きょうの某テレビ放送をみていたら、介護退職者10万人を超えた
という特集でした、40代で親の介護で職を辞めた人、60代で配偶者
の介護で退職した人、あるいは、その両方で退職のやむなきに至った
人、・・・・
そして、再就職しようとすると難しい関門が待っているとのこと、
まったくみていて同情などという生易しい気分ではいられません
収入はなくなってしまい貯えを食いつぶしてゆかざるを得ず、先に待っ
ているものは不安と暗闇です
わたしの場合は、両親の衰えや認知症の発症で介護に本腰入れ始め
たのは会社を定年退職したあとであったのでまだましです、
しかし、その後の再就職は望むべくもありません
本当に余裕などなく今日ををなんとか過ごして行ければと
いう心細い日々です
多くない年金収入と心細い預貯金の切り崩しでやってゆくしかありませ
ん、だれもが長生きを望みながらも、施設に入ったり、病院入院せずに
最期を迎えたいと誰もが思っているわけです
こないだも、テレビ放送でご長寿の老人たちがお元気でダンス、
100メートルとかマラソンとかの陸上競技、水泳などなど、とにかく達
者で元気、パワフルです、これらの人たちはみないつまでも生きていた
いというのではなく、こういうスポーツなどに没頭してその最中にあっ
けなく心臓麻痺など起こして死ねたらいいという姿勢ではなかろうかと
(失礼、勝手な推論です、もしもそうでなかったらお詫びします)、すな
わち「ピンピンコロリン」を達成したいという生活努力であるとみました
ただ、こういう生き方が必ずしもいいかどうかは別物だと思います
人生は神聖であり、生は勿論,死も自分では決められないもので成り
立っているように思います、
だから、与えられた人生を、暮らしを精一杯努力して苦労して悩み、
生きるということしかないのではないかというのが自分としての結論です