Willow's Island

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ES細胞、「技術あるが管理失敗」黄教授

2005年12月16日 23時58分46秒 | 韓国

 ヒト胚性幹細胞(ES細胞)のねつ造疑惑に関連し、黄禹錫・ソウル大学教授自身が16日午後に記者会見を行い、「(ES細胞作りの)技術はあるが、管理の不手際で現在確認できるものはない」と述べた。
 黄教授は「サイエンス誌に論文を提出した時点では11個のES細胞が存在していたが、うち6個は汚染のため死んでしまった。現在、未確認の細胞が5つあり、確認を急いでいる」としている。
 終始ポーカーフェイスで会見に臨んだ黄教授は、「管理の不手際については深くおわびする」としながらも、「6人の共同研究員が全員確認している。ES細胞の存在には1%の疑いもない」とあらためて強調した。
 一方、前日夜に病室で黄教授から「ES細胞の9つは偽物」との話を聞いた共同研究員の盧聖一・ミズメディ病院理事長は、黄教授に引き続いて会見し、「論文は虚偽。黄教授の懐柔のため事実をこれまで公表できなかった」と涙で謝罪。同問題をめぐる波紋はさらに広がりそうだ。
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 韓国のES細胞騒ぎは、ますます訳の分からないことになってきた。しかし私にも分かることは、黄教授が嘘をついている、ということだ。「確かにES細胞を作ったんだけど、管理が悪いからなくなった」なんて、子供みたいな言い訳が、通用するわけない。もし本当に作ったと言うなら、なぜ論文を撤回する必要があったのか。あんまり言い訳を重ねると、後で余計に苦しいことになるからやめた方がいいと思うけどな。日本の某建築士のように。(^^)
 黄教授を追及する番組を作ったMBCに対し、国を挙げてバッシングをした韓国の国民達は、どう思っているだろうか。さすがに、情けないと思ってほしい。確かに自分の国の人間がノーベル賞をとればうれしいかもしれないが、だからといってメディアに対し、真偽の検証もせず集中攻撃を行うのは、あまりにも愚かしい。異論が許されなかったという状況を、冷静に考えてほしい。
 と思ったが、やはり反省する声はあんまり聞かれない。(^^)

首相、靖国参拝批判に反論…「私は日中友好論者」

2005年12月15日 23時59分12秒 | 時事

 【クアラルンプール=吉山隆晴】小泉首相は14日、東アジア首脳会議(サミット)閉幕を受けて記者会見し、自らの靖国神社参拝に中国が反発していることについて、「誤解がある。(参拝によって)かつての戦争を美化して正当化しようという気持ちは全くない」と強調した。
 そのうえで、「1人の国民である内閣総理大臣が自分の国の1施設に、平和への祈りと哀悼の念を表すこと、これを批判する気持ちが分からない」と述べ、中国の姿勢を改めて批判した。
 さらに、首相は「私は日中友好論者だ。どの国でも一つや二つ意見の違いや対立はある。それを乗り越えて協力関係を築いていくのが、普通の姿ではないか」と訴えた。
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 つまり小泉首相は、靖国問題を中国と韓国の「外交カード」としか見ていない。この問題については色々な意見があるが、私も首相とほぼ同意見である。靖国神社に首相が参拝することがそんなに問題なら、なぜ首相以外の人物が参拝することは問題ではないのだろうか。A級戦犯が祀られていることが駄目なら、首相の参拝うんぬんではなく、靖国神社の存在そのものが問題なはずだ。この問題をつきつめていけば、靖国神社を撤廃しろ、というところまで行きつく。それなのに中国がそこまで言わないのは、やはりこれが純然たる外交問題だからだ。中国の論理でいけば、首相の参拝だけを取り上げて騒ぐことは理屈に合わない。当たり前だが、日本の国家及び政府は首相の意向だけで動いているわけじゃない。首相の参拝「だけ」をもって批判するのは、やはり外交カードとして使っているとしか思えない。
 というか、こんなことでいつまでも揉めるのも、日本の国益に合わない。もういいかげん、こんな馬鹿馬鹿しい問題は終わりにしてほしいもんである。いくら話し合っても水掛け論だしな。次の首相になって「私にそういう習慣はない」とか言って参拝をしなければ、それでこの問題は終わるのかもしれない。根本的な解決になってないけど。
 しかし次の首相は・・・・安倍か? じゃあ次も参拝するな、きっと。(^^) それはそれで、中国も外交問題にすることをあきらめるかも。どうせ韓国もそれに続くだろ。

