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(童話)万華響の日々

いつもご訪問ありがとうございます、ブログ開始から大分心境も変わってきました

オペラ  ラ・ボエーム   ローマ・イタリア歌劇団

2016-07-13 14:39:13 | 演劇・コンサート

7/3 東京文化会館でのローマ・イタリア歌劇団の公演、ローマ・イタリア歌劇団管弦楽団、児童合唱団は文京区立本郷小学校、演出 ジョルジョ・ボンジョバンニ、指揮 カルロ・パッレスキ、舞台装置も衣装も重厚な当時を思わせるもので好感、

ミミはカルメラ・レミージョ、高音から弱音まで幅広く豊かに響かせて情感たっぷり、ムゼッタはフランチェスカ・タッシナーリ ミミに負けない情感を訴えてくれた、ロドルフォのシモーネ・ディ・ジョリオ ミミの恋人として多感さを表現したテノールであった、

公演全体としてたっぷりと余韻を残し満足感を与えてくれた、プッチーニの流麗で美しいアリアと合唱の連続に乗せて主人公たちの悲運に引き込まれ感極まる酔いしれたひと時であった、小学生たちの演技もよかったと思う


オペラ 椿姫 プラハ国立歌劇場

2015-10-26 20:05:58 | 演劇・コンサート

10/17、東京文化会館で上演されたもの、アルノー・ベルナール演出によるが舞台は黒と白のモノクロ、

実に簡素だ、舞台道具はイスとソファーのみといって過言でない、衣装は現代と同じ、従って派手さは

なく「椿姫」から想像されるあでやかさはほとんど感じられない、よって歌手の動作演技と歌唱力とに

頼るほかない、しかしながらオーケストラはよかった、ヴィオレッタのアンナ・サムイル、高音から低

音までバランスよいソプラノ、特に弱音が際立っていて弱り陰ってゆくヴィオレッタの心情までも表現

していて素晴らしかった、アルフレードのルキアーノ・マストロは伸びのあるテノール、ジェルモンの

ミゲランジェロ・カヴァルカンティのバリトン、迫力ある語り掛ける魅力があふれていた、第3幕の臨終

の場面、ヴィオレッタが死の淵から最期に再び力みなぎったと感極まる、そして終に息絶える、この臨終

場面は全くその通りに死に逝くものは通過するのだろう、最後にはアルフレードの愛を確認でき父ジェル

モンと和解できて彼女は死ぬ、従ってこのドラマ演出は通常は悲劇といわれるがハッピー・エンド(喜劇)

