(童話)万華響の日々

いつもご訪問ありがとうございます、ブログ開始から大分心境も変わってきました

「老いてなお花となる 織本順吉」

2023-02-24 20:52:39 | 生と死を想う

先頃NHK-BSで放送された「老いてなお花となる 織本順吉」には驚嘆させられた。実の娘が織本の死までの老後をドキュメンタリー記録映画にした。いぶし銀のような名わき役だった。最後まで自分(役者)を貫き隠すことなく曝け出した、ありのままの記録。本ドキュメンタリーはその正に主役を演じたもの。死を前にして老いの苦しみの中で「自然の摂理に任かせる」という。有りのままでそうするほかないという心境。最後に、実娘に「ありがとう。こんな素晴らしいドキュメンタリー記録を作ってくれて」と伝えた。2019年3月、92歳。

 

 


立花隆さんの死と大著「臨死体験」

2021-06-25 20:20:36 | 生と死を想う

「知の巨人」と言われた立花隆さんが逝去された。フリー・ジャーナリストが生涯の肩書であった。死亡日は4月30日、80歳であった。惜しい人を失った。私は彼の膨大な著作を殆ど読んでないが、ただ1冊「臨死体験」という中期の大作を隅から隅まで読んだ。そのころ私は愛しい娘と孫を共に失って茫然自失していた時であった。手に入る死に関する本を読み漁った。チベットの死者の書、エジプトの死者の書、臨死体験に関する書、グリーフケア、自死者・自殺者の家族、逆縁の死に関して、などなど読み漁った。その中には柳田邦男著「僕の心には弓矢が刺さったまま」もあった。

なかでも、立花隆さんの「臨死体験」は実例を数多く上げてその中から臨死体験とは?を科学的に解明しようとしていた。立花さんは自ら臨死体験の疑似体験も試みていた。臨死体験とは心肺停止のような死んだ状態になって医者も臨終を告げようとしているときに、ふっと生き返ることであるが、本人は一種独特な体験をしている。お花畑に出くわしていたり、大きな川の前に立っていたり、暗いトンネルを上がってゆくと光り眩い世界に入ってゆきそうになる、そして誰かが自分を呼んでいる声に気づき我に返ると、親族が自分を囲んで呼びかけていたというのである。国や男女や年齢の差に関係なくこのような体験をするらしい。なぜ臨死体験に関心を持つかというと、死後の世界を知りたいためである。そこで死んだ懐かしい人に会えるかもしれないと思うからである。立花さんも多分ご自分の死を感ずる体験があったのだろう。例えば癌が見つかったとか。それでこのテーマと取り組んだのだろう。臨死体験は自ら進んでするものではない。運命の中でたまたま死にそうになった人が体験することである。私も現実に何人かの人から臨死体験を聞いたことがある。死の瀬戸際から生還した話ばかりだ。だが、こういう人たちは大抵はもはや死を恐れなくなっている。むしろ人生を積極的に生きようとしている。他人や社会のために役立ちたいと思うようになる。なぜだろうか。死の体験とはそういうものなのであろうか。

立花さんに生きていて書いて欲しかったものがある。新型コロナウイルス・パンデミックとワクチンとその後の世界、についてである。それもかなわなくなった。誰かが現れて書いて欲しい。


阪神・淡路大震災23年経過に思う

2018-01-18 20:37:37 | 生と死を想う

阪神・淡路大震災から23年過ぎた、約6400人が犠牲となった、夕刊を見ていたら被災した人があの時から時計が止まったままだと、それでも年月は流れ23年もたってしまった、時計が止まったままだという人は多い、災害や事故や自殺などで愛する子や兄弟親が逝ってしまった家族にとってはみなそうである、後に残された者にとって、親族の死から後の人生がどんな意味があるのかと何度も問う、残されたものの心には矢が突き刺さったままなのだ、下手に抜こうとすると傷が大きく空いてしまってどうしようもなくなる、そのままにしてじっと時の流れに身を任せるしかないかもしれない、同じような体験をした人に話すのもよいとわれる

