(童話)万華響の日々

いつもご訪問ありがとうございます、ブログ開始から大分心境も変わってきました

バスケット世界大会を見た

2023-09-01 20:42:39 | 雑感・エッセイ

しばらくブログ更新をさぼっていた。テンプレートが真っ白になってしまって驚いた。頭もどうやらぼけてしまっていたようだ。

昨日はバスケットの世界大会を堪能した。日本人も体格的に世界に負けなくなった。背の高い選手はゴール下まで走って得点するが、若干でも背が低い選手はスリーポイントシュートを狙う傾向がある。昨日はヴエネズエラに逆転勝ちした。終了前の10分間でだった。比江島選手のスリーポイントが面白いように決まっていたのが大きい。ヴエネズエラも最後にはシュートが悉く決まらず動転していたようだ。

 


チャットGPTについて

2023-04-27 21:26:08 | 雑感・エッセイ

チャットGPTなるものが世間を掻き乱しているようだ。ここでも長所と短所が議論されていて、EUの国などでは早速使用禁止とされたようだ。どうもその短所は個人情報を犯したり、著作権を侵害したりする点らしい。一方で余りに物まねが良くできていて写真のような絵を描く。記述も良くできていて頭の良い学生の論文のようだ、とも。こうなると人間がやることがいよいよなくなる。国会等も質問の回答を造らせるという。こうなると議員は頭を使わなくなる。人間の堕落が一層ひどくなるだろう。

さて従来はデーターベース(DB)というものがあって、これを多角的に解析しある問題解決の手段としていた、今でもそうだ。コンピューターの能力が上がり解析スピードも速くなった。DBに情報を入力するのも大変な労力を要した。それが今ではロボットが自動で読み込み、コンピューターが素早く並び替えや抽出を行い問題の解答・結論を出してしまう。このもんだいをだし、と回答を対話形式にしたのがチャットGPTである。しかも音声でしゃべらせる。そのおしゃべりも人がしゃべるのと変わらない。DBを触っていた時代が懐かしい。表計算のソフトと呼ばれていたものがDBの基本だった。チャットGPTもそれを発達させたそれだけのことに過ぎない。まあ、とんでもない頭でっかちの物知り博士と対話する、そんな感覚だろう。

発明は新しい発想であるが、詰まるところ既知の情報を組み合わせ、組み替えて新規な概念を造ることだ。チャットGPTがそれに優れているか否かは今は分からない。チャットGPTの原点はDBの作成と解析なのだ。


ラジオで聞く声のいい女性

2023-04-01 19:22:51 | 雑感・エッセイ

退職後はラジオを聴くのが癖になっている。大分以前から気が付いていたが最近になってはっきりと思うようになったこと。ラジオの女性アナの声を聞くにつけて、好い声だなあと、ほれぼれするアナが何人かいる。気象予報士、道路交通情報のアナ、ニュースを伝えるアナ。どうも自分にはあるタイプの声の質が心地よく聞こえる。ラジオならではのことで、テレビでは外観や容貌が印象に残る。チャップリンの「街の灯」では目が悪い花売り少女にチャップリン扮する中年男が恋をする。いつも少女に会うと花を買い、顔を見てそれが嬉しい。少女は男を好いている。少女は目の手術をすることになった。少女は目が見えるようになった。そして男は見えるようになった少女と会う。男は何となくおずおずと恥ずかし気に、会うことを躊躇したように。だが、少女に見つかり会う。初めは少女はこの男が誰だか分からない。だが話をしだして、その声で彼女はそれがあの優しかった親切な男だと分かる。見かけはしょぼい中年男、だがその声は少女の耳にに優しく響いた。

声はいかに重要か、分かる。

 

 


