久しぶりに、今までよく立ち寄っていた保育園を訪ねてみました。
今日は、”ハローウィン”のお祭りということで、ハローウィンの飾りがしてありました。
ハローウィンのお祭りも、わが国でも定着しつつあるなあという感じです。
帰り道で、黒色のとんがり帽子をかぶり、かぼちゃの絵が描かれたマントを着た
子供たちが引率の大人たちと歩いているのに出くわしました。
ユーモラスなかぼちゃのお化け、魔女、黒猫など、どこか子供たちの
好奇心をつかむ要素があるのでしょう。
久しぶりに、今までよく立ち寄っていた保育園を訪ねてみました。
今日は、”ハローウィン”のお祭りということで、ハローウィンの飾りがしてありました。
ハローウィンのお祭りも、わが国でも定着しつつあるなあという感じです。
帰り道で、黒色のとんがり帽子をかぶり、かぼちゃの絵が描かれたマントを着た
子供たちが引率の大人たちと歩いているのに出くわしました。
ユーモラスなかぼちゃのお化け、魔女、黒猫など、どこか子供たちの
好奇心をつかむ要素があるのでしょう。
入院中はテレビを見る時間がついつい多くなります。
入院していた9月には大相撲の秋場所、プロ野球や大リーグ野球などがあり、テレビ観戦しました。
病院のテレビを見るには、ICカードなるものをチャージ機兼清算機で決められた時間分を購入します。
以前十年ほど前に別の病気で入院した際には、プリペイドカードで購入していたことを思い出しました。
どちらも退院するときには清算できて残金を回収できます。
今までは、大リーグ・ベースボールは余り見なかったのですが、
今回の入院中には何となく見ていたら、興味が湧いてきて、しょっちゅう見ていました。
その結果、退院後も、大リーグ・ベースボールの試合を楽しみ、
今回の7回に及ぶカージナルスとレインジャーズの試合を全て見ました。
両リーグの選手の名前も記憶に残ったわけです。
特に、第6戦目のカージナルスの大逆転勝利は見ものでした。
日本のプロ野球には興味を持って以前から観戦していましたが、
日本人の大リーガーが不在なワールド・シリーズでも迫力ある試合の魅力に引き付けられました。
それというのも、入院中に大リーグ・ベースボールの試合に親しんだお蔭でした。
このところ、秋の空がきれいです、好い雲ですねえ。
入院中は採血で血液検査とか、薬の点滴とかで、とにかく腕に注射針を刺される頻度が
実に高いです。
点滴の場合は、雑菌の感染を防ぐために、二日おきに新しく針の交換がされました。
もちろん、針を換えるごとに刺す箇所も変わるのです。
採血も、必要上毎日であったり、三日に一回であったり、しょっちゅうでした。
したがって、腕は針痕だらけで、当然ながら続けて同じ個所は痛くて少し反らして外してもらいます。
これは結構辛かったです。だんだん刺す箇所がなくなってゆきます。
わたしは原則的に右腕は採血用、左腕は点滴用として区別してやってもらいました。
左腕は、血管の太さが若干細くて、看護師さんたちを針を刺すのに苦労させてしまいました。
もう二本ぐらい腕があったらよかったのにと思いました。
退院してようやく注射から解放され、腕もやっと痛みから逃れることができました。
しかし、外来受信へ行くと再び採血されるので、あの痛かった時を思い出します。
今年は9月の大型台風で、カッシアの木が大きく傾き
支柱をやりかえてやっと立ち直らせたのです。
それで、枝振りはすこぶる格好が悪くなってしまいましたが、
秋も深まるにつれ、花は鮮やかに目にしみいるような黄色に
輝いて咲いてくれまています。
この花は、カッシアというそうですが、
別名は”アンデスのおとめ”というそうです。
南米のアンデス地方に行けば、
こんなにも鮮やかな美人のおとめたちに会えるのでしょうか。
とおちゃんは、この花を見るだけで十分に満足です。
今回の私の入院で一番困ったのが、同居中の両親のことでした。
じいちゃんは94歳でばあちゃんは90歳です。