ではなかろうかと思った


ミュージカル「ラ・マンチャの男」 観賞の印象

2015-10-25 20:31:13 | 演劇・コンサート

もう40年以上前に制作された映画「ラ・マンチャの男」でピーター・オトゥール演ずる

ドン・キホーテ、ソフィア・ローレン演ずるアルドンサを味わった、あのとき聴いた

『見果てぬ夢(The Impossible Dream)』はずっと忘れらえなかった、実にロマン

溢れる豊かなメロディーだと思った、今回は松本幸四郎のドン・キホーテ日本語版を

生でみられる機会を逃すべきではないと感じて帝劇まで観に行ったものです、

宗教裁判で思想犯として牢獄にサンチョ・パンサと共に連れてこられ、そこにいた囚人

たちに自分は何のためにここへ連れ込まれたかを獄中劇として演じてみせる、語り

終った時には囚人たちはドン・キホーテの何かロマンに魅せられ彼を激励して裁判に

向かわせたのであった、

やっぱり『見果てぬ夢』は良かった、かつて聴いたとおりの魅力は失せていなかった、

それどころかますます引き寄せられる、ドン・キホーテの憧れは過去の荒唐無稽の

騎士道であったがその心は未来への憧れでありまぼろしである、ドン・キホーテはある

意味でバカであり、世間から浮いており、でくの棒であり、妄想家であり、幻に生きてい

るものである、そういう人間がいたっていいじゃないか、今の世の中にはせめて心の

中に何ぼかだけでもドン・キホーテが生きている人間がいたっていいじゃないか、

そう感じます、セルバンテスでさえドン・キホーテを気のふれた人間、いまでいう認知症

老人あつかいしたのであるが、現代に至ってこれほど大勢の人から愛されるとは思っ

ていなかったろう


オペラ映画   オーケストラの少女   1937年

2014-07-26 21:26:22 | 演劇・コンサート

オーケストラの少女(1937)
ONE HUNDRED MEN AND A GIRL
評価★★★
失業中のオーケストラ団員を再結成させて、再び栄光の現役復活を遂げさせた少女の物語、サクセス・ストーリーではあるが当時有名な指揮者ストコフスキーに楽団の指揮を頼み込み実現に至らせるまでの根性と夢のような幸運には思わずよかった、よかったと拍手喝采したくなる


なんといっても今となっては伝説的名指揮者のストコフスキーの あるがままの指揮者姿を拝見できることが魅力の一つ、更に少女役のディアナ・ダービンの愛らしさと歌唱力には引き込まれる、モーツアルトの「踊れ喜べ幸いなる魂よ」や「ヴェルディの「乾杯の歌 椿姫」には聴きほれた

メディア 映画
上映時間 84分  
製作国 アメリカ 1937年 初公開年月 1937/12/
ジャンル ドラマ/音楽
監督: ヘンリー・コスター 
製作: ジョー・パスターナク 
脚本: ブルース・マニング 
 チャールズ・ケニヨン 
 ハンス・クレイリー 
撮影: ジョセフ・ヴァレンタイン 
音楽: チャールズ・プレヴィン 
 
出演: ディアナ・ダービン 
 アドルフ・マンジュー 
 レオポルド・ストコフスキー 
 アリス・ブラディ 
 ユージン・パレット 
 ミシャ・オウア 
東京都写真美術館ホール 2014.7.18.

【解説】
 キャプラほどの奥行きはないが、人情喜劇を作らせたら一流のH・コスターが監督し、ダービンをドル箱スターにした、アイドル映画のお手本のような作品。仕事にあぶれた楽団員(A・マンジュー)を父に持つ美声の少女ダービンが、原題にあるように100人にも及ぶ失業楽士を組織し楽団を結成、ストコフスキーを指揮者にカーネギー・ホールでの公演を成功させるまでの奮闘を、挫けそうになっても明るさを失わない少女の前向きさを正面に押し出し、まだ大不況の後遺症から立ち直りきらぬアメリカを励ますように描いている。大衆的なクラシックの名曲がふんだんに使われ、“椿姫”のダービンの可憐なアリアはなかなかのものだ。二匹目のドジョウを狙って、ユニヴァーサルは彼女の主演作を乱発したが、どれも本作ほどの成功は収められなかった。製作は、後にMGMでアーサー・フリード作品とは違った庶民派ミュージカルで一時代を画すJ・パスターナク。
<allcinema>


オペラ映画 ナブッコ

2014-07-16 10:57:02 | 演劇・コンサート

オペラ映画 ナブッコ
評価 ★★★★★

ヴェルディの3作目のオペラ、4幕もので演奏時間は2時間10分である、彼にとって初めての成功作であった

原作は旧約聖書の”バビロン補囚”新バビロニアの王ネブカドネザル(ナブッコ)により、エルサレムからバビロンへユダヤ人が強制移住させられた事件に基づく、

ナブッコは軍を率いてエルサレムに攻め込む、エルサレムの大司祭ザッカリアは人質にしておいたナブッコの次女フェネーナを盾とする、しかしヘブライ王の甥イズマエーレはフェネーナを愛していたのでザッカリアの作戦は失敗に終わりバビロニアが勝利する、

一方、ナブッコの長女アビガエッレは自分の母が奴隷女であったため王位継承権がないことを知り、父ナブッコへの復讐を誓う、

そのときナブッコは戦いの勝利に酔いしれ自らを神と称するが、その不遜ゆえに天罰の稲妻に撃たれ精神錯乱に陥る、アビガイッレはこの機に乗じて王座に座る、彼女は異母妹フェネーナをも憎み妹を処刑する文書に署名せよとナブッコに迫る、ナブッコはわれ知らず押印してしまう

