(童話)万華響の日々

いつもご訪問ありがとうございます、ブログ開始から大分心境も変わってきました

今年もご訪問ありがとうございました

2013-12-29 22:49:41 | 日記

ことしもいつの間にやら終わりつつあります

12月4日の朝日新聞朝刊「福島 広がる格差」を読んでいました、

原発事故以来の4回目の避難住民聞き取り調査の結果についてです

戻りたい人は初の半数割れであった(45%)、生計のめどが立たない

人が42%、原発の中間貯蔵施設を8割の人が理解を示すが一体

中間貯蔵施設とはいつまでのことかとあきれる、かつ最終処分場が

いつまでも検討されていないことに不信感、復興五輪の良い影響があ

ると思う人は14%しかない、などなどです

こんな状態で一方でやたらと予算を誘い込みコンクリート工事の増強

に浮かれる五輪推進者たち、原発再稼働をもくろむ政府、故郷に帰る

期待はほとんどなくなってしまっている現状、・・・・

これで今年も暮れてゆきます

ところでうちの庭にこの冬になってモグラがやけにうごいているのを

発見しました、普段は動きを見せないモグラ、春になって動くのは分か

りますが、なぜこんな寒い冬に土を盛り上げてモグラ塚をこしらえ動き

回っているのでしょうか、何か気になります

今年も大勢の皆さんにご訪問いただきありがとうございました

また、新年にブログ再開したいと思います


映画オペラ イル・トロヴァトーレ

2013-12-28 21:20:31 | 演劇・コンサート

イル・トロヴァトーレ 
パルマ王立歌劇場ライヴ映画 2010年
ヴェルディ生誕200年記念上映
東京都写真美術館ホール 


マルセロ・アルヴァレス  マンリーコ
テレーザ・ロマーノ  レオノーラ
クラウディオ・スグーラ  ルーナ伯爵
ムジア・ニオラージェ   アズチーナ

パルマ王立歌劇場管弦楽団・合唱団
指揮 ユーリ・テミルカーノフ
演出 ロレンツォ・マリアーニ

ヴェルデイ40才のとき1853年の初演、同じ年に「椿姫」も初演であった、
 
イル・トロヴァトーレとは”吟遊詩人”という意味だそうだ、演奏時間は2時間20分、全4幕のオペラ、
 ルーナ伯爵は先祖代々が山岳部に棲むジプシーの一団と敵対関係にあったと思われる、彼らは戦闘を繰り返し、このおどろおどろしいドラマが誕生したように思う、戦闘の果てジプシーの女が捕縛され火刑に処された・・・・・その次の代になって

 ジプシーの一団が陽気に酒を酌み交わし、鍛冶の仕事に精を出しているときに、ジプシー女アズチェーナは彼女の昔話をする、「母親が火刑に処せられた時、自分は伯爵の子供を誘拐して火にくべた。しかし気付いてみるとそれは自分の実の息子だった」と語る

アズチェーナがわが子として育てたのは敵の子だったというわけだ、その息子であるマンリーコは吟遊詩人となり女官レオノーラと愛し合う中になる、ルーナ伯爵も彼女をわがものにしたいと欲する

 

アズチェーナは捕らわれマンリーコは母を助けに行くが敗れ捕らわれる、レオノーラはマンリーコの命乞いを自分の身を犠牲にして訴え服毒死してしまう

 

裏切られたことを知ったルーナ伯爵はマンリーコを処刑する、アズチェーナは、それはお前の実の弟だと怒鳴り、母の復讐が達成されたと叫ぶ

 

とまあこんなストーリだが歌われるアリアや合唱には素晴らしいものが多い、鍛冶屋の合唱アンヴィル・コーラス、アズチェーナのアリアである「炎は燃えて」、レオノーラのカヴァテーナ「恋は薔薇色の翼に乗って」、マンリーコのアリア「ああ、美しい人」など

