(童話)万華響の日々

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トルコの原発建設から伊藤忠商事が撤退

2018-04-26 10:52:39 | 千年大災害と脱原発・核廃絶推進の闘い

トルコの原発建設計画で、伊藤忠商事は三菱重工、フランス企業などと組んで進めているが、事業費が原発4基を当初は2.1兆円と見積もられていた、それが4兆円以上に膨張した、理由は福島第一原発事故後の安全対策費用の再検討で膨張したからである、伊藤忠は原子炉プラントの導入に関わるコンサルや資金調達のサポートをする事になっていた、だが出資者としての参画は商社としては困難との認識結果であり撤退を決めたようだ(朝日新聞2018.4.25、より)

同原発の立地は黒海沿岸シノップ地区、周辺はシリアやロシアに囲まれた内海地帯である、シリアでの近年の政状不安定な現状を見れば、原発事故が万が一起きた時その放射能拡散影響は大変なことになりそうだ、建設費用が2倍に膨張して困難になったというような話では終わらない、トルコが建設を何故中止しないのか不思議だ


常軌を逸した醜態・惨状、もう止めてもらいたい

2018-04-20 20:37:21 | 社会診断 企業

常軌を逸する不可解な政治事件が噴出している、国民にはそのように見える、無理を通すから道理が通らない、言わずと知れた安倍内閣と官僚たちの見っともない状況である、十年前であったらとっくに倒れていたであろう政権である、一体幾つ失態を積み重ねたら責任が取れるのか、モリ・カケの不透明な官邸関与や省庁の決裁文書改ざん、自衛隊日報の隠ぺい、果ては財務省事務次官のセクハラ事件逆居直り、・・・・随分と広範囲に問題案件が多すぎて列挙しきれないほどだ、その殆どすべてに対して隠ぺい、居直り、黙秘、記憶にない、等々余りにも酷すぎる、そして非を認めず延命を画策する

一般の会社であったら社長以下役員全員が引責辞任、しかも会社は倒産であったろう、なぜそうならないか、自分たちの真の姿が見えていないからか、税金を浪費してもわが身の痛みと感じないからか、しかも首相は膿を出し切って不祥事の再発に努めるようにという、事件の当事者に冷静な解明ができるのか、言いたくないが膿とは安倍首相・自分自身ではないのか、このままでは膿が膿を撒き散らすことになろう、

もはや醜態を通り越して惨めでさえある、回復不可能なレベルに至っている、もはや関係者は潔くすべてを包み隠さず公に曝け出すべきだ(ex証人、参考人)、国民にこれ以上の惨状を見せはならない


フレイル(加齢性虚弱化)にならないように工夫して生きる

2018-04-17 13:13:04 | 病気も仕事

「フレイル」という言葉を最近よく聞く、何のことかと思ったら「虚弱」ということらしい、更に言うと「加齢に伴い筋力や心身の活力が低下した病態」という定義で2014年に日本老年医学会が提唱し、介護予防の重要な言葉となった、それでメタボ(メタボリックシンドローム)やロコモ(ロコモティヴシンドローム)の次に現れた概念である、メタボは太りすぎ状態、ロコモは足腰の筋力低下・衰弱、そしてフレイルは年をとると共に体や心身の力が抜けてゆき介護を必要とする状態に近づく病態だというのだ、

自分自身が加齢によって気づいたことがある、若いころはよく口内炎になって苦しんだものだったが50代半ばを過ぎてからは殆ど口内炎が起きなくなった、また自分の頭髪はくせ毛でうねっていたが最近は髪も細くなったりでうねらなくなった、自分の特徴であった独特のヘアスタイルが消失した、そのため人相が変わったような気もする、また若いころはギックリ腰が多発して大変であった、それが起きないようになったが一方で慢性の腰痛が起きている、すなわち腰が弱くなって庭作業中もすぐに休みたくなる

