今年も大晦日となった、1年を振り返ってみた
ここに書きたいことは幾つかあったが書かずに来たこととしては、自分の闘病記録がある、爪水虫は約2年通院して一応治った、眼も両眼とも白内障の手術を受けたが、いまだにぼやけた視力で仕方がなく車の運転も辛い、光の散乱がきつくサングラスを掛けないとダメ、暗くなってから前方の対向車のヘッドライトが乱反射するので夜の運転は不可能だ、視界は明るくなったのだが霧が湧いて晴れない、来年になったら眼科に相談しないといけない、
日野原重明先生が105歳で昇天された、高齢者の憧れの的であった方がこの世から去ったことは淋しい、何より平和主義者で平和憲法を守ることを主張されていた、将棋の王であるような憲法9条が角や飛車を取られ共謀罪、集団的自衛権を骨とする安保法、教育基本法、特定秘密保護法、・・・強力な禁じ手を使って王を責め立てる、安倍政権は愈々来年あたりから自衛隊と九条を結合させようと目論む、木に竹を接ぐという比喩では言い足りない妄言である、国民の7割以上は九条をこのまま守ることを望んでいる
北朝鮮やトランプ・アメリカについても言いたいが割愛、ただ問題解決のためには今の核兵器保有国が諸手を挙げて全核兵器を捨てることが唯一の道であると思う
さて、年末にあたり言いたいことの最大のことは、AIのことだ、AI(人工知能)についてだ、以下は独断と偏見による私見である、
AIはそもそも計算機として生まれた、世界最初の計算機は哲学者パスカルによって1642年に発明されたという、それ以来改良され今の量子コンピューターになった、改良が進むにつれて機械式、手回し式、真空管式、電子式、と進み、その大きさも頗る小さくなった、
現在の身近なコンピューターはスマホ携帯電話だろう、そしてインターネットと結ばれ車、家電、あらゆる電子機器にネットが張られて、これらから得られるビッグデーターを自由自在に操るAIに至った、(ここではAI端末であるスマホと本家のAIを区別して考慮しない)
AIは更に小さくされる、ウェアラブルという形態はメガネ型、そして白内障手術に使われる人工レンズ型に取って代わる、多分感覚という情報をすべて得るならば視覚、聴覚、嗅覚、味覚、痛覚、将来は直感という第六感、全てにそれなりのAIを組み込む、そうした時代はすぐそこに来ている、肉体や骨格には人工臓器やIPS細胞経由の臓器が組み込まれる(サイボーグ)、そして寿命はどんどん延びる、
そこにいるのはアンドロイド・サイボーグ人間である、外観では100%肉体人間か改造人間か区別不能となる、今年は手先にスマホを持った人々が大勢になった、この姿はもはや将来の改造型人類の走りといわれるようになろう、そして一番の問題はAIが脳に組み込まれた場合の生まれながらの脳とAI脳のどちらが主であり従であるか、
単に脳の病気を治癒させるためのみならず、一般人にも脳力改善という目的でAIが組み込まれるかも、その結果知能指数は意味を持たなく殆どの人が大差なく高レベル知能となり、(大学受験は意味をもたなくなる、)人格差(個性)が無くなってくる、人類は平坦化し人種の差も薄くなる
そしてAIは何に向かって想像を広めてゆくのか、倫理観はあるのか、否か、世界の宗教と倫理を学んだ後に世界をどう考えるのか、SF映画ではないが人類にとって最も強大で最悪な害敵とは人類そのものだと判断しやしないか、その結果人類を排除するプログラムが動く(映画の話)、それが心配である、
どっちによ、AIは人類の忠実な助け手となるのか、強大な敵(鬼子)となるか、人類は舵を上手に切れるかどうか、来年はその分かれ目に近づいていることだろう、くれぐれも言いたいことはAIは決して神にはなれないということ、そしていつの日か人類は素朴な昔ながら肉体だった日々を懐かしむようになるだろう
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