(童話)万華響の日々

いつもご訪問ありがとうございます、ブログ開始から大分心境も変わってきました

見ていても見えていない政府側

2020-08-24 07:57:33 | 新型コロナウイルス感染

どうも判断すべき者がもたついているとしか思えない。新型コロナウイルス感染症への対策である。判断すべき者とは政治家のことである。日々に感染者は増大し重症者も増大している。感染学会理事長は第2波真っ只中だと明言、一方の政府側は何も言わなかったそうである(8/20付)。第1波と最近の大きな波との間には緊急事態宣言と自粛、その解除があった。もしこの自粛が無かったら未だに大きな第1波が続いていたことになる。従って今の大きな波を第2波というならばそれは人為的なものである。何も対策しなければ大きな大1波が続いていることになる。この大きな波は自粛によって小さくすることは実証された。しかし第2波と思われる今ある波への積極的な縮小対策は取られずに放任されてる、としか思われない。なぜ政府は放任しているのか。PCR検査が特別増加されたということも聞かない。せめて5万件強/日程度の漸増である。巷間では、検査して欲しいときは直ぐに、いつでも、どこの病院でも、を願っているがまだほど遠い。

国会は閉鎖して開かないし、どういうつもりであろうか。政府は、放置放任にしか見えない。今や放置放任のコロナ禍対策の説明をすべきである。


再録 長崎原爆忌 永井隆博士の弔辞

2020-08-10 20:31:25 | 千年大災害と脱原発・核廃絶推進の闘い

長崎原爆被災者として生き残った永井隆博士は浦上教会の合同慰霊祭(1945.11.23.)で信徒代表として弔辞を述べた。病床で苦痛に耐えながら祈りながらまとめたものである。著書「長崎の鐘」にこの弔辞が載っている。かいつまんで紹介したい。

「昭和20年8月9日午前11時2分、一発の原爆が浦上に爆裂しカトリック信者八千の霊魂は一瞬にして天主の御手に召された。猛火は数時間で東洋の聖地を灰の廃墟と化し去った。浦上天主堂は聖母にささげられた。日本の戦力に止めをさすために最後の原爆は元来他の某都市に予定されてあったのが、気象条件が悪く長崎に変更された。しかも軍需工場を狙ったのがずれて天主堂を直撃したのである。このことは神の摂理であったと解釈されなくもない。終戦と浦上壊滅とには深い関係がありはしないか。世界大戦という人類の罪悪の償いが日本唯一の聖地浦上が犠牲に祭壇に屠られ燃やさるべき潔き羔として選ばれたのではなかろうか。

敗戦を知らず世を去りし人の幸せよ。潔き羔として神のみ胸にやすらう霊魂の幸せよ。それに比べて生き残った私たちのみじめさ。なぜ一緒に死ななかったのか。なぜこのみじめな生活をしなければならないのか。私たちは罪人だからでした。余りにも罪の汚れの多き者のみが、神の祭壇に供えられる資格がないため、選び残されたのだ。主与え給い、主取り給う。主の御名は賛美せられよかし。浦上が選ばれ燔祭に供えられたることを感謝します。この尊い犠牲によって世界に平和が再来し、日本の信仰の自由が許可されたことに感謝します。」

永井博士の弔辞にはなぜ浦上教会が原爆の犠牲となったか、亡くなった人たちは償いの羔に選ばれた幸いな人々であること、生き残った者は旧約聖書ヨブ記のヨブの信仰に立たねばならないこと、一切に神の摂理が働いていると認識すること、などが調和よく述べられたもの(世界)であったと思う。調和よい世界とは、神への信仰をもって見ないとわからない世界である。

永井博士は長崎の浦上に思いを集中しているが、勿論この時は広島も原爆で壊滅していた。その後66年たち核の平和利用という幻が全く消え去った福島原発過酷事故を体験した。あれから75年たち今なお原発の負の遺産を抱えている日本、永井博士の平和への道はまだまだ遠い。長崎で原爆にあい亡くなった永井隆博士のことを振り返った。「長崎の鐘」の歌の裏には壮絶な原爆被災者の事実があったのである。長崎市長も広島市長も核兵器禁止条約を日本政府が批准するようにと訴え願っている。安倍首相は原爆忌の日の挨拶で何らこれに触れようともしない。世界で唯一の被爆国でありながらなぜこんなにひねくれた政権があるのか理解不能である。

「タイム トウー セイ グッバイ」

アンドレア・ボッチェリ&サラ・ブライトマン  You tube

Andrea Bocelli, Sarah Brightman - Time To Say Goodbye (HD)

Andrea Bocelli and Sarah Brightman: Time To Say Goodbye (HD) Live From...

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広島原爆の日に核兵器禁止条約について考える

2020-08-06 20:52:35 | 千年大災害と脱原発・核廃絶推進の闘い

敗戦後75年目の広島原爆の日である。毎年のことだが小学生代表の少年少女の 「平和の誓い」が立派である。二人が交互に暗唱した文章を語る。息があっているのは何回も練習した結果である。さて、毎年のことだが広島市長と安倍首相の主張が合わない。市長は核兵器禁止条約への参加を唱え、安倍首相はそれに触れず核保有国と非保有国との間に入って橋渡しに努めると主張する。何のためになにを橋渡しするのか説明してもらいたい。それは世界をどうバランスさせるものなのか。よくわからないのである。言語明瞭、意味不明とはこのことである。核兵器非保有国は核戦争の防止そのための核兵器製造禁止、勿論だが使用禁止を目的とする。一方の核兵器保有国は核使用の抑止効果のために核を保有する。相手に核兵器を使用させないための核なのである。日本政府は米国の核の傘に入って自らは非核三原則を守る。日米同盟の帰結である。だから日本は核を持たないが実質的には米国の核の論理、すなわち核兵器を保有して核使用の抑止効果を維持する思想に属するのである。日本の実態は実質的に核兵器保有国なのである。ただし米国に与することによってである。そういう立場の日本が核保有国と非保有国との橋渡しをするとは、何を目的にしたものなのか。そこを安倍首相には丁寧に説明してもらいたい。