第3幕第2場でヘブライ人たちが祖国への想いを歌う、
これが有名な合唱曲「行け、我が想いよ、黄金の翼に乗って」である、

ヘブライ人たちが処刑される寸前、正気を取り戻したナブッコはバビロニアの神がみを奉った祭壇の偶像を破壊せよと命ずる、偶像は独りでに崩壊し、ナブッコはエホバの神を讃え、ユダヤ人(ヘブライ人)の釈放と祖国への帰還を宣言する、アビガイッレは服毒し、赦しを請いつつ死ぬ。

バビロニアの王が補囚していたブライ人の神に導かれ偶像礼拝から真の神に目覚め自分が救われたのみならず、ヘブライ人たちに自由を与えたという、

現代最高のヴェルディ・バリトン歌手レオ・ヌッチの歌唱力と表現力に魅せられた、彼の顔つきや姿かたちがヴェルディ悲劇の主人公にまさにぴったりなのである、

また同じく アビガイッレ役のディミトラ・テオドッシュのドラマテイック・ソプラノは強声から繊細な弱声まで幅広く演出力が圧倒的であり、ギリシャ出身の伝説的名ソプラノのマリア・カラスの再来かと思わせる

作曲 ジュゼッペ・ヴェルディ
キャスト;レオ・ヌッチ ナブッコ
ディミトラ・テオドッシュ アビガイッレ
ジュルジュ・スリアン ザッカリア
ブルーノ・リベイロ イズマエーレ
アンア・マリア・キウーリ フェネーナ

指揮:ミケーレ・マリオッティ
演奏:パルマ王立歌劇場管弦楽団、合唱団
演出:ダニエレ・アッパード
パルマ王立歌劇場 2009年

2014.7.5.銀座ブロッサムホール


映画オペラ イル・トロヴァトーレ

2013-12-28 21:20:31 | 演劇・コンサート

イル・トロヴァトーレ 
パルマ王立歌劇場ライヴ映画 2010年
ヴェルディ生誕200年記念上映
東京都写真美術館ホール 


マルセロ・アルヴァレス  マンリーコ
テレーザ・ロマーノ  レオノーラ
クラウディオ・スグーラ  ルーナ伯爵
ムジア・ニオラージェ   アズチーナ

パルマ王立歌劇場管弦楽団・合唱団
指揮 ユーリ・テミルカーノフ
演出 ロレンツォ・マリアーニ

ヴェルデイ40才のとき1853年の初演、同じ年に「椿姫」も初演であった、
 
イル・トロヴァトーレとは”吟遊詩人”という意味だそうだ、演奏時間は2時間20分、全4幕のオペラ、
 ルーナ伯爵は先祖代々が山岳部に棲むジプシーの一団と敵対関係にあったと思われる、彼らは戦闘を繰り返し、このおどろおどろしいドラマが誕生したように思う、戦闘の果てジプシーの女が捕縛され火刑に処された・・・・・その次の代になって

 ジプシーの一団が陽気に酒を酌み交わし、鍛冶の仕事に精を出しているときに、ジプシー女アズチェーナは彼女の昔話をする、「母親が火刑に処せられた時、自分は伯爵の子供を誘拐して火にくべた。しかし気付いてみるとそれは自分の実の息子だった」と語る

アズチェーナがわが子として育てたのは敵の子だったというわけだ、その息子であるマンリーコは吟遊詩人となり女官レオノーラと愛し合う中になる、ルーナ伯爵も彼女をわがものにしたいと欲する

 

アズチェーナは捕らわれマンリーコは母を助けに行くが敗れ捕らわれる、レオノーラはマンリーコの命乞いを自分の身を犠牲にして訴え服毒死してしまう

 

裏切られたことを知ったルーナ伯爵はマンリーコを処刑する、アズチェーナは、それはお前の実の弟だと怒鳴り、母の復讐が達成されたと叫ぶ

 

