(童話)万華響の日々

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草津白根山の突然噴火が原発即時中止を要請している

2018-01-31 16:13:16 | 千年大災害と脱原発・核廃絶推進の闘い

草津白根山の噴火は約3000年ぶりということだ、白根山は活火山ではあるが観測の対象ではなかった、余りにもおとなしい火山であるからで、むしろ隣の火山の方が観測対象であった、全く人間の知恵や思考力をあざ笑うかのごとき今回の突然噴火であった、

地震学者は地震の予知はできないと考えた方が良いと発言した、火山噴火も同類であろう、それくらい捉えるのが困難ということ、3000年という時間は人類にとっては非常に長い、だが火山にとっては昨日のことぐらいのことなのである、従って今のところ天変地異が起きていないのは地球規模の尺度の中で偶々起きていないのであって、人間、特に日本現政権はもっと自然に対して畏敬の念を持たねばならない、この日本には活火山が111ぐらいあるらしい、日本全土が火山でおおわれていると思っていい、活火山とは、過去1万年以内に噴火した火山と今も活発な噴気活動が確認されている火山のこと、世界には約1500の活火山があり、殆どが環太平洋に分布し、日本は活火山数で世界4位という、

突然噴火は日本では世界4位の確率で起きるということだ、

その火山国日本に約50基の原発が海岸地帯に分布し、4基が稼働して、今からまだまだ再稼働させるというのが政府の考え、これは異常と言えないか?どこかの国からミサイルで原発を狙われる危険性が議論されているが、火山は人間の営みなど無関心に突然噴火し原発や市町村を襲う可能性は大きいのだ、

伊方原発運転差し止め、広島高裁仮処分判断(2017 12/13)はそういう意味で非常に卓見な判断である、その理由は伊方原発から130km離れた阿蘇山の火山活動可能性が十分小さいかを判断できる証拠がないというものである、そこで9万年前に起きた火山爆発の火砕流が伊方原発に到達する可能性が小さいとはいえず伊方原発の立地が不適切であったと認定した、原発と火山との立地関係を論じた判断は全く異論がない

白根山の突然噴火はこの原発稼働中止の判断にとって的確な証拠である、日本は即時に原発から完全に分かれるべきである



大雪が降る度に思うこと

2018-01-23 20:08:46 | 雑感・エッセイ

大都会の大雪、4 年ぶりとかいう大豪雪、都市部の交通は麻痺した、朝からテレビはこのニュースで持ち切りだ、そこで思うのだが何故同じことばかり繰り返すのだろうかということ、滑って転んで病院へ担ぎ込まれた人々、動きの取れない車、動きが取れない高速道路、この冬一番の寒気爆弾低気圧は更に明日は東北地方を襲う、雪は一晩で100cmも積もるという恐るべき豪雪、という、

夏は豪雨が1日で400㎜も降る、これらの異常気象に対して国の防災対策はどうなっているのか、「のど元過ぎれば熱さ忘れる」を基本理念とし激甚災害指定して復興予算を落とすしかしないではないか、それも微々たる予算である、

融雪技術や除雪技術は50年前と変わっていない、雪や氷は0度で解けるのであるから火炎放射機関を装備したような融雪自動車や機関車があっても可笑しくない、「ゴジラ」は口から火を吐くではないか、SF映画が現実に実現している現在、ゴジラのような融雪機関ができたって不思議ではない、これを何台も駅や消防署に待機しておけばいい、道を走らせ、レールを走らせれば雪は積もらないだろう、というような空想をしてみた、誰かやってくれないか、AIが開発される現代には防衛費にかける費用を回せばすぐできるだろう


阪神・淡路大震災23年経過に思う

2018-01-18 20:37:37 | 生と死を想う

阪神・淡路大震災から23年過ぎた、約6400人が犠牲となった、夕刊を見ていたら被災した人があの時から時計が止まったままだと、それでも年月は流れ23年もたってしまった、時計が止まったままだという人は多い、災害や事故や自殺などで愛する子や兄弟親が逝ってしまった家族にとってはみなそうである、後に残された者にとって、親族の死から後の人生がどんな意味があるのかと何度も問う、残されたものの心には矢が突き刺さったままなのだ、下手に抜こうとすると傷が大きく空いてしまってどうしようもなくなる、そのままにしてじっと時の流れに身を任せるしかないかもしれない、同じような体験をした人に話すのもよいとわれる

一つの救いへの道は、難しいかもしれないが、聖書のヨブ記を読む道もある、そこには「神が与え,神が取り去りたもうた,神の御名は褒むべきかな」と書かれている、裸で母の胎から出てきたのだから裸で死んで逝っても何の不思議もない、というのである、

この世では伴侶ができ子ができ孫もでき、富や財産も得るであろう、だがすべて神から与えられたものなのだ、ヨブは家族も財産も自分の健康もすべて失った、それでももともと自分はそういう無一文で生まれて来たんだから無一文で死んでも文句はないというのだ、この境地に至ることはかなり難しいが神に祈れば不可能なことではないであろう、そのとき思いもよらない慰めが与えられるであろう


冬鳥の餌やり再開す

2018-01-13 21:34:58 | 日記

昨年の暮れからまた冬鳥がやってきた

春過ぎには山へ帰って行ったヒヨドリやメジロがまた戻ってきてくれた、庭の木の枝に止まって囀っている、年が明けると木の実もほとんど食い尽くされて鳥たちも食餌に困っている、そこでさっそく手の届く枝先に先ずは柿をご馳走した


これにはメジロが喜んだ、そしてヒヨドリがメジロを追っ払って啄み始めた、柿の季節も終わり、いまはリンゴである、常にお気に入りなのはバナナだ、朝起きてみると、木の枝で鳴いて催促している、バナナを枝につけるときは逃げて離れたところでこちらの様子を窺っている、立ち去ったと確認したらすぐに飛んできて啄む、

メジロはつがい(?)でやって来て仲良く啄んでいる、最近はシジュウカラも飛んできた、鳥たちはしかし決して警戒を解かない、慣れないところがまた好いのである、野生のままでいて欲しいのである


年初に当たり

2018-01-08 20:53:15 | 日記

賀正 今年もよろしくお願いいたします

わたしも古稀2年生となった、髪はいよいよ白くなってどう見ても白髪100%である、散歩に出ても歩きは遅く、他人にどんどん抜かれてしまう、眼は霞んでいるし、足も腰も痛い、ただし心臓にペースメーカーを埋めているのでその点は安心している、それにしても健康寿命が縮まってはきた、多分体力的には80歳台に近い気がする、色気もなく、女性を見ても何の感慨もない、これを枯れてきたというに違いない、ヘッセのように年を取るほどに若くなるということを見習いたい、あるがままに暮らしていこうと思う、