今までならばショートステイを月に一回は利用して預かってもらいました。
わたしらの休憩という意味もありますが、いざという時にすぐ利用できるように
日ごろから利用しておかねばと、数年前から始めたのです。
しかし、大概は二泊三日か、三泊四日という文字通りのショートステイでした。
今回は、わたしの入院が最短でも3週間と考えられ、ケアマネジャーおよび
施設と相談してまずは3週間の滞在をお願いできました。
これも、日ごろのケアマネジャーや施設との細やかな付き合いの賜物と感謝しました。
ショートステイ施設は、多くの方が利用していますから、その利用計画の調整には
ご苦労があったことと思います。
その結果、今回は二回に分けて、前半は3週間で、後半は2週間の利用ができました。
その間に、2週間ほど妹のおばちゃんに手伝ってもらいました。
急場を何とかしのげて実にありがたいことで、感謝なことです。
じいちゃんやばあちゃんにも、長い施設暮らしを耐えてもらいご苦労さまでした。
とにかく、一家の主人公が入院してしまうと、まったく暮らしが変わってしまいます。
これも、リスク管理というのでしょうか、もしかのときにはどうするのか、
つねずね考えて計画しておかねばならないことなんですが、
その時にならないと考えないのが情けないと思ったのです。
いざという時のバックアップ体制をこれからも考えておかねばならないと思いました。
4.退院後の経過
退院後はリハビリに注力することが大切ということで、毎日30分から1時間の散歩と、
シャワーで石鹸を用いて手術後の創部をきれいに洗うことが課せられた。
初めの数日は散歩が辛く、直ぐに息が切れた。現在退院後3週間を過ぎるが、次第に歩き方もスム
ーズとなり呼吸も楽になってきた。
退院後の病院外来は12日目であった。この日から、入浴が許可された。今はまだペースメーカーで
コントロールされた心臓の音が耳につくことが多い。次第次第に、自分の心臓と同化してゆくと思う。
胸の痛みも勿論弱くなってきてはいるが胸骨の切った部分が完全に合体するには半年はかかるそ
うである。
また、入院中に食事療法も受け、一日の摂取カロリーが1400カロリー、塩分が6gに制限された。
お蔭さんで体重は入院前に比べて約5㎏減った。退院後もこの原則を守るべく、糖尿病の食事の本
を参考にして毎食のカロリー計算をするようにしている。
まだ養生中であり、今後も注意が必要である。また、ペースメーカーを入れた体での生活が始まった
ばかりである。これからも、気づいた点につき記録してゆきたい。
3.術後の経過、退院まで
手術後麻酔から覚めてICUにいたのは約6時間程度であった、これはかなり短いほうで比較的回復 が結構順調であったそうである。その後、一時個室に移されたが、数日後に手術前に入っていた大部 屋へ移された。毎日、朝昼晩の、体温、血圧、酸素濃度が測られたし、朝は必ず体重を測定した。 退院できる日まで胸にはモニター用の心電図計がずーっと装着された。 のために、利尿剤を用いて減量し、手術から10日目にようやく元の体重に戻った。 同時にリハビリの歩行を課せられた。寝てばかりいて弱った足腰を強化するのは勿論、歩行により 呼吸力を強め、心肺を強め感染症に罹るのを予防することが狙いである。 手術から7日目には腹部超音波、胸部CT、ホルター心電図などの検査をした。大部屋に移動してか らも絶えず肩から背中にかけて痛く、このために眠れない日もあった。湿布を貼ってもらって過ごした。 ていた排体液を除去するためのチューブも術後13日で取り外された。翌日からシャワーが許可され た。 外部ペースメーカーやモニター用心電図の結果から、わたしの心臓はペースメーカー植え込みが必 要と診断された。ときどき心拍数が1分間に30を切りめまいや失神の危険性があるからという。 それで心臓手術から約20日後にペースメーカー植え込み手術が行われた。