さすがはイタリアオペラと思わせるヴェルデイのアリアの素晴らしさ、レオノーラ役のソプラノ、テレーザ・ロマーノの美声に酔いしれた


岩合さん、猫写真展

2013-12-26 15:51:21 | 日記

船橋市の東武百貨店で猫写真家である岩合光昭さんの展覧会

が開催されています

そこで、観てきました、毎年今頃に岩合さんの展覧会があるので年間

行事のように行っています

大きい写真で見る猫ちゃんたちはやはり、可愛く素晴らしいです、

以前はうちにもチャタという猫ちゃんがいましたが亡くなって三年半も

経ちます

猫への愛着は絶えがたく、猫の姿を見ない日は実に侘びしく寂しく

物足りないものです

さいきんは、写真でも絵でも絵本でもなんでも猫に関係すればそれで

満足するようにしています

当日の展覧会では猫愛好家の、これぞわが猫というお気に入りの

写真もたくさん展示されていました、それを見ていると猫好きの気持ち

がよく分かります

猫は実に好いです、改めて新た愛猫気分に浸って帰ってきました


映画オペラ  アイーダ

2013-12-23 22:23:39 | 演劇・コンサート

アイーダ 
パルマ王立歌劇場ライヴ映画 2012年
ヴェルディ生誕200年記念上映
東京都写真美術館ホール 


スザンナ・ブランキーニ  アイーダ
ワルテル・フラッカーノ  ラダメス
マリアーナ・ヴェンチェヴァ  アムネリス
パルマ王立歌劇場管弦楽団・合唱団
指揮 アントニーオ・フォリアーニ
演出 ジョセフ・フランコーニ・リー

ヴェルデイ60才のときの傑作、古代エジプトとエチオピアの戦いのなかで引き裂かれた男女の悲恋の物語である、全四幕で初演はカイロ、1871年とのことである、第二幕での凱旋行進曲が有名である、2時間40分の趙大作である

エジプトで奴隷となって王女アムネリスに仕えていたエチオピアの王女アイーダ、二人は戦士ラダメスを同時に愛していた、だがラダメスの想いはアイーダにのみ向かっていたが、アムネリスは自分へラダメスの想いを向けようとする、この嫉妬、報われない愛から生じる憎悪がラダメスとアイーダを死へと追いやる

相思相愛の娘に向かって軍事上の秘密を愛する男から聞き出せという父、相手への想いからつい秘密を口を滑らせてしまったラダメス、そして死刑を減ずるかわりに自分を愛せよと迫るアムネリス、断固それを拒絶し死を求めるラダメス、そして同じ墓室でラダメスを待っていたアイーダ・・・

これらが重厚で華麗なる多重唱を奏でて一気に終焉に行きつく、ヴェルデイの真骨頂を味わうことができた、映画であるからオペラグラスも不要である、歌手の体が顔がクローズアップされて観客に迫る、これは映画ならではの利点、醍醐味である


後見人制度について一言

2013-12-20 20:24:19 | 看取りと介護道

成年後見人の手続きを断念したという記事(朝日朝刊12/14)を読みました、姪である人50才が一人暮らしの独身のおばさん81才の世話をするために成年後見人となろうとしましたが、準備する申請用書類が多すぎるし極めて面倒くさいので断念せざるを得なかったというのです

弁護士や司法書士が後見人になるケースが多いですが、それでは到底人数が足りず市民後見人制度が市町村で発足して市民後見人がじわじわと増えてきているとは聞きます

弁護士などに頼むと申請書類の作成だけでも15万円ぐらいかかるらしいです

普通は子供とか孫などの直系家族が後見人になる場合が多いと聞きます

認知症になった老親や伴侶が銀行手続きをする場合、口座の開設、解約を普通は本人でないとできません、それで後見人が代わりに財産管理や生活管理をします、けれど、この後見人になるのはたとえ家族でも煩雑な申請手続きが必要で家庭裁判所へ出向いたりして嫌気がさすようになってしまうという実情です