一つの救いへの道は、難しいかもしれないが、聖書のヨブ記を読む道もある、そこには「神が与え,神が取り去りたもうた,神の御名は褒むべきかな」と書かれている、裸で母の胎から出てきたのだから裸で死んで逝っても何の不思議もない、というのである、

この世では伴侶ができ子ができ孫もでき、富や財産も得るであろう、だがすべて神から与えられたものなのだ、ヨブは家族も財産も自分の健康もすべて失った、それでももともと自分はそういう無一文で生まれて来たんだから無一文で死んでも文句はないというのだ、この境地に至ることはかなり難しいが神に祈れば不可能なことではないであろう、そのとき思いもよらない慰めが与えられるであろう


座間事件の犠牲者の家族に言う言葉もないが・・・・

2017-11-08 16:53:19 | 生と死を想う

自殺願望者をたぶらかして殺害しバラバラにして冷蔵庫などに入れていたという座間事件、事件の詳細は徐々に明らかになってきている、それにしても自分は死ぬ気が初めからないにも関わらず一緒に死ぬなどと騙し9人を2か月間という短期間に殺害した、しかも殺害後の死体に関わる残忍な処置は酸鼻の極みである、

犠牲者の身元が判明しつつあるが遺族の悲しみは想像を遥かに超えるものだ、ツイッターなどのSNSで自殺願望の書き込みがあったら思いとどまるように説得することこそ本来の人間の在り方なのだが、怪奇映画を見るようなこんなのはどうも恐ろしいものだ、

家族が、それも子供が自殺した場合の家族の特に両親の苦しみ悲しみは例えようもなく悲惨である、それはいつまでも続く心の痛手である、自殺した子の親の会というのがあって互いに支え合っている、それでも傷はいつまでも癒えない、今回の事件で犠牲者の家族には心からお悔やみ申し上げたいがどんな言葉も慰めにもならず無意味であることを覚える

それでもどうかその傷を抱えたまま生きて欲しいと願う、子どもの分も含めて・・・・時が癒してくれるかもしれない


平幹二朗さんの死にふと思った奇異なこと

2016-10-28 22:44:03 | 生と死を想う

俳優平幹二朗さんが10/22に82歳で急逝した、朝日新聞の記事から抜粋すると{・・・長男で喪主の俳優平岳大さんによると、最後の晩、平さんは孫を抱き、ミルクをあげて、大好きなワインをたくさん飲んだという。「家に送り届けた私に『岳、もう帰りなさい、ふふっ』と笑った父。幸せだったと思います」と振り返った。}ということである、

この記事を読んで奇異に思ったことがある、平さんは死の前日の晩に孫を抱き、ミルクをあげ、大好きなワインをたくさん飲んだ、とあるところである、報道によれば平さんは自宅の浴槽で安らかに亡くなっていたという、つまり彼はアルコールをたくさん飲んで入浴したと類推できる、

よく知られたことだがアルコールを飲んだ後は入浴は危険であり、急死を起こしかねないということ、だから夕食で酒を飲んだ日には風呂に入らない人が多いのではなかろうか、私もアルコールを飲んだ後は入浴を避けるかアルコールの量を少なめにしている、

可愛い孫を抱いてその喜びに浸りきった平さん、当日は夜になって急に冷え込んだというように記憶している、風呂場でのヒートショックで急死の恐れがあり要注意の状態であったと思う、そこへもってきて多量のアルコール摂取とあれば尚のこと危険は高まる

平さんはこの点につき常日頃は多分注意深い人であったと思われる、可愛い孫、つい多量飲酒したこと、・・・そして気温の低下、こんな状態の下でつい人間は自分でも無意識に通常しない行動を取ることがある、余り思いたくないが平さんに無意識の行動が起こったのかもしれない


やっと庭仕事ができる気候になった

2016-09-13 15:57:58 | 生と死を想う

最近はさしもの猛暑・酷暑も影を潜め、やっと日中の暑さも収まってきた、だが今度は度重なる台風来襲で雨風酷く外の作業には向かなかった、しかしそうこうするうちに庭の雑草がすっかりはびこって茫々としている、花木の枝もやたらと伸び放題で見っともない、見かねて束の間の晴れ間を狙って庭仕事にとりかかった、

