(童話)万華響の日々

いつもご訪問ありがとうございます、ブログ開始から大分心境も変わってきました

酔芙蓉の花は一日が一生

2010-09-28 17:20:44 | 花の万華鏡


(この八重の”酔芙蓉”は、本当にきれいだなあ)と、

ハナミズキは感心しました。

かあちゃんは酔芙蓉の花を気に入っていますが、

傍に寄り付きません。

「酔芙蓉はきれいだけれど、芋虫がつきやすくて

落ちてきたらいやなんだよ」と、かあちゃん

今年は、枝が良く伸びて、つぼみも多いのです。

(こんなに見事な八重の花なのに、

一日で白花が桃色花に変わって落ちてしまう)と、

ハナミズキはちょっぴり切なくなりました。

「酔芙蓉の花は、一日が一生なんだなあ」と、

とおちゃんもしんみりと思いました。

ハナミズキは、それが酔芙蓉の花のこの世での宿命なのだ

と想い、空を見あげました。

酔芙蓉の木の下には、きのう咲いた花が

しおれて落ちていました。


死を想う 「夏目漱石」の場合

2010-09-27 20:31:26 | 生と死を想う


とおちゃんの読書感想です

死を想う」宇治土公三津子 二玄社 2003年発行 
  
  漱石(1867年生)の小猫は千駄木の夏目家に明治37年

(1904年)に迷い込んできた。この猫は「我輩は猫である」に

主人公として書かれたが明治41年(1908年)9月13日に病

気のため物置のへっついの上で死んだ。寿命はおそらく5歳ぐ

らいであったろう。

 漱石は猫の死亡通知を書き、箱に詰めて書斎の裏の桜の木

の下に埋葬した。漱石41歳の時であった。

以後、13日を猫の命日として、鮭の切り身と鰹節かけごはん

を毎月供えた。漱石は1916年に死んだ。彼の死後、猫の十

三回忌に九重の石塔が建てられたが、猫の遺骨は雑司ヶ谷

の漱石墓地に移されていたという。

 漱石やその遺族に愛された幸せな猫であった。漱石の「我輩

は猫である」を読んで猫好きになった人もずいぶんと多いと思

う。漱石は猫の地位を上げるのに大いなる貢献をした猫の大

いなる支援者であった。

 漱石の五女ひな子は1910年明治10年3月2日生まれであ

ったが、1911年11月29日に死んだ(1歳8月)。夕飯の途

中、突然つっ伏してそのまま死んでしまったという。そのとき漱

石44歳であった。

 小説「彼岸過迄」のなかの「雨の降る日」はひな子の死を想

って書いた章である(1912年)。宵子という幼児が食事の途

中で死んでしまうという物語。漱石はひな子の写真を死ぬまで

書斎に置いていた。漱石は49歳で死んだ。

 ひな子が死んで5年後に漱石は世を去ってひな子の元へ行

った。最も可愛がった子であったという。ひな子の死の原因

は、今でいえば”乳幼児突然死症候群”という病気ではなかろ

うか。当時は病名も原因も分からず、親はさぞかし突然の死に

うろたえ悲しみに暮れたことであろう。今でもこの病気の原因