とまあこんなストーリだが歌われるアリアや合唱には素晴らしいものが多い、鍛冶屋の合唱アンヴィル・コーラス、アズチェーナのアリアである「炎は燃えて」、レオノーラのカヴァテーナ「恋は薔薇色の翼に乗って」、マンリーコのアリア「ああ、美しい人」など

さすがはイタリアオペラと思わせるヴェルデイのアリアの素晴らしさ、レオノーラ役のソプラノ、テレーザ・ロマーノの美声に酔いしれた


映画オペラ  アイーダ

2013-12-23 22:23:39 | 演劇・コンサート

アイーダ 
パルマ王立歌劇場ライヴ映画 2012年
ヴェルディ生誕200年記念上映
東京都写真美術館ホール 


スザンナ・ブランキーニ  アイーダ
ワルテル・フラッカーノ  ラダメス
マリアーナ・ヴェンチェヴァ  アムネリス
パルマ王立歌劇場管弦楽団・合唱団
指揮 アントニーオ・フォリアーニ
演出 ジョセフ・フランコーニ・リー

ヴェルデイ60才のときの傑作、古代エジプトとエチオピアの戦いのなかで引き裂かれた男女の悲恋の物語である、全四幕で初演はカイロ、1871年とのことである、第二幕での凱旋行進曲が有名である、2時間40分の趙大作である

エジプトで奴隷となって王女アムネリスに仕えていたエチオピアの王女アイーダ、二人は戦士ラダメスを同時に愛していた、だがラダメスの想いはアイーダにのみ向かっていたが、アムネリスは自分へラダメスの想いを向けようとする、この嫉妬、報われない愛から生じる憎悪がラダメスとアイーダを死へと追いやる

相思相愛の娘に向かって軍事上の秘密を愛する男から聞き出せという父、相手への想いからつい秘密を口を滑らせてしまったラダメス、そして死刑を減ずるかわりに自分を愛せよと迫るアムネリス、断固それを拒絶し死を求めるラダメス、そして同じ墓室でラダメスを待っていたアイーダ・・・

これらが重厚で華麗なる多重唱を奏でて一気に終焉に行きつく、ヴェルデイの真骨頂を味わうことができた、映画であるからオペラグラスも不要である、歌手の体が顔がクローズアップされて観客に迫る、これは映画ならではの利点、醍醐味である


映画オペラ リゴレット 

2013-12-03 21:59:02 | 演劇・コンサート

リゴレット 
パルマ王立歌劇場ライヴ映画 2008年
 ヴェルディ生誕200年記念上映

レオ・ヌッチ  リゴレット
ニーノ・マチャイーゼ  ジルダ
フランチェスコ・デムーロ マントヴァ公爵指揮 マッシモ・ザネッティ
パルマ王立歌劇場管弦楽団・合唱団
映画監督 アンドレア・ベヴィラクァ
演出 ステファノ・ヴィッジオーリ

 ヴェルディのオペラには惹き付けられる、アリアやデユエット、三重唱、四重唱、合唱のメロディがいい、そして悲劇を掘り下げ人間が翻弄される運命をドラマチックに炙りだす

このリゴレットもその例に漏れない、宮廷で公爵に使える道化師リゴレットは毒舌を他の貴族たちにふるう余りに皆から反感を買ってしまう、一人娘のジルダを情婦と間違われ、かつ彼女は公爵から言い寄られ誘拐される、

 だが公爵のプレイボーイぶりは”女心の歌”に顕されるように女をえり好みしない、ジルダもしょせんは公爵にとってはそんな女たちの一人に過ぎなかった、それを知ったジルダは悲しむがどういう訳かマントヴァ公爵を憎む気になれない、それどころか愛し赦してしまう、

 一方娘の貞操を奪われたリゴレットは復讐心に燃え彼を殺し屋に殺してくれと頼む、だが、悲劇が起こった、殺されたのは自ら公爵の身代わりになったジルダの方であった、リゴレットは自分に投げかけられた呪いの餌食になったことを思い出して崩れ落ちる