メタボに関しては体重は若かったころと大して変化ないが腰回りの肉付きが大きくなった、ロコモに関しては前述したが慢性の腰痛に悩む、腰の筋力が減って歩きが遅くなった、明らかに私もフレイルに近づいている、否すでにフレイルになっている

更にフレイルは認知症が進んだり精神活動力も減退する状態も含む、これはえらいことになったと思っている、言ってみれば老衰へどんどん接近しつつある、健康寿命を延ばすとはすなわちフレイルにならないように過ごすことだ、人それぞれに自分でフレイルにならない工夫をする、一日でも早くその努力をする、呆けないように自分で考えて行動する、これが大事だと思った、社会や政治や経済に関心をもち、積極的に関与するのもいい、外出して展覧会や映画やショーを見たりする、見たら友達や家族にその感想を話す、・・・・やれることは限られるがやれるところからやろう


秋冬鳥帰る、そして夏鳥が入れ替わる

2018-04-13 20:48:56 | 日記

生き物たちは確実に季節の移り変わりを知っている、俳句の季語に「鳥帰る」というのがある、鳥とは渡り鳥のこと、鴨、雁、白鳥、鶴、ツグミなどだ、我が家のあたりでは秋口に山から下りてきたヒヨドリが該当する、実は一昨日まで木の枝に刺しておいたバナナやリンゴを啄みに来ていた、ところが昨日は現れず、今日もそのまま残っていた、遂に山に帰って行ったなと思った、また秋までお別れということになった、ヒヨドリがいるときはギャー、ギャー地鳴きをして喧しかったが、居なくなると淋しい、その代わりに四十雀がやってきた、鴬も一時やってきたがすぐ森の方へ戻った、目白も同じだ、直にアカゲラ、アオゲラなどキツツキ類が来るだろう、そして囀りの競演をして楽しませてくれる


なぜ記録を残さないのか、日本の政治

2018-04-11 16:19:25 | 社会診断 企業

政界・国会ではここへ来て「ない」とされた日報、報告書、メモや決議書などが続々と表に出てきている、いわば問題となっている疑惑の追及の結果である、疑惑の追及に対して書いた証拠は破棄されたとか、そもそも議事録を取らなかったとか、たとえ議事録やメモがあったとしても上部の意向に合わせて書き換える、削除する、挙句の果てには廃棄する、・・・、こういう政界の常識である、

一方で事実を正しく書き留めるということは非常に大切である、なんでもいいから余計と思われることまで書き留める、これが日報であり、個人の日記やメモである、それが国家の名のもとになされたものであれば国家の公文書である、記録には記載日や時間を添えなければならない、時間順に後からでも並べることができ、コンピューターに記録させればた易く並べ替えや検索が可能である、

こういう記録が完全に残っていれば今起こっている政治の疑惑は忽ちに解明できる、一旦記録完了し公文書となったものはもはや個人や部署のものではなく専門機関によって管理されるべきものだ、そうすれば改ざんなど起きようが無い、アメリカでは詳細な記録を後世に残す努力は徹底している、日本もそれに倣うべきだ

一番の問題点は記録をしないことである、当事者たちが自分の脳の中に留めておく、国会の質疑でも「記憶にない」とか「知らない」と突っ張ればそれ以上に進まない、

世界にはインカ帝国のように文字を持たなかった文明もある、従って文字による記録がない、彼らは言葉を話さなかったわけではあるまい、処が文字を持たなかったというのはどういうことだろうか、動物も鳴いて意思疎通する、しかし当然ながら文字を持たない、インカ文明は動物並みだったのか、否である、インカは帝国であり高級な遺跡を建造した、正確に天体の動きを観測し暦を持っていた、だが文字を用いなかった、文字以外の記録方法をもったのかもしれないが、考古学者はそれを発見していないだけかもしれない、ともかく文字記録がないと歴史事実が残らない、

歴史から消えていなかったことにしたいならば記録を残さないことだ、日本の従来政治にはそういう(暗黙の)意志が感じられる、(だとすればそれはなぜなのか*1)だがそれでは後世への責任と義務を果たしたといえるだろうか、インカ文明が有していた幻の記録技術のようなものがない限り文字記録を優先させるべきなのだ

