(童話)万華響の日々

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常識が否定され、次に正義が否定されてゆく流れ

2018-07-07 16:38:04 | 雑感・エッセイ

実に目まぐるしく世界は変わる、動く、いまは梅雨前線豪雨大災害のまっだだ中だ、私は千葉に住むので梅雨豪雨はまだそれ程ひどくない、だが西日本から中部地方まで予断を許さない、警報も次々とでる、豪雨のさなかで危険に晒されている方々は命を守るために最善の道を選んで欲しい、既に被災した方々のために国を始め行政は全力を尽くして欲しい、豪雨が去った後は猛暑が待っているのでこれも大変である、何かボランテイアとしてできることはないかと悩む、

明らかに自然も社会も政治も極端から極端に動くのが当然な時代になってしまった、今までの常識は常識でなくなり、道徳は道徳でなくなった、日本の政治では学者が憲法違反と唱えても違反する法律がどんどん成立してゆく、例えばカジノ法案は由々しき害毒を社会に流すとなんぼ反対しても与党は耳を貸さない、過労死した人の家族がなんぼ反対しても働き方(かせ方)法案は通過しつつある

また、明らかに嘘をついている政治家や官僚が大方の指示を受けて頓挫しない、辞任しない、居直りがまかり通る、

街中の犯罪も同じだ、どう見てもDNA鑑定で黒と判定していても容疑者はやっていない、知らない、検査法が当てにならない、・・・こうやって白を切る、犯罪を犯しても否認すれば減刑されたり、無罪になったりする、どう考えてもおかしい、正義というものが全く否定されているように思える、国会でも証人喚問は与党によって否決され国民は何時までたっても真実に辿り着かない、

原発政策も同じだ、40年超の大飯原発の再稼働差止を求めた住民の訴えは高裁で否定された、裁判官は「危険性は無視しうる」そうだ、裁判官とて生身の人間であるなら老朽原発の危険性を無視しうると判断できるのだろうか、豪雨が迫っているときに命を守る行動を取ってほしい、という気象庁がいる一方で原発の危険性から命を守る行動は原発差止しかないではないか、避難するところもない、裁判官(司法)はなぜ高裁に行くにつれて生身の人間の叫びを聞く人間側に立てなくなるのだろうか、・・・・いやはや愚痴に終わってしまった



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