いまの大敵は藪蚊である、世を騒がせているジカ熱やデング熱を媒介するヒトスジシマ蚊がうようよしている、そこで渦巻き蚊取り線香を二個周辺に置き、防蚊スプレーを周辺の藪に撒く、

さらに露出している腕や足に防虫スプレーを噴射する、帽子を被り目にはメガネを着ける、そして手袋つけて草むしりだ、3時間ほど続けているとプラ袋がたちまち雑草で一杯になる、それで切を付ける、あまりやると疲れてしまって後に差し障りが起こる、

庭仕事をしているとヘルマン・ヘッセの「庭仕事の愉しみ」という文章を思い起こす、ヘッセも高齢になってから庭仕事の愉しみに浸ったという、彼は心から庭仕事が楽しかったようだ、私も自慢できるようなガーデニング屋ではないがそれでも草をむしったり、枝を剪定したり、苗の植え替えをしたり、庭仕事をしていると無心になれる、爽快な気分になれる、実に清々しい気分である、今後もなるべく散歩か庭仕事かどちらかを欠かさない日々にしたい


視覚障害者と盲導犬との痛ましい死

2015-10-04 20:34:30 | 生と死を想う

これは大変に痛ましいニュースをみました、朝日新聞10/4日朝刊から以下に引用します

「3日午前8時ごろ、徳島市新浜町1丁目の市道で、歩いていた同市昭和町8丁目のマッサージ師

山橋衛二さん(50)が、同市八万町の自営業手伝い福本亮さん(38)運転のダンプにはねられ、

胸などを強く打って約1時間後に死亡した。山橋さんは視覚障害者で、連れていた盲導犬も一緒に

死んだ。 徳島東署によると、現場は建設資材置き場の入り口付近。ダンプは当時、資材置き場に

バックで入ろうとしていたらしい。山橋さんは勤務先の医院に出勤する途中だった。

 「徳島の盲導犬を育てる会」の杉井ひとみ事務局長(56)によると、一緒にいた盲導犬は県から

貸与された10歳のオスのラブラドルレトリバー、ヴァルデス号。山橋さんは約9年間行動を共に

していた。ヴァルデス号が11日で引退することが決まっており、山橋さんは新しい犬との出会いも

楽しみにしていたという。杉井さんは事故現場に駆けつけ、「ショックだ。盲導犬の判断ミスは考え

にくい。どうしてこんなことになったのか」と話した。」

 不幸な事件でしたが、痛ましいのは盲導犬ヴァルデス号がいわば殉職したこと、丁度かれの11才

の誕生日に死んだ、現役引退の1週間前に死んだことです、こういう不思議なめぐりあわせの生涯に

は何かしらの運命的な意味を感じます、盲導犬を街で視覚障碍者とともにいるところを見るとき、

その従順で主人を守ろうとする誠実な姿に深い感銘を常に覚えます、

亡くなった山橋さんとヴァルデス号の天国での平安を祈ります


老衰死は平穏死なのだ

2015-09-22 19:18:13 | 生と死を想う

今週の日曜日のNHKスペシャルで放送されたのは老衰死のことでありました、興味があったのは90歳前後の

高齢者が老衰と いう形で最期を迎える、その意味とか内容状態についてです、「平穏死」で有名な石飛幸三医師

がご自分で開設され運営されている老人ホーム(特養)での利用者が老衰という平穏死を迎える姿、それを見守り

看取る家族の姿、これが実に印象的でした、体の機能が衰え組織の細胞が少しずつ滅死して減少し食事を摂らな

くなり、必要なものはただ唇を濡らす水のみとなり、昏睡し、最後の荒い呼吸が始まり、それが静かに衰え弱ま

ってゆく、そのとき身体は最後の発熱をしていっとき熱くなるがやがて呼吸が弱まるとともに静かに静かに呼吸

が止まり心臓が長い間休むことなく打っていた鼓動を止める、血圧もあっという間に下がってゆき終に死に至る、

実に厳かというほかありません、

