(童話)万華響の日々

いつもご訪問ありがとうございます、ブログ開始から大分心境も変わってきました

花の万華鏡 鉢植えにして助かったシュウカイドウ

2010-10-29 20:50:03 | 花の万華鏡



今年の酷い暑さで、半日陰が好きな”シュウカイドウ”も

スッカリ消えていました。

ハナミズキは、好きなシュウカイドウがいなくなって

がっかりです。

ところが、「そんなにがっかりするのは、

まだ早い」と、とおちゃん

ふと、見れば鉢の寄せ植えの中に、

あの清楚なシュウカイドウの花が見えたのです。

(それは、一昨年ぐらいに、鉢植えにしたシュウカイドウだね)

と、ハナミズキ

「そうだよ、鉢に避難させておいて良かった」と、とおちゃん

(シュウカイドウも、少し涼しくなったので、

喜んで花を咲かせたんだネエ)と、ハナミズキ

「そうだなあ、それにしても、このところ、

急に冬みたいだし、台風も来るというから、

家の中に避難させよう」と、とおちゃん

それを聞いたハナミズキは、二度喜びました。


花の万華鏡 日が透けて見えるノボタン

2010-10-27 17:36:46 | 花の万華鏡


ハナミズキは、急に訪れた冬の気配に、ビックリしました。

自分の葉っぱが、茶色に変色し、

かさかさと音を立てて散ってゆくのを見ました。

それでも、今日はまぶしいくらいの日差しが、

降り注いでいます。

ふと、見れば、”ノボタン”の紫色の花に、

西日が当たって、紫色の花が透けて見えます。

ハナミズキは、その不思議な光景に思わず見とれました。

(とおちゃん、早くこの不思議なノボタンの花を

写真に撮ったら!!)と、ハナミズキ

「ナルホド、これは、一瞬の貴重な情景だヨ」と、とおちゃん

そこで、日が透けた花と、普通の光が当たっている花を

撮りました。


生と死を想う 「西洋中世奇譚集成 聖パトリックの煉獄」

2010-10-26 17:06:42 | 生と死を想う


西洋中世奇譚集成 聖パトリックの煉獄」マルクス/ヘンリクス 千葉敏之訳 講談社学術文庫 2010.5.12発行

本書はラテン語から翻訳されたものである。
本書で書かれた死後の世界への経験談は西暦1100年代の記録である。

第1部 トゥヌクダルスの幻視
修道士マルクスが修道院長に献呈したヒルベニア(現在のアイルランド)人トゥヌクダルス幻視の記録である。トゥヌクダルスは貴族の位をもつ騎士であったが、神への信仰心はさらさらなかった。あるとき、彼は発作を起こし三日三晩、死者のように横たわってしまった。トゥヌクダルスの魂は彼の肉体から離脱し、震えおののいていた。

トゥヌクダルスの魂は死の世界へとさまよった。神は天使を送りトゥヌクダルスの魂の同伴者とした。トゥヌクダルスは九つの特徴的な拷問場を巡り悪霊たちから多くの罪人の魂と共に懲罰に合せられる。そしてついに地獄へ案内され、人間の敵である悪魔に会わせられる。

無数の人間の魂と悪霊が集められ、地獄へと落とされていた。トゥヌクダルスは天使の助けにより地獄を離れ、闇を越え光の中へ導かれさらに上昇した。そして安心感と歓喜と幸福に満たされ、次から次へと九つの栄光の場を案内された。ついに世界の全貌が見渡せ、大いなる知識が与えられもはやなにも質問する必要もなかった。

トゥヌクダルスはこの場所にとどまりたいと思った、しかし、天使はトゥヌクダルスに元の肉体に戻り、見たもの全てを隣人たちのために役立てるようにと告げ、かつての悪しき行いから遠ざかるようにと諭した。そしてトゥヌクダルスは元の肉体に戻っていた。

 その後、彼は神を信じ、自分の持っていたものを貧者に分け与え、神の御言葉を大いなる敬虔さと謙虚さとで人々に説いて生きたという。

第2部 聖パトリキウスの煉獄譚
 聖パトリキウスの前に主イエスは姿を現されて、ある場所にある坑(あな)を示され、真実の信仰によって武装したものがこの坑に入れば、この坑を通り抜け悪人たちの拷問場や聖者たちの享楽の場をも見るだろうといわれた。聖パトリキウスによりその坑のある場所に教会が建てられ、抗は厳重な管理がされるようになった。
 
