(四十六)

2012-07-11 16:58:47 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(四十六
                 (四十六)



 サッチャンの「エコロジーラブ」はヒットチャートをゆっくり

と上がって、それは階段を登る風では無く、垂らされた縄を手繰

り寄せて登る感じで着実に上を目指していたが、ただ、いつ縄が

切られて地獄の底へ落ちて行くかは、上で眺めている神のみぞ知

るという危ういものだった。ただ、環境情報番組という地味だが

、それでも人々の関心の高まりに支えられた視聴率と共に、毎週

エンディングに流される「エコロジーラブ」はジワジワと人の耳

に残るようになっていた。

「ラジオに出るらしいよ。」

バロックが教えてくれた。

「何の?」

もちろん音楽番組だったが、夕方の番組で録音だった。バロック

と私は路上でのパフォーマンスを中断してその番組を聴いた。

 パーソナリティーは彼女が路上で歌っていたことなどを驚きな

がら紹介して、彼女の名前について聞いた。

「どうして『サッチャン』っていうの?」

「路上の時にそう呼ばれてたんです。」

「本名なの?サチコとか?」

「いいえ、違います。源氏名です。」

「あははっ、源氏名かっ!」

「それでも、良かったです。たとえば、知らない人でもチャン付

けで呼んでくれますから。」

「そらまあ、『サッチャンさん』とは言わないよね。」

「呼び捨てだけど呼び捨てじゃないでしょ。」

「なるほど、近づきやすいよね。ところで、どうして自分のこと

を『サッチャン』て言うのかな♪~、アレ歌っちゃったよ!」

「へへへっ。」

「おおっ、面白い笑い方するね、サッチャン。」

「うん。あのー、名前って誰の為にあると思います?」

「誰のため?自分の為じゃないの?」

「違います、人に呼んで貰う為にあるんですよ。」

「あっ、そういう意味ね。」

「人が『サッチャン』って呼ぶのだったらそのままで良いって思

ったんですよ。」

彼女は嘘をついた。「サッチャン」に至った顛末はそうじゃなか

った。彼女は自分のことを「チカコ」と言うのが口癖で、それを

バロックが揶揄って「サッチャン」と名付けたんだ。

「もう、『チカコ』って言うてへんのかな。」

バロックが寂しそうにそう言ったが、私はサッチャンに集中した


「大体、今の子供の名前の付け方っておかしいと思いません?」

「あっ!読めない名前だろ、僕等もハガキの名前には泣かされる

んだよ。」

「人が読めない名前って意味が無いと思いません。」

「んーっと、そろそろ曲を紹介してもらおうか。」

パーソナリティーは何かを感じて話しを逸らした。そして彼女が

「エコロジーラブ」と言って彼女の歌が流れた。

私は、

「やばいんじゃないの、あれ?」

「やばいかもしれん。」バロックもそう言った。

                                 (つづく)

(四十七)

2012-07-11 16:57:40 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(四十六
                    (四十七)