ダビデの罪について

2023-01-06 20:08:32 | 雑感・エッセイ

ダビデはなぜ神に赦されたのか。十戒という神が与えられた神との契約がある。モーゼがエジプトからユダヤ民族を率いてカナンの地に向かっていた時のことだ。シナイ山に留まりモーゼはこの山で神から十戒を授かった。その中には姦淫するな、隣人の妻を奪うな、という戒律がある。ダビデはこの十戒をよく知っていた。既にミカルを娶っていたがバテシュバを見て肉欲にとらわれてしまった。彼女を奪い夫のウリアを戦死させた。 すなわち神の前に罪を犯した。神はこれを赦さず彼の最初の子を死なせた。だが次の子はソロモンでありダビデに次ぐ英知溢れる王となっている。神はソロモンを愛したのである。ダビデも赦された。十戒はユダヤにとって絶対的な掟である。姦淫した女は石を投げられて死刑になった。江戸時代においても姦淫(密通)は罪が重く死罪に処せらえたという。
 何故ダビデは赦免されたのか。これは不思議というほかない。聖書における罪の赦しという問題を深く突き詰めないと分からない。罪人の自分が徹底的な悔い改めと反省をしなければならない。それでも十分にはほど遠い。赦すことができるのは神であって人ではない。神のご判断は不可解なのであり、人の知恵の及ぶ範囲にはない。

 

 

 


シャーロック・ホームズ「背の曲がった男」から読み取れるクリスマスの意味

2022-12-24 21:41:42 | 雑感・エッセイ

シャーロックホームズの回想  アーサー・コナン・ドイル作

「背中の曲がった男」

この物語は旧約聖書サムエル記に書かれているウリアの妻バテシバを奪い自分の妻とし、ウリアを戦場に送って戦死するようにして殺した話が基になっている。

イギリス軍のロイヤルマローズ陸軍連隊に属する二人の男が連隊の仲間の娘に惚れた。二人は同僚でありかつ上司と部下の関係にあった。上司のジェームス・バークレイ大佐はやりての軍人であり、部下のヘンリー・ウッド伍長は極めつけの男前であった。上司はインドでの反乱軍に襲われたときに孤立し、部下に援軍に会いに行ってくれるように頼み詳しい地図を与えた。部下はその地図に従い歩いたが敵に見つかり捕縛された。拷問に遭い二目とみられぬ障害を負った。だが、その拷問の間に敵が実は上司と企んで自分をだましたことを知る。何とか死を免れ逃亡した。彼の背は曲がってしまっていた。

ジェームスはインドからイギリスに戻り意中のナンシーと結婚して暮らした。平穏な暮らしを送って何十年か経った。ヘンリーは故郷が恋しくなり、イギリスに戻って、偶然にナンシーと再会した。その彼女の後をつけて家の部屋へ入ったが、ジェームスと出会った。ジェームスは錯乱し気絶して倒れ暖炉の角に頭をぶつけて死んだ。その場にいたヘンリーは下手人として疑われる羽目となる。

そこへホームズが現れ事件の解明に臨む。夫人が夫と言い争って非難の言葉を発する。それが此のドラマのポイントである。「デイヴィッド」と夫人は叫んでいた。それはジェームスでもヘンリーの名でもなかった。この謎をホームズが解く。ホームズの質問に対してヘンリーは自分は殺していないと言い、ジェームスが神の裁きによって死んだのだと言った。
事実検死の結果、ジェームスの急死はショックによる脳卒中によることが判明したのである。

サムエル記下11章にはダビデ王が部下の兵士ウリヤの妻バテ・シュバを見て欲情し床を共にした。そして彼女は子を宿した。ウリヤは戦場にいたが呼び戻され、ダビデと共に食事をし家に帰って休むように言われた。しかし彼は家に入らなかった。ダビデは部下に命じてウリヤを最も闘いの激しい最前線に送り戦死させよと命じた。その通りにウリヤは戦死した。妻のバテ・シバは喪に服した。喪が明けてダビデは彼女を呼び妻とした。バテ・シバは子を産んだが神はダビデを善しとせず罰した。ダビデは死なず、子は死んだ。だが、次に生まれた子を神は祝し、ソロモンと名付けられた。このソロモン王からエッサイと続き、ヨセフに継がれその妻マリアによって聖霊によって神の子イエスがお生まれになった。