 

 原作はヴィクトール・ユーゴーであるが、モーツアルトの歌劇「ドン・ジョバンニ」を思い出してしまった、愛娘のドンナ・アンナの貞操を奪われて劇昂した父親である騎士はドン・ジョバンニと決闘し逆に殺される、騎士の亡霊がジョバンニを地獄へと引きずり込んで復讐を果たすのだ、

 だが、このジョバンニは放蕩の男でどんな女にも手を出す、しかも、おかしなことに女たちから慕われさえすれ、嫌われることはない、リゴレットのジルダこそドンナ・アンナであり、ドンナ・エルヴィーラである、ドン・ジョバンニでは父親は殺され亡霊となったが、リゴレットでは父は死なず娘が死ぬ、

 だが、彼女は公爵を愛して犠牲になって死ぬことに価値を見いだした、
 
幸せなのは関係した女たちから愛されるジョバンニでありマントヴァである、

 何か腑に落ちないが日本の光源氏もその類だ、彼らは女性の心を虜にする魔法をもって生まれたに違いなく、大勢の男たちの憧れというべきであろうか
レオ・ヌッチ、ニーノ・マチャイーゼ、フランチェスコ・デムーロ 、いずれも素晴らしかった


「春へのあこがれ」 松野 迅とすてきななかまたち コンサート

2012-03-24 21:55:46 | 演劇・コンサート

かあちゃんに誘われて、「春へのあこがれ」というコンサート(市川市文化会館)

に付き合いました

出演はヴァイオリン奏者の松野 迅さん、同じく渡辺せいらさんそしてピアノ奏者の

島筒秀夫さんと榎田匡志さんです

松野 迅さんはストラデイヴァリウスの名手であるとともに、演奏の間でのユーモア

たっぷりなトークが魅力です

クラッシクのコンサートですから、観客はみな緊張してかしこまって聴いていますが、

彼のユニークなトークで一辺にリラックスさせられてしまいます

松野さんの演奏は体を大きく動かして表情たっぷりです

演目:チャイコフスキー ノクターン、モーツアルト ソナタ変ロ長調K454 他

榎田匡志さんはピアノ独奏と伴奏でしたが、ヴァイオリンとピアノのソナタなどでは

素晴らしい演奏でした

演目:ドビュッシー ソナタト短調

島筒さんは全盲でありながら今までご自分で作曲し演奏もされてきました

きょうもそんな選曲で好かったと思います

演目:島筒秀夫 花見にて 、中田義直 春がきて、桜が咲いて

渡辺さいらさんはこの春に大学を卒業された若い演奏家で、

クラッシックからアルゼンチンタンゴまで美しく演奏して楽しませてくれました

演目:ヴィヴァルデイ 「冬」第2楽章、ピアソラ リベルタンゴ 他

当日は寒く雨も降っていましたが、会場は熱気があふれていました、

演奏会後外へ出ると相変わらず、細かい雨が降り続いていましたが、

演奏で十分に暖まって「春へのあこがれ」を感じつつ

心地よい気分で帰途につきました


オペラ映画 「ばらの騎士」 

2012-01-14 21:38:34 | 演劇・コンサート

久しぶりに趣味のオペラ映画を銀座ブロッサムホールで楽しんできました

今回の演目は「ばらの騎士」(リヒャルトシュトラウス作曲)、

1960年のザルツブルグ音楽祭記録映画で、管弦楽はウイーンフィル、

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、主演がエリーザベト・シュワルツコップ

というものすごく豪華な組合せでした

全3幕もので3時間に及ぶという大作です

”18世紀末のウイーン、陸軍元帥ヴェルデンベルク邸では遠征中の夫をよそに、元帥夫人マリー・テレーズと、一回りも若く恋に盲目な貴公子オクタヴィアンが逢瀬を重ねている。

今もって典雅な貴婦人であるマリー・テレーズはふと手にした手鏡の中の老いゆく自分を見て、静かにこう悟る「いつか必ず彼のもとを去る時がやってくる」と。

甘味な恋の頂点にあるふたりの間に突然去来する悲しみと諦念、そして不安と動揺・・・・”(楽画会パンフレットより引用)