 サッチャンがラジオ番組で語った一言は、彼女の知名度の低さ

の所為か、何の問題も起きずに忘れ去られた、かのように見えた

が、後で知った事だが、やはりラジオ局には抗議の電話やファッ

クスが殺到していた。ラジオ局は表沙汰にはしたくなかったのだ

。ところが、ネット上でもその話題のスレッドが立ち、そこには

雲霞のように賛否の書き込みがされて、その臭いを嗅ぎ付けた

三面記者が、それを紙面を埋める為の小さな記事にした。その記

事が発端となって、ラジオ局は隠し通すことが出来なく為り、謝罪

会見をする破目になってしまった。

「出演者の『サッチャン』の発言が、ラジオを聴いて頂いた聴視

者の皆様に不快な思いをさせまして、誠に申し訳ありませんでし

た。」

テレビのワイドショーで取り上げられたこの会見は、畏(かしこ

)まった場で、ラジオ局の部長が発した「サッチャン」という言

葉が妙に新鮮に聞こえて、質問をする記者もやたらと「サッチャ

ン」を連呼しだして、神妙に始まった会見は何時しか笑い声が漏

れるほど和んで終わった。それでも、彼女の歌を番組のエンディ

ングに流していたテレビ局は、ラジオ局と同じ系列だったが、そ

の週から別の歌手の曲に差し替えた。彼女が縋り付いていた縄は

今まさに切り落とされようとしていた。彼女は自分の歌を聴いて

貰う大きなチャンスを失ったのだ。

 ところが、ネットでは「サッチャン」での検索は増え続けて、

それがきっかけで彼女の歌のすばらしさが改めて認められて、K

帯着歌のダウンロードが驚くほど増え、さらにCDの売り上げも

、天に在す神様が彼女が縋った縄を手繰り上げているかのように

、急激に伸びていた。そして、ついには著名な言語学の教授がそ

の問題についてテレビの中で、

「彼女の発言は誠に正しい。名前とは人に知ってもらう為にある

。ところが昨今の名前に使われる字とその読みは、甚だしく乖離

して、まるで身内だけが判れば良いかのように、他人に認識して

もらうことを拒否しているようにも見える。それは『うちの家で

は林檎のことをイチゴと呼んでます』と言ってる様なもので、家

の中だけなら問題に為らないが、著しく社会性を逸脱した命名で

ある。このことは、人々の社会性が希薄になった事と関係するの

かもしれないが、彼女の指摘は我々専門家こそが警告するべきだ

ったと反省している。」

と語った。すると今度は、すでに我が子に「読み仮名クイズ」の

ような名前(暇潰しにはなるだろうが)を付けた親達が激しく抗

議した。こうして「サッチャン」のひと言は、社会を巻き込んだ

議論に発展してしまった、が、御蔭でというか彼女の「エコロジ

ーラブ」は順調に売り上げを伸ばしていた。

                                (つづく)

(四十八)

2012-07-11 09:39:14 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(四十六
                   (四十八)



 土曜の夜は、バロックがストーンズの「Let’s Spend The

 Night Together」を歌って、何時終わるとも知れない路上ライ

ブが始まった。終わる頃にはギャラリーが差し入れた酒で酩酊し

ながらも唾を飛ばして歌った。興にのって辺りが白けてきても、

その場でギターを抱えたまま酔眠することが何度もあった。まさに

泥酔いライブだった。私は牛乳配達の仕事が日曜は休みだったの

で、売れない絵画店は閉めて、声を潰した彼に代ってボーカルをと

った。やがて気が付くと二人は、タイムアップの笛と同時にピッチに

倒れこむサッカー選手のように、大の字になったまま寝ていた。空

が白み、スズメたちの交わす朝の挨拶で目が醒めて、手術を受け

た病人が麻酔から醒めて意識を取り戻すまでの様な白けた感覚の

まま仰向けに為っていると、バロックが、

「アート、俺、旅に出るわ。」

「たったったっ旅!?」

私はワザと大袈裟にそう言って自分を取り戻そうとした。

「何で?」

「何時までも此処で出来んみたいや。」

彼が言うにはJASRACがやって来て「人の歌で稼ぐなら著作

権料を払え!」と言われたらしい。どうもカラオケ店から抗議を

受けた様で、確かに彼のライブは目立ち過ぎたかもしれないが、

その世知辛さに私は呆然とした。

「払えばいいじゃん。」

「否、どうもそれだけじゃ済まんみたいや。」

「カラオケ店?」

「それもある。」

「他にも?」

「面白ない者が居るんやろ、この頃はマッポもうるさいし。」

確かに深夜になるとお巡りがしつこく注意をしに来た。

「何処へ行くの?」

「分からん。」

「・・・。」

「アパートそのままにしとくから住んでくれへんか?」

「ああ、いいけど。」

「まっ、此処もそろそろ飽きて来たし、丁度ええ潮時

やわ。」

バロックはその日の晩から駅前広場に出るのを止めた。彼はギタ

ーとバックパックだけを持って、東京へ来た時と同じ様に東京を

出て行った。私は他のパフォーマーやファンたちに彼が居なくな

った経緯を、バロックが私にこう言ってくれと言った通りに皆な

に説明した。

「あぁーん、どうせまたすぐに戻って来るって。」

 バロックが居なくなった広場には、スピーカーからサッチャンの

「エコロジーラブ」がエンドレスに流されていた。

                                 (つづく)  

(四十九)

2012-07-11 09:38:23 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(四十六
                (四十九)