(*1)記録をしない理由の一つは、当事者たちが悪行を働いていると自覚している、厄介なことにならないようにしたいなど、つまり隠したい(隠蔽)、あまり良い理由がない、逆に善行をする自覚があれば謙遜してむしろ他人には黙っている、記録しない、というのが人間ではなかろうか、今の政界ではこの関係はひっくり返っている


「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」 国立新美術館 を観た印象

2018-04-07 20:06:18 | 展覧会

「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」(~5/7 国立新美術館)を観た、エミール。ゲオルグ・ビュールレはドイツ生まれのスイス在住でその絵画コレクションは2020年にチューリッヒ美術館に移管されるそうだ、日本では27年ぶりの展覧会、今回の目玉はルノワール「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢(可愛いイレーヌ)1880」、セザンヌ「赤いチョッキの少年 1888」、モネの大作(200×425)「睡蓮の池、緑の反映 1920-26」である、「イレーヌ」は可愛い少女、NHKの日曜美術館でみたがモデルとなったイレーヌはユダヤ人、アウシュビッツの犠牲を免れたが「可愛いイレーヌ」はナチスの略奪にあった、その後返還されたものがイレーヌのもとに戻った、しかし再びビュールレが買い取ったという、イレーヌ本人もさながら「可愛いイレーヌ」も数奇な運命をたどったそうだ

セザンヌ「赤いチョッキの少年 1888」はビュールレ美術館から2008年に盗難にあい2012年に発見されたという、ところがビュールレ美術館から盗まれた絵画はほかに3点あり。モネ「ヴェトウィユ近郊のヒナゲシ畑 1879」、ドガ「リュドヴィック伯爵とその娘たち 1871」、ゴッホ「花咲くマロニエの枝 1890」 である、いずれも無事な帰還ができて今回の日本展示で鑑賞できることは誠に嬉しい限りだ

目玉はこれに限らない、ゴッホ「日没に背に種まく人 1888」、「自画像 1887」、前述の「花咲くマロニエの枝 1890」、「ゴーギャン「肘掛椅子の上のひまわり 1901」」、アングル「アングル夫人の肖像 1814」、そのほかマネ、ドガ、ピカソ、ブラック、ヴラマンク、クールベ、シスレー、ピサロ、・・・すごいコレクションだ、どこかで写真でしか見なかった絵画、それらがビュールレ・コレクションであったとは知らなかった、ビュールレ・コレクションの本展覧会は実にありがたい企画である、今回も本物を目の当たりにできる幸福感に浸った


薔薇の新芽を食う害虫退治、忙しい、

2018-04-04 20:04:58 | 日記

どうも季節の動きが異常である、ついニ三日前には庭の薔薇の芽がまだ出るか出ないかであった、

それが、一昨日ぐらいから急に葉芽が出始めて、一日で生い茂ってきた、これはいかんなア、薔薇の葉に殺虫剤を掛けてやらないと新芽を食われてしまう、

気温が20度を超えると虫たちの活動が急激に活発になるようだ、つい最近には啓蟄だと言った覚えがある、虫たちは桜の花が急に開花したころから同じように卵からかえったらしい、今日は風も多少は緩かったので殺虫剤を噴霧しようと思い立った、

だが、案の定、1日は遅かった、幾つかの新芽は切られていた、クロケシツブチョッキリという害虫だ、折角の花の蕾を根元から食って枯らしてしまう、まことに憎らしい奴だ、しかも新芽が出るころに早々とやってくる、こちらも焦らないといけないのだ、それでも、被害は最小限に食い止めたと思う、連休の頃の開花が楽しみだ

農家は比較できないほどに季節の急激な動きへの対応に苦慮しているだろう、こないだまで雪が降っていたのだ、それが夏日になってしまった、雨も降らない、異常さが当たり前になりつつある、人間は乗り切れるのだろうか