絵本「あおい ねこ」
作・絵 谷内こうた
講談社 2001年発行
どこからきたのでしょうか
その あおいねこは?
ある日、少年はあおい ねこと出あいました
あおいねこは少年と自転車であそび、
丘のほうへ行きました
丘のうえで、ねこと少年はそらをみあげました
そらがくもってきました
あおいねこは、そらへ帰ってゆきました
なんとなくかぐや姫を思い出しました
天へ帰ってゆくねこ、
月へ帰ってゆくかぐや姫、どこか似ていませんか
絵本「あおい ねこ」
作・絵 谷内こうた
講談社 2001年発行
どこからきたのでしょうか
その あおいねこは?
ある日、少年はあおい ねこと出あいました
あおいねこは少年と自転車であそび、
丘のほうへ行きました
丘のうえで、ねこと少年はそらをみあげました
そらがくもってきました
あおいねこは、そらへ帰ってゆきました
なんとなくかぐや姫を思い出しました
天へ帰ってゆくねこ、
月へ帰ってゆくかぐや姫、どこか似ていませんか
猫山(ねこやま) 斉藤隆介 作/滝平二郎 絵
岩崎書店 1983年発行
滝平二郎さんの切り絵が抜群の絵本です
深い山に入り込み谷川で釣りをしていた三平少年
夢中になって日が暮れて山道で迷ってしまいます
日もとっぷりと暮れ、見つけた一軒のあばら家
そこには男の子や女の子が十何人もいて、
しらがのばあさんがいたのです
三平が飼っていた白猫のニャンコもいました
ばあさんというのは猫ばばで、
子供たちはさらわれた子猫だったのです
さあ、三平はニャンコを連れて
逃げ出すことができたでしょうか
むかしばなし「山姥」の猫版ですね
きょうは2.22.にゃんにゃんの日だそうです
猫は平和でいやしのシンボル
大事にしたいとおもいます
多分、日常生活で必要なものは一切捨ててただぼんやりと日がな”たそがれて”過ごす、それは、もしかしたら修道院の生活か出家した寺での生活に似ている、恐らく天国か極楽に擬せられた生き方に違いなく、一種のあの世での生活が暗示されているものと感じられ、それはスローライフなどを遙かに越えた世界と思えるのだ。
全文を別ブログに掲載しています、下記をご覧下さい
⇒「映画の真相とその隠された深層」
ここには老親を子供たちがどうやって支えてゆくのかという現代的な問題が提起されているし、父が不仲であった次男とどうやって和解したかという道が示されている。そのどちらも重く、見る者の胸に迫ってくる。現代に生きる誰もが直面する問題であり、誰もが困っていて思案に暮れている。
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⇒「映画の真相とその隠された深層」
「猫にとんでもないいたずらをして
悪用する人間がいるらしいね」
ハナミズキが怒ったふうにいいました
「そりゃあそうさ、猫は人間にとっていい友達だし、
神聖な生き物だっていうからなあ」
とおちゃんも怒こっていいました
「そろそろバレンタインデイがくるよね
猫ちゃんたちも嬉しいだろうね」
ハナミズキがそんなことをいいました
「どうかなあ、
最近は寒くてあまり外では猫たちを見かけないんだ」
「きっと暖かい陽だまりで、猫たちも贈りものをあげたり
もらったりしているんだよ」
ハナミズキはうらやましいのでしょうかね
百両の木に赤い実がなっていました
「百両の赤い実が、今はもうすっかりなくなってしまったね」
ハナミズキが不思議そうです
「そうなんだよ、赤い実を袋をかけて守っておいたのさ」
とおちゃんがそう話すと、
ハナミズキはなぜなんだという顔をしました
「小鳥たちが来て、たちまちに食べつくしてしまうからだよ」と、
とおちゃんが答えました
「そういえば、1月の大雪が降った日までは
まだ実があったねえ」とハナミズキ
「そのあと、鳥たちが見つけてあっという間に
食べつくされたのさ」
とおちゃんはため息まじりです
「きっと小鳥たちがどこかで
百両の種を落としてくれていると思うよ」
かあちゃんがそういいました
「そうやって、どこかで新しい百両の木が
生えてくれば嬉しいってことだね」
ハナミズキも納得したようでした
「百両の木は珍しいから
自然に生えれば好いことだなあ」
とおちゃんもうなづきました
本作品では老人たちの余生の生き方に一見焦点が当てられたように作られているように見えるが実はそうではないように思える。本当は若い実業者ソニーの変容にこそ光が当てられるべきである。
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