なのかもしれない。また逆に、それほど

気にもならなかった女性が、関わりを重ねていくうちにそれまで歪

つでおかしいと思っていた容姿に親しみが生まれ、その歪さに愛お

しさや美しさを感じることもあった。それでは、美しさは親しさか

らも生まれるのだろうか。つまり美しさと言っても様々で、その対

象に美しさが在るというよりも、それと対峙して観る人の認識に「

美」はある。学校の授業で縄文土器を教科書の写真で見て、先生は

「美しい」と説明したが、私は子供が創ったようなその稚拙な作り

に、どこが美しいのか理解出来なかった。たとえばミケランジェロ

の「モナリザの微笑み」にしても、もちろん実物を見てはいないが

、美の象徴のように言われるが、私は依然としてあのねえちゃんに

は馴染めない。日本の浮世絵にしても歌麿呂だとか写楽の美人画を

見ても、どこが美しいのかまったく分らなかった。浮世絵は江戸時

代の風俗画で、言ってみれば今のマンガと同じで、庶民は美術品と

は思ってもいなかったが、写実に飽いた西欧人の眼に斬新に映り、

求められて始めて美術として認識された。つまり我々日本人は浮世

絵を西欧人の眼を通して見ることで、改めて美しいと認めることが

出来たが、そうでなければただのマンガだった。藤田嗣治という画

家は日本画の技法を使ってフランスで認められたが、日本では受け

入れられなかった。それは藤田自身による日本画壇への確執もあっ

たが、ただ「お墨付き」が無ければ価値を認めようとしない日本人

独特の主体性の弱さが画壇や文壇に権威を与えている。フランスで

は評価された藤田の絵画表現も、日本の画壇は頑なに認めたくなか

った。ところが印象派を模倣した拙い画でも画壇はもてはやした。

こんな風に「美」とは、人の認識の違いによって「美」と認められ

たり認められなかったりする。つまり、「美」には必ず裏があり、

その裏とは見る者の心理に依っている。学校で見た縄文土器の形は

、岡本太郎によってその美しさが認識されて、私も今ではその美し

さを多少なりとも「理解」できるようになった。最近では宇宙船か

ら写した「地球の出」の映像は我を忘れて「美しい」と思った。

                        (つづく)


「パソコンを持って街を棄てろ!」(十八)

2012-07-11 17:26:34 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(十六)

           (十八)

 

 「美」が対象に在るのではなく、我々の意識の中に在るとすれば

、それは「美」だけのことではなく、「真理」もまた我々の都合の

いい認識に過ぎないのではないか。我々は膨張する宇宙の片隅で、

物質の物理現象や化学反応で生成されたガラクタを眺めながらその

「美」に感嘆したり「真理」を見つけ出して狂喜したりしているの

かもしれない。膨張する宇宙とは時々刻々と変化する空間だ。つま

り昨日の宇宙と今日の宇宙は違うのだ。昨日は正しかった事が今日

も同じように正しいとは限らない。膨張する宇宙とは相対的な宇宙

だ。宇宙は空間を歪つにして拡がり、或るところでは裂け、また或

るところでは重なり合う。ここで「真理」であってもそれが宇宙の

「真理」であるとは言えない。つまり、我々の「美」や「真理」な

どの様々な認識は、この世界に在るものではなく、我々の都合のい

い思い込みに過ぎないのだ。変化の記憶が昨日や今日という時間を

生み、時間の経過はやがて生命をもたらし、生命は地球の変化に促

されて命を繋いで進化する。生存の記憶は受け継がれ認識を共有す

る。こうして我々の認識は生在からもたらされ、その認識で存在の

意味を求めたとしてもその先には認識された存在しか認められない

だろう。

 牛乳の宅配は軽トラで配達した。朝の五時から始めて八時には配

達を終え、片付けをして九時には解放された。それから都心にある

絵画のアトリエで、まずはデッサンから始めた。その教室はネット

で探し出した。美大受験の為の教室では無いので、定年を終えてか

ら初めて絵筆を持つ初老の男性や、暇つぶしに趣味で始めた主婦が

ほとんどで、それでも僅かではあるが熱心に取り組む若者もいて、

結構大勢の者が無言でモデルの裸婦を囲んでいた。私はマンガしか

描いたことが無いので、一つのデッサンに何日も費やすことに苦労

した。どうしても線で描いてしまい質感の無い絵になってしまった

。先生は美術会の理事をしていて、美術界では一応名前の通った人

だった。ただ生徒にはほとんど教えることをしなかった。それは絵

画はこう描かねばならないという事は無いんだと言って、それぞれ

の個性を矯めることに慎重だった。彼は印象派全盛の時代に時流に

流されずに多くの個性的な画家を輩出したギュスタブ・モローの教

え方に甚く心酔していた。御蔭で私のデッサン力はトンと進歩せず

、いつまでたってもマンガの域を出なかった。

「描く前に対象をよく見るんだよ」

そう言われて若いフランス人の裸婦を穴が開くほど見つめていると

(下ネタじゃないからね!)やがて人体の奇妙さに心を奪われた。長

い腕や膨れた乳房、裏っぽい背中、その不均衡な身体を覆う痛々し

い皮膚、一体人間は何て皮膚をしているんだ!もし、人間と動物の

違いは何かと問われれば、間違い無くこの剥き出しになった皮膚だ

!そもそも「裸」という奇妙な状態で存在する動物が他にあるか?

