派手なアクションを入れることなく心理戦が主体である演出は多種類の人物を組み合わせそれぞれの思惑が入り乱れながら逆転の結末に至る
全文を別ブログに掲載しています、下記をご覧下さい
⇒「映画の真相とその隠された深層」
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やっと悲しいことを書く気になってきました、書かなければ亡くなったものは
平安を得られないと思ったからです、
実は以前に紹介したノラの子猫(ミャー)は突然わたしらの目の前から
いなくなってしまいました、先週の火曜日の夕方のことです、交通事故
でした、わたしらにもよくなつき、可愛いかぎりでした、それが突然亡く
なってしまいました、そろそろ避妊や予防注射に連れて行って飼い主
になろうかと考えていた矢先でした、まことに残念で仕方ありません、
まったく不憫で憐れで、どうしようもないいたたまれない気分です、
わずかな期間でしたがよくなつき、よく遊び、まとわりついてくれ、
庭のバッタを追いかけ、散ってきた木の葉を追いかけ、木にも登り、
塀の上にも登って悠々とのびのびと生きていました、その生き生き
とした姿に癒され楽しみを与えられ喜びを与えられていた、
わたしらが与えたよりも遥かに多くの好いものを子猫ミャーが与えて
くれていたことに気づきました、実の子どもを失った気持ちです、本当に
子供でした
生まれたものは必ず死ぬとはいいながらあまりに短かったその命に
涙です、短くも鮮烈な生き様がいとおしいです、人にしても動物にして
もその寿命がどのように決められているのか分かりません、どのよう
な長さであろうと与えられた寿命の中で出会い、いただいたものに感謝
しなければいけないというのが今の気持ちです、
ミャーよ、出会ってくれてほんとうにありがとう!!
いま、東京国立近代美術館で開催中の「菱田春草展」を観てきました、
春草は1874年生まれで1911年に36歳で若くして亡くなった天才
日本画家です、「朦朧体」という画風を確立し、それによって「黒き猫」
を描いています、展覧会の前半では「黒猫」や「白き猫」が出品されて
おり、かの有名な「黒き猫」は後半で出品されます、猫好きにはたまら
ない展覧会です、そのほか立ち並ぶ木々の姿やヤツデの木、
ナンテンの木、カシワの木など素晴らしく、夭折した天才菱田春草の
日本画の醍醐味が堪能できる展覧会です
朝日新聞千葉版によれば、87才の眼の不自由な婦人が、その不自由
さにも関わらず「書」の展覧会に作品を出品されたそうです、千葉市の
老人ホームに暮らす岩田園子さんのことです、岩田さんは30代から
書道をはじめ40代半ばで緑内障が発症し右目が手遅れ状態で左目も
かなり具合が悪いということで、書道にも長らく遠ざかっていたのです
が、介助付添い者の方に昨年生まれたお孫さんのために自分の書を
プレゼントしたいと熱望するようになり、書の会に入会され久々に作品
創作に至ったのだそうです、写真が掲載されていましたが「自由書」と
いうことでさすがに生き生きとした活力溢れる出来映え、とても眼の
不自由な老人の書とは思えません、こうなると心眼で書いたとしかいえ
ません、知人の幼いお孫さんへの痛いばかりの愛情と責任がこの雄大
な書を書かせたといって間違いないと思いました
ところでわたしも40代初めのころから緑内障が出て、右目が不自由です
左目がそれ程悪くないのでなんとか日常生活を送れています、早い時期に
両眼ともレーザー治療も受け、その後もずっと病院へも定期的に通院し、
検査を受け点眼薬などいただいたり状態把握をして過ごしております
これ以上に悪化しないようにしています、従って緑内障とも長い付き合い
になっており、こうして治療を受けていてもじわじわと病状が悪化するの
を感じています、人生がいつ終わるか分かりませんが、眼を守るという
ことは自分と社会とにかかわる責任と義務を果たしてゆく上にも実に
大事なことと思わないわけにはゆきません、眼を使わないわけにもゆき
ませんし、映画も観ます、コンピューターも見ます、タブレットも見ます、
こうして生活できることは誠に感謝です、できたら上で述べた岩田婦人
のように他人のために役立ちたいと願います
荒れ狂う自然災害の多様さとその規模と頻度はだれの目にも異常状態
だとしか言いようがないです、そして人間の世界にいま起こっている争い
ごとと戦争状態もまたかつて久しくないくらいの異常状態と思えます、
加えるにエボラ出血熱の流行もまたやけに異常状態になってきている
と恐怖を覚えます、これらはどこかで関連し合っているとしか思えません、
異常状態に慣らされずに敏感になって防衛に気を配らないととんでも
ないことに遭うという不気味で不安な毎日です、原発再稼働などやめて
地球世界の脅威と警告に謙虚に対しないとなす術がなくなり破滅への
道を歩むことともなりかねず、いまはその岐路かもしれません
NHK連続朝ドラ「花子とアン」が9月末で終わりましたが、今回は毎回
楽しみにしてみました、翻訳「赤毛のアン」の邦題名が花子自身では
なく編集者の意見によるとは初めて知ったことでした、
ドラマは半年で終わりましたが、
花子の腹心の友であった白蓮がその後どうなったかが不明のまま
終わったのは残念でした、柳原白蓮の生涯もまた村岡花子のそれに
匹敵する激しいものであったこと、写真で見る限り相当の美人であって
大正三美人の一人とか、竹久夢二の絵のモデルかと思わせるような
なよっとした大正ロマンの代表美人であったと思いました、
離婚した夫であった伊藤 伝右衛門も筑豊の炭鉱王と称された傑物、
駆け落ちして結婚した宮崎 龍介も戦後の護憲運動の闘士だったとか、
この三人に焦点を当てた秘めたる人生も改めて今後、紹介してもらい
たいと思いました、
それにしても仲間由紀恵の白蓮はずばり好かったと思います
懇意にしてお付き合いしていた一人暮らしのおばあさんが亡くなりました、
独居というのは本当は正しくなく愛猫と二人で暮らしていました、亡くなる
前日まで元気でご挨拶をしていたので訃報を知らされたときは余りに突然
のことで不意を打たれた感じで実に驚きました、
まあ、「ピンコロリン」の最たる例になったわけで本人にとっては良かった
と思います、ほとんど90才であったのにご主人が亡くなってからは一人で
暮らしてこられたわけで、最近は気が少し弱くなって施設に入らなければ
いけないかなと悩むときもあったそうです、しかし、愛猫を手放すことに
忍びなく、死ぬときは一緒だよと毎晩寝るときにはそう言って寝床に就い
ていたと聞きました、しかし、施設にも病院にも入ることもなく亡くなった
のは実に幸せでした、たった一つを除いて、つまり、後に残した猫ちゃん
の行く末です、
けれども、遺族の方が猫の愛護施設を知らされて無事そこで預かって
もらえることになり、余生を静かに暮らせることになったそうです、
良かった、好かった