ははっきりしていないようである。それは兎も角、漱石はひな

子の死後、その死の悲しみは、”宵子”という別名の子を用い

て小説に表したほどであった。


小鳥も待ち遠しい紫式部の実

2010-09-26 21:58:07 | 花の万華鏡


ハナミズキは、背は高くないけれども、

葉を豊かに茂らせて、

真夏に目立たない地味な白い花を

たくさん着けていた”紫式部”に注目していました。

ハナミズキが期待していたように、

最近の気温の低下と、雨降りで、

紫式部は名前の通り見事な紫色の実をたくさん付けました。

(この紫色の実を食べに、

多くの小鳥が集まってくるだろうなあ)と、

ハナミズキは楽しそうに思いました。


萩の花

2010-09-22 22:19:21 | 花の万華鏡



ハナミズキは萩の花が、美しく咲いているのに

気がついていました。

(今年の萩の花は、暑い夏のためかどうか分らないけど、

花付がいいし、色も鮮やかだなあ)と、思いました。

「確実に、秋の花々が咲きだしたよ」と、

とおちゃんも思いました。

きょうは、戻り夏です。

真夏日が再び戻ってきたのです。

(きっと、萩の花も驚いているだろうなあ)と、

ハナミズキは同情しています。


にじ色の雲

2010-09-19 21:16:23 | 日記


ハナミズキは秋らしくなった、

澄んだ空を見あげました。

(あの空に浮かんだ、細い雲は何だろうか

にじ色に輝いているなあ

とおちゃん、あの雲は何だろうか)

「雨が降っていれば、太陽の光が雨つゆに当たって

虹が現れるんだ

雨が降っていないときでも、雲の小さな氷の粒に

光が当たって、雲がにじ色に輝くんだよ」と、とおちゃん

(それが、”彩雲”という雲なんだナ

彩雲を見たら、好いことがあるって言うよ、とおちゃん)と、

ハナミズキ

「それは楽しみだなあ!!」と、とおちゃん


猛暑を乗り切ったつゆ草

2010-09-18 18:30:20 | 花の万華鏡


ようやく、少しはあの酷かった猛暑が和らいできました。

ハナミズキはほっと一息ついて、庭の隅に茂っている

青いきれいな小さな花を見つけました。

(アア、きれいだなあ、

あの猛暑の中でも、枯れずに花を咲かせる準備ができていた

んだナ)と、ハナミズキは嬉しくなりました。

「この花は、”つゆ草”だな、普段は雑草として

抜いてしまうんだが、

今年は暑いので、雑草抜きもできなかった。

おかげで、この”つゆ草”が心を打つかわいい花であることを、改めて

知った」と、とおちゃん

”つゆ草”は、抜かれずにその後も、

咲き続けることができました。

(本当は、雑草などというものはないんだがなあ)と、

ハナミズキはつぶやきました。


映画「インセプション」の印象

2010-09-05 22:01:01 | 映画の印象

            