 ある年、オウエインという名の騎士が坑に入りたいと申し出た。司教による様々のテストの結果オウエインは入抗を許され煉獄に入った。たとえいかなる時も主イエス・キリストの名を呼ぶようにと、神の御使いが導いた。オウエインはその後、十の責め苦を次々と受けるが、そのたびにキリストの名を呼び難を乗り切ってゆく。第十番目の責め苦として現れたのは、冥府の川であった。その川の上には悪臭が充ち硫黄の火の炎が覆っていた。

 川に渡される橋を渡ると、そこには光輝く楽園があった。騎士は聖者たちと会い、天上の食物が供された。だが、この世に戻るようにといわれる。そしてこの世に戻ったオウエインは高潔で敬虔な生涯を送った。
 
 死後の世界を巡っていたそのとき、絶えず騎士を助けたのはイエス・キリストの名前を呼ぶことだったという。これこそが彼の守護者であり、神からおくられた聖霊であった。

 第1部、第2部共に死後の世界に行き、煉獄と天国を体験し、この世に戻った人の記録である。

 第1部の騎士は、臨死体験の結果、死後の世界をかいま見て、その結果、改心しこの世に戻ってからは、神を崇める敬虔な信仰の生活をおくった。 
 
 第2部の騎士は生きて肉体を伴ったまま、秘密の坑から煉獄と天国とを体験した。この世に戻ってからも以前にも増して敬虔な信仰生活を送った。
 
 興味深いのは、第2部の場合である。騎士オウエンは、臨死体験の場合のような幽体離脱をして死後の世界に行ったのではなく、肉体を伴って行ったのである。肉体を離れて霊魂だけになった場合もあったようではあるが明確ではない。この死後の世界への入り口の坑はかつては秘密のうちに管理されていたが、その後1497年に教皇の命令で破壊され閉鎖され不明になった。
 
 12世紀の前半といえば、十字軍が活躍した時代である。この中世の世界の人々のあいだでは死後の世界との交流が熱心に希求されていたが、それを実現できる人はごくごく限られた人であった。中途半端な気持ちで坑に入った人は二度とこの世に戻らず本当に死んだそうである。
 
 煉獄と栄光の場を無事に巡視してこの世に生還した人は肉体と霊魂に実体的な変化を遂げ、真に神の言葉を伝授しうる資質を備えたのである。
 
 ともあれ、現実の世界に死後の霊世界への入り口が存在していたということは、興味深い。

 第1部、第2部共に死後の世界に行き、煉獄を体験した二人の騎士は、主イエス・キリストから賜った聖霊の支えと導きが人生に欠かせないものであったことを実感し、この世に戻ったときにもその確信は増しこそすれ、衰えることはなかった。

 


コスモスの丘

2010-10-23 17:49:21 | 花の万華鏡






ハナミズキがかあちゃんに聞きました。

(久しぶりに天気が好かったネ、

どこかの公園に秋の花を見に行ってきたの?)