「背の曲がった男」ではヘンリーを殺すように仕向けたジェームスは急死させられた。一方ダビデは同じ罪を犯しながら子を失いはしたが神に祝福されたソロモンをもうける。そしてこの子孫がイエス・キリストなのである。

聖書にはこのように人間の善悪の判断・倫理観とは相いれないことが他にも多く見られる。コナン・ドイルはダビデという名前に「非難」という意味を込めた。そして罪びとジェームスを天罰の形で裁いたのだ。これが人情から出たものと思われる。神の思い(善悪の判断や倫理観)と人の思い(善悪の判断や倫理観)は違うということではなかろうか。究極的に人の罪は赦されるということが基本的に意味されているように思う。

メリー・クリスマス!!!


匂いも花粉も除去された百合が意味するもの

2022-10-15 16:28:49 | 雑感・エッセイ

かみさん(家内)が花を買ってきて活けた。幾つかの花があったがその中に百合がある。だいぶ昔から百合が大型のカサブランカになった。ほかの種類もあるが、百合にあの特有の強い匂いがない。聞けば品種改良で匂いを減少させたものだという。人によっては百合の匂いが嫌いだという。また百合の匂いは強すぎるから嫌だという人もいる。私は百合には匂いがあってこそ百合だという立場である。まあ、それでも仕方ないと我慢してきた。ところが更に驚くことが起きた。なんとまあ、雄蕊の花粉が無いものが出回って来た。かみさんに言わせると、百合の花粉は落ちるし、服などに付着する。そうすると着色してなかなか落ちないのだそうだ。それでかみさんは蕾が開いて花粉が見えだすとすかさず取り去ってしまう。これも私には我慢ならない。雄蕊の花粉は百合の美しさの重要な部分である。絵に描いたり写真に撮ったりするとき、雄蕊とその花粉は百合の花の花たる重要な特徴だ、ポイントである。それが品種改良でなくしてしまった。これは改良などではない。改悪である。去勢である。薔薇からとげを無くしたら薔薇であろうか。朝顔から蔓を除いたら朝顔であろうか?どうにも、人間の勝手が過ぎないか。
 自然に手を加えて人間に都合よくするにはルールが必要だ。これは自然に対する冒涜、ハラスメントになる。人間優位の思想である。こういう勝手を止めないととんだしっぺ返しを受けることになる。例えば外来種の動物を国内に入れペットにしたところ、大きくなりすぎて川や池や野に放ってしまった。その結果国内の種を駆逐し大いにはびこりとんでもない悪さをしている。かみつき亀、草魚、ザリガニ、・・・・いくらでも例がある。どうするのか。この付けを誰が払うというのだ。環境破壊の一種である。

 


家籠りで新世界に入ってゆけることもある

2022-03-26 21:07:26 | 雑感・エッセイ

永く続くコロナ禍で自分にとって縁遠くなったもの、映画館へ行くことと美術館へ行くことである。DVDも借りなくなった。その代わりにTVを観ることや本を借りて読むことがそれらに置き換わった。結局家に籠ってできることはそういうことなのである。

テレビでは時代劇、旅行もの、過去の名映画、UT(ユーチューブ)の動画、これは音楽が多い、野球、バスケット、ラグビー、大相撲など、ラジオの流し聞き、知人・友人に手紙を書く、電話を掛ける、こういうことに時間を使ってきた。最近はやりのZOOMなどオンライン参加はまだしていない。オンライン参加は今後やってみたい。コーヒーを家でじっくりと時間をかけて豆から粉砕し湯を沸かせて淹れる。コーヒー豆の販売店で幾つかの産地のコーヒーを順番に購入し味わい比較している。これはまだまだ始まったばかりだ。外では大概そのカフェ店のブレンドコーヒーになってしまう。ぜひできるだけの種類を自分で挽いて味わってみたい。失ったものもある代わりに、新しい世界も開けてくるものだ。