しかし、親を含めて他人の財産と生活を預かるということは善良なる市民としての責任感と常識や体力・気力がないとできません、後見人となれる年齢の上限は70才ぐらいではないかと思います

自分もいつ倒れるかわからない状態で後見人となっていつまで続くか不明な関係を維持し継続して行くことは詰りは困難の壁につきあたってしまいます

にもかかわらずそういう決心をするということは実に立派なことであると思います

この記事にある方のように善良で責任感があってもできないことはあるものです、そこを乗り越える社会的な支援サービスが必要です、社会福祉協議会などもそういう支援応援を行っていますがまだまだ一般化していないという気がします、老人福祉分野でのケアマネージャーのように後見人制度ももっと社会に溶け込める何かが必要であると思います


映画 かぐや姫の物語  日本  2013年

2013-12-20 19:56:47 | 映画の印象

絶対君主の御門に言い寄られたときも固辞するが翁のかぐや姫への期待を叶えるために御門の側女になろうともする、だがたとえ結婚しても自分はすぐに自害すると言い出す、  この件はドラマ上すらりと流されているが本質に迫っていると考えられ、昔話に隠された真実、どうやらこの説が本当らしい

全文を別ブログに掲載しています、下記をご覧下さい
映画の真相とその隠された深層


心臓ペースメーカーの障害者等級(一級)を下げてはならない

2013-12-18 21:19:12 | 病気も仕事

心臓の機能障害で心臓ペースメーカー(PM)を植え込んでいる

人は多いです、

PMを植え込まれた人は心臓の機能が衰えたり、欠陥が在ったりで

PMを必要としています

これらの人は身体障害者の一級に認定され障害者手帳が交付されま

す、それによって交通機関の乗車料金が減免されたり、障害者手当

が支給されたりしています

ところがこの障害者一級がいま政治家によって見直されて等級を

下げるべく検討されています

その理由はPM患者があまり苦しそうでなく、むしろゴルフをしたり

運動などに励んでいる人を見るからだというらしいです

多分、医療費や障害者のために使われている行政の予算が関係して

いるのでしょう、しかし実はPM患者は決して楽観できない日々をおく

っているのです、たとえば電磁波の危険、電気ショックの危険、

体内に植え込んだ異物(PMやリード)による感染症の危険、PMの故

障や電池切れの危険やPMの交換時の危険、心臓に差し込まれた

リードの断線の危険、転倒で胸を打撲してPMを破壊したり、などなど

毎日が危険と背中合わせです、これらの危険のために一級の等級が

与えられているのです

それに患者それぞれの病状が千差万別で一括りにできないわけで、

PM患者といえども非常に幅があります、ある人は相変わらず完全と

はいえない日々をおくっていたり、ある人はかなり堅調かもしれません

このPMが一旦不調になると心臓は途端に脈を正常に打たなくなった

り、脈が停止したり、一気に死の危機に瀕します、ゆえにいたずらに

障害者の等級を下げるべきではないと考えます


東武動物公園のキラキラ

2013-12-17 22:06:58 | 日記

 

近場でキラキラのきれいなところで、いままで観ていないところは

どこかとさがしたら、東武動物公園がありました

着いた頃はまだ午後の明るいときだったですが、やはり急に日が暮れ

てきました

夕暮れの中でこの動物園の呼び物であるホワイトタイガーを見ること

ができました、春ごろには小さくてかわいかった四頭の子どもタイガ

ーが、けっこう大きくなって逞しくなっていました、元気に活発に動き

回っていました、母親はさすがに大きく凄みがありました

5時になってあちこちのイルミネーションが点灯されました

いっぺんに輝くオブジェが暗闇に浮かび上がって見事で息をのみま

した広大な敷地が赤、青、黄色の光の大地になり、スケールの大き

なイルミネーション集団です、これはおすすめのキラキラ観光地で

 


