長崎原爆被災者として生き残った永井隆博士は浦上教会の合同慰霊祭(1945.11.23.)で信徒代表として弔辞を述べた。病床で苦痛に耐えながら祈りながらまとめたものである。著書「長崎の鐘」にこの弔辞が載っている。かいつまんで紹介したい。
「昭和20年8月9日午前11時2分、一発の原爆が浦上に爆裂しカトリック信者八千の霊魂は一瞬にして天主の御手に召された。猛火は数時間で東洋の聖地を灰の廃墟と化し去った。浦上天主堂は聖母にささげられた。日本の戦力に止めをさすために最後の原爆は元来他の某都市に予定されてあったのが、気象条件が悪く長崎に変更された。しかも軍需工場を狙ったのがずれて天主堂を直撃したのである。このことは神の摂理であったと解釈されなくもない。終戦と浦上壊滅とには深い関係がありはしないか。世界大戦という人類の罪悪の償いが日本唯一の聖地浦上が犠牲に祭壇に屠られ燃やさるべき潔き羔として選ばれたのではなかろうか。
敗戦を知らず世を去りし人の幸せよ。潔き羔として神のみ胸にやすらう霊魂の幸せよ。それに比べて生き残った私たちのみじめさ。なぜ一緒に死ななかったのか。なぜこのみじめな生活をしなければならないのか。私たちは罪人だからでした。余りにも罪の汚れの多き者のみが、神の祭壇に供えられる資格がないため、選び残されたのだ。主与え給い、主取り給う。主の御名は賛美せられよかし。浦上が選ばれ燔祭に供えられたることを感謝します。この尊い犠牲によって世界に平和が再来し、日本の信仰の自由が許可されたことに感謝します。」
永井博士の弔辞にはなぜ浦上教会が原爆の犠牲となったか、亡くなった人たちは償いの羔に選ばれた幸いな人々であること、生き残った者は旧約聖書ヨブ記のヨブの信仰に立たねばならないこと、一切に神の摂理が働いていると認識すること、などが調和よく述べられたもの(世界)であったと思う。調和よい世界とは、神への信仰をもって見ないとわからない世界である。
永井博士は長崎の浦上に思いを集中しているが、勿論この時は広島も原爆で壊滅していた。その後66年たち核の平和利用という幻が全く消え去った福島原発過酷事故を体験した。あれから75年たち今なお原発の負の遺産を抱えている日本、永井博士の平和への道はまだまだ遠い。長崎で原爆にあい亡くなった永井隆博士のことを振り返った。「長崎の鐘」の歌の裏には壮絶な原爆被災者の事実があったのである。長崎市長も広島市長も核兵器禁止条約を日本政府が批准するようにと訴え願っている。安倍首相は原爆忌の日の挨拶で何らこれに触れようともしない。世界で唯一の被爆国でありながらなぜこんなにひねくれた政権があるのか理解不能である。
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