 わたしの父母もまさにこのように息を引き取りました、実はいまでも気になっていたことがあったのです、

それは両親が死に瀕して荒い息をしていたこと、二人とも酸素の吸入をしてもらっていました、その荒い息が

苦しそうに見えたので、苦しかったのではないかと思って気になっていました、番組では老衰死しつつある人

のその荒い呼吸で苦しそうな身体の痛みを脳への痛みまたは苦しみの信号として測定していました、しかし

本人にとってその信号が弱まってゆくのです、つまり見かけとか外見では苦しそうに映るのですが、もはや

本人の意識というか心というか魂というか、それが平穏な状態へ限りなく到達していてもう苦しみは感じて

いない、医師はそう説明して家族を慰めていました、だからわたしは安堵しました、身体は死に向かう最期

のときには平穏以外の何ものでもないということです


歌舞伎町ビル火災の犠牲者の両親の苦しみに思う

2015-09-07 17:18:38 | 生と死を想う

2001年9月1日の歌舞伎町ビル火災で44人が死亡したという14年前のニュース、犠牲者の

両親の今も続く苦しみについて9月1日の朝日朝刊で見ました、その犠牲者の一人中村沙理由さん

(当時23歳 栃木県足利市)の面影を14年間追い続けている両親の苦しみを知るにつけ心が痛み

ました、将来はミュージカルの舞台俳優を目指していたが歌舞伎町でアルバイトをしていて事件に

巻き込まれたものです、両親は今でもオーデション用の娘の録音を聴いて偲んでいるとのことです

  犠牲者44人の中には同様の悲劇にあった肉親や友人が多くいることでしょう、このような逆縁

の死、とくに事件・事故・災害で亡くなった子供とか孫を持つ親兄弟や祖父母の心の苦しみは到底

想像できません、同じような目に遭った人ならば慰めも言えるかもしれません、けれどやっぱり

慰めや励ましはできるものではありません、

 ただただ自分の体験を語ってお互いに聞き合うことで共通の境遇を知って苦しみは自分だけではない

のだという慰めが得られるかもしれません、死と生の問題はだれにでも関わることでありながら納得

できる解答を得られる人は稀ではないかと思います、特に親しい者の不慮の死に関係した人はなぜ

自分だけが、この子だけがこんな苦しい目に遭わねばならないのか、その理由がわからず迷宮に

落ち込んだまま悩み苦しみ続けるのだからなおさらでしょう


イワン・イリイチの死  (レフ・トルストイ) を読む-----死を受け入れるこころはどうして得られるのか

2015-03-30 15:56:06 | 生と死を想う

イワン・イリイチの死 (レフ・トルストイ)望月哲男訳 光文社2006年出版
裁判官となり功なり名を遂げたイリイチは結婚とともに健康を害してしまった、社交界の華であった妻はこうるさい虚栄心の強い女であった、この妻を喜ばせようとして彼はより高い地位に出世したが新しい家を自ら飾り立てていたときに梯子から落下した、

その際身体を痛め大したことでもないと思ったが次第に痛みは増し、それが元で内臓疾患に陥った、それは短期間にたちまち悪化してゆく、遂に彼は死を眼前に意識せざるを得なくなり恐怖の虜となり、そしてまだ45歳という若さで自分が死に逝くことを受け入れることができず、耐えざる痛みと闘いつつ何とかして治癒したいと願う、だが痛みは益々激しくなり見る影もなくなるほどやせ細ってしまうのだ、

イリイチは最期が近づくとき自分はいま何をすべきなのかと自問自答を繰り返す、彼は自分の無力を嘆き、恐ろしい孤独を嘆き、人々の残酷さを嘆き、神の不在を嘆くのだ、何のためにこんなに苦しむのかと嘆いた、