そしてマリー・テレーズは若い恋人たちに道を譲って去るのである、

こう書くと、随分しんみりしたドラマに思えますが、本作品は実は喜劇です

それが、オックス男爵の役回りであり、彼はいわゆるプレイボーイです、

ドン・ファンです

また、男と女を変装して立ち回る貴公子オクタヴィアンの存在です

貴族のオックス男爵は、女召使に変装したオクタヴィアンを追い回し、

その好色ぶりをばらされて、大いに恥をかいて立ち去ります

何となくモーツアルトの「フィガロの結婚」とも似た感じがあります

オックス男爵を演じたオットー・エーデルマンは「ドン・ジョバンニ」の

レポレッロ役も得意であるというとおり、本作品でも実に親しみやすく

愉快な愛すべき人に思えます(別な意味で)

それにしても、若いときのカラヤンのバリバリの指揮ぶりは強い感銘を

受けました

元帥夫人のエリーザベト・シュワルツコップのきりっとした美貌と表情豊

かな演技と歌唱はは言をまちません、

さすがに世紀のプリ・マドンナです

なかなか楽しい観賞でした


オペラ「トゥーランドット」 その印象

2011-07-09 15:12:27 | 演劇・コンサート

  

(今年の梅雨明けだそうです、たちまち暑いです)

オペラ「トゥーランドット」
 カラフ王子役を急遽代役としてルディ・パークが演じたが、これが声量と

いいドラマテイック・テナーで素晴らしかった。リュウ役の新垣有希子が可

憐な役割を好ましく演じた。トゥーランドットの丹藤亜希子は氷のような冷

たくも熱情的、かつ生まれ変わった後の優しさにあふれた女という正逆

の性格を見事に表現しさすがと思わせた。

 このオペラではトゥーランドット姫が愛に目ざめる前後でガラッと雰囲気

が変わるところが印象的である。闇から光へとイメージを変えなくてはな

らない。本公演では、明るい青空に明るくて白い雲の流れを配してそんな

雰囲気を心地よく表現していたように思う。

 それにしても、カラフ王子の出した謎が”自分の名前は何か”であって、

その答えが解ったといい、その名前は”愛”であるという結論はいつ観て

も感動させられる。

 王子の名前を捜すときに流れた”だれも眠ってはならぬ”という有名なメ

ロデイーが、フィナーレのときもまた流れる。このメロデイーにはすでに闇

の中から光に向かう上昇的な性格が含まれているように思う。

 そのために闇も光も同じメロデイーが使われるのに、光が全編に広が

るときには、圧倒的な高揚感と満足感を放射するのである。

 このメロデイーを聞き、こんなにも感じ方が正反対に違うのかと改めて

プッチーニの作曲の素晴らしさに感動を抱く。

配役:
トゥーランドット姫  丹藤亜希子
カラフ(王子)ルディ・パーク
リュウ (ティムールに仕える奴隷) 新垣有希子
皇帝アルトゥム  牧川修一
オペラ全3幕
原作:カルロ・ゴッツィ
台本:ジュゼッペ・アダーミ、レナート・シモーニ
作曲:ジャコモ・プッチーニ 
 スタッフ
指揮:   ジャンルイジ・ジェルメッティ  
演出:   粟國 淳   
装置:   横田あつみ、衣裳:   合田瀧秀、照明:   笠原俊幸   、振付:   松原佐紀子、演出助手:   久恒秀典、大森孝子、合唱指揮:   佐藤 宏   
舞台監督:   大仁田雅彦、公演監督:   大島幾雄  
主催:公益財団法人東京二期会、財団法人読売日本交響楽団
劇場:東京文化会館


オペラコンサート映画「わが心のセビリア」の印象

2010-12-23 17:41:40 | 演劇・コンサート

               