 この頃同じ夢を良く見る、裸のまま宇宙空間を漂っている夢だ

。もちろん生きていられないが、夢だからそんな事は構わない。

ただ、凄く気持ちがいい。無重力宇宙では当然空気が無いので、

手足を動かしても抵抗が無く徒労に終わる、寝返りすら出来ない

、否、上も下も無いので寝返りする必要もないが、身体は全く役

に立たない。我々は地球でしか生きれないのだ。身体の機能が役

立たなくなれば意志はその意味を失う。やがて精神は死と共に消

滅するだろう。肉体は精神に先行するのだ。いや待てよ、意味を

失った肉体に宿る私の精神こそが、もしかして純粋な精神と言え

るのではないか?もはや我が精神は意志を諦め、意志は身体の支

配を放棄する。こうして自由を失った、否、自由を得た、あれど

っちだ?精神は身体性を離れて自我そのものに還る。「他に何も

要らない。」私は私で在ることに幸福を感じる。これを私は絶対

幸福と呼ぶ。

 はて、それでは身体性を高めるということは、精神性を失って

いく事なのか?きっと我々は重力に邪魔をされて精神を見失うの

だ。もし我々が精神を語るならば、重力の在るところで語っては

ならない。何故なら重力は精神に作用が及ばないが、その精神が

宿る身体は重力に委ねられているからだ。大地にへばり付けられ

た身体で精神を語っても我々はきっと間違うだろう。我々の精神

はあまりにも身体に影響されている。つまり、宗教や民族や国家

や風土や歴史や血縁や年齢や性別などに惑わされてはならない、

そんなものは我々の身体が恐怖に負けて創り出した過去の柵(し

がらみ)だ。精神とは存在を拒むのだ、それは光に似ている。光

の後を辿っても痕跡など見い出せないように、いくら過去を辿っ

ても精神を手に入れることなど出来ない無いだろう。つまり、坂

本竜馬の精神を知ったからと言っても、我々は坂本竜馬のように

は生きられないのだ。精神とは今この時に私に起こることで、記

憶に閉じ込めた途端に色褪せるのだ。

 やがて漆黒の闇を漂う私の視界に青き地球が現れて、その美し

さに魅せられていると地球への郷愁に耐えられなくなって、私は

大声を上げて叫びながら、陸に釣り上げられた魚のように手足を

バタつかせて地球への帰還を果たそうとした。するとそれが効を

奏したのか、好転する地球が見る見る近づいて来て、ついには地

球の重力圏に絡まった。私は安堵して思わず屁が出た。すると歪

な肛門から右側へ漏れた屁の為に、私の身体は左側へ何度も寝

返りを繰り返して、ベッドから転がり落ちて目が醒めた。

「ふあぁーっ。 仕事かったるぃ―。」                 

                                 (つづく)

(五十)

2012-07-11 09:37:30 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(四十六
                   (五十)



 親の七翳り(七光の反対)で育った者にとって、世襲を継いだ

者が、親の威光を背にして「よろしくお願い致します」と深々と

頭を下げても、後ろにある親の威光が燦然と輝いていて、彼はそ

れを判っていてあざとく身を小さくするのだろうと、勘繰りたく

なることがある。人生はマラソンだと自分に言い聞かせて、独り

で走っていたら、他の者は交代で襷を繋ぐ駅伝レースだったと知

った時のやるせなさは果てしない。

 例えば長嶋一茂が、親の威光に逆らって、普通の会社に就職を

していたら、口さがない世間の人々は謗り(そしり)まではしな

いまでも、快く受け入れることが出来るのだろうか?何かと言う

と親(長嶋茂)を引き合いに出されて、一茂の身に為って考える

と、その肩身の狭さは想像に難くない。昨今は、政治家の世襲が

色々非難されているが、もしかして、彼等が世襲を継がざるを得

なく為るのは、彼等に対する世間の妬み(ねたみ)がそうさせて

いるのではないだろうか?つまり、世間は世襲を非難しながらも

、世間こそが彼等を世襲へと追い遣っているのではないだろうか

?

ホテルでアルバイトをしている時、そのホテルは電鉄の子会社

で、新入社員は三年もせずに次々と辞めていた。私はベルボーイ

としてお客様を部屋まで案内する仕事だったが、ある時、ドアマ

ンが居なくなったので、ドアマンをやる様に言われた。ドアマン

とはそのホテルに到着したお客様を最初に接客する謂わばホテル

の顔で、お客様の質問に即答出来るように様々な事を知っていな

ければ為らない。つまり、アルバイトがする仕事ではなかった。

それでも真冬の寒風が吹く玄関で寒さに震えながら立っていると

、昨日まで此処でドアマンをしていた社員が、私服で従業員専用

ドアから出て来たので、なぜ辞めるのか聞いた。彼が言うには、

このホテルの社員の何人かは父親が親会社の電鉄にいて、そうい

うツテの無い者とは明らかに扱いが異なるらしい。昨日は、親が

電鉄の役職だというバカ息子と二人でドアマンをしていたら、昼

間のチェック・インが重なる時は二人でドアマンをやることにな

っていた、社長が玄関に出て来てツテの無い彼に「玄関が汚い」

と叱責して掃除を命じた。彼が名誉を取り戻そうと一心にモップ

掛けをしていたら、また社長が現れて掃除をしている彼には目も

呉れず、手伝おうともしない後輩のバカ息子の名前を呼んで「お

父さん元気か?寒いけど頑張んなよ」と労ってタクシーに乗って

出て行った。そこで彼はキレてしまってその日のうちに辞める決

断をしたらしい。ホテルのようなサービス業は仕事の実績が残ら

ないので、出来の悪い息子に手を焼いた親がコネを頼りに預ける

のに丁度いいのだ。バカ息子は親の願い通りに一年毎に辞令が出

て栄転を繰り返したが、辞めていったドアマンが「こんな会社は

潰れるよ!」と言ったように、今では、ホテルは外資に買われて

名前も変わってしまった。

 こんなふうにこの国で暮らす者は、多かれ少なかれ世襲に近い

コネやツテを頼りに生きているのだ。能力の無い者は能力が測り

づらい世界に潜り込んで親の威光を利用する。政治の世界がそう

なのかは知らないが、現に世襲議員であれ有権者は選挙で彼等

を選んでいるではないか。世襲タレントが司会のニュース番組で、

政治家の世襲を非難できないように、どれほどの者が世襲を非難

出来るだろうか?ある経済界の大物がいみじくも洩らしたように、

談合と、さらに世襲と袖の下はこの国に染み付いた因習文化なん

だ!

                                 (つづく)