「本に書いてあった立川市にある”国営昭和記念公園”だよ」

と、かあちゃん

「コスモスの花が見事だったなあ」と、とおちゃん 

「コスモスの丘」というところが、凄かったネエ、

株が500万本あるというよ」と、かあちゃん 

「人出も多かったナア」と、とおちゃん

(風に揺れるコスモスの花が、心地好かったんだねえ)と、

ハナミズキは想像しました。



椎茸の森かな

2010-10-22 21:22:01 | 日記

(かあちゃん、何か好い匂いがするよ)と、ハナミズキ

「そうだよ、この前、佐倉に行って、キノコ狩りをしたんだよ」と、

かあちゃん

「キノコといっても、椎茸だ」と、とおちゃん

「椎茸のキノコ狩りも楽になったぞ、最近ではビニールハウス

の中で、ブナ木のチップを固めたブロックに、

菌を植え付けて栽培しているんだ」と、とおちゃん

「キノコの森に入ったような、楽しい気分だったネエ」と、かあちゃん

(椎茸の根っこを、ハサミで切って採取したんだね)と、ハナミズキ

「それで、早速、帰ってから取り立ての椎茸を、

生で刺身で食べたというわけだ」と、とおちゃん

「しょうゆも漬けずに食べたけれど、椎茸の甘い味がして美味

しかったよ」と、かあちゃん

(それで、好い匂いが漂っていたのか)と、ハナミズキ

「ことしは、松茸も豊作だったらしいけれど、

椎茸も負けていないナア」と、とおちゃん



「ダビデ王の夢」シャガール 川村記念美術館

2010-10-21 21:23:28 | 展覧会





先週すこし時間ができたので、ふと思い立って、

とおちゃんたちは佐倉市の”川村記念美術館”に行きました。

実はとおちゃん、上野で開催中であった「シャガール展」を観損

なったのです。

「川村記念美術館のシャガールは凄い

”赤い太陽”と”ダビデ王の夢”という大作があるんだ」と、とおちゃん

「”ダビデ王の夢”は凄く大きな絵で、幻想に満ちた絵だった」と、とおちゃん

とおちゃんによれば、この美術館は、大日本インク株式会社の

企業美術館ですが、広大な林と、池があり、その一角に美術

館があります。

シャガール以外にモネやピカソ、レンブラント、ルノワールの絵

も所蔵されています。

レストランもあり昼食を味わってきたそうです。

池にはコブハクチョウが優雅に遊んでいたということです。

とおちゃんとかあちゃん、好かったネエ!!


ハナミズキの落葉

2010-10-19 17:42:10 | 日記


このところ、少し寒くなってきました。

(いつのまにか、ぼくの葉っぱも茶色になってきたし、

少しずつ落葉もしているなあ)と、

ハナミズキはつぶやきました。

「あの暑い夏の間、茂った葉で、日陰をつくって

とおちゃんたちの家を涼しくしてくれたナア」と、とおちゃん

(ぼくは、葉を落としても、寝たりはしないよ、

まだ仕事があるんだよ)と、ハナミズキ

そうです、来年の春にあわせて、

小さい芽をたくさん準備しなければいけません。


夜は葉を閉じて寝るアンデスの乙女 カッシア

2010-10-18 22:46:55 | 花の万華鏡


ハナミズキは、自分の直ぐそばで、

黄色のにぎやかな花が咲き出したので、

すこぶる、ご機嫌です。

(この花は、”アンデスの乙女”

またの名は”カッシア”というんだね)と、ハナミズキ

「花の時期は十分に長いし、

葉は夜になると、閉じて寝るんだ」と、とおちゃん

(”合歓の木”と同じだネエ)と、ハナミズキ

「夜になると、葉を閉じるなんて、

おもしろい性質だナア」と、とおちゃん

(でも、花は閉じたりしないよ)と、ハナミズキ 


展覧会 上村松園展の印象

2010-10-10 21:42:45 | 展覧会


とおちゃん、急に思いたって、展覧会へ出かけました。

「上村松園を観に、国立近代美術館だ」と、とおちゃん

(テレビの特集番組で、すっかり、

上村松園さんの絵が観たくなったんだね)、とハナミズキ

「いやはや、さすがに、美人画の松園さんの展覧会だ、

見物客の数が凄い」と、とおちゃん

(それで、どんな様子だったんだい)と、ハナミズキ

「作品の数が多かったよ。

印象に残ったのは、”母子”、”序の舞”、”花がたみ”

そして”焔”なんだ。

しかし、”焔”は展示がされていなかった、

残念だったなあ」と、とおちゃん

(とおちゃんは、”焔”が気になっていたみたいだったからネエ)

と、ハナミズキ

「いくつかの、謎を見つけたぞ、

”母子”では、なぜ、赤子が後姿で顔を見せていないのだろうか、

”序の舞”では、婦人の着物の裾柄がまるで極楽にたなびく雲

のように見えた、どういうことだろうか、

”花がたみ”と”焔”は、女の狂ったような情念の怖さが

恐ろしいほどに凄まじく表現されていたなあ」と、とおちゃん

(松園さんの極上の美人画を観て、

とおちゃんは満足したんだねえ)と、

ハナミズキはうらやましく感じました。



生と死を想う 音楽家グスタフ・マーラーの場合

2010-10-08 16:39:29 | 生と死を想う

                             