とおちゃんの映画の印象・感想です。

映画「インセプション
評価★★★★

他人の夢の中に入り込んで、そのアイデアを盗むという企業ス

パイが活躍する。コブ(デカプリオ)はそういう世界で活躍する

やり手である。

 数人がそれぞれ専門的な役割を担ってターゲットの人間と眠

り夢の中に入り込み、眠りを共有する。しかも、夢の内容を設

計し、その眠りは階層を持ち、ますます深い潜在意識の中に入

り込んで行く。

 一種の集団催眠術のようである。しかも眠りからさますため

にはあるサインを送って強制的に目覚めさせる。たとえば、本

作ではシャンソンの曲をイヤホンを経由して聞かせたり、蹴りな

どのショックで、全員が覚醒するようにしている。まさに催眠術

に似ている。

 夢への侵入で恐ろしいのは、現実と夢の違いが不明になるこ

とである。これが本作のポイントであった。コブ(デカプリオ)は

ある簡単な小道具で現実と夢を区別する。

現実の世界と夢の世界の時間は長さが異なっていて、夢の世

界では概して長い。

サイトー(渡辺 謙)はコブに大企業の後継者ロバート(キリア

ン・マーフィ )にインセプションを行って父親の遺言の内容を探

るよう依頼する。コブは仲間を募り、使命の達成に臨む。

 しかしコブには家族の悩みがある。妻のモル(マリオン・コティ

ヤール )は二人の子供を残して自殺した。コブには妻殺し犯人

の疑いがかかっている。このモルの影が絶えず夢の中に現

れ、コブを悩ます。彼は早く仕事を仕上げて、二人の子供のとこ

ろへ帰りたいと願っている。果たして、彼のミッションは成功す

るのか。

 夢の中の階層から他の階層へスリリングに移動し、タイムア

ップまでに夢からの必死ので脱走を果たす。実に手に汗握るア

クッション・ミッションものである。

しかし、問題はそれだけではない。

コブとモルとの生と死の境を乗り越えて生存を達成しようとする

試みが斬新だ。死の世界に去った愛する妻を、何とかして現世

に取り戻したいというコブの意志は夢の世界にそれを求めた。

そして、夢と現実との差が曖昧になるほどに夢の世界を充実さ

せることに成功した。だが、夢の中の妻は彼女の霊の反映な

のであろうか。

 この現実世界も脳が作り出したビジョン(夢、幻想)であるとも

いわれている。そうであれば、脳が現実も夢も対等に扱い、そ

れらの存在感を感覚的に確認できれば、どちらも存在できる世

界ともとれる。霊視を夢の設計ととらえたこの作品は、なかなか

興味深いものであった。

 さて、コブはどの世界を選んで子供たちと再会したのだ

ろうか、そしてその人生を歩んだのだろうか、あのコマは回り続

けてのだろうか、それとも・・・・・・。

製作国 アメリカ
監督: クリストファー・ノーラン 
製作: エマ・トーマス 
 クリストファー・ノーラン 
脚本: クリストファー・ノーラン 
音楽: ハンス・ジマー 
出演: レオナルド・ディカプリオ( コブ)、 渡辺謙( サイトー)、 ジョセフ・ゴードン=レヴィット( アーサー
 )、マリオン・コティヤール (モル)、 エレン・ペイジ (アリアドネ
)、 トム・ハーディ( イームス )、他
映像:Allcinemaより


花の万華鏡 秋の気配を感じた野牡丹

2010-09-03 21:57:12 | 花の万華鏡



ハナミズキのすぐそばに、野牡丹の木があります。

ハナミズキは、自分の枝の下で、野牡丹が、紫色の花を一つ

二つと咲かせたのに気がつきました。

(そろそろ、秋の青紫色の花たちが咲き出したんだなあ)と、思

いました。

けれでも、今日も35度にもなる暑い暑い日差しがきつく

射し込んでいます。

(こんなに暑い残暑なのに、野牡丹は秋の気配を感じて咲き出

したのだなあ)と、思いました。

とおちゃんも秋の空気を感じたいものだと、

汗を拭きながらため息をつきました。


宮沢賢治の遺書について

2010-09-02 22:02:56 | 生と死を想う

とおちゃんの読書感想です。

「死を想う」 宇治土公三津子編 二玄社 2003年発行より

東北採石工場の技師として肥料の販売のために上京したと

き、賢治の大トランクの中、裏蓋のポケット


二通の遺書と「雨ニモマケズ」の書かれた手帳が残されていた。

遺書の一通は両親宛で、もう一通は弟や妹たちに宛てたもの
であった。

そのうち両親宛のものは次のようであった。

”この一生の間どこのどんな子供も受けないような厚いご恩を

いただきながら、いつも我ままでお心に

背きとうとうこんなことになりました。

今生で万分一もついにお返しできませんでした

ご恩はきっと次の生又その次の生でご報じいたしたいとそれの

みを念願いたします

どうかご信仰というのではなくてもお題目で私をお呼びだしくだ

さい。そのお題目で絶えずおわび申し
あげお答えいたします。

                             九月二十一日

父上様 母上様”


文章からも確かめられるが、賢治は”次の生、また次の生”の

自分の(霊魂の)存在を確信していたこ
とが分かる。

賢治の書いた童話の中には、輪廻転生を内容にしたような作

品がいくつもある。彼は輪廻転生を信じる
法華経の信者だった。

だが、何故に賢治は輪廻転生ではなく、浄土への成仏を願わ

なかったのだろうか


賢治はその死後に輪廻の結果、どこへ転生したのだろうか、そ

れは分からない。

それはともかく、彼の精神と心は確実にその
文学作品に著さ

れ、それが、彼の遺族のみならず、数多くの賢治愛好者たちに

大きな慰めを与え続けて
いる。