ふと気付いたが、最近は韓国のことを話題にしていない。今日はせっかくの三一節(サミルチョル)なので、久しぶりに韓国のことを話そう。
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http://www.asahi.com/international/update/0301/006.html
韓国の盧武鉉(ノ・ム・ヒョン)大統領は1日、1919年に起きた植民地支配からの独立運動「3・1運動」87周年記念式典で演説、「我が国民としては日本が侵略と支配の歴史を正当化し、再び覇権の道に進みかねないとの危惧を抱くのは当然だ」として小泉首相の靖国神社参拝を強く批判した。大統領は靖国や歴史認識の問題で妥協をしない姿勢を明確にすると同時に、日本の憲法改正の動きも牽制した。
(以下略)
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まあ、ノムも低い支持率にあえいでおり、これ以外のことは言えなかっただろう。正直言って中高生レベルのことしか言っていないのだが、韓国の大統領としてはその程度しか言えなかったのだ。いつも同じことを言っているだけであり、気にすることはない。この発言に対する日本社会の関心度も低いようだ。
それよりも私が気になったのは、「人類普遍の良心と歴史の経験に照らして・・・」だとか、「人類の良心と道理にあわせて・・・」とか、やたらと「人類」を強調していることだ。日本の政治家だと、特定の国を批判するために、こんなことはまず言わない。ノムだけでなく、韓国人はこういう言い方が好きなように思う。世の中には不変で絶対的な真理というものがあり、自分こそがその真理に適った存在であり、自らの道徳性を完全に信じて疑わない、という態度だ。
日本人には、こういった韓国人にありがちな姿勢に違和感を感じている人が多いと思う。私は基本的に韓国好きだが、これだけはどうも慣れない。日本人は、真実などそれぞれの国、組織、個人によっていくらでも異なるものだ、と考えている人が多い。人の数だけ真実も存在するということだ。ところが、韓国人はそう考えない。正しいこと、真実は世の中に一つしか存在しない。
領土問題でも、日本人からすれば竹島を暴力的に奪ったのは李承晩であり、竹島に武装警察(ほぼ軍隊)を置いている韓国の方がよっぽど軍国主義的だ。歴史問題でも、当時の日本側から見た歴史観を一律に「歪曲」と決めつける方が、よっぽど「人類普遍の道理」から外れた行為だ。しかし自分にこそ「人類の不変の良心」があると思い込んでいる韓国人には、何を言っても通じない。
それとも、国力に大きな差がある日本を相手にするには、普通に「我々韓国は・・・」と言っても通じないと思ったのだろうか。小国が大国を相手にするため、わざわざ「人類」という大仰な言葉を使って人類全体を味方につけた、ということだろうか?
いずれにせよ、ノムの発言に対する日本政府の反応は、こんな感じだ。ほとんど鼻であしらわれている。(^^)