作曲家の人と作品「マーラー」村井 翔 
   2004年 音楽之友社

音楽家のグスタフ・マーラーは1860年チェコ共和国で次男と

して生まれ、4才の頃からアコーディオンを弾きこなした。

6才で作曲し
た。15才でウイーン音楽院に入学、作曲と演奏を

学ぶ。この年に、弟を心臓病で失う。

18才で卒業した。29才の時、父母を相次いで失う。

35才の時、もう一人の弟が21才で自殺する


37才でウイーン宮廷歌劇場監督となる。

41才の時、《亡き子をしのぶ歌》を作曲する。この年、画
家の

娘で22歳年下のアルマ・シンドラーに求婚し42才で結婚し

た。同年、長女マリア・アンナが誕
生した。

 47才の時、マリアを4才8ヶ月で失った。マーラーも心臓病を

発症した。49才でニューヨーク・フィルハーモニーの主席指揮

者に就く。50才で心内膜炎で死去。

  《亡き子をしのぶ歌》の歌詞はフリードリッヒ・リュッケルトに


よるが、リュッケルトは自分の子供
を失ったときにこの詩を書い

たという。 マーラーの長女マリアは猩紅熱とジフテリアで死ん

だ。マーラーは《亡き子をしのぶ歌》の歌詞に作
曲したが、それ

はこの愛娘が死ぬ3年前のことであった。まさに運命を予感し

たような不思議な出来事
であった。そしてマーラー自身も娘の

死から3年後に死んだのであった。死因は心臓病であったそう

あるが、可愛がった長女マリアの死への悲痛と、早すぎた弔

いの曲への複雑な想いとがその死の原因と
いえないだろう

か。その3年間、妻のアルマは他の男性と不倫のなかにあり、

マーラー自身は心臓病の
悪化に苦しみつつ最後の音楽活動

に励んではいたのであった。


またまた八重の大輪酔芙蓉

2010-10-06 17:54:39 | 花の万華鏡





ハナミズキは、酔芙蓉の花が朝と、

午後の早いうちは、白色で

夕方から淡いピンク色に色づき、

夜になると濃い目のピンク色になるのを

楽しく見ていました。

(こんなに見事な八重で大きな芙蓉の花はないなあ!!)と、

ハナミズキは思いました。

「触れなば、落ちんという風情だなあ」と、とおちゃん

(一日で、こんなに見事な大輪の八重の花が落ちてしまうの

は、もったいないよ)と、

ハナミズキはしみじみと哀しくなりました。


マンジュシャゲの華やかさ

2010-10-05 17:54:12 | 花の万華鏡


ハナミズキは、ヤッパリこの時期の花、

”彼岸花”が見たかったのです。

(とおちゃんが、写真を撮ってきてくれないかなあ)と、

思いました。

「近所の畑に咲いていた”彼岸花”だよ

大群生ではないけれど、雰囲気は出ているなあ」と、

とおちゃん

(この花の別名、”マンジュシャゲ、曼珠沙華”というのも

好いネエ)と、

ハナミズキはつぶやきました。


生と死を想う 画家ゴーガンの場合

2010-10-04 20:41:26 | 生と死を想う
                


最後のゴーガン」丹治恒次郎 2003年 みすず書房
 
 タヒチ島で、ゴーガンは愛娘の突然の死を知る。

  彼がもっとも愛した娘アリーヌは感冒をこじらせ急性肺炎で

19才で世を去った(1897年)。同じ年にあの大作《われわれ

はどこから来たか、われわれは何か、われわれはどこへ行く

か》が現された。

 またアリーヌの死はゴーガンに神への信仰への疑問をひき

起こした。彼はこの大作を「遺書」として残し、1898年には毒

薬自殺未遂も起こした。その後、裁判沙汰に翻弄され、1903

年に病死した。
 
 自殺未遂以後のゴーガンはもはや正常な心理状態ではな

く、かつての画家としての創作の熱情に満ちた彼ではなかっ

た。特に悲嘆の余り、信仰すら失ってしまったことには、教会と

の複雑な関係にあったらしいが、むしろゴーガンに同情を感

じ、気の毒に思う。

三種類の色の花を持つオシロイ花

2010-10-02 17:59:33 | 花の万華鏡







道端に、”オシロイ花”が咲いています。

ハナミズキは、オシロイ花を見て、

(一本の枝に、三つの違った色の花が混じって咲いているよ)