自分では自分の声を他人が聞くようには聞こえない、その意味

2021-07-17 21:08:18 | 雑感・エッセイ

声とは不思議なものである。人は誰でも自分の顔を直接に見ることができない。鏡に映る自分の顔は左右が逆である。写真は自分の顔を映す。だが直接的ではない。同様に人は自分の声を他人が聞くように聞くことができない。自分の声は顔の骨を通して聞こえる声と空中を飛び出して耳に入った声とが混合した声である。初めてテープに取った自分の声を聞いたのはずいぶん昔のことであった。その声はどうしてもいつも自分がしゃべっている声とは違っていて妙に可笑しい。どうしてもその声を好きになれない。実におかしな声なのである。カラオケで歌ったときは一緒にいた人たちが拍手してくれた。その時の自分の歌声は自分がテープで聞いた声なのであり、可成り可笑しい。
最近はしゃべっている声が自分の耳に聞こえる声とは異なっているのだという意識が常にある。他人はその声を聞いているわけである。一体真の自分はどっちなのであろうか。
同じように自分が自分をこうだと思い込んでいる姿は、他人が必ずしも自分が思うように思ってはくれていないだろう。肉体でも心でもそれは言えることだ。だから他人の評価を重視してはいけない。どうしても自分の思い込みとはズレが生じる。それは仕方ないことである。だが努力すればそのズレを修正できる。いつかそのズレを意識しないまでになる。

そうなると他人の評価を気にしないようになってくる。自分は自分でいいのだと思うようになる。誤解というものも必然であるので、それを自然の姿であると思えば他人を許せるようになる。他人も自分を許してくれるだろう。

 

YTと文章とは関係ありません。

Edith Piaf - NON, JE NE REGRETTE RIEN - legendado

NON, JE NE REGRETTE RIEN Não, nada de nada... Não! Eu não lamento na...

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昆虫食の時代に戻る時が来つつある

2021-07-15 21:37:09 | 雑感・エッセイ

蝉がある朝、突然鳴きだした。さては梅雨も明けそうであると感じた。初めは耳鳴りが酷いのではないかと思ったがそうではなかった。やはり蝉の声である。ジーーーという鳴き声であるから耳鳴りに似ている。だが熊ゼミはこんな鳴き方をする。熊セミの後からミンミンセミが鳴き始めた。しばらくはこの二種類が蝉時雨を演ずる。天気予報によれば明日16日には関東は梅雨明けしそうだ。

アメリカでは17年セミが今年は大量発生しているという。余りに多いのでセミ料理が流行っているという。セミをパスタに混ぜて食べる。エビのような味で美味だそうだ。今でも地方によっては昆虫食が行われているが将来は昆虫食がたんぱく質摂取の割合を大きくすると言われている。17年セミや去年から大量発生のアフリカ飛びバッタなどは格好の食料になるかもだ。日本でもイナゴは昔から良質の食料として長野県では食べられてきた。今でもそういう料理屋が東京にある。昆虫の成虫はまだしも、蛹や芋虫は抵抗感がある。だが魚や鳥はこれらが大好物である。ヒトは海から陸に上がってきた後、進化の過程で芋虫が嫌いになったのだろうか。再度魚や鳥であった頃に戻らざるを得ない時が来ているらしい。