左鎖骨付近に部分麻 酔が打たれて覚醒下で植え込み手術が行われ約2時間で完了した。術後は左の首筋から肩にかけて 凝りがあり閉口した。それから7日後に植え込んだペースメーカーのチェックが行われ、正常であると 確認された。同時に心臓手術のその後の経過も良好と確認され、ついに術後26日目の10月1日に 退院となった。入院から33日目のことであった。 思えば大手術から2,3日で歩行が許可されたことも驚きであったし、、ペースメーカー植え込み手術 を経て退院に至ったが、実にあっという間のことであった気がする。(続く)
手術時に使用した点滴薬が多いので点滴太りとなり手術前に65kgであったのが70kgになった。そ
心臓の脈拍数の少ないのを補うための外部ペースメーカーが外された。それに伴い腹部に挿入され
2.手術
いよいよ、8月末に入院し本手術のために待機した。呼吸の練習や肺を浄化する吸入を施された。
9月5日の午前9時に点滴を受けならが手術室に向かった。手術台で全身麻酔が実施され、たちま
ち意識がなくなって何も分らなくなった。人口心肺装置につながれ、心臓は停止され、目的の部位が切
開され手術されたのである。
手術が終わったのは麻酔開始から9時間後の午後6時過ぎであったそうだ。
名前を呼ばれて意識が戻ったのは翌日の朝であった。従って、約21時間は、麻酔で寝ていたわけで
ある。口には人工呼吸器が挿入され声が出ない。側にいた看護師さんが今は朝の6時だと教えてくれ
た。周囲を見渡し、自分が集中治療室(ICU)にいることが分った。数時間後、呼吸器を外され声を出
すように促された。しばらく経って声が出るようになったが、まるでヘリウムでも嗅いだときの様な変わ
り声であった。
胸にはガーゼが当てられ、腹部からは創部から出た廃血液などの排出用チューブが4本出ていた
し、心臓に直接接触させた細い線が2本出ていた。もちろん尿管も取付けられていた。更に首の2箇所
から管が出ていた。首からの管は麻酔から覚めて直ぐに取り外された。
手術の結果は、胸部上向大動脈瘤は患部が切断され人工の血管に置き換えられた。二つの心臓弁
は、人口弁や動物弁を用いずにすみ、幸運にも自分の弁をそのまま使って弁が閉鎖しやすいように形
成された。ただし、そのために人工のリングが装着された。
なお、全身麻酔から覚めた時の神秘的体験については「入院中のトピックスー4(10月18日)」に記載
しました。(続く)
この記録は私が今年65歳で病症が見つかり、その治療をした概要を書いたものです。
病症は胸部大動脈瘤、2つの心臓弁閉鎖不全症、心房細動と期外収縮の不整脈などの、主として4つ
の心臓不全症であり、代表的に題名を”大動脈瘤の治療”としました。
この手術とその後の回復経過を記録し、同じような病で悩み手術に躊躇するなどして悩んでいる
方々に知っていただき、少しでも参考にしていただければ幸いと思って敢えて公表するものです。
胸部大動脈瘤は破裂して救急車で運ばれ緊急手術を受けた場合の生存率は30%以下といわれ
る。近年の高度な手術技術を有する病院においては、事前に準備して手術を受ける場合の生存率は
かなり高く98%以上といわれる。それでも、2%の危険性があり、肺炎などの感染症、脳梗塞、腎不
全、出血多量など重篤な余病が発生するリスクがかなりあるといわれる。
そんな危険な胸部大動脈瘤の除去(人工血管への置換)だけならまだしも、わたしの場合は僧房弁
と三尖弁の不全症治療のため弁形成術と不整脈治療術の4つの手術を同時に行うというゾットするよ
うな難大手術であった。幸いにも、優秀な病院、優秀な医師団に恵まれ、九死に一生を得たと言う感
じ、一回死んで新しい命を頂いたという感じが大である。
1 .手術前
歯の治療は非常に大切である。虫歯や歯周病があると雑菌がはびこり、手術中や手術後の感染症
を起こして重大な危険に陥る可能性が大きいからだという。私は以前からグラグラしている奥歯が1本