いま何を自分は欲しいのかと問う、今までの生き方が間違っていたのではないかと疑う、だが答えは与えられない、

 イリイチは世間が求めているこの世の価値ある立派な生き方が間違っていたのであって、それらは生と死を覆い隠す恐るべき巨大な欺瞞であることを覚るのだった、妻は彼に聖体拝領を勧め彼もそれを受ける、彼は体も気分も楽になった気がした、だが彼は妻を憎み再び苦痛にとらわれる、三日間唸り続けその苦痛のなかで死を前にして自分がすべきことがあるのではないかと言う意識が浮かぶ、

彼は傍で自分をみて泣いたりオロオロしている家族をみて、自分の死が彼らを開放できると気付く、イリイチは「ゆるしてくれ」と自分が言ったように思った、そのとき彼を苦しめていた体の痛みも死の恐れも消えていたのである、その代わりにひとつの光があった、なんと簡単なことか、なんと歓ばしいことか、死は彼にとって最早
存在しなかった

死に面したとき、それの拒絶と受容の過程はキューブラ・ロスの著書「死ぬ瞬間」で否認、怒り、取引き、抑うつ、受容の五段階を経て進むと解説されており、このイワン・イリイチの場合もそのとおりである、誰もが避けて通ることのできない死についてイリイチがどのように苦しみ受容に至ったのか、健康で全てが順調であったときに人生の価値であると思っていたものがすべからく欺瞞であり嘘であったという結論は実に厳しいものだ、

人生が死という終着駅を目指して進んでいるときに為すべきこととは本当に簡単なことであるという、それも大それたことではなく死病で身体も動かせず口も十分に語れなくともできることであるという、これは理屈や勉強で身につくものではなく、キューブラ・ロスの説くような五段階の心の葛藤を自ら経なければ、到達できない次元であろう、だが、到達したときには今までおそるべき恐怖を伴って待ち構えていたら死の姿は消え失せ代わりに大いなる絶対の光しかそこにはないのだという


知人の死におもう

2015-02-11 20:07:50 | 生と死を想う

同じ町内の親しくしていた店屋の主人が亡くなりました、

昨年の11月ごろ健康診断で癌が発見されたのですが、

すでに末期の癌であったということ、もはや治療の余地

なく家で余生を静かに過ごしていくことにしたと聞いてい

ました、それにしても全く早い進行でした、わたしとほと

んど同じ年齢であったと聞きさらにやり切れなくなりま

した、奥さんも子供さんもお孫さんもいたのでさぞかし

最期の日々は辛かっただろうと想像しました、しかし

当事者でなければこの辛さは到底分からないであろう

とも思いました、つい二か月ぐらい前は元気そうな姿を

見ていただけに無常感に包まれます


 夜と霧   V.E.フランクル 霜山徳爾訳  不思議な夕陽のような明るさ、光、温かさ

2014-11-11 21:07:14 | 生と死を想う

 