と、不思議に思いました。

「オシロイ花は、椿の花と同じで、

一つの株で花色が変わるんだなあ」と、とおちゃん

そのオシロイ花には、ピンク色と白色とピンクと白が点々と

混ざった花が付いていました。

でも、夕方になると、どの花も花びらを閉じて、

花色がわからなくなってしまいました。

眠るときは、目を閉じて

瞳の色が分らなくなるのと同じです。


映画「借りぐらしのアリエッテイ」の印象

2010-10-01 22:50:28 | 映画の印象

とおちゃんの映画感想です。
                    
借りぐらしのアリエッテイ
評価度 ★★★★

 今人気の宮崎駿企画、米林宏昌監督によるアニメである。

日本とおぼしき国を舞台に、田舎のある大きな古い家の床下

に昔から住んでい
るというこびとと、この家に療養に来た心臓

病の少年とのつかの間のほのかな友情の物語である。人間に

見られたら危険が及ぶため、発見
されないように少女アリエッ

テイとその父ポッド、母ホミリーは三人でひっそりと暮らしてき

た。人間の食料や生活で必要なものをこっそ
りと借用して暮ら

している。アリエッテイは好奇心が強くなって外にでたい。

両親は心配するが、彼女は親を説き伏せて冒険する。猫やカ

ラスからも襲われる。しかしついに療養にやってきた病弱な少

年 翔によって見られてしまう。それから、翔との淡い友情が

描かれ、アリ
エッテイの家族はついに引っ越しせざるを得なくな

る。

 登場人物のパターンはスタジオ・ジブリでおなじみのキャラク

ターである。風景画が柔らかく優しく描かれていて親しみやす

い。
 

 少年 翔がアリエッテイを見たときに、口にすることばは印象

的である。「君たちはいずれは絶滅する種族だ」という。概して

人間の周り
に寄生(借りぐらし)して生きている動植物は多い。

この映画ではこびとがそれを代表しているが、こびとに限らな

い。本作にもでてくる
カマドウマやコオロギなどの昆虫やヤモリ

やトカゲのような小動物、あるいはサギ草のようないくつかの

貴重な山野草のような植物たちも
当てはまる。

本作で、こびとを見る人間に三種類が登場する。少年 翔はこ

びとと友達になりたいと願い、家政婦のハルは泥棒扱いし捕ら

えて見せしめ
に合わそうとし、老婦人はなんとか会ってみたい

とほのかに願うだけである。もっぱら、珍しい動植物は人に見

つかると捕獲されて商売の
道具にされたりするのだ。 

 こびとは人間に隠れてひっそりと暮らすだけで、少年から見

ればどこかの少数民族のようにやがて絶滅する種族である。

本作の中にも登
場した床下にすむ昆虫のカマドウマのようであ

り、人に見つからないように棲む。こびとは人間にとって妖精

のように何かロマンチックな
存在でもなく、利益をもたらすもの

でもない。いわば人間生活に寄生するもののようである。寄生

しながらも人間から離れることができず
、それでいて見られた

ら逃げるしかない。どこか哀れな存在である。ものがたりでは、

翔はアリエッテイがきれいだと感じ、自分も生きる
元気をもらう

のである。おそらく彼の手術は成功したであろう。自分よりも遙

かに弱いものから逆に励まされるというのは奇跡というべき

である。我々も遙かに弱いと思われるような小さいものから生

きる元気や喜びや勇気をもらっている例をたくさんあげることが

できる。蝶
やメダカ、小鳥のような小動物や野の花など、たくさ

ん存在する。それらにも魂が宿っているということだと思う。

 この映画は環境問題を主題とする。絶滅危惧種をどうやって

保護するかという問題が提起されており、翔が示したように彼

らをそっと見
守るような優しさだけがそれを可能とするというこ

とであろう。しかも、自身が病弱で死を意識していて、かつ子供

のようなこころを持つ
人間だけがそれを可能とする、ということ

であろうか。
 
2010年 日本 
監督: 米林宏昌 
企画: 宮崎駿 
原作: メアリー・ノートン  『床下の小人たち』(岩波少年文庫刊)
脚本: 宮崎駿、 丹羽圭子 
音楽: セシル・コルベル 
主題歌: セシル・コルベル  『Arrietty's Song』
声の出演: 志田未来 アリエッティ、 神木隆之介 翔 、 大竹しのぶ ホミリー 、 竹下景子 貞子 、 藤原竜也 スピラー 、 三浦友和 ポ
ッド、 樹木希林 ハル
劇場:TOHOシネマズ
映像:Allcinemaより