夜と霧 V.E.フランクル 霜山徳爾訳
みすず書房 1990年発行
第二次世界大戦で自らユダヤ人としてドイツ・アウシュヴィッツ
強制収容所における限界状況下での体験を著したあまりにも
有名な記録書である、どれだけナチスによる酷い大量殺人が
行われたかは他の様々な戦後に著された記録の中でも知り
得るが、本著述は単に収容所の非人間性や残酷性は勿論記載
があるが、それ以上にその過酷な毎日の生活の中であるにも
関わらずフランクルが持ち得た豊かな心情と精神について触れ
られており特筆に値すると思う、
当時のことだ、収容所から作業場へゆく時のことだった、辛い
行進の最中で彼はふと自分の前を共にゆく妻の面影を見た
という、長い道中であったが妻と彼は互いに語り合いつつ時には
微笑しあい共にいた実感があったそうだ、そのときフランクルは
妻が実は既に殺されて死んでいたことすら知らず、生きている
かも知らず、ただ最早人間の身体的な生死は二人の愛にとって
なんの問題にもならないことに思い至ったそうである、
たとえ妻の死を知っていたとしてもこの「愛する直視」に身を捧げ
得たであろうという、そして彼は「我を汝の心の上に印のごとく置け、
ーーーそは愛は死のごとく強ければなり(雅歌八章の六)」という
真理を知ったという、この思想、この哲学は彼の絶望的な瀕死の
苦しみを経たからこそ達し得た境地であろうと思う、
その後、収容所の囚人たちは自分たちの苦悩、犠牲、死を償って
くれ意味を与えることができるものは「幸福」ではなかったと実感
したという、「彼はそして解放され家に帰ったすべての人々が彼らの
体験を通して、かくも悩んだ後にはこの世界のなにものもーーー
神以外にはーーー恐れる必要がない」という貴重な感慨にとらえら
れた、 このようにフランクルはこの書物を結んだ、
「夜と霧」という題名からはまったく暗く暗鬱な気分にさせられる、
だがこの悲惨で過酷な体験記録はなにか不思議な夕陽のような
明るさ、光、温かさ、この世に生きて人生の愛するものとの死別や耐えが
たいような苦難・苦悩にあった人々に死生の次元を越えた労りと
慰めを与えてくれるのである