老後の三つのステージについて

2013-12-11 21:39:39 | 看取りと介護道

NHKの「ラジオ深夜便」を最近楽しんでおります、といっても

深夜に起きてラジオを聞いているのではなく、本を買って読んでいま

す、その10月号には”穏やかな、静かな最晩年を目指して”という題

名で青梅慶友病院の設立者で医師の大塚宣夫さんの寄稿があり、興

味深く読ましてもらいました

特にcという考え方が印象的でした、

会社が定年になって65才から75才ぐらいまでが第一ステージ、

それから第二ステージが続き、亡くなるまでの二~三年が第三ステー

ジというそうです

第一ステージではまだ気力体力共に充実していて働けるとき、

第二ステージに入ると病気や障害が目立ってきますし、体力も気力

も衰えてきます、体が耐用年数を過ぎておりだましながら使うことが

大事だといいます、第三ステージに進むと日常生活を送れなくなって

きます、たとえば外出買い物、食事、排泄、入浴、室内歩行などが

他人の助けがないとできなくなってくるという状態です

わたしはこの第三ステージに非常に興味を持ちました、

認知症がひどくなるのがこのステージだと思うからです、最後のステー

ジを在宅で過ごせるのか、施設入所を選択するのか、結局は昨日も

考えたところへ行きつきます


施設入所か在宅介護か

2013-12-10 21:50:58 | 看取りと介護道

朝日新聞12月2日の朝刊で、「高齢者住宅の父、今は幸せ」という

大阪府の平木さん(女性)の投書を読みました、82才のときからお父さんが

高齢者住宅に入所されたそうで、そのとき平木さんは57才でした、

お父さんは癌の闘病中であり、平木さんも自分の病気と闘いつつ介護され

いたそうです、しかしそういう生活が苦しくなりお父さんの施設入所の

決断となったそうです、最初のころはお父さんも自分の決心で入ったものの

寂しさがつのったそうです、しかし今は幸せに感じているとのことです、

平木さんは足しげく施設へ通ってお父さんと心通わせておられるようです

さてそれぞれの家族は介護にそれぞれの事情をもっています、

親の介護や配偶者の介護に在宅で臨むか、施設入所で臨むか、

悩ましい問題です、費用のこともあるし、施設入所を望んでも競争率が高く

入れない場合が専らです、在宅介護を最後まで続けるのも介護者の体力と

健康が問題になります

どの道を選んでも後悔のないやり遂げたという気持ちだけはしっかりと得た

いと思っています、見栄を張らず、頑張りすぎず、最期までしっかりと介護を

やり通せる選択が大事かと思います


クラリモンド  テオフィール・ゴーチェ作 芥川龍之介訳

2013-12-08 20:00:15 | 生と死を想う

「怪奇小説精華」東 雅夫 編より 「クラリモンド」
筑摩書房 ちくま文庫 2012年発行

クラリモンド テオフィール・ゴーチェ(1811-1872) 芥川龍之介訳

六十六歳の牧師である一人の男の不思議な体験談
生まれながらに教会の中だけで生きてきた僧侶の卵が、よりによって正牧師となる式の最中に、周りにきていた群衆の中に一人の若い女と目と目があってしまい、瞬間的にその女の虜になってしまった


、その美しさ艶やかさは尋常ではなかった
その眼の輝きは天使か悪魔かどちらかである、彼女は男を誘惑し、聖職から離れるようにと言うのである、その代わりに美と若さと生命をあげようと言う、彼は神を捨てようとしている自分を感じた、女の名前はクラリモンドといった

それからしばらくたって、ある教会の牧師となった男のところへある知らせがきた、ある女の葬式をあげてほしいという、男はその屋敷に行った、そこで見た死んだ女は紛れもなくクラリモンドであった、死んでいるのに生きているかのごとくである、男はたまらずその唇に接吻する、

そして奇跡が起こった、クラリモンドは生き返ったのである、そして男が夜の眠りにつくたびにクラリモンドは現れ、騎士となった男と美食を楽しんだり、旅をしたり、その生命の喜びをともに味わうのである、しかし朝となると男は眠りから覚め僧職に戻るのであった