夜と霧   V.E.フランクル  霜山徳爾訳 

 みすず書房 1990年発行

第二次世界大戦で自らユダヤ人としてドイツ・アウシュヴィッツ

強制収容所における限界状況下での体験を著したあまりにも

有名な記録書である、どれだけナチスによる酷い大量殺人が

行われたかは他の様々な戦後に著された記録の中でも知り

得るが、本著述は単に収容所の非人間性や残酷性は勿論記載

があるが、それ以上にその過酷な毎日の生活の中であるにも

関わらずフランクルが持ち得た豊かな心情と精神について触れ

られており特筆に値すると思う、

当時のことだ、収容所から作業場へゆく時のことだった、辛い

行進の最中で彼はふと自分の前を共にゆく妻の面影を見た

という、長い道中であったが妻と彼は互いに語り合いつつ時には

微笑しあい共にいた実感があったそうだ、そのときフランクルは

妻が実は既に殺されて死んでいたことすら知らず、生きている

かも知らず、ただ最早人間の身体的な生死は二人の愛にとって

なんの問題にもならないことに思い至ったそうである、


たとえ妻の死を知っていたとしてもこの「愛する直視」に身を捧げ

得たであろうという、そして彼は「我を汝の心の上に印のごとく置け、

ーーーそは愛は死のごとく強ければなり(雅歌八章の六)」という

真理を知ったという、この思想、この哲学は彼の絶望的な瀕死の

苦しみを経たからこそ達し得た境地であろうと思う、


その後、収容所の囚人たちは自分たちの苦悩、犠牲、死を償って

くれ意味を与えることができるものは「幸福」ではなかったと実感

したという、「彼はそして解放され家に帰ったすべての人々が彼らの

体験を通して、かくも悩んだ後にはこの世界のなにものもーーー

神以外にはーーー恐れる必要がない」という貴重な感慨にとらえら

れた、        このようにフランクルはこの書物を結んだ、


「夜と霧」という題名からはまったく暗く暗鬱な気分にさせられる、

だがこの悲惨で過酷な体験記録はなにか不思議な夕陽のような

明るさ、光、温かさ、この世に生きて人生の愛するものとの死別や耐えが

たいような苦難・苦悩にあった人々に死生の次元を越えた労りと

慰めを与えてくれるのである


愛猫と二人暮らしであった老婦人の死

2014-10-01 21:42:37 | 生と死を想う

懇意にしてお付き合いしていた一人暮らしのおばあさんが亡くなりました、

独居というのは本当は正しくなく愛猫と二人で暮らしていました、亡くなる

前日まで元気でご挨拶をしていたので訃報を知らされたときは余りに突然

のことで不意を打たれた感じで実に驚きました、

まあ、「ピンコロリン」の最たる例になったわけで本人にとっては良かった

と思います、ほとんど90才であったのにご主人が亡くなってからは一人で

暮らしてこられたわけで、最近は気が少し弱くなって施設に入らなければ

いけないかなと悩むときもあったそうです、しかし、愛猫を手放すことに

忍びなく、死ぬときは一緒だよと毎晩寝るときにはそう言って寝床に就い

ていたと聞きました、しかし、施設にも病院にも入ることもなく亡くなった

のは実に幸せでした、たった一つを除いて、つまり、後に残した猫ちゃん

の行く末です、

けれども、遺族の方が猫の愛護施設を知らされて無事そこで預かって

もらえることになり、余生を静かに暮らせることになったそうです、

良かった、好かった


終末医療の厳粛さ

2014-04-24 19:50:05 | 生と死を想う

昨日の新聞に載っていた記事です、腎臓が悪くて週三回の人工透析を二十

五年以上も続けてきた男性が、透析治療を続ける苦しさから遂に透析終了

を決心し、その結果家族に別れを告げて61才で静かに息を引き取ったとい

うことです

終末医療の重要さが一人一人に問い掛けられていると思いました、

人生の終わりかたは人それぞれですが只単に生き続けるだけで良いのだ

ろうかという厳粛な問いに誰もが答えていくことが求められている、まだ落ち

着いて判断できるうちに意思表示を出来るようにしたいと痛感しました


年賀状終了ご挨拶をだすとき

2014-02-08 10:13:55 | 生と死を想う

朝から細かい雪が降っていてもう18cmぐらいは積もったみたいです

すでに正月をとっくに過ぎましたが今年の年賀状、じいちゃんの年賀状は

96才の誕生を記念して「これで年賀状を終わりにさせていただきます」

との趣旨の文章でわたしが代筆して知人友人に出しました

確かに高齢に達したじいちゃんの友人知人もずいぶん亡くなって

少なくなっていました

わたし自身も元会社の上司が80才近くなったときに、年賀状の終了挨拶

を頂戴しました

年賀状はある意味で年に一度の儀礼的挨拶、それを年齢的なことから

終了を告げることはある寂しさをの感情を伴います、

けれど実際には親しい友人などには年賀状は終了しても通常の手紙や

はがきなどで連絡を保つことはできます

しかし、やはりある意味で年賀状の終了挨拶は今までのお付き合いを

終了したいという”お別れ”の挨拶であることに変わりはありません

わたし自身もその時機をみてやはり年賀状終了挨拶を出さねば

ならないでしょう