あった。ところが、心房細動という不整脈があるためにワーファリンという血液凝固防止剤を服用して
いるし、いつでもちょっとした切っ掛けで心房細動を起こしやすいので安直に抜歯ができなかった。
抜歯中に余病を起こしたら大変だというわけである。そこで今までは近所の歯医者さんで口内消毒や
歯石を取ってもらい何とか自然に歯が抜けるまでほっておいたのである。しかし、今回大変な心臓手
術を受けなければならなくなったので、急遽紹介状を携えてT総合病院の口腔外科を受診し、なんと1
泊2日の入院をして抗生物質の点滴を受けつつ抜歯手術を受けた。抜歯後じわじわ出血があり止血
処理をしてもらった。抜歯手術は7月中旬に終わり無事に退院し、本命の心臓手術を受けるためにS
病院で手術予約を受けた。
8月には各種の手術前検査を受けた。心電図は勿論、24時間のホルター心電図、胸部レントゲン、
頭部及び全身のCT検査、心臓を含めた腹部の超音波検査、心臓の冠動脈の造影CT検査、動脈硬
化有無の検査などなど3週間に亘った。この間、貧血気味であったので鉄剤を服用した後、自己血の
貯血を800cc、2回に分けて行った。このうち心臓の冠動脈の造影CT検査のため2泊3日の入院を要
した。
検査の結果、大動脈瘤は胸部上向大動脈瘤で太さが50mm長さは100mmであった。僧房弁の逆
流度は約50%、三尖弁では約30%位であった。なお、脳や冠動脈の梗塞などは見つからなかった。(続く)
(とおちゃんが入院中に、季節はすっかり移ってしまったよ、
8月頃に盛んに咲いていた百日紅の花は終わって、
酔芙蓉の花が咲きだしたんだよ)と、ハナミズキがいいました
「とおちゃんも、酔芙蓉の花がどうなったかなあと、
入院中にかあちゃんに聞いた
そしたら、台風で木が傾いたけれど、花は毎日咲きだしたと、
教えてくれたな」と、とおちゃん
退院してきたとおちゃんは、さっそく、酔芙蓉の花を見て喜びました
(とおちゃんはこの花がよっぽど好きなんだねえ)と、ハナミズキ
「午前中は純白で、午後は薄桃色に変わる、
何ともいえず優雅な花だなあ
前日には、”月下美人”のことを書いたが、この”酔芙蓉”も一日で散ってしまうんだ
夜になっても、薄桃色の花がおぼろに咲いているのが艶めかしいぞ」と、とおちゃん
”酔芙蓉のように”という詩があってもいいなあと、ハナミズキは思いました
今回の心臓の手術は約9時間かかりました。
手術のときの全身麻酔は翌日の朝に覚めるようにかけますと麻酔の先生から言われていました。
とにかく手術中のことは何もわかりません。
お医者さんから名前を呼ばれた時、目を開けて自分の手術が終わっていたことを初めてr知りました。
今回の長い麻酔から目覚めたときに、神秘的で不思議な経験をしました。
名前を呼ばれるまで、なにか実に明るい光に包まれ、
温かい世界の中でリラックスした気分の自分がいると感じたのです。
これは、不思議な満足感に満ちたものでした。
いわゆる臨死体験といわれているものとは違っていたように思います。
目が覚めたとき、蛍光灯が煌々と照らしている集中治療室にいるのだと覚りました。
今までも全身麻酔をかけた手術の経験はあります。
それでも、手術時間がもっと短いもので、今回のような経験はなかったように思います。
とにかく、痛い、辛いだけの手術後の入院生活で、
こんな明るい暖かな気分の経験を味わえたことは、神様からの感謝すべき贈りものと思った次第です。
入院中には大型台風の関東地方直撃がありました。
そのときは、心臓手術を終えて2週間ほどたっていました。
それは、9月21日の午後から東京を狙い撃ちした台風15号でした。
病院の窓ガラスが強風で唸りをあげました。
病院の建物は問題はなかったのですが、留守にしていた家が心配でした。
翌日、家にいるかあちゃんに電話したところ庭木の枝が折れたり、木が傾いたりしたようですが、