喋りが速すぎる現代 「間」は絶滅危惧

2020-09-26 15:59:48 | 雑感・エッセイ

ラジオでは余り感じないがテレビでのニュース番組などで感ずるのが、出演者の話し方、特にしゃべるスピードについてである。とにかく速すぎる人が気になる。ニュース番組で評論家や学者やタレントなど出演者が多いために各人の発言の持ち時間が短いためか。出来るだけ多くの内容をしゃべりたいのであろうか。兎にも角にもしゃべりが速い。こういうのをまくし立てるともいう。こういうタイプは政治家にも多い。特に議論になると反対意見の相手を制するためにそうなるのだろうか。だが内容的にみると、早口で同じことを異口同音でしゃべっているように思える。聞く側にとっては全く疲れる。そういう早口の人に閉口する。何となく品性がないように思えてくる。早口の人は頭の回転も速い。速いから多くの言葉が一度に頭に浮かび口に出てくる。次に述べる「間」などは薬にしたくとも微塵もない。頭の回転の良さを誇示しているように見えなくもない。
 さて、もう知っている人も少なくなったが「徳川夢声」という人がいた(1894~1971)。無声映画の弁士、「宮本武蔵」朗読、NHKラジオ「話の泉」レギュラーなどで有名だ。私も「話の泉」を小さいときに聞いた部類である。この人の話術はすごかった。特に夢声の「間(ま)」は有名であった。話の速さは程よく、聞く人の身になって話してくれる。その「間」はじれったいほどだった。早く次の言葉を発してくれないかと、思ったほど。今やラジオのアナウンサーにもこれ程の人は少ない。ゆっくり喋るのは速く喋りまくるよりも技術がいるのである。何よりも相手を超高速発言で説き伏せるのではなく、相手の理解を待って(間って)語る。どちらが偉大か自ずと明らかであろう。
 最近は社会も英語化の傾向があり日本語も高速会話になりつつあるのだろうか。高齢者が30%もいる我が国であるのだ。コロナ禍で人と人の間隔を開けねばならないご時世だ、会話や発言にもゆっぃりと間を保って臨んだ方がいい。

 

Louis Armstrong - Hello Dolly

Louis Armstrong & his All Stars live in Berlin 1965 Bass -- Arvell Sha...

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敬老の日に思うこと 隠居生活とはなにか

2020-09-21 20:46:10 | 雑感・エッセイ

敬老の日、この日に意味があるかどうか、最近では100歳以上が目立たなくなった。ましてや65歳になっても、75歳になってもなんだか色あせている気分である。私は75歳ということであるが、かあちゃんと二人だけで御萩を買ってきて食べてささやかに祝った。 
かつては人生50年と言われた時代があった。60歳は完全にじじばばであった。年寄りには希少価値があったのだ。だから70歳は古希なのだ。増えすぎた年寄りは次第に疎まれる存在となってきた。介護でも医療でも、年寄りの価値が低くされつつある。だから元気な年寄りは働いて稼げといわれる。年寄りの多くは貧乏である。言われなくとも働いて稼ぎたいのだ。そのほうが健康にも良いと思うからだ。

最近では隠居などという言葉は死語になりつつある。かつては盆栽や長唄など趣味に凝って日を過ごす年寄りも多かったが、昨今では隠居の定義が変わってきているようだ。隠居はボランテイアや旅行や絵描き、語学、芝居に映画、コンサート、俳句やエッセイ、勿論スポーツも、その他非常に多岐にわたって打ち込めることがあり、そういうものに時間を費やす。これらの作業には結構資金が必要なのである。そうしたことに時間を費やせるご隠居は幸せ者である。実はこれらが現役を退職したあとに来るといわれた第2あるいは第3の人生といわれて憧れていたものである。だが人も90歳以上まで平均寿命が延びると蓄えも心細く、年金だけでは足りない。いわんや老人介護の施設入居や医療費などいつまで生きるか不明な現状では今後の必要経費が一体いくらかかるのか分らず、只々不安に陥る。隠居とはそうした予測不可能な世界を毎日何かに打ち込んで生きがいを感じながら生きてゆくことなのだ。敬老の日にそう思った。

 

 

タンゴ「黒い瞳」--Chromatic Harmonica

Tokunaga Sound--Nobuo Tokunaga Official Site--http://www.manbou-net.c...

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ないよりましな政権という考え方

2020-01-30 16:45:59 | 雑感・エッセイ
新型コロナウイルス肺炎、ただいま感染増大中で、気が許せない、武漢にいる邦人に政府は帰国用特別機を飛ばすようにした、この決定は迅速でよい決定であった、これで安倍政権の支持率も維持されよう、
かずかずの不祥事と暴言失言の連続、体たらくな政治にもかかわらず、約半分の国民の支持を受けるという誠に幸せな政権である、株価まあまあ、為替レート、まあまあ、トランプにべったりで平和憲法よりも大事な日米同盟、これを基軸にして政権運営、なかなかやるではないか、野党がだらしなく政権をとれる力も今だし、こんな状態の中で政権運営をやってくれる自民・公明の与党は今の社会ではありがたい存在である、三流五流政治に決して満足するわけではないが無政府状態よりましなのかもしれない、だが余りにも人を馬鹿にしたような言動振舞の政権は自滅の終点が待っていることを肝に銘ずるべし

