(童話)万華響の日々

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読書「負けるのは美しく」 児玉 清著 その印象

2011-07-31 20:51:50 | 読書

                

読書「負けるのは美しく」 児玉 清 
  集英社文庫 2008.3.25.刊行

 児玉 清(1934-2011)のエッセイ集である。彼のいくつかの重要

な告白がエッセイとして著された。

児玉さんが切り絵作家であることは亡くなったときに知った。

”封印した青春”の章に、その経緯がある。中学生の時、姉の本箱

から「
紫苑の園」なる少女文庫を拝借し読んだところ、そのロマンチ

ックな世界にはまりこんでしまった。更に、そんな気持ちが紙粘土製

のマリオネットに魅せられ、自分でパリのお巡りさんを切り絵で作成

してみたという。当初は友人に売ったらしいが、それ以後45年も切

絵から離れていたが最近になって出版社の知人から声をかけら

れて本にして出版したものという。

 俳優の道に入ったいきさつや自転車や自動車で危険な目にあっ

思い出も語られている。この本のタイトルで児玉さんの信条「負け

のは美しく」には、児玉さんならではの俳優人生に対する一種の

悟りというか人生観がある。

 最後に、”天国へ逝った娘”なる章で、

 愛娘の死について父親の悲しみが綴られる。1999年12月24

日、娘の奈央子さんに胃ガンが発見されたとき既に末期だったとい

。彼女の誕生から幼少期の思い出が次々と回顧される。2000年

1月17日に手術が行われた、しかし、ガンが再発し2002年6月

12日に37歳の誕生日の11日前で死亡した。

 彼女の闘病生活とそれに付随した病院や医師たちとの葛藤が綴

られ、最後の思い出となるはずであったハワイ旅行が中止になった

不可思議な経緯が何とも哀れである。

 若くして死ぬ者には何か常人とは異なった天賦の才があるよう

だ。奈央子さんの場合にも彼女の鋭い霊感や図抜けた正義感を持

ち合わせていたエピソードが回顧される。

 あれから9年たった今年の5月16日に児玉清さんは娘さんと同じ

胃ガンで亡くなった。彼は娘さんの死をその後どのように受け入れ

いったのかもう聞くこともできない。だが、この書を著して愛娘の

死の経緯と父親の気持ちを顕わにしたことで、ご自分の心の解放

浄化を図っのだと思う。


映画「大鹿村騒動記」 その印象

2011-07-23 16:26:58 | 映画の印象

映画「大鹿村騒動記」
評価度:★★★★

 本作、奇しくも主演の 原田芳雄さんの遺作となってしまった。
 
 長野県の小さな村、大鹿村はリニア新幹線の是非論と今年もやってき

た伝統の歌舞伎公演準備で燃えていた。そんな中、歌舞伎の練習に余

念がない鹿料理飲食店のおやじ風祭善は妻の貴子に幼なじみの治と

駆け落ちされて18年も一人でやってきたが、今日は初めてのアルバイト

を雇い入れたばかりであった。

 そんな折り、治は認知症になった貴子に困り果て善に彼女を返すとい