合掌

2005年12月13日 23時58分58秒 | 機器

 私が使っていた携帯だが、完全に充電しても、1時間も経たないうちに電池が切れるようになってしまった。電源ボタンを押しても「充電が必要です」と表示されて、すぐに切れてしまう。そして充電器に乗せても、いよいよ何の反応も見られなくなった。充電することすら不可能になったわけである。
 つまり、この携帯はとうとうご臨終だ。「グッドデザイン賞」とやらを受賞し、3年以上生き延びたTK12も、ついに寿命がつきた。
 しかし電源が入らなければ、ただの金属である。持っていても何の役に立たない。明日(水曜日)の夕方に新しい携帯を手に入れる予定だが、それまでは誰からも受信できないわけである。実際に電話が来そうな心当たりがいくつかあるだけに、ちょっと心配だ。

携帯を変えます

2005年12月11日 23時58分45秒 | 機器

 最近はどうも、携帯電話の電源がすぐに切れてしまう。いくら充電しても、大して使っていないのに、すぐ電池切れとなる。「どこか壊れたか?」と思い、TU-Kaの店へ相談に行った。すると、故障ではなくバッテリーが切れているとのことだ。使ってから3年以上経てば、普通にバッテリーは切れて使えなくなるそうだ。じゃあバッテリーを交換すればいいのか、というとそうでもない。バッテリーだけで6000円ぐらいするそうなので、新機種に乗り換えた方が合理的だそうである。実際にもう使い始めてから3年以上経っており、もう換え時か。
 私は新機種に乗り換えることにした。今の携帯は3台目で、それ以前の携帯もすべてTU-Kaだ。つまり私は7年以上もTU-Kaを使い続けている。ドコモやらauやらが全盛の今、「なんでTU-Ka?」と聞かれることもある。別にTU-Kaにこだわってるわけじゃないが、電話番号を変えたくないだけである。じゃあまたTU-Kaにでもするか、と思ったが、機種を乗り換えるだけで、最も安いものでも5千円ぐらいかかってしまう、とのことだ。しかもカメラ機能はない。カメラが付けば、1万円以上かかってしまう。
 「ちょっと高いな・・・」と思っていると、店員がauの携帯を薦めてくれた。今は携帯電話の会社を変えても、電話番号を変えずに済むそうだ。しかも、auならカメラ付きの新しい機種に0円で乗り換えられる、とのことだ。利用料も毎月4000円ぐらいのコースがある。私は迷うことなく、長年愛用したTU-Kaに別れを告げることにした。機種本体が店に届く水曜日には、私もいよいよauユーザーだ。
 しかしTU-Kaは、これで顧客を一人失ったわけで、衰退への道をまた一歩進めることになった。これから先、TU-Kaの行く手は厳しいが、何とか生き残って欲しい。お年寄り対象のシンプル携帯は売れてるのかな・・・。

今回感じた韓国のこと

2005年12月10日 23時39分09秒 | 韓国

 先週韓国に行って、感じたことがいくつかある。韓国は毎年訪れているが、毎回違った姿を見せてくれるのだ。
 まず思ったことは、韓国は確実に先進国に近づいている、ということだ。単に高層ビルが増えたということではなく、街並み全体にセンスや清潔感が感じられるようになった。それと同時に、物価も上がったようである。感覚として、日本の3分の2ぐらいか。地下鉄の料金も500ウォンから900ウォンに値上がっている。食費も、明洞で食べれば日本と変わらないぐらいだ。大衆食堂で食べればずっと安いが。腹一杯食べても4000ウォン程度である。それでいて味も良く、店員の態度もロシアやヨーロッパに比べればかなり良い。貧富の差が広がったとは聞くが、やはり少しずつ豊かになっているのだ。
 あと細かいことでは、若者の髪の毛が黒くなった、ということがある。東洋人なんだからもともと黒いはずなんだが、2,3年前は髪を金髪や茶髪に染めてる子が多かったもんである。日本の若者もあんまり染めなくなったし、その影響があるのだろうか。それから、地下鉄内でのマナーも良くなった。携帯で話をしている韓国人を見かけなくなったし、相変わらず車内での物売りは出没するが、子供に売らせたりするのは見なかった。いいことである。
 前回(2004年)にも気付いたことだが、日本の漫画やCDも堂々と正規に売られていた。普通に日本の文化に接する若者も多い、ということだ。また、日本でも韓国のドラマや映画が大ブームで、韓国で有名な俳優は日本人の間でも有名となった。日韓のお互いの文化が、双方の国民にとって身近なものとなったということであり、こんなことは10年ぐらい前では考えられなかった。こんな素晴らしいことはない。

