かみさん(家内)が花を買ってきて活けた。幾つかの花があったがその中に百合がある。だいぶ昔から百合が大型のカサブランカになった。ほかの種類もあるが、百合にあの特有の強い匂いがない。聞けば品種改良で匂いを減少させたものだという。人によっては百合の匂いが嫌いだという。また百合の匂いは強すぎるから嫌だという人もいる。私は百合には匂いがあってこそ百合だという立場である。まあ、それでも仕方ないと我慢してきた。ところが更に驚くことが起きた。なんとまあ、雄蕊の花粉が無いものが出回って来た。かみさんに言わせると、百合の花粉は落ちるし、服などに付着する。そうすると着色してなかなか落ちないのだそうだ。それでかみさんは蕾が開いて花粉が見えだすとすかさず取り去ってしまう。これも私には我慢ならない。雄蕊の花粉は百合の美しさの重要な部分である。絵に描いたり写真に撮ったりするとき、雄蕊とその花粉は百合の花の花たる重要な特徴だ、ポイントである。それが品種改良でなくしてしまった。これは改良などではない。改悪である。去勢である。薔薇からとげを無くしたら薔薇であろうか。朝顔から蔓を除いたら朝顔であろうか?どうにも、人間の勝手が過ぎないか。
自然に手を加えて人間に都合よくするにはルールが必要だ。これは自然に対する冒涜、ハラスメントになる。人間優位の思想である。こういう勝手を止めないととんだしっぺ返しを受けることになる。例えば外来種の動物を国内に入れペットにしたところ、大きくなりすぎて川や池や野に放ってしまった。その結果国内の種を駆逐し大いにはびこりとんでもない悪さをしている。かみつき亀、草魚、ザリガニ、・・・・いくらでも例がある。どうするのか。この付けを誰が払うというのだ。環境破壊の一種である。