って、帰ってきたのだ。善は戸惑ったが、治と貴子を意外なほどすんなり

と受け入れたように見えた。しかし、正直なところ、善の心は揺れ動く。

貴子の認知症はひどく、万引きしても分からないし、何でも口にしたり、

善と治の違いも判らない。善もほとほと持て余していた。そんなとき、強

い台風が村を襲う。貴子は嵐の中でふと記憶を取り戻し自己嫌悪に陥り

自殺しようと家出をする。

 善たちは総出で彼女の行方を探し回り、やっと見つける。濡れた洋服

を浴衣に着替えさせたところ、ふと貴子はかつて演じた歌舞伎の台詞を

口にした。それを聞いた善の仲間は貴子に歌舞伎に出演させてみようと

提案した。もしかしたら役を演じた後、正常だった貴子に戻るのではない

かと。

 この後の歌舞伎の場面が素晴らしい。村人たちが舞台の前庭を埋め

尽くし、善が景清を演ずる。

 ここで演じられる歌舞伎”「六千両後日文章」重忠館の段”は大鹿村で

代々伝承されてきたもので、平成8年には国選択無形民族文化財に指

定されたそうである。映画でも紹介されてるが、回り舞台付きの本格的

な舞台がある。国内のみならず海外公演も行われているそうである。歌

舞伎座、国立劇場や新橋演舞場で公演されている本場の歌舞伎以外

にもこんな独自の民族芸能が絶やされずに小さな村で維持伝承されて

いることは素晴らしいことである。本作がこのような村歌舞伎を紹介した

ことだけでも賞賛に値する。

 さて、物語に戻って、なぜ貴子は歌舞伎上演中に景清役の善に”赦さ

なくてもいいよ”と囁いたのであろうか。景清の善は感無量の気持ちに浸

り、両目をくり貫く段を演ずる。善と貴子の二人の夫婦関係は歌舞伎の

物語と絡み合い解け合うのである。ふたりは、公演が引けた後、昔の仲

が良かった夫婦の関係に戻るかのようであった。だが、翌朝悲しいか

な、貴子の症状は元に戻っていた。

 歌舞伎を演ずる間だけ、二人はかつての正常な夫婦関係に戻るかの

ようである。再び、認知症の妻の介護に明け暮れる長い日々が始まる。

だが、歌舞伎公演の日が近づくころ、妻はまた昔の妻に戻ってくれる。

善はそう信じてまたいつもの暮らしに耐えるのであろう。認知症を患う家

族を持つ人たちへのメッセージが伝えられているように思える。

 この善を演じた原田芳雄さんは7月19日に亡くなられました。感動的

な素晴らしい映画をありがとうございました。なお、原田さんの追悼番組

で、原田さんが言われていたという”血縁関係だけが家族ではない、い

ろんな人が家族だ”と、分け隔てなく親しくつきあっておられたという。

全く同感であり、お教えをいただいたと感謝します。

製作国 日本 2011年
監督: 阪本順治 
企画: 阪本順治 
原案: 延江浩 
脚本: 荒井晴彦 
 阪本順治 
主題歌: 忌野清志郎   『太陽の当たる場所』
出演: 原田芳雄 
 大楠道代 
 岸部一徳 
 松たか子 
 佐藤浩市 
 冨浦智嗣 
 瑛太 
 石橋蓮司 
 小野武彦 
 小倉一郎 
 でんでん 
 加藤虎ノ介 
 三國連太郎 
 劇場:錦糸町
映像:Allcinemaより