体毛が身体を保護する為にあるとすれば、人間はそれを衣服に換え

ることで体毛を退化させ、剥き出しになった神経は直接伝わる鋭敏

な刺激を脳に伝え、脳が過剰に反応して我々を神経質な複雑な動物

に生まれ変わらせたのだ。剥き出しの神経は恐怖に敏感になり不安

から身を守る為に自我を目覚めさせ、その剥き出しになった自我を

偽装するために衣を纏う。衣服は身体を保護する役割を終えても、

我々が裸でいる事の羞恥に耐えられないのは、剥き出しの皮膚の神

経が人の視線に反応するからだ。神経は露出を嫌う。こうして人間

の二面性、剥き出しの神経に繋がった裸の自我と、社会という衣を

纏って偽装された自己が現れる。この二面性こそ我々人間だ。剥き

出しにされた鋭敏な神経、それは恐怖を増幅して猜疑を生み、過剰

な反応が更に我々を不信に陥れる。その震える神経を悟られまいと

して、我々は華やかな衣服で偽装を図るのだ。

 霊長類のサルとヒトをどう分けているのかはしらないが、決定的

な違いは何かと尋ねられたら、私は自信を持って皮膚だと答える。

それよりも、名立たる霊長類の研究者が、こんなにもはっきり解か

る違い、体毛が有るか無いかを見逃して、つまり裸になれるかどう

かを見逃して、遺伝子や脳の比率に違いを求めようとしていること

が信じられない。それでは、サルの体毛を退化させる為に代々服を

着せて、やがて皮膚が剥き出しになって、ついには衣服を着用せず

には居れなくなった時に、彼等の衣服を剥ぎ取って裸のままで放っ

ておくと、彼等は必ず「恥ずかしい」と言葉を言葉を発するに違い

ない。

 私がいつまでも彼女を見ていると、普段は何も言わない、頭の剥

げた先生が、

「どうして描かないの?」

と私の後ろから言葉を発した。

 

                         (つづく)


「パソコンを持って街を棄てろ!」(十九)

2012-07-11 17:25:38 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(十六)

             (十九)

 

 牛乳の宅配は新聞配達とは違って日曜日の配達はない。土曜日に

日曜日の分を配達するからだ。ホームレスから曲がりなりにもマイ

ルームを手にしたことで、雑用に時間を取られてしまいバロックに

もしばらく会えずにいた。バロックに会いに駅前の広場に行くと、

やがて彼の歌声が耳に届いてきて、さらに近づくとその周りには多

くの人々が取り囲んでいて、私はしばらくその様子を群衆の後ろか

ら眺めていたが、熱唱するバロックは恐らく気が付かないだろうと

思うほど彼は人気を博していた。私は仕方なく少し離れたベンチに

腰を下ろして、久しぶりに彼のシガーボイスを聴いていた。やがて

曲が終わり、拍手が起こり、収まり、しばらく間があって、次の曲

のイントロが弾かれて、ボーカルが歌い始めた、ら、その声は女性

だった!「えっ、バロックじゃない!」私は慌ててその声の女性を

確かめようと、もう一度群衆の後ろからその歌声の女性を見て驚い

た、あの居酒屋の「研修生」のネエちゃんだった、カーペンターズ

だと思う、上手かった、透き通る高音が滑らかで、思わず自分が居

る場所を忘れてしまうほどだった。

 彼女のイエスタディ・ワンス・モアを聴きながら、近頃は極端に

耳にしなくなった洋楽の事が気になった。まるで経済のグローバル

化と軌を一にして、アメリカンソングは何故流行らなくなったんだ

ろう?事情は分らないがアメリカでも盛り上がっていないのかな?