オペラコンサート映画「わが心のセビリア

 名テノール プラシド・ドミンゴの魅力たっぷりのスペイン セビリアを舞

台とする厳選されたオペラアリアを聴かせてくれます。アンダルシア地方

の史跡、ゴヤの版画、闘牛の場面などが次々と登場します。

 ドミンゴは勿論のこと、オペラ「カルメン」でのヴィクトリア・ヴェルガラや

オペラ「山猫」でのヴァージニア・アロンソの美貌と迫真のソプラノは強い

感動を残しました。


監督:ジャン=ピエール・ボネル
指揮:ジェームス・レヴァイン
演奏:ウイーン交響楽団
出演:プラシド・ドミンゴ、ヴィクトリア・ヴェルガラ、ヴァージニア・アロンソ
演目:モーツアルト「ドン・ジョイバンニ」
ロッシーニ「セヴィリアの理髪師」
ビゼー「カルメン」
ヴェルデイ「運命の力」
ベートーヴェン「フィデリオ」
ペネーリヤ「山猫」
制作:1981年 スペイン/ドイツ供作


オペラ映画「道化師」の印象

2010-12-21 12:58:09 | 演劇・コンサート

              

名テノール プラシド・ドミンゴのオペラ映画特集の第2弾は、12月18日上映のレオン・カヴァレロ作「道化師」でした。

 このオペラは、旅回りの一座の座長 カニオが孤児のときから育て、今は自分の妻である女優ネッダへの愛(嫉妬)の余りに、ネッダの愛人のシルヴィオとネッダを芝居の最中に刺し殺してしまうという話です。

 カニオがネッダの愛人の名を知ろうとする感情が、そのとき演じていた芝居の物語と似ており、勢い混同錯乱し、現実と芝居がごちゃごちゃになってしまうのです。

 観客は迫真の演技に感動するも、ネッダが刺されながら、愛人シルヴィオの名を呼び、彼が舞台に駆け上がったところで、シルヴィオも刺され幕となります。最後の壮絶な殺人の瞬間で幕となり、結末の迫真さがオペラの観客を深いため息に引き込みます。

 有名なアリア”衣装をつけろ”が素顔を白く塗って道化師へと変身してゆく中で歌われ、その憂いのこめられたメロデイが印象的でした。

 ネッダ役のテレサ・ストラータスは細身のようでいてソプラノの迫力は抜群で、特に芝居の道化師の衣装を着けて演ずる艶姿も鑑賞に値しました。

作曲:ルッジェーロ・レオン・カヴァレロ

監督:フランコ・ゼッフィレッリ

指揮:ジョルジュ・プレートル

演奏:ミラノ・スカラ座管弦楽団

出演:カニオ プラシド・ドミンゴ、ネッダ テレサ・ストラータス、トニオ ホ

アン・ポンズ、シルヴィオ アルベルト・リナルデイ

製作年:1982年

劇場:東京都写真美術館ホール


オペラ映画「カヴァレリア・ルスティカーナ」の印象

2010-12-06 16:19:22 | 演劇・コンサート

                