家は何とか持ち堪えたと聞いてほっとしたものです。
テレビでは各地で風水害によって大変なことになっていたことを報じていました。
改めて被害のすごさを知って恐ろしい台風であったと唖然としました。
入院生活の一日は単調なものです。朝は6時に起床、検温から始まり、
朝食は7時、そして医師の回診を受け、正午の昼食となり、午後を過ごし
夕食は6時に摂り、9時には消灯です。この間、体温、血圧測定や採血、
その時々の薬剤点滴や注射や心電図などの各種検査を受けます。
この繰り返しの毎日です。
夜中でも、医師や看護師さんの点検や緊急の診断があり、それでなくとも、
手術後の体の痛みで、安眠するのは程遠いものがあります。
ある日の夜、消灯後すぐに眠りにつけたのですが
夜中の2時ぐらいに目が覚め、それ以後眠れなくなりました。
仕方なくラジオをつけイヤホーンでNHKの”ラジオ深夜便”を何気なく聞いていました。
すると、歌謡曲の番組となり、かけられた曲が
歌手 大月みやこの”月下美人のように”という曲でした。
大月みやこは大人の唄をじっくり聴かせる歌唱力のある歌手だと知っていました。
このとき聴いた”月下美人のように”は初めて聞いた歌でした。
なにか日陰の恋に切なく生きる女性の姿が、あの一晩で散ってゆく
はかないけれど実に艶めかしく、真っ白い大ぶりの美しい花の姿に重なって
しみじみと伝わってきました。
不思議な夜の夢のような幻覚だったのかとも思え、
この唄が子守唄になって再び眠りにつけたことでした。
月下美人の花は今頃が開花期です、改めてじっくりと観賞したいと思いました。
入院してすぐに入室したのは8人が入れる大部屋でした。
わたしは当然初めから大部屋使用を希望していましたから。
特に問題がない限り、入院するなら大部屋だというのがわたしの持論です。
その理由は、同病相哀れみ、患者同士で情報交換ができ、友人になれる可能性もあるからです。
大部屋といっても、当然各ベッドの周りはカーテンで仕切られています。
カーテンを閉めておけばブライバシーは守られます。
昨年も入院しましたが、カーテンが閉められ、だれも言葉を交わそうとしません。
今回は、長期入院になるのでなるべく必要のない限り、カーテンを半開きにして過ごしました。
幸いにして、同じような開放的な方が数人おられ、語り合うことができました。
手術前にはすでに手術が終わった方からその様子を聞き、
手術後にはお互いの体調を話し合いました。
これから手術をする方には、少しでも安心できるようになればと自分の経験を話しました。
お互いの趣味や仕事に話が及ぶこともあります。
大部屋は多少の喧しさというデメリットもありますが、得られるメリットも大きいものがあります。
患者休憩室にも積極的に赴き、他の部屋の方と語り合うことも入院中は有意義なものでした。
しばらくご無沙汰いたしました。
10月1日に退院しました。
あの大手術から生還できたのは、まったく夢のようです。
大動脈瘤がいつ破裂して救急車で運ばれるかという危機的状態は、回避されました。
しかし、同時に発見された心臓弁膜症の手術も受け、
、脈が弱いのを助けるためにペースメーカーの稙え込み手術も受けました。
今回の手術で、体力は随分と落ちました。
今は散歩でリハビリに励み、感染症に注意しながら、電磁波にもびくつきながら
日々をおくっています。
ブログ休止中は多くの方々にご心配をおかけしましたし、また篤い激励のお言葉をいただきました。
ありがとうございました。
今は新しく生まれ変わった気分です。
身体障害者とはなりましたが、今までとは違う新しい生き方に挑戦したいと思っています。
昨日は聖路加国際病院の理事長である日野原重明先生の100歳記念特集番組をテレビでみました。
先生の信念は自分の命を他人のために役立てること、
そしていつでも、躊躇せず何かを新しく創めることだそうです。
この人生の大先輩にわずかでも見習いたいものと思いました。