 ひと夏だけホテルのビヤガーデンでエレベーター係りのアルバイ

トをした事があった。館内のエレベーターは屋上への直通にできな

かったので、ビアガーデンへ行く客がエレベーターのボタンを押し

て客室フロアに勝手に降りないように、係員が操作してビアガーデ

ンの客を屋上まで運ぶ仕事だった。ある時、アメリカ人のツアーが

ホテルに宿泊して、その中の数人がビアガーデンに行く為にエレベ

ーターに乗って来た。二十歳前後の若くて美しい女の子が5,6人

居て、その中に高齢の婦人が一人居た。女の子達ははしゃぎながら

乗って来て、エレベーターの中でもはしゃいでいた。私は毎日酔っ

払いを相手にしているので気にもしなかったが、突然、その高齢の

婦人が騒いでる女の子を叱責しながら思いっ切りビンタを浴びせた

。私は唖然としたが、その婦人は女の子に「彼に謝れ!」と言って

私の前に彼女を連れ出した。女の子は大泣きしながら私に「アイム

ソリー」と言った。私はあの毅然とした婦人の行いを目にして、ア

メリカ人に古くから培われた公徳心に、伝えられるアメリカ人のイ

メージとは違った強い精神性を感じた。おそらく先生と生徒の関係

だと思ったが、詳細は解からない。私は女の子と共に謝る婦人に「

ここはビアガーデンで誰もが楽しむ所なんだから、それくらいのこ

とを気にされなくてもいいですよ。さっ、お気にされずにどうぞ楽

しいひと時をお過ごし下さい」と言いたかったが、もちろん言えな

いので、ただ「ドントウオリー、ドントウオリー」と言った。我々

は矮小化された一面だけのアメリカだけで、アメリカが養ってきた

精神を知りもせずに侮ってはいけないと思った。

 研修生の歌が終わって少し人が離れていった。バロックが私に気

付いて手を上げた。そして、

「ちょっと、ゴメン、休憩させて」

とオーディエンスに言った。私は彼のそばへ行った。

 

                        (つづく)


「パソコンを持って街を棄てろ!」(二十)

2012-07-11 17:24:56 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(十六)

              (二十)

 

 バロックは研修生のネエちゃんを甚く気に入っていた。確かに彼

女の透き通った声はすばらしかった。彼女は研修中だった居酒屋の

アルバイトをあっさり辞めて、今はバロックに就いてストリートミ

ュージシャンの研修中だった。整った顔立ちの美人では無かったが

、歌の上手い女性独特の愛くるしさがあって、歌に集中すると更に

それが際立った。彼女の声の魅力はバロックだけでなく、彼女の歌

を耳にした往来の男たちにも、足を止めずにその場を通り過ぎるこ

とが後で悔やまれると思わせるほど男の気持ちを揺さぶった。御蔭

で、私とバロックの「サイモンとガーファンクル」は引退を余儀な

くされ、私は肩の荷が下りたが、代わりにバロックと研修生の「カ

ーペンターズ」が熱烈な歓迎を受けて路上デビューした。ただ研修

生は「カーペンターズ」の名前は知っていても歌を知らなかったの

で、いつも歌詞カードを見ながら唄っていたので、私が「『カンペ

』ターズ」と命名した。

「アート、仕事取ってごめんね」

私は絵を描いていることから彼女から「アート」と呼ばれたが、バ

ロックは、ポール・サイモンと別れて路頭に迷うアート・ガーファ

ンクルの「アート」だと言った。確かに世間一般で言う、ちゃんと

した仕事には就いていないが、また振り出しに戻って奴隷からやり

直す訳にはいかなかった。バロックの言う4つの選択の中、奴隷と

ホームレスには戻りたくなかった。後は一発当てるか死ぬかしか残

されていない。ただ絵を描いて一発当てようなどとは思っていない

が、小林秀雄が「近代絵画」の中で画家ジョルジュ・ルオーの言葉

を紹介して、「人に教えられて上手く生きるよりも、自分のやり方

で失敗したほうがましだ」みたいなことを書いてあって、(間違っ

てたらゴメン)それが気に入ってそういう生き方をしようと覚悟を

決めた。

「絵、上手くなったらモデルになったげるね」

彼女は腰を横に突き出してその骨盤に手の甲を掛けて、もう一方の

手を悩ましい表情の顔に添えた。それはあの居酒屋で退屈そうに接

客をしている研修生とは別人だった。彼女は生き々々とした表情を

していて、その「生き々々している」という意味がこんなにも性的

な匂いを秘めているとは思わなかった。そして女性にとっての生き

甲斐と男の生き甲斐はやはり根本的に違っているのかもしれないと

思った。体内に子宮があって周期的な排卵による月経というフィジ

カルな現実に付き合わされて、「存在への懐疑」などというメタフ

ィジカルな愚問に悩んだりはしない。彼女らは厳然たる現実を生き

ているのだ。たとえばデカルトは、痔からの出血があったかもしれ

ないが、確実に訪れる月経や、妊娠や出産に煩わされなかったから

こそ懐疑主義を究められたんだと思う。

 

                         (つづく)