去る12月4日の土曜日には、

オペラ映画「カヴァレリア・ルスティカーナ」を観ました。

名テノール プラシド・ドミンゴの特集があるので、恵比寿まで

足を運びました。

物語については、初めての鑑賞でした。途中で演奏される

間奏曲が、余りにも優美で有名なので、興味がありました。

観終わって、なるほどこれは、いわゆる”愛憎がらみの決闘も

の”の部類に入るなと思いました。

「カヴァレリア・ルスティカーナ」とは「田舎の騎士道」という意味

だそうです。何が騎士道なのか、決闘が騎士道なのか、よく分

りません。

男の浮気というか、心変わりが、一途な許婚の女の嫉妬を呼

び、ついには三角関係にあった男同士が決闘をして型をつけ

たという一幕ものでした。

状況的には教会のミサ(復活祭か?)が執り行われて、

民衆が教会から出て家に帰ってゆく中、悲劇が起こってしまい

ます。三角関係と決闘との宗教的な係わり合いは感じられません。

映画の特徴ですが、シチリア地方の風景や家並みが鮮やかに

描かれています。

二大歌手であるプラシド・ドミンゴとエレーナ・オブラスツォワの

迫力は十分に堪能させられました。

作曲:ピエトロ・マスカーニ

監督:フランコ・ゼッフィレッリ

指揮:ジョルジュ・プレートル

演奏:ミラノ・スカラ座管弦楽団

出演:トゥリドウ プラシド・ドミンゴ、サントウツア エレーナ・オブラスツォワ、アルフィオ レナート・ブルゾン

製作年:1982年

劇場:東京都写真美術館ホール


オペラ 「トゥーランドット」の印象

2010-11-08 17:52:54 | 演劇・コンサート

オペラ「トゥーランドット」

ウクライナ国立劇場オペラ 市川市文化会館 10月31日

プッチーニ作曲の有名なオペラである。トリノオリンピックのフィ

ギュア・スケートで金メダルを獲得した荒川静香のテーマ曲が

トゥーランドットの「誰も眠ってはならぬ」であった。

 実は、このオペラの内容も知らずにいたので、是非一度全編

鑑賞したいと思っていた。たまたま市川市文化会館で上演さ

と知って、急遽チケットを求めたところ運良く、手にすること

きた。前もってインターネットで「トゥーランドット」を調べて

た。

 「千夜一夜物語」に起源をおいた作品であり、絶世の美女で

あるトゥーランドット姫が自分に結婚を申し出た青年に三つの

謎を出し、もしも答えられなかったら首を跳ねてしまうという恐

ろしい物語であることを知った。

 それで実際に鑑賞に行ったが三幕ものでさすがウクライナ国

立劇場の上演だと感じた。舞台装置は美しく、特に第三幕で次

第に明るく華麗に変化してゆくさまは暗かったそれまでの物語

が明るく変化して行く様を表していて息を飲むほど見事であっ

た。「トゥーランドット」の音楽はドラ、シンバル、カスタネットが

多用された中国的な調べが基調にありつつ、プッチーニのあ

の独特な酔わせるようなメロディがコーラスとアリアを包み込ん

でいた。

 この作品はプッチーニの遺作であり”リューの死”で絶筆とな

ったそうである。彼の弟子フランコ・アルファーノが残りの部分

を作曲した。それを知らずに鑑賞していたが、そうすると第三幕

はすべてその弟子の作曲ということになる。終曲のコーラス

は、”誰も寝てはならぬ”が編曲されて歌われ、ハッピーエンド

にふさわしい感動的なフィナーレと思った。

 「トゥーランドット」姫を歌うアリアはドラマチックなソプラノで圧

倒的な声量であり、最後まで感動させられた。

 カラフ王子にしても同様である。リューは重要な役割を持つ

のだが、アリアの出演頻度が少ないと思った。

 トゥーランドット姫は長い間、先代の姫の悲劇を背負ったため

に、求婚者に謎をださねばならず、氷の心を持つ姫という宿命

のもとに生きてきた。だからカラフ王子が、姫が出した謎を全問

解答しても、そのままでは姫は相変わらず氷の心を宿したま

まであり、王子との結婚を拒絶するのは当然であった。それゆ

え、王子が自らの命を担保にして、逆に自分の名前を当てよと

の謎を出し、姫をその謎を解かねばならない立場へ追いやっ

た。

 しかし、謎の答えは王子自身の実名というような単純なもの

ではなく、”愛”であると姫が答えたところ、その瞬間、姫は宿

命から解放されたという。姫がそう答えたところにこの物語の

醍醐味があり、実に乙な終幕と感じた。

 この物語は、”謎かけ姫の物語”という分類に属するそうであ

る。思い出すのは、我が国の「竹取り物語」のかぐや姫のこと

である。かぐや姫も、自分に求婚する男たちにこの世にありそ

うにもない宝をとってくることを求めた。「トゥーランドット」では

謎が難題に変わっているが、求婚者に対する態度という点で

物語の構造がよく似ている。

 だが、トゥーランドットでは地上の幸いで終わっているが、か

ぐや姫では姫を宿命から救う男の存在はついになかった。