三浦綾子作品2 「母」 その印象

2011-07-20 15:55:11 | 読書三浦綾子作品

読書「母」三浦綾子 角川書店 H4年3月10日発行

 小林多喜二(1903ー1933)の母、小林セキが多喜二の思い出をイ

ンタビューに答えて語る。小林多喜二といえば、有名な小説「蟹工船」の

作者にして、共産党員で警察に逮捕され拷問により若くして死亡したと

いうことである。その人柄などについては全く知らなかったが、本書では

彼の母の思いでの中でそれを知ることができる。

 母セキは秋田県釈迦内村の生まれ(1873年)で、13歳で小林末松と

結婚し、7人の子供をもうけた。多喜二は次男であったが、兄の多喜郎

は12歳で死んだ。セキが35歳、多喜二5歳の時に北海道小樽へ移住

した。小林家は貧しかったが子供たちは親孝行で仲良く暮らした。子供

たちの中には芸術の才能に恵まれていた者もいた。多喜二は小さいと

きから絵が好きでよく描いていたらしい。しかし、絵では食べていけない

と叔父にいわれて、小説を書くようになった。

 多喜二の人の人権を尊重する心構えは生まれながらのもので、その

強い姿勢の為に死に渡されたといえる。

 弟の三吾はヴァイオリンが好きであった、銀行に勤めていた多喜二は

この三吾にヴァイオリンを買ってあげた。彼は後にヴァイオリンの名手と

なり東京交響楽団の第一ヴァイオリン奏者になったとのことである。

 また、小料理屋に身売りされていた女性と運命的な出会いをし、彼女

の身元引受人となり、自由な身としてやり彼が死ぬまでずっと大事に世

話をしたといわれる。

 多喜二の親類や関係者にはキリスト教の信者になった人が何人か居

る。多喜二も教会に通い聖書に親しんだが、行動的には共産党の党員

としての生き方を選んだ。母のセキもまたキリスト教の信者となり、葬式

は教会で行われたそうだ。セキは多喜二が共産党に入党したので、彼

のために自分自身も入党したそうだ。

 セキは晩年になって字を覚えた。お気に入りの賛美歌は「山路越えて」

であった。死ぬまで多喜二のことを思って悲しんだが、彼が天国に居る

かどうかを一番気にしていたそうである。1961年に88歳で世を去っ

た。

 セキは3人の子供に死なれたが、多喜二の死には特別の想いがあっ

たであろう。その死は逮捕され拷問を受け殺されたという異常なる死で

ある。子供に死なれるということは、親にとってそれでなくとも辛いこと、

多喜二の場合は尚更である。母セキは多喜二の死に納得のできる理由

を見いだしたのであろうか、晩年のセキはキリスト教の救いに望みを抱

いた。この世で罪人といわれ、弱い立場の人の味方になったのに拷問さ

れて死んだ多喜二、セキは同じような姿をイエス・キリストの中に認めた

のであろう。そのとき、母セキはやっと、長い苦しみから救われたのであ

ろう。


ノウゼンカズラが咲くと想い出す

2011-07-19 21:29:37 | 日記

この時期になると、

咲いてくれるのがこのノウゼンカズラ、

愛ネコのチャタが死んだときに、

一緒に火葬してあげたのがこの花でした

この花が咲くと、チャタを想い出しますね

ノウゼンカズラの濃い橙色の花のような

情熱的で野性的なネコさんでした

今もとおちゃんとかあちゃんの心の中に生きています


シャンデリアのようなベゴニアの花

2011-07-17 21:31:34 | 花の万華鏡

 

久々の花の万華響です。

ベゴニアの花が咲きました。

シャンデリアのような白花とピンク花です。

鉢の土が乾いたら水をやって、葉に霧吹きをしてあげます。

世話といえばそれだけですが、

それでも毎年花を咲かせてくれます。


オペラ「トゥーランドット」 その印象

2011-07-09 15:12:27 | 演劇・コンサート

  

(今年の梅雨明けだそうです、たちまち暑いです)

オペラ「トゥーランドット」
 カラフ王子役を急遽代役としてルディ・パークが演じたが、これが声量と

いいドラマテイック・テナーで素晴らしかった。リュウ役の新垣有希子が可

憐な役割を好ましく演じた。トゥーランドットの丹藤亜希子は氷のような冷

たくも熱情的、かつ生まれ変わった後の優しさにあふれた女という正逆

の性格を見事に表現しさすがと思わせた。

 このオペラではトゥーランドット姫が愛に目ざめる前後でガラッと雰囲気

が変わるところが印象的である。闇から光へとイメージを変えなくてはな

らない。本公演では、明るい青空に明るくて白い雲の流れを配してそんな

雰囲気を心地よく表現していたように思う。

 それにしても、カラフ王子の出した謎が”自分の名前は何か”であって、

その答えが解ったといい、その名前は”愛”であるという結論はいつ観て

も感動させられる。

 王子の名前を捜すときに流れた”だれも眠ってはならぬ”という有名なメ

ロデイーが、フィナーレのときもまた流れる。このメロデイーにはすでに闇

の中から光に向かう上昇的な性格が含まれているように思う。

 そのために闇も光も同じメロデイーが使われるのに、光が全編に広が

るときには、圧倒的な高揚感と満足感を放射するのである。

 このメロデイーを聞き、こんなにも感じ方が正反対に違うのかと改めて

プッチーニの作曲の素晴らしさに感動を抱く。

配役:
トゥーランドット姫  丹藤亜希子
カラフ(王子)ルディ・パーク
リュウ (ティムールに仕える奴隷) 新垣有希子
皇帝アルトゥム  牧川修一
オペラ全3幕
原作:カルロ・ゴッツィ
台本:ジュゼッペ・アダーミ、レナート・シモーニ
作曲:ジャコモ・プッチーニ 
 スタッフ
指揮:   ジャンルイジ・ジェルメッティ  
演出:   粟國 淳   
装置:   横田あつみ、衣裳:   合田瀧秀、照明:   笠原俊幸   、振付:   松原佐紀子、演出助手:   久恒秀典、大森孝子、合唱指揮:   佐藤 宏   
舞台監督:   大仁田雅彦、公演監督:   大島幾雄  
主催:公益財団法人東京二期会、財団法人読売日本交響楽団
劇場:東京文化会館