ソウルの写真 Part2

2005年12月08日 23時59分37秒 | 旅行

光化門(クァンファムン)の内側にて雄々しく立つ衛兵たち。


漢江(ハンガン)の南に位置する新興の繁華街、江南(カンナム)。しゃれた雰囲気だ。


江南の映画館。日曜日の江南は若者でにぎわっていた。


冬の仁寺洞(インサドン)。急速に近代化するソウルだが、この街だけは韓国らしさを失わないでほしい。


清渓川(チョンゲチョン)沿いで、何やらイベントが行われていた。


近づいてみると、5人組の男女がハモっていた。後ろには、「清渓川1000万名訪問記念」とある。本当に一千万人も訪れたのか?


高層ビル群の真ん中を流れる清流、清渓川(チョンゲチョン)。


夕暮れ時の清渓川。美しい光景だ。

ソウルの写真 Part1

2005年12月07日 23時47分07秒 | 旅行

雪の徳寿宮(トクスグン)。韓国的な情緒がある。


ハングルを開発した偉大な世宗大王(セジョンテワン)も雪に埋もれた。


徳寿宮には木造の宮殿もあった。


大韓帝国最初にして最後の皇帝、高宗(コジョン)が住んでいたという洋風の宮殿。ここで日韓併合の調印もなされた。


韓国を代表する宮殿、景福宮(キョンポックン)。積雪にもかかわらず、児童を中心に来客は多かった。


景福宮から見える岩山。岩山とはいえ雪化粧をすれば不思議な風情がある。ここが大都会であることを忘れさせる。


景福宮の前庭では、衛兵の交代儀式らしきものが行われた。

ソウル観光(12/4)

2005年12月05日 23時41分20秒 | 旅行
 昨日はホテルでお粥の朝食を食べた後、すぐ近くの徳寿宮(トクスグン)に向かった。我々以外に人はほとんどおらず、宮中では民族音楽が静かに流れており、優雅な雰囲気であった。屋根に積もった雪が、冬の韓国らしさを演出していた。大韓帝国の皇帝が住んでいたという石造の屋敷まであった。日本に支配される直前のものであり、こんなところで西洋風の大きな建築物を見るとは思わなかった。当時の韓国なりに近代化に対応しようとしたことが分かる。
 次に向かったのが、おなじみの景福宮(キョンボックン)である。何度も訪れている場所だが、この日は雪が積もった岩山を背景としており、また異なった風情があった。11時からは、李氏朝鮮時代の衣装を着た衛兵たちの交代儀式をやっていた。なかなか格好いい。
 その後、地下鉄を使って江南(カンナム)へ向かった。私も初めて訪れる。ここは河の北側に比べて新興の繁華街であり、新しいだけに非常にしゃれた感じのする空間である。通りを歩くのは元気な若者ばかりだ。見事に洗練されたストリートなのだが、海賊版DVDの売場も発見してしまった。(^^)私は「ハウルの動く城」のDVDを5000ウォンで買った。その後、裏通りの食堂で昼食をとったが、ユッケジャンもビビンバも4000ウォンであり、マンドゥ・ラミョン(餃子入りラーメン)などはわずか2500ウォンであった。やっぱり普通の食堂で食べれば安いのだ。
 昼食後はまた河北に戻り、仁寺洞(インサドン)へ行った。相変わらず面白い店が多い。我々は伝統的なスタイルの喫茶店に入り、ゆず茶、しょうが茶、ナツメ茶、などを飲んだ。外が寒かっただけに、暖かいお茶がありがたかった。おいしいだけでなく、体があったまる。
 それからソウル駅近くにあるホテルに戻るため、歩いていった。すると、途中であの清渓川(チョンゲチョン)に出くわした。公共工事によって30年ぶりにソウルに復活した清流だ。確かにきれいな川であり、心がなごむ。その清流の両端には、近代的な高層ビルが立ち並ぶ。なんともうらやましい光景である。
 ホテルに戻ってからは、全員で東大門市場へ買い物に出かけた。しかしここで売っているのはほとんどが衣料品であり、目当ての土産品はあまり売ってなさそうだった。仕方ないのでまた南大門に戻り、ここで買い物をした。やはり南大門の方が活気があり、売っているものは多彩である。しかし、堂々と「ニセモノ シカ ナイヨー」とか「カンペキナ ニセモノダヨー」とか言って日本人客を捕まえるのは、いかがなものか。(^^)
 買い物を済ませてから、「マンドゥ・パクサ(餃子博士)」という名前の大衆食堂で夕食をとった。なぜか「きしめん」まで出てくる不思議な店だ。そのきしめんは韓国風の味付けだったが。各種餃子、ビビンバ、きしめん、スンデ、などいろいろ頼んだが、一人あたり5000ウォン弱であった。安っぽそうな見た目の通り、やはり安い店だったが、そこそこおいしかった。韓国はどこでも食べ物がおいしい。

