「戦後レジームの崩壊」
第二次世界大戦の敗戦国であるわが国に於いて、「戦後レジーム
からの脱却」という言葉だけを素直に受け取ると、戦勝国アメリカに
よる占領支配からの脱却のことだと思っていたら、どうやらそうでは
ないらしい。依然として駐留米軍の撤退が議論されることもなく、そ
れどころか同盟国アメリカを支援するために戦闘する権利さえも認
めようとしている。そもそも安倍総理は何をもって「戦後レジーム」と
呼び、そしてそこから脱却して如何なる体制(レジーム)を目指そうと
しているのだろうか?ただ、「戦後レジームからの脱却」が「戦前レジ
ームへの回帰」であるとすれば、それはあまりにも芸のない先祖返り
だと言わざるを得ない。戦争によって多くの尊い命を犠牲にして何もか
も失った国民が唯一手に入れたものこそは国民主権による民主主義
体制だった。仮に、われわれ国民が主権を失えば、たちまち中国や北
朝鮮などの独裁国家に比肩する国家になることはそんなに歴史を遡ら
なくても窺い知ることが適う。われわれは、再び国家原理主義を蘇らせ
て犠牲になった多くの戦死者を犬死にさせてはならない。
しかし世界を見回せば、実は「戦後レジームからの脱却」を目指
す動きは拡がっている。たとえば中東のイスラム諸国では国家の枠
組みが宗派の違いを反映していないために国益を巡って宗派間の対
立が表面化している。そして国権を巡る対立は「そもそも」論へと
導かれて原理主義思想が蘇り、さらに合理主義を重んじる文明社会
とイスラム思想との相克に苦しむムスリムたちは収まりのつかない
感情を受け入れてくれる信仰に情熱を傾け、そして抜け出せなくな
って過激化する。近代文明は戦後レジームの下で遂に停滞を余儀な
くされ、人々は固定化された格差社会にウンザリして政治思想にそ
の捌け口を求める。それは何も遠い国の話ばかりではなく、行き詰
った社会では世界の至る所で「もう一度始めからやり直そう」とば
かりに精神原理主義への回帰が見られる。
(つづく)