新年早々の悪夢  思いたくないが最大の危機

2020-01-08 21:28:38 | 雑感・エッセイ
オーストラリアで森林火災のニュースが凄い、コアラが絶滅の危機に瀕しているという、ほかの野生動物も穏やかではない、南東部のニューサウスウエルズ州が火災現地、シドニーに及ぶかもしれない、もう昨年の9月から燃え続けている、日本の四国と九州を合わせたぐらいの広さであるらしい、水をちょっと掛けたぐらいでは間に合わない、原因はインドからアフリカに及ぶ海域の高温であるらしい、その海域から熱い大気が豪州の上に来て熱くしている、それで火事が消えない、丁度、昨年の日本の猛暑を思い出す、豪州の猛暑この夏の北半球を予測させるものである、北半球も南半球も温暖化が激しい、トランプ大統領はこの危機をなぜ分かろうとしないのか、選挙に勝つことしか頭にない、彼を支持するものはこの温暖化の危機をどう思っているのだろうか、新年早々の嫌な事件で悪夢が襲い来るのだ、とにかく温暖化阻止が地球に住む人間と全ての生物にとって最大の問題となっている

年末雑感 三流政治にもの申す

2019-12-31 09:11:24 | 雑感・エッセイ
国会は閉会し、「さくらを観る会」の追及も頓挫した感じだ、安倍内閣の得意技が炸裂しきった年末である、その得意技とは「公文書削除及び改ざんの隠れ穴へ逃げ込み技」というもの、いざとなればこの隠れ穴へ猛ダッシュ、素早く隠れ、嵐の過ぎ去るのをじっと待つ、この公的証拠文書隠滅というやつは民主主義の根幹を覆す代物、ことの起承転結がすっかり分からなくするもの、あの悪名高き「もり・かけ事件」以来ずっと続いている国民のもやもや感、またか、やられたか、で今年も終わる、悪態事件が後から後から起きるから野党の追及も間に合わないほどだ、こんな三流内閣にいつまで国の政治を託するのか、腐敗は目にも鮮やか、隠れ穴技は憲法違反である、権力は内部から崩れる、野党が弱くとも政権は内部崩壊を起こして自滅する、もうほとんど自壊している、ほんの一押しで瓦解するだろう
小選挙区制を改めるべきだ、あれかこれかではなく、少数者が加わる余地を残した選挙制度を望む、新年には良い兆しを望みたい

今の時代を安倍時代といえばその特徴はなにか

2019-12-18 20:26:42 | 雑感・エッセイ
奈良・平安時代は王朝文化、室町、鎌倉、は初期の武士文化、そして織田、豊臣を代表とする下克上の戦国文化、300年にわたった士農工商の江戸文化、明治から大戦終了までの富国強兵の軍国文化、・・・今は何か、安倍時代、安倍文化か??第二次安倍政権となってもう7年がたつ、戦後最長の総理だという、さすれば、それは一つの時代となったのであり、一つの文化・文明でもある、どんな特徴の文化であるか、アベノミクスという緩やかな成長を続けるデフレ脱却を目指した経済を自慢し、その裏腹に強引な手法で明治時代へ遡らせるような反動政治、しかも忖度を多用させた公文書改ざん・削除などの証拠隠蔽、丁寧な説明といいつつ質問に答えぬ言い訳と責任を取らぬ罰則無視の自分と身内に甘い自己保全、嘘つきを常識としてしまった、子供に見せられないぶざまな欺瞞に満ちた姿、をさらけ出した政治を特徴とする、これを文明といえるのか、文化といえるのか・・・・民主主義を腐敗させたこれぞ悪夢ではなかろうか