ソウルにて

2005年12月03日 22時26分24秒 | 旅行
 今日の昼に、無事ソウルへたどり着いた。今、宿泊先の「ホテル ニューソウル」でこれを書いている。安いツアーとはいえ、思ったよりなかなか良いホテルである。
 約2年ぶりに訪れたソウルは、またどこか違った印象を受ける。この街は常に変わり続けるのだ。やはり以前より、さらに先進国らしくなったような気がする。町並みのたたずまいは洗練されて、こぎれいな印象を受ける。物価も、私が前回に訪れた時より確実に高くなっている。やはり少しずつ豊かになっているのだ。
 とはいえ、南大門市場の喧騒は相変わらずである。商売人たちは商魂たくましく、強引な商売をしている。日本だったら客引き禁止条例で捕まりそうなほどだ。「見るだけでいいから」と引っ張り込まれたカバン屋で、ヴィトンやらエルメスやらの「高級コピー商品」がわんさか出てきたのには驚いた。(^^)ここまで堂々とパチモンを売ってくるとは、恐るべし南大門。
 買い物を済ませた我々は、明洞の「韓国館」という焼肉店に入った。割引券が効くからだ。ここは日本人がよく来る店のようで、従業員はみな日本語がペラペラである。出てくる料理も、一級品ばかりだ。肉の質がおそろしく良い。韓国の牛肉は日本のよ比べて若干固めのはずだが、特に良い部分が出されたのだろう。韓国にはないはずのタン塩まで出てきた。肉だけでなく、酒もキムチもチジミもサムゲタンも大変おいしかった。我々は非常に満足したのだが、値段はなんと一人当たり6万ウォンであった。7000円ぐらいか? これでは東京あたりと変わらない値段だ。やはり明洞は日本人向けの街なのか、高いのだ。昼飯で食べた大衆食堂のスンドゥブチゲ定食が3500ウォンだったのと比べると、高さが分かる。まあ、それ以上に楽しい思いができたからいいんだけど。
 その焼肉店を出ると、なんと雪が降っていた。まさか今年の初雪を韓国で見ることになるとは思わなかった。やはり雪が降るだけあって、非常に寒い。風も岐阜より遥かに冷たい。服は4枚着ているが、それでも寒すぎる。覚悟はしていたが、これほどとは。
 今日はかなり歩き回って、ちょっと疲れた。明日は、行ければ仁寺洞や江南や新村を歩き回ってみたい。団体行動だから、思うようにはいかないだろうけど。

ソウルへ

2005年12月01日 23時59分33秒 | 旅行

 実は明後日から、職場の旅行でソウルへ行く。これで8度目の訪韓だ。最後に韓国へ行ったのが去年の3月なので、「毎年韓国へ行く」という私の目標はぎりぎり達成されることになる。(^^)職場の旅行とはいえ、楽しみだ。
 メンバーは私を含めて5人で、2泊3日である。本当は一人で歩き回りたいのだが、私が幹事なので残念ながらそうも行かないだろう。
 そもそも、この旅行は6人で行くはずであった。それが5人となったのは、先週の金曜日にいきなり辞令が来て、メンバーの一人が異動になったためである。訳ありの異動なので相当忙しいらしく、異動先でいきなり年休をとるわけにもいかないから、やむなくキャンセルしたのだ。ほぼ同年代の人だっただけに、いなくなるのは惜しい。そのせいで部屋も上司二人と相部屋になってしまうしな・・・。
 まあせっかくの韓国旅行だし、それは気にしないでおこう。最近は気が滅入ることも多いのだが、3日間だけは完全に忘れて楽しもうと思う。