そのうち、クラリモンドは次第に弱ってゆくが男が彼の血を与えると再び蘇り若さと艶やかさにあふれるのである
だが、僧院長は知っていた、この危険な男の二重生活を、
彼は男を連れてクラリモンドの墓にゆき屍を暴き聖水をかけてしまう、すると彼女の屍は灰と骨になってしまうのである

その後、彼女は一度だけ男の前に現れた、そして「もうこれでわたしたちは終わりね、さようなら、きっとわたしを惜しむでしょう」といって消え去り二度と現れることはなかったという、男はその後クラリモンドを惜しみ、懐かしがったという

芥川龍之介の流麗な訳文である
この世とあの世にまたがる霊魂と肉体の交流を描いた悲しいというか怪奇な恋の物語である、
吸血鬼伝説に基づき作られた小説だ、怪談「牡丹灯籠」に似たところもあるが男はこの世的には救われた結果となった、クラリモンドとの恋がこのまま続いたのならどうなったのかと思いその筋書きでの成り行きもおもしろかったであろう、夢とうつつ、どちらが本当の世界かはわからない


映画オペラ リゴレット 

2013-12-03 21:59:02 | 演劇・コンサート

リゴレット 
パルマ王立歌劇場ライヴ映画 2008年
 ヴェルディ生誕200年記念上映

レオ・ヌッチ  リゴレット
ニーノ・マチャイーゼ  ジルダ
フランチェスコ・デムーロ マントヴァ公爵指揮 マッシモ・ザネッティ
パルマ王立歌劇場管弦楽団・合唱団
映画監督 アンドレア・ベヴィラクァ
演出 ステファノ・ヴィッジオーリ

 ヴェルディのオペラには惹き付けられる、アリアやデユエット、三重唱、四重唱、合唱のメロディがいい、そして悲劇を掘り下げ人間が翻弄される運命をドラマチックに炙りだす

このリゴレットもその例に漏れない、宮廷で公爵に使える道化師リゴレットは毒舌を他の貴族たちにふるう余りに皆から反感を買ってしまう、一人娘のジルダを情婦と間違われ、かつ彼女は公爵から言い寄られ誘拐される、

 だが公爵のプレイボーイぶりは”女心の歌”に顕されるように女をえり好みしない、ジルダもしょせんは公爵にとってはそんな女たちの一人に過ぎなかった、それを知ったジルダは悲しむがどういう訳かマントヴァ公爵を憎む気になれない、それどころか愛し赦してしまう、

 一方娘の貞操を奪われたリゴレットは復讐心に燃え彼を殺し屋に殺してくれと頼む、だが、悲劇が起こった、殺されたのは自ら公爵の身代わりになったジルダの方であった、リゴレットは自分に投げかけられた呪いの餌食になったことを思い出して崩れ落ちる

 

 原作はヴィクトール・ユーゴーであるが、モーツアルトの歌劇「ドン・ジョバンニ」を思い出してしまった、愛娘のドンナ・アンナの貞操を奪われて劇昂した父親である騎士はドン・ジョバンニと決闘し逆に殺される、騎士の亡霊がジョバンニを地獄へと引きずり込んで復讐を果たすのだ、

 だが、このジョバンニは放蕩の男でどんな女にも手を出す、しかも、おかしなことに女たちから慕われさえすれ、嫌われることはない、リゴレットのジルダこそドンナ・アンナであり、ドンナ・エルヴィーラである、ドン・ジョバンニでは父親は殺され亡霊となったが、リゴレットでは父は死なず娘が死ぬ、

 だが、彼女は公爵を愛して犠牲になって死ぬことに価値を見いだした、
 
幸せなのは関係した女たちから愛されるジョバンニでありマントヴァである、

 何か腑に落ちないが日本の光源氏もその類だ、彼らは女性の心を虜にする魔法をもって生まれたに違いなく、大勢の男たちの憧れというべきであろうか
レオ・ヌッチ、ニーノ・マチャイーゼ、フランチェスコ・デムーロ 、いずれも素晴らしかった