映画「デンデラ」 その印象

2011-07-04 15:25:47 | 映画の印象

映画「デンデラ」
評価度:★★★
 

 「姥棄山」の後日談である。七十歳になった斉藤カユは息子に背負わ

れて山に捨てられ、極楽往生を念仏して気絶していた。しかし、老婆達に

よって救われた。かつて棄てられた老婆達は共同体”デンデラ”を形成し

て生き延びていた。そのリーダーである三ツ星メイは百歳になんなんとし

ていた。彼女の生きる目的は、自分達を棄てた村人、家族への復讐であ

った。

カユが加わって総勢五十人という一大勢力となったのをみて、メイはつい

に村へ繰り出し、復讐を遂げようとした、しかし、何という不思議か、この

ときに及んで次々と彼らの前に立ちはだかる勢力が現れるのだった。

 七十歳から百歳にまたがる老婆達の達者なことは驚くべきほどである。

まるで現代の元気の良い高齢者を思わせる。棄てられた男老人が居な

いのは、当時もやはり男は短命であったのだろう。

 自分達を棄てた家族に対して、戦闘訓練までしてその復讐の機会が訪

れるのを待っていた老婆達のデンデラは一種のカルト集団といってよい。

 一見、老婆達のユートピア的共同体と感じられたが、実体はかなり異な

っており、リーダーの考えに背く少数派は”いくじなし”として隅に追いやら

れていた。

 それにしても、復讐心に燃える老婆達の前に立ちはだかるあの二つの

勢力はどんな意味を持つのだろうか。 なぜ、三十年もデンデラを安泰に

維持してきたのに、決起のここへ来て突然に彼らの計画を壊滅しようとし

て出現したのだろうか。

 普通に考えたら、老婆達の遺恨に満ちた復讐心は多少の同情を誘う余

地もあろう。だがその実行を阻もうとする力は、やはり老婆達の意図を不

自然なものと見なした自然の力の現れであろうか。棄てられた老婆達で

すら、抱くことを許されない復讐という妄念がここにはある。せめて自給

自足の一種のユートピアとしてデンデラを維持していったのであれば、こ

の恐ろしい自然の猛威から逃れて生きる道が開けたかもしれない、と思

ったのである。

 いわゆる老人福祉の施設が、あの頃、人知れずあったのかと期待した

観客は完全に裏切られる筋書きであった。

製作国 日本 2011年
監督: 天願大介 
製作: 中沢敏明 
原作: 佐藤友哉 
脚本: 天願大介 
音楽: めいなCo.  
 出演: 浅丘ルリ子 斎藤カユ
 倍賞美津子 椎名マサリ
 山本陽子 浅見ヒカリ
 草笛光子 三ツ星メイ
 山口果林 小渕イツル  
 赤座美代子 黒井クラ 、他
映像:Allcinemaより
劇場:丸の内TOEI

 


愛ねこの一周忌

2011-07-01 21:55:27 | 日記

愛ねこのチャタが亡くなって一年経ちました。早いものです。

遺影の前で、チャタが大好物であったカスピ海ヨーグルトを皿に入れて供

えました。

丁度、今週は、NHK・BSで作家や画家の愛猫との生活のいきさつという

特集をやってくれました。

昨日までは、藤田嗣治、内田百、向田邦子、夏目漱石についてでし

た。

それぞれの愛猫との狂おしいほどの愛情の溢れた逸話は素晴らしかっ

たです。

この特集は実におもしろいので、まだまだ多くの人の場合について紹介

して欲しいと思っています。